告訴状を受理しない

 私は、検察庁に告訴状を提出するため、検察庁に電話をした。しかし、検察庁は電話の応対こそ慇懃なものの、受理に関してはちっとも受け付けない。

「公文書偽造と偽証罪? 仮に、それが捜査によって立証できる案件だったとしても、そんなの検察庁が受理して捜査しないですよ。だってあなたを立件している検察庁がですよ、それと逆方向の捜査をするなんて矛盾するじゃないですか」
 
 言われてみれば確かにその通りだ。ただ、検察庁の中にも何百人もの検察官がいるのだから、そういう逆方向の捜査も有り得るのではないかと思ったのだが・・・。

「ところで、窃盗とか傷害とかで警察や検察庁に告訴状を出しますよね? それ、受理されるとして結果が出るまでにどれぐらいかかるんですか?」
「う〜ん・・・・・私ども、いっぱい事件扱ってますから、人員の問題もありますから、かなり時間がかかるケースが多くて一概に、どれぐらいとは言えないんですよ」

 こんな回答だった。警察や検察庁が被害届や告訴状を受理しないというのは、よく聞く話だが、本当に受理しない。面倒くさがって仕事をしない。人数が足りないという問題もあるらしい。事件として立件するのは大変な労力である。だから、受理しないというのもわからないではないが、それは裏を返せば、違法行為をして告訴状を提出されても、なかなか逮捕はされないということだ。
 

判決文がまだ出ない

 今日は8月4日である。判決の日が7月16日なのでもう20日も経っているのにまだ判決文が出ない。W弁護士は届いたら送ってくれると言っていたのに、まだ来ない。
 正直、いい加減にして欲しい。一体、いつまで待たせる気なのか。遅すぎるにも程がある。日本の裁判の遅さは異常である。なんで、誰も何も文句を言わないのか、こんなふうになっているのか。一人の裁判官が同時に何十個も何百個も事件を抱えるからこういうことになるのだ。一つ片付けたら次の一つに取り掛かるような形にすればもっと早く終わるのに。
 控訴審の第1回公判まではまだまだ時間が掛かる。これは一生かかってでも取り組む事件になってきた。
 

経験と想像力

 人間には経験と想像力というものがありますね。私ももう24年間、生きているから、いろいろなことを経験している。 

 やっぱり経験というのは重要で、どんなに想像力が豊かで頭の良い人でも自分が経験したことがないことは分からない。だいたい想像はついても実感では絶対に分からないのです。例えば、酒を飲んだことのない人に酔っ払う感覚は絶対に分からないハズです。目が良い人に目が悪い人の感覚は分からないでしょう。両足がない人に自分の足で歩く感覚は分からないでしょう。射精したことのない人間に射精の感覚はわからない。セックスしたことのない人間にセックスの感覚はわからない。働いたことのない人間に働く感覚はわからない。麻薬をやったことのない人に麻薬をやったときの痺れる感覚はわからない。子供を出産したことのない人は出産の苦しみはわからない。逮捕されて裁判にかけられたことない人間に、その感覚はわからない。
 
 「何事も経験だ」などと言うけれども、一度経験してしまうと、もう経験する楽しみがなくなってしまう。あーだろうか、こーだろうかと悩んだり、想像したりする楽しみがなくなってしまう。そして、「人間は忘却によって生きやすくなっている」から、一度経験をすると未経験だった頃の感覚というのをかなり忘れてしまう。大人はかつて子供だったのに、子供の頃の感覚の多くを忘れてしまっているのです。
 「経験が邪魔をする」という歌にもあるように、もうすでに凝り固まったイメージやかつての経験、統計があると「どうせまたこうなるだろう」みたいな予断と偏見が強くなってしまう。「常識というのは20歳までに集めた偏見のコレクションだ」と言われるのも理解できます。

 だから、経験が重要なのは言うまでもないけれども、何事も経験してしまうというのは考え物で、ある程度はわからないままに少ない材料から想像力で補填していくということも重要だと思うのです。私は未知数のことに関して「おそらくこうなるだろう」的なものの感覚がかなり優れている。何もかも実戦派のタイプの人はこの想像力が欠如している人が多い。私は考え込むタイプなんですが、どっちも重要だと思うのですよ。

 まぁ、人間誰もが最後に経験するのは「死ぬ」っていう感覚なんですけどね。誰もが未経験なんですが。想像力が豊かな私もこればっかりはサッパリわかりませんね。
 

好きな人 嫌いな人

 誰でも、人の好き嫌いはあると思います。100人いて、自分以外の99人全員と合うなんてことはまず、ありません。これはどんな人でも同じだと思います。

 100人全員同じ人間なのですが、それぞれ年齢も違うし、置かれた立場も違うし、性格も性別も思考回路も違うので衝突が起こるのです。

 まず、我々人間というのは無条件で生活することができない。これがまず人間の世界で一番大きなところで、生産活動をしなければいけない。仕事をしなければいけない。この仕事には色々なものがあって、その内容も違えば、人によって仕事のやり方も違うし、報酬も違う。これでモメるというのが大人の世界の80%以上なのです。

 人間関係というのはどんな職場でも必ず生じてくるもので、私の裁判だって一番重要なのは人間関係です。色んな人間いるし、みんなそれぞれ考え方が違うし、良い部分も悪い部分もあると言ったって、それじゃどんな人間でも良いのか、問題ないのかと言ったらそんなことはない。やっぱりそんな中でも誰が良い、誰が悪い、或いは誰のやり方が良い、誰のやり方が悪いという話は延々としている。

 というわけで、私はどういう人間が良いのか、人間関係とは何かということが人生において一番難しい問題であると考えるわけです。そんなことを、これからも書いていくかもしれません。
 

とある控訴人のこと

 なんでしょうね。やっぱりブログですから、自己紹介はするべきでしょう。私自身がどういう人間だかが分からないと、読者の皆さんもピンと来ないでしょうからね。

 そうですね・・・・、まずは学歴から。とある、私立中学、私立高校と進学したのですが、高校を中退後、大学検定で某、Eランク大学へ。まぁ、家から近かったんでね。大学は経済学部だったんですが、これもまた中退という不甲斐ない結果に終わりました。ただまぁ、なんでしょうね。みんな勉強もしないし、行ってもあんまり意味がないような気がしたんですよね。

 そんなわけで20歳ぐらいでニートになってからはアルバイトを転々としたり、そんなブラブラ生活を繰り返してですね。まぁ、しばらく家を出ていた時期もあったんですが、また家に戻ってゴロゴロしていたら犯行予告して逮捕されてもう9ヶ月も裁判をやっているってわけですよ。現在、24歳です。

 特技は・・・麻雀と執筆ですかね。どっちもプロ級ですよ。でも、プロじゃないから意味ないですね、はい。中途半端ってヤツです。顔は・・・悪くないですよ。わりとイケメンって言われます。ただ、まぁもうだいぶ、歳ですからね。あと5年もしたら老けてるでしょう。

 好きなものは・・・芸術的なものですかね。漫画とか小説とかゲームとかアニメとか映画とか音楽とか。あとインターネットは面白いと思いますよ。

 嫌いなものは・・・人間関係ですかね。とにかく合わないタイプの人とは苦痛で仕方ありません。もう一生、人と接しないで地下室にでもこもりたいと思うこともあるぐらいですよ。

 性格・・・そうですね。体を動かすのはあまり好きではないですね。口ばっかり動かすタイプですよ。わりと大人しい方だとは思いますよ。怒ると、時々爆発しますからね。お金はあまり好きではないですね。あっても、何も欲しいものがないです。まぁ、ないと生活できないから最低限はないとアレですが。

 まぁ、今はなんと言っても裁判ですよ。裁判。これに勝って無罪にならないことにはどうしょうもありません。こんなところで冤罪を被って躓いていては人生、先に進めませんからね。早く無罪になって綺麗な体になって汚名返上、容疑返上、謝罪と賠償もちゃんと受けなくてはなりません。今、私はこの裁判に全てを賭けているのです。
 
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