2007年8月2日
A新聞の「声」の欄に投稿しましたが,またまたボツになりましたので紹介します。
「懐疑精神」を取り戻そう
東村山市 安全管理コンサルタント
2000年1月9日の朝日新聞社説「この変な社会に抗して」はなかなか先見的な論評であった。
「仮想現実(バーチャルリアリティ)が広がり、誰かが設定した空間を仮想遊泳させられるわけだ。」
「固有名詞を持った個人にではなく、無名の大衆に向けて発せられる情報を、私たちは日々受け取ってきた。」
「組織の『溶解』も進む。家族から企業、国家に至るまで、個人が帰属すべき組織が強固な単位でなくなろうとしている。」
このように当時の社会状況を分析した上で、このように結論づけている。
「懐疑精神を取り戻すことから始めたほうがよさそうだ」
「人間がつくった様々な秩序への疑問だ。何のためのものか?だれのためのものか?」
2007年夏、私たち国民はこの「懐疑精神」の必要性を痛感した。年金記録問題や原子力発電所の安全性などがその理由だ。また、多くの非正規雇用者を生んだ派遣法や、不適格な業者を生み出した介護保険制度のあり方にも疑問を投げかけなくてはならない。
今こそ、これらの法や制度が「何のためか、だれのためか」を問い直してみる必要がある。選挙の結果には関係ない。私たち国民一人ひとりの将来の問題として考えるべきことなのであるから。
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東村山市でも同じことが言えます。ネット上で正論や異論を「やっつける」ことにより、ストレス発散に躍起になっている人には、「誰かが設定した空間を仮想遊泳させられる」ことに全く気がついていません。
請願人にはこの「ネット刺客」たちが「千と千尋の神隠し」のキャラクターである、千尋のお父さんブタ、千尋のお母さんブタと同じに思えます。目の前にあるものは、何にも考えもせず「食らいつく」あの「家畜たち」です。
大江健三郎氏が語ったことを思い出します。
「小泉首相には、国内の政治、経済の実情も国際関係も、正確に説明する誠意はありません。受けの良い言葉の小さいルアーを、表情たっぷりに、たくみに投げて、テレビの前の民衆にパクリとやらせます。それが選挙に直結するのが恐ろしいところです。魅力あふれる政治家のテレビに向けた瞬間芸の言葉を活字にして、読み直させるのがジャーナリストの仕事でしょう。」
2006年 4月11日 朝日新聞「若い世代に語り直す『言葉』」より引用
東村山で起きているネットでの人権侵害騒動も同じなのでしょうね。
「市民派」という宣伝文句で市民に「パクリとやらせる」
佐藤市議や薄井市議の放ったルアーに食いついた市民が普通の市民を攻撃する。
なんとも異様な事態です。