ワタシが京都教育大学のコンパでの「集団強姦?事件」で、大学側を擁護し、容疑者達の冤罪の可能性を指摘したところ、執拗にコメントを入れて下さる方がいます。
どうも現在の社会では、性犯罪で告訴された人の人権は無く、裁判に掛けられる前から社会的に抹殺しなければならないようです。
それも告訴された本人ばかりか、その冤罪の可能性を指摘したりした人や、彼らの人権を守ろうとする関係者も全部抹殺しなければならないようです。
ワタシがうら若い乙女だった1970年代はこれが全く逆でした。 当時は強姦された女性が「ふしだらな女」などと訳のわからない批難をされました。
そして勿論ワタシもこの風潮には非常に不満でした。
そればかりか当時は今に比べれば、女性の就職などもなかなか難しく、要するに女性差別も多かったのです。 ワタシも結婚しないで働きたいと思って、工科大学へ進んだ女ですから、この差別は不満でした。
だから当時の女性解放運動、所謂ウーマン・リブには、全面的に賛成でした。
しかしこの運動は直ぐにヘンテコリンな方向に進み始めました。
女性の性欲を肯定して、貞節を強要するような社会に抗議するぐらいまでならまだ理解できました。
でもブラジャーは女性を抑圧すると言ってノーブラを薦めたり、コンドームは男性主導の避妊だと言って経口避妊薬を薦めたりするようになってはね。
当時トリプルAのバストを誇り、乱交する趣味は無いワタシにはどうでも良い事ですが、いくらなんでもこんな連中をマトモとは思えなくなりました。
しかし運動はドンドン勢いを得るばかりです。 この勢いに乗って従軍慰安婦捏造が大成功します。
それまで売春は一方的に売春婦が悪く、一方客は一切お咎め無しだったのですが、この時代には逆転して客が全部悪い事になりました。
そしてそのまま日本軍が拉致監禁売春強制と、オドロオドロしい罪を着せられたのです。
しかしこれは奇妙な論理でした。 なぜならウーマン・リブは女性の性欲を肯定したのです。 また女性の経済的自立も推奨しました。 だったら性欲を満たしその上経済的自立も可能な職業を選ぶ女性がいても不思議ではありません。
だったらその女性達に望む職場を提供した日本軍は、賞賛されるべきです。
でもこの話になると一転、朝鮮人女性達が中世の女性のように貞操に拘り、「名誉を失った」などと言う発言に同調したのです。
要するに論理性ゼロだったのです。
しかし勢いは止まりません。 これとは別に「セックス・ハラスメント」などと言うものが出て来ました。 なんでも女性をシツコク食事に誘ったり、女性の前でエロ本を見たり、女性をイヤラシイ目で見たりすると、セックス・ハラスメントになるのだそうです。 そしてそれをすると訴訟を起こされたりするようになりました。
これには大変驚きました。 確かにこれらの行為は紳士的ではありませんが、訴訟を起こすような事とは思えませんでした。
また証拠の残しようも無く、客観性の持ちようがありません。
イヤラシイ目で女性を見るななんて事で訴訟になるなら、山崎拓先生や加藤紘一先生や小沢一郎先生や河野洋平先生は、女性店員のいる店で買い物もできませんね。
でもお笑いではなく、アメリカではこの手の問題でホントに何件も訴訟が起きました。
当然の事とて、訴訟はやったやらないの水掛け論の繰り返しをしながら、いつまでいつまでもいつまでも続きます。 男側も負けると天文学的な賠償金をとられて、その上社会的生命を失う事になるで必死なのです。
ワタシはこれは人を陥れる絶好の道具になるんじゃないかと思ったのですが、なぜかそれを危惧する話がマスコミ等で出たのは見ませんでした。
しかし狂態はまだまだ続きました。 今度は従業員のセクシャル・ハラスメントを防止する事を、企業に義務付けろと言い出したのです。 そのためには企業は従業員のロッカーを監視して、エロ本などを持ち込んだりさせないようにしなければならないと言うのです。
これは本当に驚きました。 こんな事を認めれば、企業は従業員の私物まで監視できてしまいます。 ロッカーの中から、企業に都合の悪い内部告発に関係した書類、労働運動関係の書類を見つけたりした時、企業はどうするのでしょうか?
そもそもいくら雇用主と言えども個人の私物を調べる事など許されるのでしょうか?
しかし驚いた事に、労働組合の関係者からも、プライバシーなど個人の権利を擁護する団体などからも、この事にはこれと言った抗議も無かったのです。
女性の自由とか開放とか言っていた団体が、個人の尊厳を言っていた団体が、結局「性」と言う人間の最も根源的な部分を、自由を企業と国家に監視させる社会を望んだのです。
彼女達は個人の理性や自制心によるのではなく、国家権力の監視による性の平等なるものを理想としていたのです。
しかしその監視社会は現実になりました。 そして企業はそれをしないと、本当にトンデモナイ目に合わされました。
三菱自動車のアメリカ工場は、従業員のセクハラ防止が不十分だったとして、天文学的な賠償金の支払いを命じられました。
こんな状態になぜ男性達が、また個人の自由と尊厳を守りたい人々が、なぜ抗議しなかったのか、ワタシにはわかりません。
そしてその暴走は今も続いています。
その一部が今回の「集団強姦?」報道の狂態です。
蒙昧主義へと変貌したフェミニズムには、救いがありません。 それにハマる女性も愚かですが、その愚かな女性に便乗する男性はさらに悲惨です。
「世の中は滑稽と悲惨から成り立っている」と言うトーマス・マンの言葉の通りです。
いったい、いつになったら理性が戻るのでしょうか?
by よもぎねこ
義務