社会
「戦後問いたい」半世紀ぶり中国へ 八路軍従軍の男性
「戦争は絶対に嫌」。中国東北部での歳月を振り返る小林了さん(右)ときみえさん=神戸市内 |
満蒙開拓団として渡った旧満州(中国東北部)で終戦直後、家族の安全と引き換えに中国共産党の八路軍に加わった神戸市の男性が21日、半世紀ぶりに戦地を訪ねる。12年を経て帰国できたが、偏見の目で見られ、中国での体験を忘れようとしてきたが、定年を迎えて別の気持ちが芽生えた。「自分にとっての戦後を問うため、あの場所にもう1度立ちたい」-。
養父市大屋町出身で、神戸市垂水区王居殿の小林了さん(79)。1941年に一家8人で中国へ。農作業に汗を流す日々は敗戦で一変した。
逃げ出す間もなく集落は八路軍に包囲された。八路軍は危害を加えない代償に男を徴用すると通告。小林さんは「おれ1人で皆が助かるのなら」と手を挙げたという。
行動を共にした八路軍と国民党軍との内戦は激化した。小林さんは看護兵として病院で働いた。最前線に近く、負傷者が廊下まであふれた。死と隣り合わせの生活は、戦闘が終わるまで続いた。
残留邦人の帰国が認められ、58年に声がかかった。帰郷し、家族の無事を喜んだのもつかの間、小林さんは就職に苦労する。「中国帰りは雇えない」。心ない言葉を浴びせられて、過去を封印するようになった。
神戸に移り住み、鉄工所での仕事を見つけた。同郷の妻きみえさん(77)と結婚。がむしゃらに働いた。定年後、夜間中学を知り、今春から神戸市立丸山中学校西野分校に入学した。同級生は年齢も国籍もさまざま。自分よりも過酷な生きざまを目の当たりにした。
「つらいこともあったが、後悔はしてない。過去に目を背けたら、戦争で亡くなった人に申し訳ない」。そんなふうに思えるようになった。小林さんは「平和の大切さをかみしめるため、『空白の12年』を埋めたい」と語る。
(飯田 憲)
【八路軍】
日中戦争の時期に活動した中国共産党の軍隊。1937年、華北にあった軍が国民革命軍第八路軍と改称、抗日戦の最前線で戦った。日本の敗戦後は国民党軍との国共内戦で力を発揮した。47年、人民解放軍と改称。
(7/19 11:41)
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