2009年 07月 24日
北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。 追補5

考察⑦ 松本 仁ガイドの行動を考える。

※この記事において要となる情報は、貴重なコメントを寄せられた lb005 様 のご指摘によります、記して感謝させていただきます。


松本仁ガイドの行動に関しては最初から情報が錯綜していたのでここでまとめておきます。

キーポイントは、二点

☆警察への第一報をしたのは誰か?

☆松本ガイドはトムラウシ温泉へ自力下山できたのか?

これに焦点をあてて以下検討する。なお、検討に際しては、判断の客観性を保つために元の記事を掲げて、それを分析、検討する流れをとります。

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記事①
遭難時の様子については、「ガイド1人が付き添って下山を始めたが、ペースが速すぎてちりぢりになってしまった」という。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090718k0000m040095000c.html?link_id=RSH04

記事②
残る16人でしばらく進んだが、さらに男女4人が体調を崩すなどして進めなくなり、ここにもガイド1人が残ることになった。5人はテントを張って野営した。
 この段階で、本隊はツアー客10人に対し、ガイド1人の11人。一行は下山を試みたが、ガイドが午後3時54分に5合目の「前トム平」から110番通報した内容は「ガイド1人、客2人の計3人がいます」というもので、ツアー客8人の行方を把握できなくなっていたという。
 その後、16日深夜から17日未明にかけ、3グループに分かれた計5人が自力で下山。17日の捜索では、山頂付近から登山道に沿う形で、「北沼」に7人、「山頂付近」に1人、「南沼キャンプ指定地」に1人、「前トム平」に3人、「コマドリ沢分岐」に1人と、登山客は5カ所に分かれて見つかった。
自力で下山した男性は「ガイドのペースが速すぎて脱落して1人になった」「山中で野営し、17日午前3時半に再び歩き始めたところで車が来て拾われた」と話した。
http://www.asahi.com/national/update/0718/TKY200907170469.html

分析 
☆ガイドが110番通報したとある。

☆ガイドが先行→散り散りに→自力下山した男性によるとガイドのペースが速すぎて脱落した。・・ということは、この男性よりも松本仁ガイドは先行したはずであり、(この記事でもそうであるが、他の記事でも、ガイドを含む3人が前トム平から警察に連絡してきたとあるので・・)ガイドは、自力下山した5名に含まれているのだろうとの推測が成り立つ。(極論するならば、ニュース初期は、松本ガイドは、ツアー客を見捨てて真っ先に下山してしまった・・といった情報が流れていた。)

記事③
16日午前に女性1人が低体温症になり、ガイド1人と山頂付近にとどまった。これとは別に、女性1人が意識不明となり、ガイド1人を含め男女5人がビバークしているもよう。残る男女11人は下山を続け、この中のガイドから携帯電話で110番があった。11人のうち、亀田通行さん(64)と前田和子さん(64)=いずれも広島市=ら4人は無事下山したという。
 このパーティーは、13日に北海道入り。17日までの日程で登山する計画を立てており、16日にトムラウシ山に登った後、温泉に宿泊する予定だった。(2009/07/17-02:21)
http://www.jiji.com/jc/zc?k=200907/2009071601013&rel=j&g=soc

分析 
☆見ての通り、ガイド(松本 仁ガイド)から携帯電話で110番があったとある。

記事④
道警によると、遭難の一報が入ったのは、登山ツアーを企画した東京都千代田区の旅行会社。遭難した18人のパーティーのうち3人が、携帯電話の電波が通じる5合目まで下山して通報した。携帯電話のメールでは、「4人の具合が悪い。かなり危ない」とガイドが伝えてきたという。
(2009年7月17日14時56分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090717-OYT1T00611.htm?from=nwla

分析 
☆記事内容は3人が前トム平まで下山して警察に通報してきたといった内容。ちなみに携帯電話のメールというのは頂上付近のビバークメンバーからのもので、ここに出てくるガイドとは多田学央ガイドであろう。

記事⑤

kikaku
http://www.tokachi.co.jp/feature/200907/20090718-0002104.php

分析
☆図表を見る限り松本仁ガイドはコマドリ沢分岐で発見されたようだ(つまり彼は自力下山できていない)。

記事①~④を前提にすると、何故、11人の先を切って歩き、前トム平から110番通報したガイドが何故こんなところで発見されるのか?と疑問になる。 
ツアー客のためにあえてここにとどまったのか?あるいはルートを間違えたのか?と推測がなされる。

記事⑥
同10時44分  登山客がコマドリ沢付近の雪渓で倒れている男性を発見し110番通報。男性は「マツモトヒトシ」と名乗り、ツアースタッフの松本仁さん(38)=愛知県一宮市=とみて救助、帯広厚生病院に搬送
http://www.tokachi.co.jp/news/200907/20090717-0002084.php

分析
☆記事⑤と一致する内容、これにより松本仁ガイドが自力下山できず、コマドリ沢分岐で発見されたのは事実であるようだ。

記事⑦
読売新聞18日夕刊(東京都多摩版 一面)によると以下のようである。
「5合目まで下りた午後4時前にはガイドを含む3人が動けなくなった。ガイドは携帯電話で「動けなくなった」と道警に通報。残る8人がさらに登山口を目指したが、体力の消耗が激しい登山客の歩みは遅く、隊列も崩れ、最後は散り散りになって下山したという。」

分析
☆ガイドがこの記事でも110番通報していることになっていて、目新しいのは、「(ガイド自身も)動けなくなった」と言う報告内容。ガイドの疲労状況に触れている記事は他になくこの夕刊の記事だけでは信憑性に疑問があった。もしこの記事の通りであるとしたら、松本仁ガイドは疲労してコマドリ沢分岐で力尽きたと推察できることになる。

記事⑧

第1報
 正午ごろ、松本さんは戸田さんら10人を連れて下山を開始。しかし「早く救助を呼ばないと」と急ぐ松本さんの足が速く、11人はすぐばらばらに。足がもつれ始めていた松本さんも、約5キロ先のコマドリ沢分岐付近で動けなくなった。前田和子さん(64)=広島市=が「起きて。子供もいるんでしょ」と声をかけたが、座り込んだまま。
 その時、前田さんの携帯電話が鳴った。午後3時48分、心配した夫(67)からだった。電話が通じることが分かり前田さんらは午後3時54分、110番。遭難の第一報だった。
 ろれつが回らない松本さん。そこに亀田通行さん(64)=広島市=が追いついた。松本さんから次の指示はなく、亀田さんは「2人で帰ります」。前田さんと亀田さんは暗くなった登山道を歩き、16日午後11時45分、下山。
 松本さんは17日、風を避けるようにハイマツの下にいたのを発見、救助された。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090723/dst0907231350013-n2.htm

分析
☆この記事は生存者2名(前田和子さん、亀田通行さん)の証言に基づいている、2人の証言内容は矛盾していないので極めて信用性が高い。
☆この記事では、第一報の場所が、前トム平(標高1700m)ではなく、もっと標高が低い(標高1400m程度)、コマドリ沢分岐となっている。ちなみに、ここは、松本仁ガイドが翌日10時過ぎに発見された場所。松本ガイドはここで座り込み、そのまま一歩も動けずに、ここで夜を明かし翌日発見された模様である。
☆第一報は、ツアー客の前田和子さんによるものであるようだ。
☆松本仁ガイドは、現場で、ろれつが廻らず、次の指示が出せなかったくらい悪い体調になっていた。よって、彼が自ら110番通報したというのは、考えにくい。

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記事⑧の全文

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悪天候の山中、極限状態で次々と… 大雪山遭難ドキュメント (1/3ページ)
2009.7.23 13:46

このニュースのトピックス:航空・海難・山岳事故
 中高年の登山客ら10人が死亡した北海道・大雪山系の遭難事故は、23日で1週間。「アミューズトラベル」(東京、松下政市社長)のツアー客とガイド18人のうち、8人が死亡したトムラウシ山(2141メートル)では、自力で下山したツアー客の証言から、悪天候の山中で極限状態になった様子が明らかになってきた。


トムラウシ遭難 生存者が証言

 一行は14日午前に東川町の旭岳から入山。約12キロを歩いて白雲岳避難小屋に宿泊したが、夜から雨が降りだした。翌15日は約9時間で約18キロの縦走を続け、午後2時ごろ、ヒサゴ沼避難小屋に到着した。

 ぬかるんだ道を歩き続けてきたが、別パーティーの静岡県の男性(66)は「そのときは特別に疲れた様子もなく、わいわいと楽しそうにしていた」と話す。しかし小屋では干したレインウエアから滴が落ち、寝袋がぬれて、寝られない人もいた。疲れが取れる場所ではなかった。


奇声

 翌朝は3時半起床。雨と風が強く、出発予定が30分遅くなった。ガイドは「午後から晴れるから大丈夫」と説明し、午前5時半に小屋を出発。しかし稜線(りようせん)に出ると吹きすさぶ風に体力を奪われ、遅れる人が出始めた。

 午前10時半ごろ、約4キロ進んだ北沼分岐付近で歩けなくなる人が出た。座り込んだ人を囲んで風よけをつくった。ガイドは待機を指示したが、約1時間半後には「寒い、寒い」と奇声を発する人も。戸田新介さん(65)=愛知県清須市=は「これは遭難だ。救援を要請しろ」と怒鳴った。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090723/dst0907231350013-n1.htm

悪天候の山中、極限状態で次々と… 大雪山遭難ドキュメント (2/3ページ)
2009.7.23 13:46

このニュースのトピックス:航空・海難・山岳事故

 ガイド3人が協議し、死亡した吉川寛さん(61)=広島県廿日市市=と多田学央さん(32)が、客5人とテントを張って残ることを決断。多田さんは松本仁さん(38)に「10人を下まで連れて行ってくれ」と頼んだ。


第1報

 正午ごろ、松本さんは戸田さんら10人を連れて下山を開始。しかし「早く救助を呼ばないと」と急ぐ松本さんの足が速く、11人はすぐばらばらに。足がもつれ始めていた松本さんも、約5キロ先のコマドリ沢分岐付近で動けなくなった。前田和子さん(64)=広島市=が「起きて。子供もいるんでしょ」と声をかけたが、座り込んだまま。

 その時、前田さんの携帯電話が鳴った。午後3時48分、心配した夫(67)からだった。電話が通じることが分かり前田さんらは午後3時54分、110番。遭難の第一報だった。

 ろれつが回らない松本さん。そこに亀田通行さん(64)=広島市=が追いついた。松本さんから次の指示はなく、亀田さんは「2人で帰ります」。前田さんと亀田さんは暗くなった登山道を歩き、16日午後11時45分、下山。

 松本さんは17日、風を避けるようにハイマツの下にいたのを発見、救助された。


生還と死

 一方、戸田さんは11人がばらばらになった後、コマドリ沢分岐から山頂方向に約1キロの前トム平の手前で、歩けなくなった女性に手を貸していた長田良子さん(69)=仙台市=に「手伝って」と頼まれた。もう1人女性がいたが、突然倒れて起き上がらない。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090723/dst0907231350013-n2.htm

悪天候の山中、極限状態で次々と… 大雪山遭難ドキュメント (3/3ページ)
2009.7.23 13:46

このニュースのトピックス:航空・海難・山岳事故

 戸田さんらは2人を引っ張って雪渓を滑り降りたが、戸田さんは「自分のやれる範囲を超えている」と思い、歩き始めた。近くでは真鍋記余子さん(55)=浜松市=が別の女性を介抱していた。

 歩き始めた戸田さんはビバーク(一時露営)のための場所を探した。しばらくして追いついてきた長田さんに「ビバークしたら死んじゃう。一緒に頑張りましょう」と励まされ、また歩き出した。

 その後、長田さんは斐品真次さん(61)=山口県岩国市=と17日午前0時55分、自力で下山。戸田さんは途中で仮眠を取り、午前4時45分に下山した。真鍋さんは手を貸していた女性とビバーク。午前5時17分に道警ヘリに救助されたが、女性は冷たくなっていた。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090723/dst0907231350013-n3.htm


※この記事情報は、貴重なコメントを寄せられた lb005 様 のご指摘によります、記して感謝させていただきます。

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まとめ

☆第一報は、16日午後3時54分の警察への110番通報はツアー参加者の前田和子さんによりなされた模様である。そして、通報の現場は、前トム平ではなく、コマドリ沢分岐であるようだ。

☆松本仁ガイドは、自力下山はおろか、コマドリ沢分岐で救助された。コマドリ沢分岐まで引率して力尽きたと考えられる。


考察

松本仁ガイドに関しては、当初、情報不足から、勝手に自力下山したのではないか?などといった流言蜚語がなされていたが、生存者二名の証言により彼の行動が、明らかとなった。

松本仁ガイド自身も、ツアー客同様に当日の悪天候のもと行動し続けて、体調が悪化しつつあったのである。それでも頑張って前田和子さんを引率してコマドリ沢分岐まで下降できたのは、不幸中の幸いだと考える。(そこで携帯電話が通じて110番通報がやっとできたのであるから・・。)
これがもし、前トム平あたりで、松本ガイド自身も倒れていたら・・どうなったか、他のツアー客への動揺が甚だしかったのではなかろうか?

それを思うと、松本仁ガイドは、体力の限界を感じつつも出来る限りのことをやったのではなかったか、とも思えるのである。

もちろん、当日の天候判断の予測に失敗し、ツアー客に残された体力の判断にも失敗し、引率のツアー客を18時間(人によってはそれ以上)行動させて生命の危険にさらす結果となったこと、ツアーガイドを含む18名のうち8名もの人間を低体温症で凍死させてしまったことへの社会的な非難は(たとえ、自らも倒れてしまったとしても)ツアー企画会社と、生き残ったもう一人のガイドともども受けなければならない。

ガイドというものは、たとえ自ら斃れても、客の安全を第一に考えなければならないものなのだと考える。
以前、テレビの映画で、ヨーロッパのガイドが、岩壁で墜落して、しばらくザイルにぶら下がっていたが、やがて自らザイルをナイフで切って墜死するシーンがあった。
そんな誇り高きガイド気質であるからこそ、ヨーロッパでは、ガイドへの信頼や山岳ガイドの社会的な地位が高いのであろう。

日本の山岳ガイドへの信頼は、ツアー価格の安さや、客が分担する荷物が軽いことによってではなく、そういったいざというときには自らの生命を賭してまで客の身を守ってくれた、といった客観的事実の積み重ねによって時間をかけてつくられてゆかねばならないものだと考える。


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その他の資料

トムラウシ遭難 「天候は回復」と判断 同行ガイド道警に説明 (07/22 06:44)
 【新得】大雪山系トムラウシ山(2141メートル)でツアー客ら8人が凍死した遭難事故で、同行したガイドの1人が道警の調べに対し、遭難した16日の早朝、雨模様の中で出発したことについて「前線が抜けたため、これから天候が回復すると判断した」と説明していることが21日、道警への取材で分かった。その後、天候はさらに悪化しており、道警は出発時のガイドの判断が適切だったか、慎重に調べている。

 道警などによると、説明したガイドは、同行した3人(うち1人死亡)のうち、無事だった札幌市内の男性ガイド(32)。ガイドらは天気概況から、天気が同日中に回復すると判断し、16日午前5時半、ツアー客と計18人で、ヒサゴ沼避難小屋を出発。当時、雨が降り、風も強かったという。
 札幌管区気象台によると、前日の15日午後9時の時点で、低気圧から延びる前線が道内を通過していた。しかし、同気象台は「(今回のような場合)前線が抜けても、雨量が減るだけで、むしろ風は強まり、気温は下がることの方が多い」とする。
 実際にパーティー出発後、風は横なぐりとなり、雨も勢いも増し、16日昼前にはツアー客が次々と寒さで動けなくなった。その後、計8人が凍死した。
 道警は出発の判断に加え、ガイドらの予測とは違って天候が一向に回復しないにもかかわらず、なぜ引き返さなかったのか調べる方針。愛知県内のガイド(38)についても体調が回復し次第、事情を聴く。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/178454.html


トムラウシ避難小屋新設を新得町が要請へ (07/23 07:06)
 【新得】十勝管内新得町のトムラウシ山で本州の登山ツアー客ら9人が死亡した事故を受け、同町の浜田正利町長は22日、同山への避難小屋新設やガイドの国家資格制度創設など再発防止策を、国や道の関係機関に要請することを検討する考えを明らかにした。

 トムラウシ山には、今回事故が起きたヒサゴ沼から短縮登山口まで、通常で8~9時間かかるとされるルート間に避難小屋がなく、以前から天候悪化や負傷などのため日暮れまでに下山できないケースがある。浜田町長は「避難小屋新設は環境への影響などを考える必要があるが地元として要請を検討する。ガイドについては登山者の命を守るために、より厳格な資格制度が必要だ」と話している。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/178662.html


7年前 トムラウシ山で遭難 母の死 なぜ学ばぬ
2009年7月23日 13時51分

 「あの時と同じルートで、同じ悪天候。なぜこんなにも犠牲者が出てしまったのか」。北海道大雪山系のトムラウシ山(2、141メートル)で、アミューズトラベル(東京都千代田区)主催のツアーに参加した客とガイドの8人が命を落とした惨事から23日で1週間。その同じ山で7年前、葛西あき子さん=愛知県東海市荒尾町、当時(59)=が逝った。遭難の知らせは、長男の功一さん(42)=同=に「あの時」を思い起こさせた。 (太田鉄弥)

 「えっ」

 十六日夜、携帯電話のニュース速報で表示された文字にくぎ付けとなった。トムラウシ。忘れられない名前だった。あき子さんは登山仲間三人とともに二〇〇二年七月、大雪山系を縦走。最終日の十一日朝、台風が近づきつつあったが、小屋を出た。

 下山まで十時間かかる長いルート。山頂付近は遮る物がなく、強風で歩けない。雨が容赦なく体温を奪う。体感気温は氷点下。あき子さんは低体温症で動けなくなり、命を落とした。近くで、別の一行の女性=当時(58)=も亡くなった。

 今回もまた、強風と雨が命を奪った。「小屋を出なければ、何も起きなかった」。悪天候で抜けられるようなルートではないという七年前の教訓は、生かされなかった。

 「本格的な山は、これが最後ね」

 出発前、珍しく電話をくれた母と、北海道新得町の遺体安置所で再会した。化粧を施された顔は、眠っているかのようだった。

 夜、父の義美さん(73)と弟の男三人で、警察が手配してくれた宿の温泉につかり、座敷でビールを飲んだ。会話らしい会話はない。頭の中は真っ白だった。

 翌日、ひつぎに入った母を連れて帰る空港で告げられた。「遺体は貨物の手続きとなります」。母の“運賃”は、キロ単位で計算され、八万数千円。現実を突き付けられた。

 明るかった母。息子二人、娘一人を育て上げ、四十代半ばで登山を始めた。日記に、日本百名山のうち訪れた九十以上の名峰と、出合った高山植物が記されていた。

 「好きな山で死んだ母は、本望だったんじゃないだろうか」

 何とかそう思えるようになったのは、四年ほど過ぎてから。当時の新聞記事の切り抜きを毎日眺めては悲しみに暮れる父も、「本望だろう」とようやく賛同してくれた。

 それだけに、今回の遭難で残された遺族や友人が直面する喪失感は人ごとではない。

 より安全であるべきツアー登山で、悲劇が繰り返された。功一さんは問う。「七年前のことに学んでいれば、小屋にとどまるという判断があったかもしれない。ツアー会社は安全の確保を真剣に考えてきたのだろうか」
(東京新聞)
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2009072390135105.html



by segl | 2009-07-24 12:08 | Ⅶ 省察


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