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北海道大雪山系 トムラウシ山 大量遭難を考える。 考察② 追補 トムラウシ山遭難ドキュメント、北海道トムラウシ山における行方不明者捜索に係る災害派遣について(最終報)、その他

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追補 トムラウシ山遭難ドキュメント
2009年07月17日 14時12分

※十勝毎日新聞の元記事をベースにあれこれと情報と個人的感想を付け加え作成いたしました。
 
なお、参考にさせていただいた元記事はこちら・・http://www.tokachi.co.jp/news/200907/20090717-0002084.php

16日午後03時54分  午後3時半に下山予定だった登山ツアー参加者(松本 仁さん(ガイドC) 他二名)から「トムラウシ山頂付近強風で下山不可能」と携帯電話で110番通報と救助要請

16日午後05時ごろ  新得署に旅行会社を通じて「4人くらいだめかもしれない」という登山者からのメールが届く

16日午後06時ごろ  新得署員3人が同山短縮登山口に車両2台で到着(110番通報から2時間経過後)

16日午後08時半ごろ 男性2人、女性3人のグループから新得署に携帯電話で連絡。女性1人が意識不明で、近くに別に倒れている生死不明の男性を目撃したとの内容

16日午後10時ごろ  グループから予定されていた携帯電話の連絡時間。連絡はなし

16日午後10時15分  救急車が短縮登山口に到着

16日午後11時過ぎ  新得署に連絡があった携帯電話に電話するも不通

16日午後11時45分  新得町が北海道を通じ自衛隊に正式に救助要請する。・・警察への110番通報から8時間経過後である。

16日午後11時50分   5人のうち亀田通行さん、前田和子さん=いずれも(64)、広島市=が自力下山。2人は当初3人で下山したが、途中で1人と離れたと話す。

17日午前00時55分  温泉登山口に長田涼子さん(68)=仙台市=、斐品真次さん(61)=山口県岩国市=が自力下山

17日午前01時10分  自衛隊員が新得署に到着

17日午前03時30分  前田さんの話からツアー客らが離れ離れになった様子が判明し始める

17日午前03時53分  警察、消防署員各3人計6人が短縮登山口から捜索登山を開始・・短縮登山口に到着してからすでに9時間以上経過している。つまり、夜間捜索はなされず、空が白みはじめてから捜索に向かったと考えられる。また、自衛隊の地上部隊の30名に比べると捜索者の人数が6名(5分の一)とかなり少ない。

17日午前04時00分  道警航空隊、自衛隊ヘリコプターなど計3機が順次上空からの捜索を開始

17日午前04時38分  前トム平で女性を発見。ヘリで収容し、短縮登山道から救急車で清水の日赤へ搬送。意識不明(※①味田久子さんか? 死亡

※前トム平で発見されたのは女性が4人そのうち死亡が確認された女性は3(①②③)名で、発見の時刻、救護の順番は正確には不明です。

17日午前04時45分ごろ  戸田新介さん(65)=愛知県清須市=が短縮登山口に自力下山

17日午前05時01分  前トム平で女性を発見。呼び掛けに応答なし。ヘリで引き揚げて帯広厚生病院へ搬送。意識不明(②竹内多美子さんか? 死亡

17日午前05時16分  前トム平真鍋記余子さん(55)=静岡県浜松市=を発見、短縮登山口に降ろし、事情聴取(生存)。このときヘリから「1人硬直している」との無線が新得署に(③岡 恵子さんか? 死亡

※前トム平では女性4名が発見されて生存は真鍋記余子さんただひとりである。いずれ貴重な目撃証言が得られよう。

17日午前05時30分  自衛隊地上部隊が北沼付近で3人の生存者と4人が倒れているのを発見・・この7名は、ガイドAとガイドBに引率され16日昼前後に現場にとどまったツアー客であろう。4人が倒れているということは、どういうことか?テントに入っていたのではなかったのか??強風でテントは吹き飛ばされてしまったのか?

同所を撮影したと思われる写真には設営されているテントが確認できるが・・。
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17日午前05時35分  トムラウシ分岐付近で意識不明の男性1人を帯広厚生病院に搬送、死亡が確認(木村隆さん 死亡)・・トムラウシ分岐とは、南沼キャンプ場とほぼ同一地点であるようだ。

17日午前05時45分  道警ヘリが北沼西側付近で手を振っている2人、同東側に倒れている2人を発見した。・・これは17日午前05時30分に自衛隊地上部隊が発見した7名の要救護者たちであろう。

17日午前06時32分  南沼キャンプ場付近で寝袋にくるまっている男性1人を、先行していた地上部隊の1人が発見・・この登山者については情報がなく不明、死亡していたという情報もなくたまたま現場に居合わせた無関係の登山者か?

17日午前06時50分  自衛隊が北沼付近で発見した男性3人、女性4人の救助完了。
うち男性1(吉川寛さん(ガイドA) 死亡)人と女性3人が意識不明(植原鈴子さん 市川ひさ子さん 川角夏江さん いずれも死亡
生存者は、野首 功さん、石原大子さん、多田学央さん(ガイドB)の3名。

17日午前09時35分  ツアー関係者18人のうち17人の安否判明。生存者9人と死亡者8人と確認された。

17日午前09時36分  自衛隊ヘリコプターが南沼東側付近で、ツアー関係者以外の登山客とみられる男性1人の遺体を発見(単独登山の竹内栄さん 死亡)

17日午前10時44分  登山客がコマドリ沢付近の雪渓で倒れている男性を発見し110番通報。男性は「マツモトヒトシ」と名乗り、ツアースタッフの松本 仁さん(ガイドC 38)=愛知県一宮市=とみて救助、帯広厚生病院に搬送(生存

http://www.tokachi.co.jp/news/200907/20090717-0002084.php

※16日の110番通報がなされてから6時間経過の午後10時を過ぎるまで警察も事態の重大性に気付いていなかったのか、夜間の捜索は行わないセオリーを守ったのか、夜間捜索活動はなされていないようである。

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参考

北海道トムラウシ山における行方不明者捜索に係る災害派遣について(最終報)
平成21年7月17日
防衛省

※数値等は速報値であり、今後変わることがある。

1.災害派遣の概要
(1)要請日時
平成21年7月16日(木)23時45分

(2)要請元
北海道知事(十勝支庁長)

(3)要請先
陸上自衛隊 第5戦車隊長(鹿追)

(4)要請の概要
行方不明者の捜索

(5)発生場所
北海道トムラウシ山

(6)撤収要請日時
平成21年7月17日(金)13時05分

2.災害派遣までの経緯
 7月16日(木)から北海道トムラウシ山において、登山のため入山していたグループが下山できなくなったため、北海道知事から災害派遣要請がなされた。

3.防衛省・自衛隊の対応
(1)派遣部隊
陸 自 第5戦車隊(鹿追)、第5飛行隊(帯広)

(2)派遣規模 
人 員 約40名
車 両   5両
航空機   2機

(3)主な対応状況
【16日】

23時45分 北海道知事から第5戦車隊長に対して、行方不明者捜索に係る災害派遣要請。

【17日】

00時23分 第5飛行隊の人員2名、車両1両が連絡調整のため、現地対策本部へ向け出発。
00時50分 第5戦車隊の人員2名、車両1両が連絡調整のため、現地対策本部へ向け出発。
02時45分 第5戦車隊の人員約30名、車両3両が鹿追駐屯地を出発。
04時35分 第5飛行隊のUH-1×1機で捜索活動を開始。
05時25分 第5戦車隊の人員約20名で捜索活動を開始。
06時13分 第5飛行隊のUH-1×1機で捜索活動を開始。
06時51分 第5飛行隊のUH-1が遭難者2名を発見し救助した。
13時05分 撤収要請。
http://www.mod.go.jp/j/news/2009/07/17c.html

感想
※災害派遣が要請されて3時間後の午前2時45分には、30名もの隊員が車両3台で現場に向かっている。これはさすが緊急作戦展開能力がある組織ならではである。
※むしろ知事による自衛隊への災害派遣要請が、松本 仁さん(ガイドC)が携帯電話で110番通報をしてから、8時間近く経過したのちになされていることが問題である。
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考察② 現場の判断ミスをカバーしてくれるフェイル・セーフのための装備

松本仁さん(ガイドC)が16日午後4時近くに、前トム平で110番通報をしてから、8時間近く経過して自衛隊への災害派遣要請がなされている。ガイドA ガイドBを含む7名もの人数がビバークしている北沼付近は携帯が繋がらないため遭難現場と警察・消防との情報の伝達が遅れたものと考えられる。
遭難現場の事態の深刻さを警察・消防がもっと正確に把握できていれば、8時間ものブランクは生じなかった筈である。

もっとも、この場合、「そういったところ(逃げ場もなく、携帯も繋がらない場所)にツアー客を連れてゆく。」と言った心構えが旅行企画者、ガイド各自に求められよう。
「携帯が繋がらなかったんです!」というのは逃げ口上にもならないだろう・・。

現場の判断ミスをカバーしてくれる十分な装備があれば、・・具体的には①18名全員を収容できる5~6人用の大型テントを三つほど(行動状況によっては四つは必要となろう、今回のようにバラバラになってしまった場合はなおさらである)と、②緊急連絡のためのアマチュア無線機の用意、結果はかなり違ってきたはずである。

ツアー企画段階でフェイル・セーフのためのそういった装備の必要性について十分な考慮が払われたのか?後日詳細に解明されるべきである。
結果として、フェイル・セーフのための十分な装備を用意せずにツアー計画を実行に移したこと、それ自体にこのような結末を招来する抽象的な危険が内包されていたものと考える。

Written by silvaplauna

Juli 19, 2009 um 2:22

2 Antworten

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  1. ブログを拝見しました。
    十勝毎日新聞だけで経過を判断するのはどうかと思います。
    読売新聞の記事では、(ネットでは見つからない)
    (北海道版)
    7月18日の朝刊では、
    「緊迫の無線」
    「すでに日没を迎え、通常なら捜索は困難だったが、救助隊は低体温症の遭難者がいることを重視。
    「迅速な対応が必要」と入山を決め、午後9時20分頃、登山口を出発し、ヘッドライトを照らしながら、遭難現場に向かった。」

    とあります。

    「避難小屋から南西に約1・5キロ離れた山道では男女3人がピバーグしており、救助隊は「早く救助しないと彼らも危ない」と現場に急行。うち男女2人は手足が震え、衰弱して歩けない状態だったが、隊員らは到着後「もう大丈夫だ」と励まし、テントを設営して夜明けまで保護したという。

    とあります。
    道警の救助隊は遭難した16日夜に入っています。

    fusako@管理栄養士

    Juli 25, 2009 um 3:44

  2. fusako@栄養管理士さま

    こんにちは、はじめまして。

    いただきました二つ目のコメント(メインの記事のほう)にお書きのように美瑛岳は、救助隊が活動できたようです。

    トムラウシのほうは、救助隊は救助に向かったけれども、悪天候のため引き返してしまったのですね、残念なことです。

    いただいたコメントをもとに、考察⑧を書き上げさせていただきました。読売新聞の北海道版の掲載情報をありがとうございます。

    silvaplauna

    Juli 26, 2009 um 3:20


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