2009年 07月 18日
はじめに この度、不幸にもトムラウシ山において遭難された10名の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。また、この記事を作成するにあたっては以下に引用するさまざまな報道記事を参考にさせていただきました、それらを後半に引用させていただき感謝の意を表します。 夏休みに入り、日本アルプスや八ヶ岳、谷川連峰、あるいは東北の山々等などに出かけるトレイルランナーの方々も多いと思います、皆さんにおかれましては今回の事件を他山の石として、ひとりの遭難者も出さないように心がけていただければ、幸いです。 さて、ツアー登山は安全でなければならないと考える。仲間とあるいは一人で出かけるよりも、山のプロであるガイドが同行して案内してもらえるのだから。 安全の見返りとして、当然、ツアー登山は、いくばくかのガイドへの案内料も払うわけだから通常の登山よりも高いものとなる。私の知り合いのお母さんもあの無名山塾のツアーに参加していて、一日あたりの引率料も払うのよとおっしゃっていた。さて、今回は、そんなガイド登山が引き起こした大量遭難事故についての考察である。 __________________________________________________________________ 場所 北海道大雪山系のトムラウシ山(標高2141メートル)と美瑛岳(標高2052メートル) ルートイメージ 大雪山縦走3 ヒサゴ沼~トムラウシ 遭難状況 2パーティー計24人、そのうちトムラウシ山で女性6人、男性2人(①)、美瑛岳で女性1人が死亡(②)。そのほか、単独でトムラウシ山に登ったとみられる男性1人も死亡(③)。 ①については、以下に詳論する。 ②道警によると、美瑛岳のパーティーから16日午後、救助要請があった。茨城県の旅行代理店を通じて参加した女性3人と男性ガイド3人のパーティーのうち、客の女性1人が低体温症で動けなくなっため、ガイド2人が付き添っている。残り3人は避難小屋に入ったという。このうち、兵庫県姫路市の尾上敦子さん(64)が死亡した。 ③二つのパーティーとは別に山頂付近で遺体で見つかったのは茨城県笠間市の男性(64)とみられる。男性はトムラウシ山の登山口の「国民宿舎東大雪荘」に16日に宿泊する予約をしていたが、姿を見せなかったという。 __________________________________________________________________ ①トムラウシ山のパーティーは東京の旅行代理店を通じて参加した男性5人、女性10人と、男性ガイド3人の計18人。年齢は32~70歳。客15人は愛知県5人、広島県4人、静岡県2人のほか、宮城、岐阜、岡山、山口の各県から1人ずつ参加した。 13日 北海道入り ↓ 14日 旭岳温泉を出発、雨の中を白雲岳避難小屋まで歩いた。 ↓ 15日 曇りで、同小屋からヒサゴ沼避難小屋へ。 ↓ 16日 午前5時 ヒサゴ沼避難小屋出発予定を悪天候のため30分繰り下げる。 ↓ 16日 午前5時30分 次のツアーを待つ男性ガイド(60)をヒサゴ沼避難小屋に残し、ヒサゴ沼避難小屋出発。気温は10~15度で、山頂までの間に強風にさらされ、一部の客は体温低下。 ※追加 ガイドの判断でヒサゴ沼避難小屋を出発したとのこと(18日読売新聞夕刊1面に記載)。 ※ビュービューと吹く風の音を耳にしながら、一行は宿泊した避難小屋を出発した。愛知県清須市から参加した戸田新介さんは「大丈夫か」と疑った。20メートルの風。案の定、数時間で歩けなくなる人が出始めた。それなのに、元気な人は先を行く。昼を前に、集団は縦に長くなってしまった。その後、戸田さんらの一行は山頂手前の北沼へ。自力で下山した人によれば、ここで複数の人が体調不良を訴えた。 ※十勝山岳連盟の太田紘文会長によると、出発地のヒサゴ沼避難小屋から北沼まで晴天なら3時間。ところが、自力で下山した人の話などでは、一行はこの日、6時間前後もかかった。3日目の疲労に加え悪天候で、体力を消耗する人と、そうでない人に差が出た。 ↓ 16日 正午前(ヒサゴ沼避難小屋出発後6時間経過) トムラウシ山頂に近い北沼付近で女性1人が低体温症で歩行困難となり、ガイドの吉川さん(ガイドAとする)がテントを張って山頂付近にとどまった(まず、トムラウシ山頂付近に2人残る)。 ※追加 読売新聞18日夕刊によるとこのときの時刻は午前11時前(10時30分前~11時)とのこと。 ↓ 16日 正午過ぎ(ヒサゴ沼避難小屋出発後6時間以上経過) さらに、女性客3人と男性客1人も低体温症になり、ガイド多田学央さん(32 ガイドBとします)がテントを張って付き添い、その後ビバークする(先ほどの2人の他にさらに5人残る)。 ※追加 読売新聞18日夕刊によると時刻は一時間後の11時30分~12時30分にかけて。 ※トムラウシ山頂手前でパーティー後方にいた2人が倒れ、一行はその場から動けなくなった。その場に約1時間とどまり、戸田さんは「救助を要請しよう」と提案したが、体力の残っているメンバー11人(ガイドCを含む)で先に進むことになり、倒れた2人やガイド1人(ガイドB)を含む数人を残して十数人で改めて出発した。 ↓ 16日 午後3時54分110通報(ヒサゴ沼避難小屋出発から10時間24分経過) 残る男女11人(ガイドC一人を含む)は下山を続け、ガイドCが午後3時54分に5合目の「前トム平」から110番通報。 内容は「ガイド1人、客2人の計3人がいます」というもの。 ※ガイドCが午後3時54分前トム平で110番通報をした時点で、ガイドCの周りにいたツアー客は2名。この時点で、テントを使ってビバーグしていると把握しているのは、二箇所の2名+5名=7名、通報時においてガイドCは一緒に行動を再開した10名(ガイドCを除く)のうち8名のツアー客が自分から離れていること(置いてきぼりにしていること)を認識できたはずである。 ※ 読売新聞18日夕刊の記事に、16日の経過が記載されているので、追加しておきます。ただ、この記事内容が、他社の記事と合致しない点を幾つか含んでいるので、全面的に信頼するのではなく両論併記のまま追加記載することにします。 22日 PM11:00 追記 ※ すなわち読売新聞18日夕刊によると以下のようである。 「5合目まで下りた午後4時前にはガイドを含む3人が動けなくなった。ガイドは携帯電話で「動けなくなった」と道警に通報。残る8人がさらに登山口を目指したが、体力の消耗が激しい登山客の歩みは遅く、隊列も崩れ、最後は散り散りになって下山したという。」 注 この5合目とは前トム平を指す。この読売の記事を読む限りでは、前トム平までは11人が揃って下ってきたように読めるが、他社の記事を読む限りではそのようには把握できない。読売新聞の記事では、8人が前トム平から下山したように読めるが、実際に自力下山できたのは5名で、ガイドC(松本 仁さん)はコマドリ沢分岐で発見され、前トム平で4名発見うち3名死亡という他社の情報もあり、読売新聞の記事をそのまま信用できない。 また、「(松本 仁ガイドが自分自身が)動けなくなった。」と連絡したというのも初耳である。 追記 毎日新聞によると以下のようである。 ■下山 「(ツアー客)10人をまとめておりてくれ」「(トムラウシ)分岐で全員を確認してくれ」。32歳ガイドは別の38歳ガイドに伝えた。38歳ガイドを先頭に客10人は下山を目指した。しかし、隊列はやがて分裂していく。「ガイドのペースが速すぎた」との証言もある。 38歳ガイドについていけた客は3人。その一人の戸田さんは心配になって戻ったが、後ろにいるはずの7人のうち、2人の姿は見当たらなかった。トムラウシ分岐付近では38歳ガイドの呼び掛けが聞こえたが、間もなく途絶えた。その後、一緒に下山していた味田久子さん(62)=名古屋市=が歩けなくなった。 最終的には38歳ガイドと客2人だけが先に進み、5合目付近の前トム平に到着。携帯電話は通じるようになり、午後3時55分に38歳ガイドが道警に救助要請。最初の体調不良者が出てから約5時間半も経過していた。 下山を目指した11人中、自力下山できたのは5人のみ。味田さんら女性3人と木村さんは途中で力尽きた。 http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090723ddm012040002000c.html 更に18日読売新聞夕刊によると以下のようである。 「一方、午後4時30分頃には、山頂近くのビバーク先から、ガイドが携帯電話メールで「7人下山できません 救助要請します」などと連絡。更に30分後には、「すみません8人です。4人ぐらいダメかもしれないです」と伝えた。日没後の午後8時過ぎには、道警が登山客らの容体を確認するため、ガイドに定時連絡するように指示したが、午後11時18分、電話に応答しなくなったという。」 注 この記事で山頂のビバーク先から携帯メールで直接連絡があったというのは、初耳である。他の記事では、松本 仁さん(ガイドC)を通じてツアー会社や警察などと連絡がなされていたように受け取れるからである。また、なぜ7人ではなく8人なのか、誰が一人増えたのか?不明である。山頂付近では携帯電話は通じないようであるが、携帯メールなら交信が出来たのであろうか?ここのところも他の情報源とは違っている。 とりあえずここでは両論併記するにとどめる。現場にいたガイドである多田学央さんの証言がいずれ真相を明かしてくれるだろう。 22日 PM11:00 追記 追記 毎日新聞によると・・ 【午後4時45分】ビバーク中の32歳ガイドからアミューズトラベルにメールが届く。「すみません。7人下山できません。救助要請します。トムラの北沼と南沼の間と北沼の2カ所です」 【午後5時15分】32歳ガイドから再びメール。「すみません8人です。4人くらいダメかもしれないです。○○さん(61歳ガイド)も危険です」 http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090723ddm012040002000c.html ↓ 16日 深夜から17日未明 ツアー客ばかり合計5人が3グループに分かれて(要するにバラバラになって)めいめい自力で下山する。 ※自力下山出来たのは全部で5名(全員ツアー客)で、ガイドCの通報時に、ガイドCの周りにいたツアー客2名は下山できたと考えると、他にツアー客3名が自力下山したことになる。110番通報をしたガイドCは自力下山が出来ず、コマドリ沢分岐に倒れているのを翌日17日午前10時ごろに発見された。 ※戸田新介さん(65)さんは途中で脱落し、17日午前1時半頃に1人でビバーク。約2時間後に再び下山し、ふもとの国民宿舎「東大雪荘」近くの林道で救助された。戸田さんは「途中でついていけなくなった。風がすごく、とても寒かった」と話していた。 ※17日午前6時頃に自力下山した女性は「風はかなり強かった。歩ける人だけ下りてきたが、途中で座り込む人がいた。私は途中から2人で行動したが、もう1人が歩けなくなり、午前4時頃から1人で山を下りた」と疲れ切った表情で語った。 ↓ 17日 早朝、道警、陸自の捜索隊がトムラウシ山のパーティー18人のうち、男女13人を発見 ヘリコプターで収容したが、ツアー客7人とガイド一人(ガイドA)の8人が死亡した。5人は生存が確認された。 トムラウシ山頂付近から登山道に沿う形で、「北沼」に7人(生存3名、死亡4名)、「山頂付近」に1人(一部報道によるとこの山頂付近での発見は南沼キャンプ指定地で発見された遭難者2名(うち一名は単独行者、二名とも死亡)と報道されているようである)、「南沼キャンプ指定地」に1人(死亡)、「前トム平」に3人(前述の一部報道によると前トム平では4名発見されてうち3名死亡、一人生存である模様)、「コマドリ沢分岐」に1人(ガイドC 生存)と、登山客(ガイド、ツアー客)は5カ所に分かれて見つかった(合計13人、うち8名死亡、5人生存確認 下の地図参照)。 ↓ 17日 午前 捜索隊は要救護者、自力下山者を登山口から車で20~30分の場所にある国民宿舎東大雪荘に収容。 ※別のパーティーのメンバーで、同じ山小屋に宿泊した静岡県函南町の男性(66)は16日早朝、遭難したパーティーから5分ほど遅れて山小屋を出発した。「横殴りの雨が降り、突風にあおられて倒れた仲間もいた。遭難したパーティーはとてもペースが遅く、バラバラになった人たち全員を追い越してしまったが、『この人たちは大丈夫だろうか』と心配していた」と話す。 この男性と一緒に下山した静岡県沼津市の女性(69)は、「遭難したパーティーには、風で飛ばされて転倒した人もいて、『大丈夫か』と思った。自分たちも強風で岩にしがみつくほどだった」と劣悪な天候を振り返った。 ※遭難男性の1人を登山口から国民宿舎東大雪荘に運んだ女性(69)によると、男性は「雨と風がすごかった。ゆうべはビバークし、明るくなったので下山してきた」と疲れた様子で話していたという。 ※現地でツアー客を登山口まで案内している横山裕一さん(49)は午前5時ごろ、国民宿舎東大雪荘でこのうち2人を見掛けた。「泥だらけでぐったりして戻ってきた女性がいた。疲れた様子で男性が警察官に事情を聴かれていた」と、当時の様子を話した。(2009/07/17-13:34) この絵図は、http://www.asahi.com/national/update/0718/TKY200907170469.htmlの情報をもとに作成しました。「山頂付近」というのは、「トムラウシ分岐」を指すのかもしれません。だとしたら、絵図よりももう少し南沼キャンプ指定地寄りです。 追記 毎日新聞によると、【午前6時半ごろ】南沼キャンプ指定地近くで女性1人を発見。その後死亡確認 http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090723ddm012040002000c.html 【午前5時35分】トムラウシ分岐付近で木村隆さん(名古屋市)を発見、収容。その後死亡確認 【午前6時半ごろ】南沼キャンプ指定地近くで女性1人を発見。その後死亡確認 毎日新聞は、トムラウシ分岐と、南沼キャンプ指定地の二箇所で2人が死んでいると発表している。 ※報道機関により要救護者の発見場所が多少異なるが、要するに、標高1700m以上の北沼~前トム平の間で8名死亡している点では共通する。 http://www.tokachi.co.jp/feature/200907/20090718-0002104.php 考察 午後3時54分にガイドCがツアー客2名とともに前トム平で110通報して、そこから更に下山を開始したが、登山口まで無事に自力下山できたものは、ツアー客の5名にとどまる。(ガイドCはコマドリ沢分岐付近に倒れているのを翌日発見され救助される。生存) 結果として総勢18名のうち、13名(ガイドCを含む)がコマドリ沢分岐より上に取り残され、前トム平から一歩も下山できなかった者が12人にもなる。 ガイドCはコマドリ沢分岐に意図してとどまったのか、下山しようにも下山できずそこで倒れたのかは現在不明である。 この北沼~前トム平に取り残された12名のうち、ガイドA Bを含む7名はそれぞれのガイドが受け持つ(安全な下山のための責任を負う)として、それ以外の5名(全員ツアー客)に関してはガイドCの分担であるので、110番通報をしてからのガイドCの行動が問題となる。 コマドリ沢分岐に倒れていたガイドCが、最終的に担当することになった10名のツアー客(うち5名は自力下山、5名は北沼~前トム平に取り残され4名が死亡)の生命、身体の安全にどれほど尽力したかが、鍵となろう。 ガイドA(死亡)の行動 16日 正午前(ヒサゴ沼避難小屋出発後6時間経過) トムラウシ山頂に近い北沼付近で女性1人が低体温症で歩行困難となり、テントを張って山頂付近にとどまる。 17日 早朝捜索隊により発見されるも2人とも死亡する。 ガイドB(救出、生存)の行動 16日 正午過ぎ(ヒサゴ沼避難小屋出発後6時間以上経過) 女性客3人と男性客1人も低体温症になったのでテントを張って付き添い、その後ビバークする。 追記 毎日新聞によると・・ 【午後4時45分】ビバーク中の32歳ガイドからアミューズトラベルにメールが届く。「すみません。7人下山できません。救助要請します。トムラの北沼と南沼の間と北沼の2カ所です」 【午後5時15分】32歳ガイドから再びメール。「すみません8人です。4人くらいダメかもしれないです。○○さん(61歳ガイド)も危険です」 http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090723ddm012040002000c.html 17日 早朝捜索隊により発見されるも、2名死亡、3名(ガイド含む)は助かる。 ガイドC(コマドリ沢分岐で倒れているのを発見、救助され生存)の行動 16日 正午過ぎ、テントにビバーグしたツアー客の残り10名を受け持ち下山に向かう。3~4時間後110番通報をするもこの時に一緒に行動出来ているツアー客は2名のみ。途中で8名のツアー客を無視して行動したのか?それとも迅速に携帯電話が通じる範囲内に下山して警察への遭難連絡を優先したのかは不明。 17日 午前10時44分 登山客がコマドリ沢付近の雪渓で倒れている男性(ガイドC)を発見し110番通報。男性は「マツモトヒトシ」と名乗り、ツアースタッフの松本仁さん(38)=愛知県一宮市=とみて救助、帯広厚生病院に搬送 ※ガイドCはコマドリ沢分岐に倒れ、任された10名のツアー客のうち5人だけがバラバラに登山口まで自力下山した模様である。 ※結果的には、受け持ち10名のツアー客のうち自力下山出来た者は5名にとどまり、捜索隊によって救助された者は5名にもなる(うちガイドC以外の4名が死亡)。 ※追記 上述したように読売新聞18日夕刊によると、前トム平までは、11人で行動してきたように書いてあるのだが、他社の情報と食い違っており情報が混乱している。問題は、11人が、どこでバラバラになったかである。他社によると、既に前トム平の時点でバラバラとなっており、ガイドCの周りには、2人しかいなかったように読みとれる。かたや、読売の記事によると、前トム平までは11人揃ってやってきてそこから先でバラバラになったと読めるのである。 いずれにしても、真実は、刑事裁判や民事裁判の場で確定されることになろう。 さて、60歳以上の登山者を悪天候の中10時間(ヒサゴ沼避難小屋スタート時から110番通報まで10時間以上経過している)以上も標高1700m以上の逃げ場のない吹きさらしの中(前トム平の標高は1700m以上で、森林帯ではないので逃げ場がない)で行動させる結果となったのは、ガイドとして失敗であり、ツアー客の体力と、悪天候への耐候性を見誤ったもの(計算を間違えた)と考えられる。 さらに、18名のうち自力下山できた5名、比較的標高が低いコマドリ沢分岐まで降りてこられた一人(ガイドC)を除く12名(ガイドA Bを含む)を標高1700m以上の逃げ場のない吹きさらしのなかに20時間以上(16日ヒサゴ沼避難小屋をスタートした午前5時30分~17日捜索隊が出発した午前4時30分頃)放置すれば、少なからざる者が死亡するであろうことはガイド各自においてたやすく予見できるだろう。 現実には、その12名のうち8名もの人間が死んでしまったわけだ。 引率する人数が多ければ多いほど、体力的に不安なものも存在するわけであり、慎重な判断が求められる。 今回は引率ツアーガイドの判断ミスが重なり、「そういう結果」に導いてしまったのだと考える。 先に指摘したようにガイドCの行動は問題であり謎が多いが、彼のみが悪いわけではないと考える、悪天候の下、10名ものツアー客をひとり任されたガイドC氏の心情も理解できる。コマドリ沢分岐に倒れるに至った状況は、下山しようにも下山できなかったのか、それとも後ろから下山してくるはずのツアー客の安全を考え現場にあえて待機していたのかは現在不明であるが、やがて明らかとなろう。 いずれにしても、彼をそういう状況に追いやった全体的なツアー計画とガイド各自の現場の判断が誤っていたということである。 by segl | 2009-07-18 20:05 | Ⅶ 省察
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Ⅰ 奥秩父の山々
牛王院平 唐松尾山 西御殿岩 2006年 3月4日 笠取山 石保戸山、斉木林道(笠取林道) モリ尾根 斉木林道(笠取林道)、白沢峠 R411 花魁淵の岩崩れ 一之瀬周回ルート 藤尾山 一之瀬高橋 雲取山 和名倉山 山梨 倉掛山(鞍掛山) Ⅱ 奥秩父の渓谷 龍喰谷 大常木谷 Ⅲ 奥多摩の山々 高水山の紅葉 金比羅尾根 神戸岩 北秋川遍路 散策 戸倉、十里木、星竹 「市道」山を考える 茅倉尾根の山々 タルクボの峰 六つ石山から甲斐駒が岳遠望 御岳山~琴沢尾根 惣角澤、御前山第Ⅰ~Ⅲ尾根 県界尾根 大岳山をめぐる尾根と澤 築瀬尾根、阻場沢林道 赤井沢支流日陰沢(クドレ沢) 戸倉 穴の谷(アナノヤツ) 鈴ヶ尾澤遡行~障子岩沢下降 障子岩沢 菖蒲口(盆堀川、千ヶ澤出合い) 松株澤から刈寄山 滑入澤遡行、石津窪下降 刈寄澤、無名滝 光明山東尾根ルート 小坂志 漆ヶ谷 養沢、御岳山 馬頭刈尾根 小怒田尾根 日の出山 市道山の登路 半兵衛窪 大嶽山 白倉ルート 南秋川 矢沢林道 通矢尾根 サルギ尾根 Ⅳ ヴァリエーションルート ヴァリエーションルート論考 ヴァリエーションルート11選 Ⅴ 登山の方法論 歩き方(運歩法) トレイルランニング 歩荷トレーニング Ⅵ あとがき Ⅶ 省察 Ⅷ 大菩薩連嶺 Ⅸ 日本山岳耐久レース Ⅹ LINK ⅩⅠ 丹沢 ⅩⅡ ZARD ⅩⅢ 瀧川渓谷 ⅩⅣ 回帰点 ⅩⅤ Aphorism ⅩⅥ musik ⅩⅦ Chihiro Onitsuka ⅩⅧ 天王岩 ⅩⅨ はじめに エキサイトブログ
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