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東村山駅西口再開発事業を現計画のまま行うことについて市民の賛否を問う住民投票条例制定請求の要旨
1、請求の要旨
東村山市は再三に亘って、市が深刻な財政危機にあると市民に対して述べてきました。来年度予算編成に向けた通達には「待ったなしの緊急事態」「新規・レベルアップ事業は原則凍結」といった言葉が並び、「累積する市債残高や基金の枯渇状況を鑑みるに、もはや従来のままでは行政運営を継続するのは困難な状況にある」とダメを押しています。住民税や介護保険料が上がり、地域コミュニティの大切さが全国で叫ばれているなか公民館は全面有料化、生活道路を直す予算は今年度ゼロであると聞きました。
市の借金は現在約750億円、市民一人あたり50万円を超えています。さらに、この再開発計画のための新たな借金は34億円、金利を含む返済総額は52億円と公表されました。これらの借金をどうやって返済するのでしょう?私たちだけでなく、子や孫の世代が何の責任もないのに背負っていかなければならないのです。
このような厳しい財政状況にもかかわらず計画されている東村山駅西口再開発事業に、多くの市民から疑問の声が上がっています。総事業費136億円余、使われる税金は当初予算で92億円。国や都の補助金を除く市の負担額は金利を含まずに約46億円。今後増えない保証はありません。市が公表している経済波及効果は47年もの長期間で255億円。見込まれる税収増は毎年わずか1億円。市が買い取らなければこの事業が成り立たないと言われる3階の「公益施設」は毎年5000万円以上も税金で補填をしなければ運営できないことが9月議会で明らかになりました。「永年住み慣れたところに住み続けたり営業を継続していくために必要」と市が説明してきた100メートルビルに入る地権者はわずか数人です。ビルの1階にはコープとうきょうの店が、2階には2〜3の飲食店が入るだけ。ビルに入って営業を続ける店舗はありません。この計画がまちの活性化の起爆剤になるとは到底考えられません。いつ事故が起きてもおかしくない危険な大踏切(東村山1号踏切)や渋滞の激しい鷹の道踏切などは全く手が付けられません。
これが本当に市民が望む再開発なのでしょうか。
私たちは、現計画をこのまま進めるべきか否か住民投票をもって決することが、市民の幸せづくりを最大の使命とする東村山市に課せられた重大な責務であると考え、必要な条例の制定を請求するものであります。
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この請求文は代表の佐伯さんが書かれたものです。
「市民の幸せづくりを最大の使命とする」
まさに佐伯さんが書かれたこのことこそが、市長や市議、そして市民への奉仕者である市職員のそもそもの仕事そのものであると私は考えます。
つまり市長も市議も職員も、仕事中は頭の中を「市民の幸せづくり」でいっぱいにしなくてはいけないということです。
全ての言動は「市民の幸せづくり」のためのものでなくてはならないということです。
そして、市長も市議も職員も「市民の幸せづくり」ができて初めて、給料という労働の対価を得ることができるということです。
反対に「市民の幸せづくり」に寄与できていない、つまり正しい仕事をしていない市長や市議や職員であるならば、まさに「税金泥棒」と揶揄されても仕方のないことでしょう。
次に、市長や市議が行なうべき具体的な仕事について書きます。
JR中央線武蔵小金井駅の「開かずの踏切」が社会問題化した時、小泉総理は「役人はもっと知恵を出せ」と役所を叱りました。時の総理大臣から「知恵を出せ」と言われる役人たち・・・本当に情けないことだと思います。
そもそも市長や市議が行なうべき具体的な仕事とは?
そうです、知恵を出すことです。市民の幸せづくりのためのアイディアや施策を考え出し、そして提案することです。
都政の話になりますが、私は石原慎太郎知事を支持しています。都知事選でも石原氏に投票しています。
私が石原知事を支持する理由はまさに自ら率先して知恵を出し続けているからです。
最近石原知事はプロット(plot)という用語を使います。プロットとは設計図、あらすじ、構想などがその意味です。
私は、石原知事は自らの知恵を構想にすることができる、数少ない政治家の一人であると高く評価しています。
「東京から日本を変える」ためのプロット、「東京をより豊かで魅力的な都市にする」ためのプロットを描き続けているのです。東京オリンピックや東京マラソンや新銀行もプロットに含まれる大道具というところでしょうか。
それではなぜ、石原知事はプロットを描くことができるのでしょうか。その答えは、石原知事の「イマジネーション力」つまり、想像力、空想力の高さです。
固定観念に凝り固まっている方はなんでも「そんなことができる訳ない」「絶対に無理だ」と考えがちですが、石原知事のような方は「私の辞書に不可能という文字はない」という姿勢です。
ここがプロットを描けるか描けないかの分岐点になります。
(ちなみに私の座右の銘は「絶対できないと、絶対に言わない」です)
東村山市の市政に話を戻します。
渡部新市長は氏のホームページで「わたなべたかしのマニフェスト
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まちづくりプラン」を提示しています。
「まちづくりプラン『八国山からの新たな風』は、八国山に象徴される価値を市民すべてが共有しながら、智恵と力を出し合い、日本全国そして世界の人々、子どもたちに東村山のすばらしさを伝え、つなぎ、広げていくプロジェックト、私のマニフェスト(政権公約)です。どうぞ皆様もご参加ください。」
美しい言葉が並んでいます。
ホームページはhttp://www.watanabetakashi.net/policy1.html こちらからそして、「東村山市の価値を高め、発信する」ために考え出された公約の一部が以下の項目です。
◆八国山の自然を中心に東村山ならではの価値を再発見、観光・特産品を積極的に創造し発信
◆「里山コンベンション」「物語の里サミット」など交流事業の推進
◆自然との共生をテーマにした“八国山音楽祭”など文化事業の推進
渡部市長はマニフェストと言っていますが、実行期限も明示されていない曖昧公約です。石原知事のプロットに比べなんとも貧弱な感は否めません。
プロットは設計図であり構想であると書きました。「里山コンベンション」「物語の里サミット」「八国山音楽祭」など、一つひとつの施策にも設計図や構想が必要です。いつ、誰が、どこで、何を目的に、どのようにして行なうのかの設計図がなければ、絵に画いたモチです。中身のない「だいじょぶだ〜饅頭」の空箱と同じことです。
明日の所信表明演説でどこまで踏み込んでの施策の具体性について語ることができるのか、そこが見どころ聞きどころでしょう。
何はともあれ、市長や市議の仕事は市民の幸せづくりのための知恵を出すこと、そして、その知恵をプロットにまとめ議会に提案することです。議会や委員会にかけなくても良いプロットであれば各自、各会派が独自で動く、このことも大切であるということも申し上げておきます。
私、東村山4丁目も微力ながら市民の幸せづくりのために色々と提案させていただきたいと考えています。
(長くなりますが、もう少々お付き合いいただけると幸いです。)
具体的には「請願書」「陳情書」による提案です、例えば
◆
市職員のサンダル勤務の禁止に関する陳情
市役所にも他の事業所同様に「自衛消防隊」が組織されており、職員には「通報連絡」「初期消火」「避難誘導」「安全防護」に手分けされた任務が課せられています。以前にドン・キホーテで3人の店員が避難誘導のために店内に戻り焼死するという悲しい事件がありましたが、同様に職員は、万が一の際には私達市民を守る責任があるということです。サンダル勤務容認の姿勢で市民を助けることができるでしょうか。私は絶対不可能と断言します。
(本件は小松きょう子氏のマニフェスト、54の約束の中にも書かれています)
◆ 市役所の全面禁煙
市長室は知りませんが、議員控え室は禁煙にはなっておらず、市民が受動喫煙する恐れがあります。
◆ 地球温暖化防止東村山宣言
これも小松きょう子氏のマニフェスト、54の約束に書かれています。プロットもまとまっていますので、マニフェストづくりを一緒に行なった「明るい会」の皆さんと共同提案する予定です。
◆ 薄井政美市議の「東村山市グルメ日記」の即刻中止
私も経営者として法人市民税を東村山市に納付しております。法人にしているかどうかは分かりませんが、薄井市議が通っている店も通っていない店も同じです。薄井市議の給料となる市税をまじめに払い続けているのです。
薄井市議が市議になる前に性風俗キャスターとして稼いでいたお金で何を食べようが、どの店を紹介しようが、それは薄井氏の勝手でした。
しかし、です。今は違います。私たちの税金から給料が払われているのです。議員となった薄井氏は市民全員の幸せづくりに没頭しなくてはならない公務員の一人です。一部の店に奉仕するのは憲法違反であるのです。(十五条の二 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。)
薄井市議の行為は私達事業者の納税意識を低下させます。薄井市議が東村山市民のために、自費で市内の全てのお店を回り、広報係としてお店の良いところを発信していくのであれば私も文句は言いませんが、今の薄井議員の行為は、納税者である私を不愉快にさせます。薄井市議のメガネにかなわないお店の店主も同じ考えではないでしょうか。即刻、ブログを閉じる様、請願・陳情していく所存です。
(薄井政美市議に関しては、別件での辞職勧告の請願書(陳情書)を100%の確率で提出させていただきます。)
最後に、私は明日の議会の傍聴ができるかできないか、仕事の関係で微妙なところですが、皆さんはぜひ議会を傍聴してください。
東村山市を良くするも悪くするも、すべて住民パワーなのです。
明日からの議会が、以前の議会と180度違う「市民の声を聞く、市民の幸せづくりのための議会」であることを願って止みません。