原子力発電所問題と東村山市のゴミ問題 @

なんとも凹凸のある?テーマです。なぜこんなテーマでのコラムを書く気になったのかを説明します。それは、朝刊にこのような記事が掲載されていたからです。

「再処理工場内の建物から煙 青森・六ケ所村」
煙が充満した建物は分析建屋で、2階の分析室にある冷却水循環装置のモーターから発煙したとみられる。日本原燃によると、計測した結果、分析室の内外いずれでも、放射能漏れは確認されておらず、けが人もいないという。
 日本原燃によると、分析建屋は、工程の管理や安全確保などのために、使用済み核燃料を処理する過程で発生するウラン、プルトニウムなどの放射性物質が入った溶液を抽出し、濃度などを調べる施設。
引用 朝日新聞

結論から書きます。原子力発電所の仕事もゴミ焼却施設(秋水園)の仕事も同じである。原子力発電所はゴミ焼却施設と同じくらい安全であり、この二つの問題に対し日本人はさわぎ過ぎであると私は考える、ということです。


私は過去に福島第二原子力発電所の安全管理の講師を務めたことがあります。安全管理に関しては、仕事の内容に関わらず原理・原則は一緒です。それでも、原子力発電については事前に多少勉強していったのですが、発電所所長や安全品質担当責任者、そして運転訓練センターの指導者の方からのレクチャーを受け、改めて安全管理の要諦は同じであると再認識しました。

原子力発電所とゴミ焼却施設の同じ点を列挙します。
まずこちらをご覧ください。
◇遠隔操作である
◇コンピュータ制御されている
◇取り返しのつかない事故にならないためのフェール・セーフが確立されている
◇排出物に有毒性がない

原子力発電所や火力発電所、ゴミ焼却施設に共通することは「炉の中で何かを燃やしている」ということです。原子力発電所はウランを燃やし(臨界)、火力発電所は石油や石炭を燃やし、ゴミ焼却施設では可燃ゴミを燃やしています。
発電所では燃やした熱で水蒸気をつくり、タービンを回して発電します。

燃え残ったものは違います。火力発電のことはよく分かりませんが、化石燃料を燃やすことより発生するものであり容易に推察できます。
原子力発電で燃え残ったもの(かなり乱暴な言い方ですが)、つまり高レベル放射性廃棄物と呼ばれる使用済み燃料ですが、これはゴミ焼却施設で発生する廃棄物と同じ考え方で「最終処分場」へ運ばれます。そこが昨日「事故(読売新聞)」と報道された青森県の六ヶ所村なのです。

排出物に有毒性がないと書きましたが、原子力発電に関する報道を正しく理解していただくために、この「有毒性」についてもう少し詳しく説明しておきます。

ゴミ焼却施設が排出する「有毒物質」はダイオキシンなどでしょう。しかしながら秋水園を含めフィルターなどで除去されており、人体への影響は小さいものと考えられます。
火力発電で排出する煙などの中にどれほどの「有害物質」が含まれているのかは分かりませんが、私たちも日々化石燃料を燃やして生活しているのですから、火力発電に対して批判的なことは言えないと思います。

一方、原子力発電が有する「有害性」はその比ではありません。人の生命に関わります。東海村での放射能漏れ事故やチェルノブイリ原子力発電所の爆発事故、そして何よりも原子力の危険性を知らしめるのが、広島と長崎に落とされた原子爆弾の恐ろしさです。チェルノブイリ原子力発電所の爆発事故同様、今も原爆症で苦しんでいる被爆者がたくさんいらしゃると聞いています。

しかし、です。であるからといって原子力の平和的利用を放棄することは、地球温暖化防止の観点からみても好ましいものではありません。反対に、国策として原子力発電を中心においたエネルギーの安定供給を図っていくべきであると私は思います。

日本は唯一の被爆国であるため、確かに原子力に対するアレルギーが強い人が多いことは理解できます。しかし、そうであるからこそ、日本国民は原子力についてもっと学習すべきです、より高度な知識を身につけるべきなのです。

なぜでしょう。それはマスメディアの刺激的な報道に操作されないようにするためです。
冒頭の報道内容もそうです。「事故があった(読売新聞)」「放射能漏れはなかった(朝日新聞など)」、事故と放射能、この二つのキーワードのうち一つでも入れれば紙面に載ります。つまり、ニュースになるということです。
反対に、どちらも入れなければ決してニュースにはならないことでしょう。つまり、仕事をしたことにはならないのです。

お分かりでしょうか。マスディアで働く人はニュースをつくっているのです。
「放射能漏れはなかった」と書くことは「人体に影響を及ぼす放射能漏れが発生する可能性がある」というメッセージを読者に送っていることと同じです。つまり、放射能と書くだけで読者はひきつけられることを計算しているのです。
それを、つまり読者を不安にすることをビジネスに利用する、今の日本のマスディアの報道姿勢は間違っているとしか言いようがありません。

「国家の品格」藤原正彦著より
国民の判断材料はほぼマスコミだけですから、事実上、世論とはマスコミです。
三権分立は近代民主制の基本となっていますが、現実はこの立法・行政・司法の三権すら、今では第一権力となったマスコミの下にある。
引用終了

まさに「我が意を得たり」です。

原子力発電に関し、マスディアに対して言いたいことはこういうことです。
一点目は、放射能と放射線の使い分けを明確にしなさい、ということです。
放射線には、α(アルファ)線、γ(ガンマ)線、X(エックス)線など、いろいろな種類があり、種類によって物をとおり抜ける力(透過力)が違います。α(アルファ)線なら紙一枚で止まりますが、X(エックス)レントゲン線の場合には厚い鉄の板や鉛でなくては透過を止めることができません。
それでは、原子力発電で発生させる中性子線はどうでしょうか。この放射線は水や厚いコンクリートなどで止めることができるのです。
http://www.iae.or.jp/energyinfo/energydata/data3038.html

この外に、人間は自然界からさまざまな放射線を受けながら生活しています。宇宙線やレントゲンなどもそうです。ゲルマニウム温泉もゲルマニウムが出す微量な放射線を利用したものです。

つまり、放射線は被爆量が少なければ決して危険なものではないということです。
一方、放射能は違います。放射能とはある物質が放射線を出す能力のことで、この能力(放射能)を持っている物質を放射性物質といいます。原子力発電所関係の放射性物質は、主に燃料集合体(ウラン鉱山から採掘され濃縮加工された二酸化ウラン)と高レベル放射性廃棄物です。

あのイラク戦争でも使われた劣化ウラン弾もそうですが、この物質が「閉じ込められていない」場合に、人は放射線を大量被爆するのです。
お分かりでしょう。つまり大量被爆させる放射性物質が外部に漏れてはじめて「放射能漏れ」といえるのであって、原子力発電所内での「発煙」は、「放射能漏れ」とは全く関連性のない出来事なのです。

第二に、事故の定義をはっきりさせなさい、ということです。
チェルノブイリ原子力発電所の事故は取り返しのつかない爆発事故でした。東海村での臨界事故もあってはならない事故です。
しかしながら、今日のこの報道の「事故」は、はたして報道すべき「事故」なのでしょうか。
どの工場のモーターも同じです。油と回転による摩擦熱、そして電気的ショートなどによる火花、発煙や燃焼の条件が整っている機械がモーターです。一昔前はモーターの焼け付きという言葉をよく聞いたものです。

ここでは書きませんが、原子力発電所の多重安全防護対策は万全であると思います。つまり、制御棒が抜け落ちようと、配管がすり減ろうと、放射性物質が施設から漏れる「放射能漏れ事故」など起こりようがないのです。

このようにイメージしてください。格納庫の中で最新鋭のジャンボジェット機の最終テスティングを行っている。100%動き出さないよう管理されている中、最新鋭の4つのエンジンを動かしている。原子力発電所を視察し、私はこのように実感しました。

原子力発電所も同じです。管理されているのです。臨界状態をつくることが原子力発電所の仕事であり、それは先に説明したように、コンピュータ制御された中央制御室で遠隔操作により管理されているのです。その上にフェール・セーフの考え方から何重もの安全装置が働く仕組みが構築されているのです。
つまり、放射能漏れ事故など、起こしたくても起こしようがないというのが事実なのです。(事故を起こしたい人などいるはずがありませんが、過去に見たスパイ映画を意識してこう表現しました)

話を戻します。同様に東村山市のゴミ焼却施設の燃焼炉の爆発事故なども、構造上起こり得ないと思います。
排出物を含め、私たちの安全に支障をきたす施設ではなく、私たちの豊かな生活に必要な大切な施設である、私はそう考えています。

(次回はいつになるか分かりませんが、市民活動と原子力発電所問題、ゴミ焼却施設問題について書いてみたいと思います。埼玉県入間市のゴミ焼却施設稼動問題における住民との取り決め事項なども紹介します。



                                                      2007年06月04日