タシュクルガンの土産店

2009年8月2日

バザールの中の土産物店です。パキスタンでは金属製だった器が、ここタシュクルガンでは同じような形の陶磁製で並んでいました。また、壁に掛かっているシャルワーズカミーズに似た服も、パンツでなくスカートでした。(写真①)

タシュクルガンの中心部から離れたところにも土産物店がありました。タジクの楽器や民族衣装がかけられていました。写真②には、タシュクルガンのシンボルになっている広場の塔の上で羽を広げている鷹の置物や楽器、それにネクタイにスーツ姿で、タジクの帽子と腰に帯を巻いているマネキンが写っています。

壁に赤い布の張られた店内には、色鮮やかな民族衣装や装飾品などが並んでいました。写真③の小さいものは子供用のようです。明るい色のワンピースに金で縁どりをした黒いベストを重ねるのが特徴のようです。

壁に掛けられたベストや帽子、バックなどには、タジク族独自の刺繍がほどこされていました。

土産物店に並ぶ品々は、アッパーフンザからタシュクルガンに入った私には、タジク文化とワヒ文化の似ている部分が多く目につきました。

(写真・山本質素/文・山本質素、中島とみ子)

タシュクルガン女性の服装

2009年7月30日

タシュクルガンの街を歩く女性たちの服装を紹介します。

通勤時間帯(午前8時~9時頃)のメインストリートで見かけた職場に向かう女性たちです。。スーツや長いスカートにタジク帽子姿が目立っていました。年配の女性は白いスカーフをタジク帽子の上にかぶり、若い人はタジク帽子だけ、あるいは色スカーフをかぶっていました。 

   

文化芸術センターの受付の女性(写真左)は、長い髪を後ろで束ねあげて帽子をかぶり、同じ模様の上着と長いスカートを着ていました。足元は、ヒールのあるダンサルを履いていました。長身の彼女の魅力を、タジクの民族衣装はいっそう引き立てているようです。右の写真は、文化芸術センターの階段を上っていく若い女性たちです。

 

10時~11時ころのバザール付近で見かけた女性たちです。
タジク帽子をかぶり楽しそうに歩く若い女性たちの姿がありました。シャルワーズカミーズ姿の女性も見かけました(写真☆)。
     

バザールでは子どもや孫を連れた、タジク帽子にスカーフ姿の女性たちも多く見かけました。
   

スカーフだけをかぶった年配の女性たちも、たくさん見かけました。また、若い女性たちの間では、ジーンズも人気のようでした。

  

   
写真から見えるタシュクルガンの街を歩く女性の服装は、長い髪と王冠のような帽子、その上にかぶるスカーフに特徴があるようです。そして、色彩としては赤い色合いが好まれているようでした。ちなみに、1995年時点のタシュクルガン総人口27,800 人のうち84パーセントが”タジク族” 4パーセントが”漢民族”、12パーセントがその他の少数民族ということです。[ウィキペディア
パキスタンのフンザ地域では、女性がかぶるスキーズやスカーフの色が年齢を示していましたが、タシュクルガンのタジク族においても、そうした区別が伝えられているのかもしれません。

(写真・山本質素/文・山本質素,中島とみ子 )

タシュクルガンの食べ物

2009年7月27日

バザールでは、チャパティ(ナン)や饅頭を、店頭でつくって販売していました。パキスタンフンザ地域で主食として食べられていたチャパティが、タシュクルガンでは、厚みのあるナンとして店頭で焼きながら売られていました(写真①②)。

別の店先では、焼き上がったナンやパンが山積みにされていました(写真③)。写真④のパンの左側には、細長いナンがありました。

肉入り饅頭も、店頭でつくられていました。薄く小麦粉の皮に肉の入った具を詰めて、四角く包んで焼いていきます(写真⑤⑥⑦)。

肉屋には、解体したものがそのまま並んでいました(写真⑧)。写真⑨は買った肉を担いで帰る男性です。

タシュクルガンでの夕食は、タジキスタン料理でした(写真⑨)。パキスタンでは禁止されていた酒類も、ここタシュクルガンのレストランでは飲むことができます(写真⑩)。レストランの棚には、酒という漢字の書かれた瓶や、タジクの民族衣装を着て踊る女性が描かれた箱が並んでいました(写真⑪)。

朝食はホテルの近くの食堂で、おかゆにザーサイなど、なじみのある中華料理を食べました(写真⑪)。 

街角や野菜を売る店に、粉や米の入った大きな袋が並んでいました(写真⑫⑭)。写真⑫を拡大しました。2歳くらいの男の子の大きさに比べると、袋は20kg入りのようです。


タシュクルガンでは、こうした粉や米を主食として、タジキスタン料理、あるいは中華料理が、この地の食べ物として私たちをもてなしてくれました。

(写真/文 山本質素)

 

 

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