「フジヤマのトビウオ」として知られた古橋広之進さんが世界水泳選手権開催中のローマで死去した。急死ではあったが、水泳人らしい最期だったと言えるのではないか。
戦争による中断を経て再開された1948年の五輪ロンドン大会に日本は参加できず、古橋さんも出場の機会を奪われたのは有名な話だ。古橋さんは五輪の1カ月ほど前、ロンドンから届いた電報について後に語っている。
「プリンス・オブ・ウェールズのことは忘れていないぞ」とあったそうだ。英国の戦艦プリンス・オブ・ウェールズは太平洋戦争初期、日本軍によって撃沈された。古橋さんはこの電報を見て「参加はもうだめだ」と思ったという。
くじけることなく、古橋さんは五輪と同時期に開かれた日本選手権で五輪の優勝タイムを大きく上回る記録を出した。48年といえば極東軍事裁判で東条英機元首相らに死刑判決が下された年。戦争でうちひしがれた日本人に勇気と希望を与えた。
10年前、東京経済大学が20世紀の日本を代表する人物についてアンケートを行った。古橋さんと同年代の人たちが選んだスポーツ選手のトップは古橋さんだった。
黙々と、しかし歯を食いしばって頑張った多くの人々のおかげで今の日本がある。古橋さんは、そうした世代の代表選手でもあった。