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「前夜は元気に食事」古橋さん、ローマでも精力的に活動

2009年8月3日0時8分

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写真北島康介選手ら北京五輪代表の選手たちと記念撮影に臨む古橋広之進さん(左端)=08年8月17日、北京、矢木隆晴撮影

写真競泳の北京五輪代表選手らと記念撮影に納まる古橋広之進さん(前列中央左)=08年8月17日、北京、矢木隆晴撮影

 「フジヤマのトビウオ」と呼ばれた古橋広之進さん(80)が2日、世界水泳選手権が開催されているローマで亡くなった。世界での圧倒的な強さは戦後まもなくの国民に希望を与え、引退後も日本オリンピック委員会(JOC)会長などスポーツ界の要職を歴任した。ローマでも、2016年東京オリンピックの招致活動に精力的に参加していたという。

 【ローマ=阿久津篤史、酒瀬川亮介】古橋さんの突然の悲報に、現地入りしている日本の水泳関係者は驚きの声を上げた。

 日本水連によると、古橋さんは2日朝、世界水泳の会場への出発予定時刻を過ぎても姿を見せなかったため、午前10時半ごろ、宿泊先のホテルの部屋に警備員らが入ったところ、すでに動かなくなっていたという。

 泉正文専務理事は前夜、古橋さんと食事をともにした。「ばくばく、という表現があてはまるほどよく食べていた。信じられない」

 古橋さんは先月24日の国際水泳連盟総会で国際水連の副会長に再任されたばかり。猛暑のなか、飛び込みや競泳を観客席から見守るなど、精力的に現場に顔を出していた。

 世界水泳の会場のプールサイドは連日、日中の気温が40度を超える猛暑だが、観客席には日差しを遮る屋根がない。泉専務理事は「体調が多少悪そうではあった。この猛暑が影響したのかも」と話した。

 日本代表の平井伯昌ヘッドコーチは「あの人だけは大丈夫と思っていたのに……」と絶句。古橋さんは腰の具合が悪く、数日前に選手が宿泊するホテルを訪れてトレーナーのマッサージを受けたという。「特に変わったところはないように見えた。信じられない」

 今回の世界水泳で、日本の競泳陣には、古橋さんにちなみ「トビウオジャパン」との愛称がつけられている。今回の世界選手権の代表選考会を兼ねた4月の日本選手権は、古橋さんの出身地に今年完成したばかりの古橋広之進記念浜松市総合水泳場(愛称ToBiO=トビオ)で行われた。

 古橋さんは水泳が強くなるにはまず日常の姿勢からと、選手のピアスや茶髪を禁止した。男子平泳ぎで五輪2種目連覇の北島康介選手を育てた平井コーチは「古橋さんから受けたお言葉を守って康介を指導してきた。古橋イズムを忘れないように継承していかないといけない」と話した。 日本水連の関係者によると、古橋さんの遺体は数日中に帰国の途につくという。

■東京五輪招致をローマでPR

 古橋さんは東京オリンピック招致委の顧問も務めていた。同委の中森康弘事務次長によると、古橋さんは7月下旬にローマで国際オリンピック委員会(IOC)関係者に東京招致をPRする活動に参加。日本料理店で会食しながら、「ぜひ東京で開けるようサポートして欲しい」と英語で力説していたという。会食時も食欲はいつも通り旺盛で、すしや天ぷら、ステーキなど、料理は全部食べていたという。

 中森さんは「水泳界では世界中から尊敬されている人。IOC関係者にも、古橋さんがいるだけでPR効果は絶大」と話す。中森さんは一足先に帰国した。「元気な様子だっただけに非常に驚いた。今後も五輪招致で一緒に動く計画を立てていたのに残念。彼の思いを伝えていくのが私たちの務めだ」

 古橋さんは浜松市出身。同市には今年2月、「古橋広之進記念浜松市総合水泳場」(愛称・トビオ)がオープンした。吉田一彦館長は「オープン時のうれしそうな笑顔が忘れられない。残念です」。子どものころは浜名湖の桟橋から飛び込み、水泳の練習を積んだという。「魚になるまで泳ごうと思っていた」とよく口にした。「泳心一路」という言葉を書にしたため、選手たちを激励することが多かったという。

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