花火画像の続きです。
夜空の大きな花火を眺めてハイテンションに騒ぐ一方で、やっぱり夏独特の風情に散々酔ってしまいました。
華やかながら、まるで命そのもののように一瞬の儚い明滅を繰り返す大輪の花火に感傷的な気分にもなるってもんです。
私の脳内には、大きな花火→星祭り(ケンタウル祭)→『銀河鉄道の夜』…
→カムパネルラぁあああー!!!!!
的なシナプス伝導がありまして…。
こんな風に空から星が降って来るような満天の大花火に思わず目頭を熱くしてみたり。
青いあかりをこしらえて…的な『銀河鉄道の夜』の豊かな情緒には程遠い感じですけどね。現実は。
夜店の屋台から流れてくるイカ焼きの匂いを嗅ぎっぱなしだしね?
(しかしイカ焼きのいい匂いは屋台“最強”ですね!)
嗅覚と味覚はそっち側に奪われたままでも、視覚と聴覚と想像力は花火に釘付けの、あっという間の2時間半でした。
花火には鎮魂の意味合いも強く感じますよね。(お盆の季節柄?)
色とりどりの花火を満天の夜空に手向けて、祈りを込めて誰か大切な人を偲んだり…。
私にとって花火大会はそんな“生と死”を考えさせられる機会でもあります。
生の謳歌を思わせる力強い華やかさやバリエーションと、色や形は違えど一様に一瞬で光が失われる側面にどうしようもなく心揺さぶられます。
それぞれ光の消え方も“奥が深い”と思えてみたり。
大きな枝垂れ柳のように長く尾を引いて落ちながら消え行くとか…
まるで満開の桜が舞い散るような美しい花火も…!
個人的にはこちらの“散りっぷり”に憧れますが。
丸くて大きな五尺玉(って言ってた気が…)は色とりどりで可愛い♪
私の“銀鉄”妄想の中では、次々に花開く花火の姿はまるでそれぞれが銀河の中の個性的な星雲で“停車駅”の姿です。(…)
その中を次々と巡って、旅するような気持ちで眺めてました。
メランコリック萌え、時々ハイテンション!という妙なノリです。
デジカメ右手にB級グルメ左手に。(コレ300%満喫してますね…。)
花火・百花の競演に、本当に時の経つのも忘れました。
銀河鉄道の夜で語られるエピソードで、私が何度も何度もぐじゃぐじゃに泣かされる鉄板ネタ(コラ!)は“蠍の火”の下りです。
イタチから逃げ井戸に落ち、無駄に命を散らしてしまう蠍の最期の想いは「どうして私は私の体を黙ってイタチにくれてやらなかっただろう」「そうすればイタチも一日、生き延びたろうに」というものでした。
「どうかこの次には誠にみんなの幸いのために 私の身体をお使いください…」
そう祈り願って生まれた“蠍の火”のように、
そんな風に、自分もいつか誰かの“蠍の赤い火”に。
「どこまでもどこまでもいっしょに行こう」と目を輝かすジョバンニは、
「僕はもう、あの蠍のように、ほんとうにみんなの幸いのためならば僕の体なんか百ぺん灼いてもかまわない」と、そうカムパネルラに伝えるジョバンニは私の永遠の“理想”で。
…きれいな涙を目に浮かべるカムパネルラは、間違いなく私の永遠の“憧れ”です。
日々生きて行く中で小さな“自己犠牲”を厭わないことが、カムパネルラと“どこまでもどこまでも一緒に行く”“共に歩む”に等しいことだと悟った後のジョバンニの前向きなストイックさが眩し過ぎる…!
“誠の幸い”はそれぞれの胸の内にだけ… ですよね。
二尺玉の特大花火のインパクトは残像も鮮やか。
宮沢童話の最高傑作、二人の少年の物語を久しぶりにまた読んでみたくなりました。(アニメのネコの二人もたまりません…!!!)
あ! 逃避行為でなく!! お仕事完了後の話で!!!(笑)
もちろんお仕事は最優先で頑張ります!
“石炭袋の闇”すら怖れない…、そんな闇の中にも“誠の幸い”を探すことの出来る心境に至るような日は来るのでしょうか。
…ともあれ終着駅“石炭袋”にはまだまだ程遠い未熟者ですが…
どこまでもどこまでも一緒に行きたい人がいるので。(恋愛でないのが残念!)
とりあえず、人様の迷惑にならないようにだけは心掛けて今後とも精進します。 特にお仕事関係で!!!
綺麗で幻想的な花火にすっかり当たってしまったみたいです。。
長々としたキモ語り、失礼しました!
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