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5月23日 本牧落語五人会(お江戸日本橋亭) この会では、金原亭馬生による『お富与三郎』の連続口演をやっており、今回がその最終回。 先代の馬生も得意としており、内訳としては、『木更津』、『稲荷堀』、『島抜け』、『与三郎の死』という4パートにわかれる。 馬生は、これまでの粗筋を約6分で語る。 今回のパートは、直前の『島抜け』から続くもの。 こう書くと当たり前のようだが、『木更津』と『稲荷堀』の間には歌舞伎で有名な『玄冶店』があり、馬生(先代も含めて)はやっていない(五街道雲助はやるらしい)。 佐渡から逃げた与三郎の目的は、ただひとつ、お富に会うことのみ。 逃亡の課程を簡単にふれ、いよいよラストの2場面に入る。 まずは、実家である日本橋横山町の伊豆屋前で、なにやら喪に服している。 様子を伺っていると、中から叔父さん(具体的な言及はないが『木更津』に登場した人と思われる)が出てきたので、後をつけ声をかける。 「そばに来るんじゃない」と追っ手の可能性を懸念しつつ、背中越しの会話が続く。 それによると、実家では父親が患った末に死に、今日は初七日だとのこと。 さらにはお富が品川にいるらしいということを聞き出す。 叔父さんは口では「おめえはしょうのねえ奴だ」などと言うが、与三郎のことを案ずる気持ちが伝わる。 そして、品川のお富の家。 品川の街を歩いていると偶然にもお富と行き合い、そのままお富の家に行く。 食事をして酒を飲んだ末に寝込んでしまう与三郎。 その様子を見ながらお富は思う。 「この人がこんなになってしまったのは、あたしのせい。追っ手につかまれば死罪は必定。それならば」 持っていた匕首で与三郎の胸をひと突きする。 与三郎は死にながらも笑みを浮かべていたという。 この『お富与三郎』四部作では、この『与三郎の死』だけが少々異色な存在である。 他の3つはどこかに「動」的要素を含んでいるのに対し、こちらは「静」的な要素しかない。 最後の殺人シーンですら、深閑としたムードの中で行われる。 それはそれで余韻がありいいのだが、単独にこれだけ聴いて感動できるというものではない。 全部を通して初めてその効果が得られるのかなという気はする。 なお、馬生という落語家は独特の静かな雰囲気をもっている。 その意味でごく当たり前の落語家とはちょっと異質なのだが、やはり異質な雰囲気を持っている人がもう一人いる。 それは、むかし家今松。 こちらは静かとは違って飄々とした感じではあるが。 この二人の師匠がともに先代の馬生であるというのは偶然か? |
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