2009年8月5日0時1分
昨年秋のリーマン・ショックを境に、日本の輸出は激減した。今年の春ごろから徐々に回復し始めてきたが、おそらくかつての水準とはほど遠いと思われる。世界最大の経済大国、米国が「最後の買い手」として世界を引っ張れなくなっているからだ。そこで、中国など新興国への輸出を増やそうという話も聞こえてくる。本命の中国はどうやらバブルの様相を呈している。しばらくはいいとしても、いずれ景気後退に陥ることになりそうだ。
結局、日本は海外市場に頼らずに、本格的に内需を求めざるをえなくなる。財政難から公共投資も限界である。となると、家計部門の出番だ、と言いたいが、それも簡単ではない。将来に対する不安が大きく、買い物どころではない、といった答えが返ってくる。
日本はよその国の人たちのために、ひたすらものづくりに励むのではなく、自ら作ったものを大いに楽しむことがそろそろ必要ではないか。そのように思っていた時に、元禄時代の「伊達(だて)くらべ」を知った。
当時、日本が多量に産出し、保有していた金銀を使い果たすほど中国から上質の生糸を輸入した。染めたり、刺繍(ししゅう)をしたりして、高貴な人や大商人の奥方のために豪華な着物が仕立てられ、中には自らモデルとなって、今でいうファッションショーを行ったというのである。
文化の花が開き、消費経済が拡大した。後に日本でも上質の生糸を生産できるようになり、明治、大正、昭和初期には外貨の稼ぎ頭となった。元禄時代の学者の言を借りると、大事にため込んでいるだけの金銀は「食べることも着ることもできない」。すなわち、使わない限り経済活動は拡大しないという理だ。(岳)
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「経済気象台」は、第一線で活躍している経済人、学者など社外筆者の執筆によるものです。