JAXAトップページへ
 JAXAトップページへ 宇宙ステーション・きぼう広報・情報センター サイトマップ
 

宇宙ステーションキッズ

国際宇宙ステーション
宇宙ってどんなとこ
宇宙での生活
有人宇宙活動の歴史
日本人宇宙飛行士
みんなのまわりにも宇宙の技術
ロケット大図鑑
実験工作室
クイズ
用語辞典
宇宙の輪
よくある質問

「きぼう」ツアー

若田光一 宇宙飛行士

始まりは模型(もけい)飛行機

若田宇宙飛行士は、1963年、埼玉県大宮市で生まれました。子供のころは、早起きしてクワガタやカブト虫をとったり、夕方暗くなるまでザリガニをつったりしていました。小学生になると、リトルリーグのチームで野球をしたり、模型飛行機を作って飛ばしたりして楽しんでいました。このころから飛行機に興味をもった若田少年は、航空機のエンジニアになるという夢をもち始めます。

人類に貢献(こうけん)したい

若田宇宙飛行士は、大学と大学院で航空工学を勉強し、夢がかなって、航空会社で航空機のエンジニアの仕事をするようになります。1992年4月に、宇宙開発事業団(現在は宇宙航空研究開発機構)が宇宙飛行士を募集(ぼしゅう)しているのを知り、人類に貢献できる仕事である宇宙飛行士に挑戦(ちょうせん)したいとの気持ちから応募(おうぼ)して、 みごと選ばれたのです。

宇宙飛行士になってから

若田宇宙飛行士は、1996年1月にスペースシャトル「エンデバー号」に乗りこみ、 日本の人工衛星をスペースシャトルのロボットアームでつかまえるという、むずかしい作業を行いました。 また、2000年10月には、日本人宇宙飛行士として初めて国際宇宙ステーション組み立てに参加し、得意のロボットアーム操作(そうさ)で構成要素を取り付けました。
ロボットアームの操縦席にいる若田宇宙飛行士
ロボットアームの操縦(そうじゅう)席にいる若田宇宙飛行士

若田光一 (わかたこういち)
生まれた年 1963年
出身地 埼玉県大宮市
趣味(しゅみ) 飛行機操縦(そうじゅう)、ハンググライダー、野球、テニス、スキー

毛利衛さん 向井千秋さん 土井隆雄さん 若田光一さん 野口聡一さん 古川聡さん 星出彰彦さん 山崎直子さん
毛利衛 向井千秋 土井隆雄 若田光一 野口聡一 古川聡 星出彰彦 山崎直子
   
JAXAトップページへサイトポリシー