(Z-kan Vol.2より再掲載)
岡田斗司夫インタビュー

恋愛の取説〜オタキング、愛を語る


幸せな恋愛、幸せな結婚、幸せな家族……。
「甘いかも」と思いながら、そんな将来を 多くの人が夢見ている。
でも、現実はどうなんだろう?
新世紀の恋愛と結婚のカタチについて、
オタキングこと、岡田斗司夫さんに話を聞いた。
                   (2000年6月28日 吉祥寺)


■恋愛がなくなるって本当でしょうか?


――岡田さんは著書『ぼくたちの洗脳社会』(朝日新聞社)のなかで、従来の恋愛と結婚には無理があるということを書かれています。一緒に喫茶店で話して楽しい人、一緒に食事をして楽しい人、一緒にホテルに行って楽しい人というのはみんな違っていて当然なのに、今までは全部それを一人の恋人や結婚相手に求めていた、それには無理があるということですよね。
 でも、かといって、そんなにたやすく恋愛がなくなるようにも思えないんです。ズバリ聞きますが、これまでの恋愛は、本当になくなるんでしょうか。


岡田 それは、これまでの恋愛小説やマンガで刷り込まれた恋愛を当たり前と考えてしまうからですよ。今までは、恋人や結婚相手に、料理、旅行の相手、アウトドアスポーツの相手など、オールマイティを求めましたけど、中には、体が弱くて旅行に行けない人、料理は苦手という人もいます。それを相手の欠点としてとらえるから、関係もギクシャクするわけです。
 
 でも、今の人は、他人と共有する楽しさを、男女間に限定しなくてもいいんですよ。男と分けあっても、女と楽しんでもいい。それを「恋人」だけに集約しようとすると、よっぽどのオールマイティの相手でないとダメなので、必然的に高望みになってきます。アイドルクラスだったりすごくカッコよかったりしないとダメだとか。

 まずみんな、テレビや小説、マンガなどで頭のなかに刷り込まれている恋愛観を捨てないと相当苦しいと思うんですね。

――そうした刷り込みを捨てるためには、逆の刷り込みが必要となってきませんか? 

岡田 逆の刷り込みは、すでに今の人の体に身につきつつあると思うんです。「こうでなきゃいけない」という頭のなかの観念は最後に動くもので、体のほうが先に次の体制にシフトしていくんですね。

■モテない人は少年ジャンブ方式で

――そうはいっても、恋人一人を見つけるのだって大変な人はたくさんいます。恋人どころか、異性と仲良くすることすらおぼつかない人もいますよね。

岡田 逆なんですよ。今の選挙でも投票しにくいのは、一人一票だからなんですよ。一票だからどこの党に入れようか悩むわけでしょう。一人十票もってたら楽なんですよ。
 僕は今、彼氏や彼女がいない人には「たった一人とつきあおうとするから苦しいんだ、三人とつきあおう」と勧めています。五人ぐらい同時につきあって、下二つをつねに切り、ベストスリーを残す。少年ジャンプ方式ですね(笑)。
 
 ところが、つきあえない奴ほどこれができないんですよ。そういう奴ほど、最初から「究極の相手」を探しちゃう。そうしたら絶対見つからないし、そんな理想のタイプはオマエなんか相手にしないよ。人目に出せないような彼女だったらすぐにできるから(笑)と思うんですけどね。

 でもモテる男って、必ず過去に不細工なコとつきあったりした経験があるんですよ。それはモテる奴の血となり肉となっているわけです。勉強だって、自分が壁にぶちあたったときに中学のときの参考書からやり直すじゃないですか。なんで男女交際でも同じことをやらないのか(笑)。下を更新して、つねに新規参入していく。

 こういう話を彼氏彼女がいないコにすると、「はあ」って言うんですが、次に言うのが「そんなにまでしてつきあいたくはない」。だったら最初からつきあいたいとか言うな!(笑)。

 つきあう・つきあわないというのは、ある程度のリスク・コスト・時間の投資を前提として話しているのに、彼らの返事を聞くと、そんなに勉強してまで東大行きたくないっていうのと同じでしょ。じゃあ最初から東大行きたいとか言うなってことですよ(笑)。

――つきあった相手が不細工だと人に見せて恥ずかしいというのがあるんでしょう。結構、仲間内のチェックは、厳しいんではないでしょうか。

岡田 どんなデメリットがあるか、僕にはよくわからないですね。人にどう思われるのか気になるというのはわかるけれど、はねっ返す方法ってあるんじゃない? 全部防衛戦なんですよ。防衛戦でやると勝ち目はないのに。節約で一千万円たまるわけないじゃない(笑)。

 お金だって、投資をしてバックがあるというダイナミックな動きのなかでだんだん積み重なっていくもので、投資もせずにコチョコチョと節約だけしても、どうにかなるものでもないのに……。そういう根本的なところが抜けているんじゃないのかな。

――でも、不細工な人をあえて好きになるというのは、実際は難しいですよ。

岡田 フランス料理とか懐石料理を好きじゃない人だっているじゃない。でも、吉野家の牛丼が好きだったり、ファミレスが好きだったりするかもしれないのに。
 自分が何を求めているか、自分にピッタリの人は誰か、というのはいろいろつきあってみないとわからないはずです。でもみんな究極の一発を狙ってしまう。そんなに美人とかいい男とつきあいたいのか。だって結構苦労して美人とかハンサムとつきあった奴って、後で聞くと顔で選んで失敗したってみんな言いますよ。そういう経験がある人って、やっぱりやってみないとわからないかもしれないけれども、顔がいい奴っていうのは、必ずすごい欠点がありますからね。もう判で押したように(笑)。

 「とりあえず不細工でもいいや」というのも、好きになればかわいくなるものだし、そういうメカニズムを知ってんのかな(笑)。恋愛って、この世の中にあの人しかいないと思ってするもんじゃなくて、とりあえず手近なものから攻めていこうというのが、鉄則ではないか(笑)。

■いまどきの「つきあう」とは?

――岡田さんの言っていることは、納得はいきますけど、ラディカルですよね。「複数の人と同時につきあってみろ」とか「手近な不細工から攻めなさい」とか。でも若い人にとっては、そうラディカルにも聞こえないんでしょうか。

岡田 「つきあっている」という定義や内容が変わってきたということがありますね。これは世代によってすごく違うんですよ。たとえば、三〇代前後くらいまでのつきあっている定義というのは、「深さ」なんですよね。つまり、二年も続いていて毎週末必ず会って泊まったりする。別れ話もあるけど将来の話もする。これが「つきあっている」という状態になります。じゃあいつからつきあい始めたかというと、やっぱり二、三回会って飲みに行ってホテルへ行っちゃったとか、そこらあたりからつきあっているという線引きなんです。

 ところが、二十歳前後のコに話を聞くと、一人の相手とつきあう時間がすごい短いんですよ。彼一筋って言っているけれど、すごい数のよその男とヤっているんですよ。だから「オマエ、それはヤリマンではないか」って言ったら「違う。彼一筋だ」と答えるんです。くわしく話を聞いたら、「土曜日の夜に彼とケンカして別れた。日曜の朝、ナントカ君とつきあい出して、日曜の夜、ナントカ君の家に泊まって月曜の朝別れた。そしたら、もともとつきあっていた彼から電話がかかってきてよりを戻した」ということを言うんです。彼女のなかではこれは彼一筋なんですよ。別に二股かけてるわけでもなんでもなくて。でも彼一直線でなくてときどき切れて他の人とつきあう。この不連続の時間が最低十二時間なんですよ(笑)。

――すごい「彼一筋」ですね(笑)。

岡田 これは僕の世代――僕は四十二歳ですけど――で言えば十年間だったらアリなんですよ。十年間のうちに三回くらいこういうことがある程度なら、彼一筋と言ってもほぼ大丈夫だろう。たぶん世代が少し下がると、一年に三回くらい彼とケンカして他の男とか女の子とつきあっちゃったということはあるでしょう。これはトレンディ・ドラマでもよくある話ですよね。

 三〇代前半くらいまでは、みんな濃いつきあいとか深いつきあいのことを「つきあっている」と言うんですけれども、その「深いつきあい」というのがもうありえないのではないか。何時間単位で細切れで一緒にいたり、その代わり回数を重ねたり。浅いつきあいで三日も四日も一緒にいるとすぐにケンカをしますから、そうなる前に、パッと離れるようにして、よその友達とつきあってクールダウンして、また一緒にいるというような、あまり恋愛をディープにしないようなつきあいになっているということです。

――それは、さきほど岡田さんがおっしゃった「三人とつきあえ」というのと近い関係にありますね。しかし、「ディープなつきあいをしない」というのは、「傷つきたくない、他者との深い関係は避けたい」ということとは違いますか?

岡田 ディープなつきあいが傷つくからっていうんじゃなくて、そもそもディープなつきあい方がわからないんですよ。彼らにしてみれば、男女のつきあいとは必然的にそれぐらいしかない。それがノーマル・スタンダードで、ディープなつきあいというのは、相手にも嫌がられそうだし、自分もそこまで出していける自信がないと考えちゃうんでしょうね。恋愛観の差っていうのは、男女差は案外なくて世代差のほうが大きい。

■どうして一人を選べるのか?

――じつは今回の特集の予備調査として、大学生にアンケートを行なったんです。そのなかで「恋愛・結婚について、知りたいことはどんなことですか」という質問があるんですけど、「どうして一人に選べるんですか」「彼氏は一人じゃなきゃだめなのか?」というのがかなりの数ありました。

岡田 選べないですよ。選べないからみんなすごく無理してるわけでしょ。このアンケートに答えているような人たちは、古典的な恋愛観を引きずっているから、唯一の相手に出会うためのツールとして恋愛をとらえているんじゃないかな。

 一人に決めようとするのはリスク高すぎる。一人の人間と決定的に別れたら人生が真っ暗になっちゃうなんていうことがあっていいはずがない。今のみなさんの人生そんなに安くないんだから。というのは、小さいころから自分がすごく大事だと思って生きてきてるはずなんだから。

 今自分自身の値段は天井知らずに上がっているわけですよね。だからこそ、バスジャックして人を殺すのもアリかなというほどに他者の値段が下がっていて、自分の値段が上がっているわけです。その自分と釣り合う他人が一人のはずがないし、そういう人が見つかるはずがない。

 さっきも言ったけど、三人とか五人とかストライク・ゾーンを広げればいいのに。いや、恋愛をしたい人は本当にそこまでやるべきだし、やりたくないという人はやらなくてもまったく構わない。こんなに娯楽多いんだし、恋愛だけが楽しいことじゃない。男の子同士で、女の子同士で遊びに行っても楽しいんですよ。男女で楽しかったからといって、じゃあその相手と恋愛しなきゃいけないということはないんだし、友達にしておいてもいいんです。

■恋愛=幸せ?

――アンケートでは恋愛のメリット・デメリットについても聞いているんです。それを見ると、みんな恋愛のデメリットはわかっているんですよ。(アンケートを見せる)

岡田 みんなデメリットについて書いてあるほうが分量が多い(笑)。「疲れる。時間がとられる。お金がなくなる。平穏な生活ができなくなる。友人との交流が薄れる。勉強ができなくなる。ストレスがたまる」(笑)、まあその通りだよな。「つまらないことが気になったり、悩んだり落ち込んだりする。恋愛に捕らわれている自分が愚かに見える」(笑)、やめりゃいいのにねえ(笑)。

 恋愛って、人工的な不安を作る状態というか、まず幸せになるんじゃなくて、不幸せになるもんですよ。不幸せになって遊ぶものなのに。

 たとえば山登りは、坂道を登るもので、じゃあ何でそんなしんどいことをするんだって言われたら、キツイけど体動かすのは楽しいだろ、でも高いとこ登るのはいいじゃん、とかそういう理由があるわけです。恋愛も楽しいことっていうふうにみんな思っているけれども、それは嘘であって、不安を遊ぶわけだからじつは心にそれなりの体力とか余裕がないと、その不安が心のなかを一色に塗りつぶしてしまって振り回される(笑)。あんまり心に体力がない人がやるような遊びじゃないんですけどね。

■何のための「結婚」?

――今までは、恋愛についての話を伺ってきたんですけれど、結婚ということも、学生の大きな関心テーマなんです。「恋愛と結婚はどう違うのか」「結婚しても恋愛感情を持ち続けられるか」という質問が、非常にたくさんありました。

岡田 同じ人を一生愛さなければならないと思ったら、こんな辛いことはないですよ。結婚の唯一の利点は、結婚はシステムであって、事業であるから、相手を愛さなくても大丈夫ということなんですけどね(笑)。みんな結婚をゴールだと考えちゃうからな。つきあっている人と結婚するのは、もうこの人しか愛さないとか、ついつい考えちゃうじゃないですか。でも、結婚を通りすぎた側から言わせてもらうと、何をおっしゃいますかと(笑)。そういうのと結婚とは関係ないですよ。結婚するのにいい相手と恋愛するのにいい相手はまったく別だし、言い方を変えると、一緒に生活するのにいい相手と週に一回会って楽しい相手はまったく別なんだから。

 でもみんな、恋愛して結婚すると考えるもんだから、結婚してる人というのは、ずっと恋愛をし続けているに違いない、結婚しているのに恋愛をしてない人というのは、不幸な結婚なんだと考えてしまう。で、恋愛していない既婚者が浮気したり不倫をしたりするのはいけないなんて思ってしまうんです。そちらのほうが九十何パーセントのスタンダードな姿であって、結婚してお互いにまだ恋愛の最中であるなんていう、たぶん全体の五パーセント以下のレア・ケースをみんな当然のこととか成功例として見てしまう。それは不幸になりますよ。

――恋愛と結婚は全然違うとしたら、一体何のために結婚の必要性というか役割はあるんですか。

岡田 もし相手を自分から離したくないから結婚するっていうなら、そういう努力をすればいいわけで、結婚して離れないんだったらそんな楽なことはないですよ。でも結婚にはそういう作用はきょうび一切ないですから、結婚したから相手が浮気しなくなるというわけでもないし。

 じゃあ、結婚の役割とは何かといったら、それは子どもを育てるということしかないと思うんです。ただ二人でいるだけなら、お互いやりたいことの時間を合わせて一緒にやっていればいいんです。ところが、育児になった瞬間にしなきゃいけない仕事が膨大にでてくる。十年がかりのプロジェクトを立ち上げて事業部を作るようなものだから、そこは合理的に考えるしかないんですよ。

 そこであんまり感情入れてもしょうがないというか、仲良しの友達と一緒に事務所作って仕事してはいけないのと同じで、じつは、育児するための結婚にはあんまり恋愛感情ってないほうがうまくいくんじゃないでしょうか。恋愛感情はあとでついてくるぐらいの方がうまくいくんじゃないのかなと思っているんですけどね。

 恋愛するんだったら純粋に恋愛すればいいわけで、その恋愛に対して成果を求めようという貧乏な根性が、恋愛から結婚というベクトルを作っちゃうわけですよね。女の人はそれをロマンチックと言いますけど、あれは嘘です。僕は貧乏根性と呼んでますけれど(笑)。ロマンチックだったら恋愛だけすればいいんですよ。

■恋愛感情だけでは長持ちしない

――最後にまたアンケートをネタにしますが、「理想の夫婦像」ということの回答に「老年になっても手をつないで歩ける仲のいい夫婦になりたい」というのがありました。こういう夫婦になるために必要なことは何でしょうか。

岡田 じつは僕たち夫婦は、いまでも手をつないで歩きます(笑)。でも、これはロマンチックな恋愛感情とは別なんですよ。
 結婚してからずっと相手に恋愛感情をもつよりも、相手から尊敬の感情を抱かれ続けることを目指すほうがずっと難しいことです。じつはそこが大事なんですね。

 歳を経るにつれて「こいつやっぱりすげえな」と思い続けられるような関係は本当にやりがいがあるし、そのほうが手をつなぐ確率は高くなります。恋愛感情だけでやろうと思ったら、無理です。何十年も一緒に住んでいる相手を飽きることもなく「ラブラブ好き好き」なんて気持ち悪い(笑)。

 尊敬とは、相手のスキルに対して抱くものだから、専業主婦だったら料理全然できない奴がこんなにできるようになったとか、それをしっかり相手に見せて、ダンナもそれを評価すればいい。たとえば、仕事には一般に小さい信頼とか能力を積み重ねて得ていくところがありますよね。同じことが夫婦間でもないと結構きついんですよ。

 だから家庭に関しては、もっと仕事みたいに考えたほうが現実的だと思うんです。「好き」っていう気持ちの先に、さらに「尊敬」「信頼」「理解」という次のステップがあるというイメージをもってほしいですね。恋愛感情だけでは長い関係は続きませんよ。

――どうもありがとうございました。
                   



はみだしインタビューその1

オタクの恋愛

  僕はオタクの王ということで「オタキング」という会社をやっていたりもします。まずは「オタク」の軽い定義をしておきましょう。「子ども向けのマンガやアニメが好きで、そのことに関してやや屈折した自意識をもっている者」。ところが二〇代になるとその屈折がなくなってきて、単に純粋に好きだということになる。これはもうオタクとは違って、ただの幼稚な趣味になります(笑)。

 オタク同士の恋愛となると、これは質が悪いですよね。だってどちらもモテなくて、いわば恋愛のスキルというか常識を知らないわけです。すると強烈な束縛関係を取ろうとする。たとえば、お互い「恋人」より大切な「趣味」ってものがあります(笑)。なにしろオタクですから(笑)。それなのに、相手が自分より好きなものが他に存在していることを見せると、それだけでもう許せなくなってしまう(笑)。

 オタクの人たちは、基本的に自分一人で楽しむものがあまりにも多いから、恋愛の優先度が低くなってしまいます。だから恋愛しかけたときに、そのコストの高さにびっくりするわけです。たとえば毎日電話しなきゃいけなくなって、エーッて驚く(笑)。一日三十分電話してたら一年で一八〇時間とか、瞬時にして考えるわけです(笑)。だったら「もういいや」っていうことになりがちですよね


はみだしインタビューその2

新しい家族形態と生涯恋愛社会

  僕の考えとしては、結婚制度は育児が中心であるからこそ意味がある。つまり、子どもを作るために「集合」して、子どもが無事に育ったら家族は「解散」するようなかたちでもよいと思っているんです。実際、僕の家族では、子どもが今中学生ですけれど、将来そういう形になる可能性も考えています。

 もちろん、そのためには個々が、一人でも生活していけるだけの社会的な力量がないと困難な面があると思います。そこで、その問題を一挙に解決するために、僕は「生涯恋愛社会」のようなものを作ればよいと考えているんです。ようするに、みんなが「n対n」で恋愛をするということです。

 男は好きな何人かの女の家に時々行って、それぞれの家にいる子ども、これは自分の子どもでなくてもいいんですが、彼らの生活費を負担します。その代わりとして、各女性との恋愛関係が保障される。子どもは基本的には女性が一人で育てる。男たちは訪れる家々でお金を払ったり、子どもの相手をしたりする。自分の子供でなくてもそうするんです。

 複数の男が出入りすることで、女性も子どもも社会性が身につく。世の中にはいろんな人がいるんだってことがわかるわけです。

 今の女性は男というものを一人ではなく、複数の皿に盛るようにして求めるようになっています。複数の男の子と生涯ずっとつかず離れずでつきあっていたいと。かつてダンナ一極集中でやっていたことを、もっと安全に、複数の男たちと関わって生きて行く方向へと変わりつつあります。

 こういう時代の大人は、自分の欲求のマネージメントがすぐにできるということが大切になります。相手との関係のボリュームを簡単に上げ下げできたりという。これは一対一だったら絶対に余裕がないからできないことです。その意味でも、「n対n」の複数恋愛はもっと洗練されていくべきだと思いますね。


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