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1971年の9月は暑い日が続いていた
■1971年の9月は暑い日が続いていた■

 この年イングランド代表が来日するという。ラグビーにそれほど関心のなかった私は朝日新聞のスポーツ欄で特集を読んで「へー」と思った。ラインアウト練習の写真入りだった。おぼろげにNZ学生代表の試合を見た記憶はあったが、英国からインターナショナルが来るのは初めてだったので興味を引かれた。またあの年正月に早稲田が社会人(富士鉄釜石)を下して日本一になったシーンも印象に強く残っていた。その2年前の慶應・早稲田引き分けの試合も面白かったが、両校以外のチームにはあまり関心がもてなかった。たまたま欧州に出張していた父がちょうど帰ってきて、帰りの飛行機でイングランド代表と一緒だったという。「丸太のような腕というのかな、すごかったぞ。」と聞かされ、そりゃ大変だ、全日本なんて勝てるのかな、といよいよ関心がたかまった。

 緒戦は全早稲田戦だった。雨の秩父宮のナイター、天気が悪いのでテレビ観戦にした。始まってすぐ、(こりゃ試合にならない)と思う。スクラム組んだらズルズル押され、何をやっても歯が立たないという感じ。思わず「体格の違う者が同じことやっても勝てない・・・」とつぶやいたら、花園組の父が「スクラムは押すしかないんだ」とムキになって言う。ゴロパント(?)でトライを一個とったが他はイングランドのなすがままだった。翌日の朝日新聞朝刊スポーツ欄、早稲田の老OBが「早稲田ラグビー最悪の日」と肩を落とした、と書いてある。勝負になってないじゃないの、相手がどんなに強いかも研究してないのかな、とあきれた。と同時に全日本もとても勝てそうもないな、と思った。

 花園での全日本との第1戦の日はお彼岸で、墓参りに行った。暑い日だった。

 家に帰ってテレビをつけて驚いた。全日本がリードしているではないか!(記憶違いかもしれません、あしからず)こりゃすごいと力を入れて見始めた。するとイングランドが点を入れ、全日本がまた点を入れる。観客席のイギリス人が「イーングランド、イーングランド」と間延びした声をかけている。あの頃花園は芝生なし、向こう正面はイスなし、太陽かんかん照り、砂ぼこりの中で接戦が続く。途中で横井が負傷したりとかあったけど、あまり覚えていない。ただ坂田(?)の左隅のトライシーンは今でもはっきり思い出せる。試合終了近く、全日本が左に展開、イングランドのバックスを振り切って左隅トライ!スロービデオを見ていたら、観客席に学生帽をかぶり、白ワイシャツ、黒ズボンの高校生がいて立ちあがって見ている。そして生垣の上からトライシーンをのぞき込み、その瞬間両手を上げて飛び上がって万歳していた。なんだかその姿が妙に印象的だった。

 19−27でノーサイド。「よし次の試合を見てやろう」とが然燃えてくる。何しろいいかげんなファンだった。早速チケットを求めて秩父宮へ電話した。するとおっさんが電話に出て「もうここにはありません。キョーカイにはあるらしいですよ。」という。何だキョーカイって。「ラグビー協会です。」そこで渋谷のラグビー協会に電話した。すると女の人が「はい、切符まだあります。」というので買いに行く。岸記念館の何階だったか、扉をノックして入った。狭い部屋だった。やる気のなさそうな女の人が出てきて手提げ金庫の中からチケットを出してくれた。500円だったと思う。桜の花の絵が入り、横に線が3本ぐらい入ったチケットだった。

 当日。天気はまあまあだった。私の所属していたクラブ(ラグビーではありません)のシーズン・インの日だったがサボることにする。Levi’sのジーンズにトレーナーという当時の定番だ。秩父宮へ着いたら大変な人だかり。あのへんはボーリング場があるぐらいで大した店もない。すっかり暗くなっているところにテレビの中継車が来ている。女の人などほとんどいない、次から次へと体育会系のおっさんの洪水だ。押し合いへし合いしていたらどうも背中が痛い。振り返るとガクランを着た男がげんこつで私の背中を押している(あの頃はこんなヤツ多かったんだよね)。

 席はバックスタンドだったので左の方へ回る。すると協会関係者がチケットをもぎってくれ、左のスタンドの前のほうの通路を通って反対側に行く。 ゴールラインから少し内側に入った辺りの席だった。前から7、8番目ぐらいだった。木のベンチに腰を下ろし、もらったメンバー表をながめる。何しろいいかげんなファンだから誰が誰か分らない。坂田、小笠原という名前がおぼろげにわかったぐらいだった。

 おっ選手が出て来た。あちこちからひいきの選手を呼ぶオッサンたちの怒号。すると協会の女性がメンバーをアナウンスし始めた。「全日本、左のプロップ原君、近鉄・・・」横井が負傷で出場しない。かわりに島崎が入る。スタンドが「ホー」とどよめく。ふとメーンスタンドを見たら、エンド側のスタンドとの間の切れ目の向こうに黒山の人だかり。その間にもどんどん人が入ってきて止まらない。(すごいことになったなー)と思っていたら、その切れ目から人がグラウンドに走って入って座り始める。スタンドから降りてくる人もいる。「ウォー」とどよめきが大きくなる。これはすごいことになった。いよいよ超満員になってきた。

 前ぶれなくゴッドセーブザクイーンがなり、君が代がなる。はじけるように右側に座っていたヤッケを着た若い男が立ちあがり、私も立ちあがる。選手たちもそのままの位置で聞いている。それが終わると秩父宮妃殿下への選手のご紹介だ。主将らしいのが紹介している。皆威勢よくお辞儀している。

 さーいよいよキックオフだ。全日本は右側だ。観客席いよいよ盛り上がる。オッサンたちの掛け声も頂点に達する。「ピー」始まった。ところが予告なしにイングランドが激しく攻める、攻める。あっという間に私の座っていた全日本のゴールラインぐらいまで攻めてきた。右WTBがボールを抱えて力まかせに突進だ。ロールスロイスがトップギアで走っている感じ。やばい。ゴールラインへ体を預けるように倒れこむ、全日本が3人ぐらいで文字どおりすがりつく。あーっと立ちあがり「あ、やられた」とうなったら隣の人が「やられてないぞ」と憤然とする。(すいません)タッチだ。ラインアウトの全日本なかなか大きい。このボールはとって逃げたと思う。

 ここで立てなおして全日本のディフェンスが良くなってきた。相変わらずイングランドが攻めるが単調だ。全日本のCTBが一線防御でバシバシ止める。そうは言っても自陣の戦い。よく分からないペナルティをとられ、0−3。その後も一進一退、とにかく点が入らない。SH(今里)があのカン高い声で指示をだす。全日本のいいディフェンスにイングランドがだんだんあせり出して来る。最初半信半疑で見ていた私の気持ちだんだん驚嘆に、賛嘆に変わってきた。

 「すごいじゃないか、やるじゃないか。こんなに強いなんて・・・やれ、やってくれ!」体の中をなんともいえない気持ち、なんだか熱いものが駆け巡り始めた。

 おっイングランドが左へ攻めた!すると「バシッ」と突き刺さるような音がして宮田(?)が大男のバックスをヘッドオンで抱え上げた。「ウォー」とどよめくスタンド。なんだか分らないピーという笛。そしたら宮田はついでにそいつを投げ飛ばした。その時だ―。体中の熱いものが言葉を声を求めて飛び出してきた。そうだ、それでいいんだ!日本人のプライドを見せてやれ!おれが見たかったのはこれだ!やっつけろ!「ウォオオオオ!」と全スタンドが叫ぶ。

 そうしたらビッグプレーが出た。全日本が右へ振り、14番(伊藤)に渡った。すると・・・速い速い、振り切って独走だ。全員総立ち、ウォーだかイケーだかイトーだかすごい声援だ。気がつくとベンチの上に立っていた。あーでもだめそう。血相を変えた敵のバッキングアップがいい。FBだけでなくFWもついてくる。結局、あーつかまった。観衆で一杯のタッチへ押し出された。もうアドレナリンレベルは上昇しっぱなし。(ひょっとしたら・・・)と皆思い始める。体に震えが来る感じ。「ピー」そこでハーフタイム。

 われに返った観衆は興奮のるつぼ。ザワザワと不穏な空気。裏のトイレ小屋に並んだ。つばを飛ばして解説するやつがいる。皆「すごい、すごい」。とにかく五カ国対抗のインターナショナルチームだぜ。後半は大丈夫かなあ。いや行けるさ。ピーと笛が鳴って後半だ。一進一退は相変わらずだが、全日本の方が押し気味だ。そして決定的なチャンスが生まれた。イングランド陣25ヤードラインのあたり、ラックから全日本に球が出て、CTBがすごいスピードで切れ込んだ、そうしたら「あ」という間もなく転んでしまった。数秒ぐらいして事態が分り(惜っしいなー)。でもまだチャンスがある。もう興奮はピークになっている。殺気だっている。声を出すと裏返ってしまう。そのうちなんだかよく分からないペナルティをまたとられ、0−6だ。なんだこの外人レフェリー。しかしめげない全日本。またチャンスだ。連続攻撃でイングランドゴールに迫る。左へ(?)展開、カンペイ決まった、万谷、宮田、そこがゴールだ!行け!イングランドのバックスが(しまった!)と言う顔で必死に迫る―。

 すると、「ピー」スローフォワード・・・な訳ないだろ。レフェリー後ろから見てたじゃないか。「オーオーオー」とスタンドがどよめく。怒りの声が沸き起こる。そのとき「殺せ!」という一言が後ろから。振り返ると、なんと金網に人が何人もよじ登っている。そのうちの若い男だった。皆ふと我に帰って「殺しちゃまずいよねー」と笑い出した。

 まだ試合は終わってないんだ。自然発生的にシャンシャンシャンと337の手拍子が始まった。大観衆の337拍子だ。

 するとまた「ピー!。」おっ今度はイングランドの反則だ。左45度の30ヤードぐらいだったか、体格のいい山口(良治)がキッカーだ。メーンスタンドの光に照らされ、こちらからは逆光だったが慎重にボールをプレースするシルエット。ポールをじっとにらむ顔、数歩下がって息を整えている。全秩父宮が息をひそめて見守る。助走開始、「ポン」と蹴った。ヘッドアップしない、いいキックだ。ボールがグーンとのびて成功!!とったぞ点を!3−6。

 これなら行けるか、いや行ける。でももう時間もなくなってきた。とにかくこんな試合が見られるなんて奇跡じゃないか。イングランドだぞ。もういいじゃないか、いや勝ってほしい。そんな思いの交差する中、「ピ、ピー」ノーサイド。その瞬間、イングランドの選手が両手を空に突き上げて胸をなでおろす。対照的に全日本の選手の顔は光輝いていた。大観衆の拍手がなりやまない。両選手がジャージを交換、中央に集まって「蛍の光」を歌う。すると観衆は取り巻くようにグラウンドに入って来る。あわてて「グランドに入らないで下さい」というアナウンスがあるが皆無視。学生服のラグビー部員が出てきて止めようとするが、多勢に無勢。おっ、選手をつかまえて胴上げが始まった。「ワーッショイ、ワーッショイ」全日本もイングランドも区別なく全員胴上げだ。宮田が、小笠原が、宙に舞う。皆うれしそうだ。胴上げはいつまでも終わらない。すると協会のオッサンが「選手は疲れておりますのでそろそろ解放してやって下さい。本日は有難うございました。」とアナウンス。思わず笑ってしまった。

 それほど興奮させる80分間だった。

 家路につく観客たちの満足そうな顔を今でも思い出す。

  (なお、記憶で書きましたので伊藤の独走がいつだったか、イングランドの得点がいつ入ったか、スローフォワードと全日本の得点といった前後関係は正確でありません。おゆるしを。)

注=「同志社ラグビー応援ページ」に昨年書いた文章をもとに加筆(2001年2月6日)= 著者.YF



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