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韓国:原発大国、核武装論じわり

 <世の中ナビ ワイド NEWS NAVIGATOR 国際>

 原子力の光と影が交錯する朝鮮半島。韓国は世界有数の原発大国になり、北朝鮮は慢性的電力不足に悩みながら核兵器開発の道を突き進む。ところが、核兵器製造につながる「ウラン濃縮」や「使用済み核燃料再処理」を自制する韓国に異論が出始めた。北朝鮮の2度目の核実験を受け、従来の“封印”を解こうという核主権論や核武装論がじわりと浮上しているのだ。【ソウル西脇真一】

 6月の米韓首脳会談で、米国の「核の傘」で韓国を防衛する「拡大抑止力」が合意文書に明文化された。その狙いは、韓国でくすぶり続ける核武装論の火消しとみられている。

 これに先立つ5月、北朝鮮の核実験再実施に憤る韓国メディアは、相次いで強硬論を紹介した。「韓国だけが南北非核化共同宣言を守るのはアンバランスだ」「ウラン濃縮や再処理を行い、平和的核利用を推進すべきだ」。韓国政府は米韓原子力協定の改定を米側に促す考えを表明し、遠回しに自立志向を印象付けようとした。

 韓国における原子力研究の歩みには50年の歴史がある。

 韓国中部・大田市にある政府傘下の韓国原子力研究院。緑あふれる広大な敷地に施設が並ぶ。設立は1959年(当時は研究所)。

 現在、韓国では南部・古里など4カ所で計20基の原発原子炉が稼働している。昨年は総発電量に対する原子力の割合が35・7%。トラブルによる原子炉の長期停止もなく、世界有数の水準にある。

 第二次大戦後、朝鮮半島は南北に分断され、朝鮮戦争(50~53年)はいまだ「休戦」状態だ。韓国は朴正熙(パクチョンヒ)政権時代の1970年代、「自主国防」の一環で秘密裏に核兵器開発に着手した。プルトニウム抽出用の再処理技術獲得を目指したが、米国の反対で中止に追い込まれたことが知られている。この計画は、79年の朴大統領暗殺で自然消滅したとされる。

 74年、再処理を事実上禁じる米韓原子力協定を締結。75年には核拡散防止条約(NPT)に加盟した。また、92年発効の南北非核化共同宣言では、双方が「再処理施設とウラン濃縮施設を保有しない」と表明している。

 このため、04年に報道や韓国政府の説明で次々と明らかになった秘密実験は、国際社会に大きな衝撃を与えた。同研究所などで行われた実験は、79~81年に化学法によるウラン濃縮▽82年に少量のプルトニウム抽出▽80年代にウラン転換実験▽00年にレーザー法で0・2グラムの濃縮ウランを生成--。韓国政府は「知らなかった」と弁明した。

 韓国はこれらの実験と70年代の核兵器開発との関連を疑われ、国際原子力機関(IAEA)は04年11月、「深刻な懸念」と検証を表明。08年になってIAEAは「すべての核物質が平和的に利用されている」と韓国の原子力開発の透明性を認めた。

 金泳三(キムヨンサム)政権時代に科学技術相を務めた金始中(キムシジュン)高麗大名誉教授は「使用済み核燃料は、2016年に保管場所が飽和状態になる。環境と経済を考慮して、民生利用に限った再処理を願っているだけだ」と、軍事転用の恐れがない点を強調する。

 ◇「平和利用のため」強調--韓国原子力研究院顧問・張仁順博士

 韓国原子力研究院顧問の張仁順(チャンインスン)博士に韓国の原子力開発について聞いた。

 --今年は開発が始まって50周年だ。

 ◆1948年に北朝鮮が送電を中断し、韓国は電力不足に陥った。韓国は日本同様エネルギー資源がない。58年、李承晩(イスンマン)大統領が米国のシスラー博士との会談で開発を決断し、59年に原子力研究所を設立したのに始まる。

 --原子力発電には約20年を要した。

 ◆電力は産業の華だ。70年に朴正熙大統領が米国からの原発導入を決断した。当時の国民所得は200ドル。1号機の建設費は国家予算を上回り、大変なリスクだった。

 --04年にプルトニウム抽出が問題になったが。

 ◆韓国は80年代に核燃料国産化を始めた。燃料がきちんと作用したのかを確かめるには、プルトニウムが生成されたかどうかを確認しなければならない。国産化の過程で必ず通るプロセスを「抽出した」と誤って伝えられた。また当時、IAEAにも報告しなければならないという規定はなかった。

 --では、ウラン濃縮実験は?

 ◆当時、原子力研究所の所長だった私がやらせた。研究所には一般金属を濃縮するチームがあったが、その施設を閉鎖することになった。その前にウランをレーザーで濃縮できるかやらせた。まさに好奇心からだった。わが国は国際社会に(濃縮や再処理は)やらないと約束した。だが、濃縮方法はいろいろあり、レーザー法は新しい技術だった。レーザーで濃縮できるのか一度やってみたくて私がさせたのだ。3カ月後リポートの結果を見て驚いた。そして、施設を閉鎖するように言った。

 --IAEAに報告しなかったのか。

 ◆04年に追加議定書が発効し、過去の実験も報告する必要が生じたので報告した。提供データと彼らが来てサンプリングした結果は一致し、私たちを信じた。我々は平和的利用のため活動、実験したと強調したい。核兵器を保有しようという意味ではない。

毎日新聞 2009年8月3日 東京朝刊

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