最近、妙に気になっている声優・戸松遥さんについて私見を述べたいと
思います。誰のためでもない作業、私の心の安寧を得るためだけの作業
です。
何か、まとめておかないと趣味のチェロの練習に身が入らないから困る
のです。まぁ、ただのファンの妄言なんですけどね(笑)。
結論から言えば「戸松遥さんはとんでもない才能がある。そして、ファン
も世間もその事をまだ理解していないのではないか」という事を一次資料
と論理的推論により矛盾のない仮説として構築することにあります。
この事は、戸松遥さんの演技の本質についての考察と置き換えることも
可能だと思います。
一次資料とは、本人の発言やインタビュー記事、本人と会話した人の証言
までを含むものとします。ネットなどで参照不可能になっているものも
ありますが、出所はなるべく明示したいと思います。
時々、ファンとしての個人的な感想が混入しますが、それはご愛嬌と言う
ことで。(2009/1/1)
○戸松遥さん、再認識までの過程について。
実質デビューは「神曲奏界ポリフォニカ」(2007/4-6)で、いきなりヒロイン
の大役でした。17歳の女子高校生が、ヒロインという事で、ネット上で話題
になりました。
TBSの深夜アニメでした。印象としては「若いわりには上手いな」という
感じでした。年上のお姉さん声優(川澄綾子、水樹奈々、佐藤利奈)に伍し
て、違和感のない演技でした。
ただ、このアニメは作画が酷く、その印象の方が強かったのです。
その後も、2007年は順調に作品に出演し続けました。「レ・ミゼラブル
少女コゼット」以外は視聴した記憶がありますが「もえたん」が印象に
残った程度です。ナチュラルに幼女声を出していて「演技力あるなぁ」とは
思いましたが、あまりに自然な演技は逆に、心に引っかかるものが
なかったのです。アニメ自体も、趣味ではありませんでした。
2008年にはアニメ10作品(ヒロイン3作品)、実写ドラマ2本に出演するという
躍進振りでした。デビュー2年目で、と言うか普通でも考えられない数ですね。
さらに、CD3ヵ月連続リリース。4月に上京して大学生なった18歳に仕事
させすぎだろ事務所、と言いたくなります。Webラジオやイベント出演も
ありますしね。
驚いた事には、戸松遥さんがこういう仕事を楽々とこなしているように
見えることです。
公式プロフィールの今年の目標に「学業と仕事をきちんと両立すること」と
あります。ブログにも、学生生活を楽しんでいる記述が散見されます。
部活までやっているそうです。さすがに「おしゃべりするだけ」との事です。
しかし、この余裕はどこからくるのでしょうか。一番驚いたのは(よく驚く
奴だ)大学のレポート関係で、一日に3か所の美術館巡りをしたとの記述。
(2008/6)
えー、私も美術館には良く行きますが、あれは意外に体力と精神力を消耗
します。作者が精魂込めた作品と向き合うと、やはり緊張して集中せざる
を得ません。良い作品とはそういうものです。その結果、美術館1か所で
くたくたになります。
ブログ全体から浮かびあがるのは、学業、仕事に真摯に向き合い、そして
時々自炊までしている、真面目で、かつバイタリティあふれる姿です。
応援したくなる、と言うものですよ。
ところで、戸松遥さんのバイタリティには、何か既視感があります。
私が過去に出会った、とてもかなわない、レベルが違うと思った人達です。
ある分野で、普通の人の2〜3倍の仕事をこなして、全く疲れを見せない
どころか楽しそうにさえ見える人達。そのエネルギッシュさを見ていると、
常人とは持っている基準エネルギーが格段に高いという印象です。
戸松遥さんは、そういう種類の人間だとしか思えないのです。
ところで、公式サイトトップページの写真が可愛くて困ります。
公式プロフィールページの写真も、ちょっとセクシーで可愛くて困ります。
中々、本題に入れませんが演技論とも無関係ではないので、ご容赦
下さい。ところで、2008年に多数の作品に出演していることについて、
ネット上で根拠のない非難があるので、一言触れないわけにはいかない
でしょう。ネット上での言説には脊髄反射的なものが多いとは感じます。
特に匿名掲示板。他山の石としなければと思います。
ちょっと変わった現象があると、理由付けしたがるのですが、知能指数
が低すぎます。
今回のお題は「事務所のゴリ押し」説。
私のような社会人から見ると、こういう事言う人は、まずまともに働いた
経験がないな。
「ゴリ押し」とは「うちの声優使わないと、御社に被害がでますよ」と
いう言葉が実効力を持たないと成立しません。
さて、メーカーが取引先に「うちの製品使わないと、御社に被害がでます
よ」と言ったら通るでしょうか。絶対無理です、下手したら取引停止です。
簡単な理屈です。
戸松遥さんの所属事務所ミュージックレインは、所属声優が若手4人だけ
です。「ゴリ押し」するなんて不可能です。「ゴリ押し」出来るという
人は方法を教えて下さい。私の仕事にも利用したいので、是非。
親会社ソニー・ミュージックエンタテインメントの威光が違う意味で
あった可能性はあるかも知れません。所属声優が全員「ミュージック
レイン スーパー声優オーディション」の合格者なのです。能力は保証
されていて、新人なのでギャラが安い。ここに目を付けた、頭のいい
会社、例えばポニーキャニオンあたりが動いたのはあり得る話でした。
これは「ゴリ押し」とは言いません。
だけど、2008年の戸松遥さんの突出ぶりは説明できません。他の3人も
普通に活躍してます。
考えられるのは、オーディションたくさん受けたら、受かってしまった
と言うことです。何故、受かったのか、コストパフォーマンスが抜群
だったから。ギャラに比べて演技力が抜群に高いから。
製作会社も企業ですから、コストパフォーマンスは重要です。
普通の結論ですが、これが中々出来ないものなのです。「ゴリ押し」説
の人は「ユダヤ陰謀史観」信じてるよ、絶対。誰か相関関係調べて下さい。
ある製作プロデューサーは、Webラジオで戸松遥さんの突出ぶりを
「偶然です」と言っていました。そう考えるのが普通でしょう、普通の
知性があればね。
ところで、ソニー製品の充電池って何ですぐヘタるのかなぁ。えらい迷惑
なんですけど。三洋に技術教えてもらって下さい「技術のソニー」さん!!
やっと本題に入れます。準備完了です。
再認識したのは、アニメ「かんなぎ」のヒロインであるナギをを演じ始めた
頃。幅広い演技力を実感したのですが、何となくモヤモヤした感じがする
のです。ヒロインとしての演技として、申し分ないし、むしろハマリすぎ
の感があるのにです。
「かんなぎ」は原作コミックをアニメ化した作品ですが、ナギは神様が
人間の形に顕現したという設定。
時々、上位人格なる別人格の神様も出てきて、普通のヒロインに比べて
陰影が深いと言うか、振幅の大きい役柄です。
これが、戸松遥さんの演技力にピッタリだったのは確かです。
でも、何か違和感でも不満でない、心がザワザワする奇妙な感覚が残る
のです。戸松遥さんが、気になる存在となっていました。
戸松遥さんとは何者なのか?
ブログは読んでいましたが、生の発言を調査しなければ、と強く思い
ました。
戸松遥さんが出演していた、Webラジオの「絶対可憐放送局」
「かんなぎらじお」も最初は、ぼんやり聴いていました。Webラジオは
大雑把な台本はありますが、フリートークしなければならない場面も多く、
結構、人間性が出てしまいます。再視聴開始。
戸松遥さん、実によく笑います。ムフフフと言う笑い声が異常に可愛い
です。地声が意外に低いなという印象。最初、白石涼子と区別がつかない
時がありました。白石涼子の声より艶がありますが。
「絶対可憐放送局」では、大先輩がいるせいか、まぁ普通です。
「かんなぎらじお」では年齢の近い、花澤香菜を相方に得て、本領発揮
です。とにかく、テンション高いです。ガールズトークと言うか、お友達
トーク全開です。
花澤香菜の話や、メールに手を叩いて喜び「マジ」「ヤバイ」とか使うし、
やたら小芝居入れるわ(これが妙に面白い)はしゃぎまくりです。
でも、不思議と下品にはならないし、頭の回転が速いし、馬鹿ではない。
普通の人は他人の発言に対して、言葉が一つか二つ
浮かんで選択するので、あまり変な事にはならない。戸松遥さんの場合、
言葉が十個ぐらい浮かぶので、選択を間違えることが多い、と言う印象。
とにかく、出てくる言葉が面白くて、ボケのはずの花澤香菜に、常に
ツッコミ入れられています。
チャレンジ精神旺盛で、牛乳納豆茶漬けに挑戦し「おいしい」、
ジンギスカンキャラメルも「うん、わたしね、好き」。
花澤香菜「それ、味音痴だよ、絶対」。まるでナギ様そのものです。
正確に言うと、味覚の許容範囲が人より広いという感じ。おいしい物を
マズイと言っているのではない点に注目です。戸松遥さんには、この
「範囲の広さ」という感覚が常に付きまといます。
花澤香菜がムッとしかけたり、意味がわからなくてキョトンしたり、
話が下品になりかけた時など、回避の仕方が上手です。頭いいな、
と思いました。
何だか、花澤香菜の10倍ぐらいエネルギー使っている感じです。
戸松遥さんの印象は「パワフルすぎる天真爛漫」かな。
不思議な面白さがあります。
そして、アニメと並行していたCD3ヵ月連続リリース。
2008/9から始まりました。
まずは「naissance」。これは生い立ちが不幸でしたね。2008/7-9に放送
された実写ドラマ「ここはグリーンウッド」のED曲。ご本人も出演されて
いましたが、本筋にからまない脇役で、コメディタッチの演技。元々この
ドラマが女性向けなので、戸松遥さんのファン層とは全く別。従って、
認知度ももう一歩でした。曲自体は、戸松遥さんの中低音の切ない歌い方
が新しい魅力となっている良い曲です。声優さんの歌手デビュー曲として
は異例なやり方なので、事務所の戦略に、少し疑問が残りました。
次に「motto☆派手にね!」。「かんなぎ」のOP曲。アニメ人気と連動した
形で、ヒット。オリコン初回10位の好成績。こっちをデビュー曲にしてあげ
たかった。曲は、1980年代を意識したアップテンポのアイドル風な曲。
良い曲だとは思いましたが、他の人でも歌えそうな曲だな、と言う印象。
まだ、戸松遥さんの能力を過小評価していました。
どれだけ、鈍感なんだよ、自分。
最後に「産巣日(むすひ)の時」。「かんなぎ」のED曲。「motto☆派手に
ね!」ヒットの余韻覚めやらぬ中、そっと差し出すように発売された曲。
祝詞風な出だしから始まる和風バラード。OP曲と180度異なる、静謐感
あふれる名曲。同じ人が歌ってるとは絶対思えません。
「naissance」と「motto☆派手にね!」のテレビCMは軽くスルー
してました。
元々、声優さんのCD買ったことありませんしね。それが、「産巣日の時」
のテレビCMを見て軽いショックを受けました。この母性的な表情は誰?
、この神々しいお姿は誰?、演出・演技だとしても、まるで「別人」です。
つい、衝動買いしてしまいました。もちろん、DVD付きの方です。
えー、「別人」に反応した人、ちょっと待ってくださいね。笑わないで
下さい。「別人」は実は、戸松遥さんの演技の本質に迫る問題なのです。
この事を指摘したのは、私が日本で初めてです。つまり、世界でも初めて
です(笑)。この問題については、後で書きます。
○衝撃のインタビュー記事。
「産巣日の時」のDVDを鑑賞しつつ、すっかり癒されていました。
前2作のDVDとのあまりの違いに、戸惑いながら「戸松遥、すごいなぁ」
とボンヤリ考えていたのですが、何だかモヤモヤ感が残ります。
このころには、戸松遥さんの演技に関する問題意識が渦巻いていた
のです。そして、覚醒の時がやって来ました(大げさな)。
ある日、ネットで戸松遥さんのインタビュー記事を発見しました。
アニメイトTVの2008/10/29付けの記事です。
「かんなぎ」、「motto☆派手にね!」、「産巣日の時」に関するものです。
読んでいくうちに、ある部分で鳥肌が立ちました。戸松遥さんの演技の
本質が「わかった」と言う感じがしたのです。なんだか、モヤモヤした
ものが急速に一点に収束する感覚とでも言うのでしょうか。もちろん、
これが正しいとか証明不可能なものですが、自分の中で一つの確信に
到達できた意味が大きいのです。何か知的興奮を得た喜び、滅多に得る
ことのできない喜びです。
もちろん、素材である戸松遥さんが素晴らしいからです。
さて、イタビュー記事ですが「かんなぎ」部分は楽しく読みました。
「motto☆派手にね!」から俄然面白くなってきました。特に「キャラソン
まで行かない程度のギリギリのところでニュアンスを入れてほしい、
というディレクションがあった」と言う部分です。中々、難しい要求だと
思いますが、それに完璧に対応していることに思い至り驚きました。
まさに「キャラソンに最も近い私名義の歌」なのです。
TV版だと、ナギのキャラソンでもギリギリ通るのですが、フルバージョン
版の後半が実に素晴らしい。
『午後の教室・・・』から、ややハスキーな戸松節(今、命名)からナギの
キャラソンに切れ目なく、上昇していく部分は圧巻です。
本当に、シビれちゃう・・・です。
DVDについて。「休日に両親が出かけて、一人でお留守番している私を
描いています」ああ、そういう事ですか。
誰かがブログで「何だか見てはいけないものを見た感じ」とあって、
激しく同意したのを思い出しました。納得です。人の私生活を覗き見する
ような微妙な後味があります。まあ、見られることを意識した作りなので
深く考えることはないのかも知れません。
でも、何かね。Shy boyですからね(誰がboyだよ)。
問題の「産巣日の時」部分です。指示が「本当に神様になったつもりで
歌ってほしい」、「ナギが神様モードの時のような感じで戸松遥として
歌ってほしい」とか本当に過酷なもので「3枚の中で一番苦労した曲
でした」って、そりゃそうだろう。
しかし、この鬼のような要求が、戸松遥さんの潜在能力を引き出すとは。
わからないものです。
「どうやって歌ったらいいのか、わからなくて」本当に同情します。
「いろいろ試しても18歳の歌にしか聴こえないし……」18歳ですから。
「そのうち自分が感情を入れることばかりれることばかり考えていたこと
に気付いて」「どういう歌い回しをしたら神様っぽくなるんだろう、と
ばかり考えていたんですけど、神様は何を考えているか、わからない壮大
な存在なのでむしろ感情を出したらいけないんじゃないかと」このあたり
から、鳥肌が立ってきました。。
「「何を考えているか、わからないけど、すごく強い何かを感じる」、
そんな雰囲気を歌の中で出せればと、今度は感情を抜くことに徹しました」
このあたりの、状況を突破する感覚に凄味すら感じます。
「今までやってきた作業と真逆だったので大変でしたが、それをした途端
に神様に近づいたというか」それが出来る、あなたが素晴らしいのです。
「別人になっちゃいましたね(笑)」これは、最初の引用文の次の言葉
でしたが、結論なのでここに置くと分かり易いです。
Webだよ。に戸松遥『産巣日(むすひ)の時』発売イベント戸松遥@
とらのあな11/30のイベントレポートがあり、戸松遥さんのトークが紹介
されています。
撮影は、富士山樹海で1日かけて、実質数時間だったとの事です。
山本寛監督が、上記の無理難題を言って困った話など(ちょっと違うけど)
簡潔に述べています。
一点、重要なポイントは「最終的に神様って凄く大きい存在というか器
の広い存在だから、感情を抜いてちょっと冷たささえも感じるような風に
歌って欲しいということを言われました」と言う部分です。
「感情を抜く」が監督の指示だという点です。
一見、アニメイトTVでのイタビュー記事と矛盾しますが、そうではない
のです。「感情を抜く」事を発想して、当然それを監督に伝えたと思い
ます。そのフィードバックとしての指示だと考えるのが、筋が通ってます。
最初の指示は「神様っぽく歌って欲しい」であって「感情を抜く」云々は
全くないからです。
戸松遥さんの「感情を抜く」発想の素晴らしさを、ヤマカンも認めたと
いう事です。
○戸松遥さんの演技について考える。
私が到達した確信は「戸松遥さんの演技は、他の人とは質が全く違う」
という事です。
「何だ、それだけ?」と言われそうですが、基本的にはそうです。
この事を、もう少し掘り下げて考察すると一番最初の仮説に到達する
のです。
声優さんの演技に、感心することはあります。セリフのスピードを微妙
に変化させたりキャラの2役を瞬時に切り替える、本人が楽しんでいる
ような腹黒演技などです。
でも、これらはあくまで「役柄を演じている」中での技術的な部分です。
通常部分から、それらの微妙にズラした部分、突起を我々のセンサーは
一種の異物として「上手い」と感じるのではないでしょうか。例えば、
沢城みゆきさんを例に考えてみます。
誰もが認める演技派で、少女から少年・青年・大人の女性・架空の
小動物までやれない役はない、しかもその心理までも表現していると
感じられます。しかし、それは逆に役柄を一歩引いた視点で、客観的に
見ている感じなのです。役柄を理解した上で、1ミリほどずらせて、
役柄を浮かび上がらせるという感覚です。普通では出来ない演技です。
「かんなぎ」でも戸松遥さんと共演していて、報われない幼なじみ、
というオイシイ役です。下手すれば、同情を一身に集めて、全て持って
行っちゃう役柄です。
しかし、ナギにおける戸松遥さんの演技は、それを許さないレベルで
堂々とヒロインの座に君臨しています。
では「役柄を演じる」事では、ナンバーワンの沢城みゆきさんに負けな
い、あるいは上回る演技を可能にしているものは何か、という問題です。
戸松遥さんの演技は「役柄になり切る」ことによって成立していると考え
ます。「役柄になり切る」事で、キャラの言動は全て自然なものとして
受け入れられます。
何しろ、全てはキャラ自身の論理・感情から出てくるものになっている
からです。だったら、声優さんは「役柄になり切る」事にすればいいじゃ
ないか?と言う疑問が出てきます。もちろん、それが理想です。
しかし、普通そんな事は論理的に不可能なのです。
アニメのキャラはエキセントリックな者が多い。もちろん、架空世界の
物語なのでメリハリを付けて、視聴者の印象に残らなければならない
からです。一見、普通の人間に見えても感情の振幅・精神の振幅は、
非常識なものがあります。
さて「役柄になり切る」事とは、キャラを演技者自身に取り込む作業
でもあります。ところが、普通の人の精神の振幅は、キャラの精神の
振幅より小さい。当然です。相手は架空世界の住人で何の制約もない
からです。
だから、普通は「キャラを演者自身に取り込めない」→「役柄になり
切るのは不可能」で無意識のうちに「役柄を演じる」方向に進むのです。
別にこれが悪いと言っているのではなく、ごく普通なのです。
「役柄になり切る」戸松遥さんが非凡なだけです。
それでは、戸松遥さんは本当に「役柄になり切る」事をしているのか
と言う問題です。その事を、複数の状況証拠から考えていきましょう。
お待たせしました。「別人」問題です。これが戸松遥さんの演技の本質
に迫る問題なのです、とは以前書いた通りです。戸松遥さんは写真映り
の変化が激しくて、別人に見えると言うものです。
ファンの間では、ほとんど常識のようです。
2008/12に戸松遥さんの
公式サイトのリニューアルがありました。公式プロフのチャームポイント
:「写真や映像によって顔が変わるところ」。本人公認ですか。
以前は「笑顔」とか無難なものだったと記憶しています。
とりあえず「顔が変わるところ」はチャームポイントかよ?!とツッコミ
を入れておきましょう。ネットでは「自虐ネタ」とか「渾身のギャグ」
とか、えらい言われようです。
でも、問題はそこではありません。なぜ「顔が変わる」のかが問題なの
です。そこまで、踏み込まないと物事の本質には迫れないと思います。
人間は精神状態の変化が、多かれ少なかれ表情に出ます。これは、誰も
が経験していることです。比喩的に普通の人の精神状態の幅が10あると
しましょう。最大の悲しみが1、最大の歓喜を10とすれば、普通は4〜6
あたりを動いているのでしょう。
戸松遥さんの精神状態の幅は100ぐらいあるのでないかと思います。
普通の人の感情変化が10%としても1です。戸松遥さんは10ある事になり
ます。日常でこれくらいの変化があれば、頻繁に「顔が変わるところ」
も納得できます。納得できない? では、証拠を。
「産巣日の時」のDVDです。虎の穴イベントレポート11/30によれば、
この撮影は、富士山樹海で1日かけて、実質数時間だったとの事です。
せいぜい7〜8時間でしょう。
メイクや髪型も大きくは変えられないという事です。同一条件での表情
がわかります。
また、以前書いたように「神様になる」ため、ものすごい苦労・努力を
した曲です。
この事を、前提にチェックすると本当に驚きます。再生スタート。
いきなり、ちょっと冷たい表情の美人登場。誰ですか。一人目。
「天つ神 国つ神〜」少しやわらかい感じにはなるが、まだ一人目です。
「直き真心持ちて〜」別アングルのアップ。表情硬い巫女さん風、激変。
二人目。
「愛し愛し我が子よ〜」最初のアングル。母性的な表情の女神。三人目。
一番好き。アングル的に、一人目から三人目へは表情が変化したと、
わかるけど、精神状態の変化そのものという感じが、良く出ていると
思います。それを、自覚的に行っているのです。
「健やかなる〜」別アングル。綺麗なお姉さん。四人目。
「和ぎ給え〜」最初のアングルのアップ。にこやかな綺麗なお姉さん。
五人目。
間奏後半の人は、うつむき加減の時とか、別人ぽいがアングルが真横
近いので保留にしておきます。
「稲穂の海〜」上からのアングル。丸顔の目立つ笑顔のお姉さん。
六人目。
後は、上記のパターンの繰り返し。かなり表情の分かる場合だけに
しました。メニューにもどると、七人目が。
どこかの公園で別の日に撮影した静止画。やや不機嫌です。
アングルとか、髪の顔へのかかり具合とか、目線とか、笑顔とかある
だろうけど、二人目の人、変わりすぎ。
これだけの変化を見せ付けられると「精神状態の幅の大きさ」と考え
ざるを得ません。しかも、今回のはミュージッククリップ撮影という
条件の中、意識的に精神状態を、歌詞に合わせて変えているのは明白
です。それが、表情に出ているのです。
さすがに、普段はここまで意識していないというか、無意識なんだろう
と思います。さらに、戸松遥さんの「精神状態の幅の大きさ」に関わる
、証拠を集めたいと思います。
状況証拠だとしても、いくつか集めると意外に強力な説得力を持つかも
知れません。
「かんなぎ」が戸松遥さんの代表作(の一つ)であることは間違いありま
せん。ヒロイン役かつ、タイプの違うOPとEDを歌った例なんて記憶
にありません。
なので、Webラジオ「かんなぎらじお」を再調査してみます。
2008/6スタートです。月一回しか更新がないのが不満ですが、戸松遥
さんと花澤香菜さんのお友達トーク炸裂で時々、興味深い話があります。
戸松遥さんほとんど素のままで、テンション高いです。
「精神状態の幅の大きさ」というか、平均値、上限値の高さを感じる
ことができると思います。
「かんなぎらじお」第2回目 7月9日(水) 配信
パーソナリティー:戸松遥さん(ナギ役)、花澤香菜さん(ざんげちゃん役)
身近にいる神様をさがすというコーナーの中で、
戸松遥「ちなみに、花澤香菜ちゃんの周りに神様っています?」
花澤香菜「おお、戸松だね!」(即答)
戸松遥「おお、わ、わらわ か?」
・
・
花澤香菜「彼女の中にはドラゴンがいる」「すごいよ、とまっちゃん」
戸松遥さんの中にある、何か得たいの知れないエネルギーについて、
感覚的に表現したという感じがします。やっぱり近くにいる人は何かを
感じるのでしょう。
以前書いた「常人とは持っている基準エネルギーが格段に高い人」と
似ていませんか。この後、
戸松遥「あたしがドラゴンならねぇ、あの、香菜ちゃんは、もう雲だよ」
と意味不明なリアクション。さらに、花澤香菜が「雲」を「蜘蛛」と
取り違えたまま、なぜか会話がスムースに進みます。本当に友達
なのか? 笑えます。
「かんなぎらじお」第3回目 8月13日(水) 配信
パーソナリティー:戸松遥さん(ナギ役)、花澤香菜さん(ざんげちゃん役)
戸松遥さん、さらにテンション高い。暴走気味。マネージャーに怒られた
そうです。
戸松遥「あたしね、寝言がほんとにひどくて」「小学生の高学年ぐらいから
、始まったんだけど」「言う寝言が、必ず怒り爆発してる寝言なんですね」
「何がそんなに気に入らないんだ、って言うくらい切れてるの」
「すごい叫んでるんですよ、とにかく!」と興奮気味です。
戸松遥さんの中のドラゴンが、夜中に暴れているに違いない。
花澤香菜の「ざんげ1回100円です」と言う言い方について。
花澤香菜「顔合わせの時にね、ざんげちゃん、もっと媚びて下さいって
言われたからね」
顔合わせの時、という事は「かんなぎ」のアフレコスタジオでの指示だと
思われます。表面的な、演技指導であることに注目しておいて下さい。
「かんなぎらじお」第5回目 10月24日(金) 配信
パーソナリティー:戸松遥さん(ナギ役)、花澤香菜さん(ざんげちゃん役)
「かんなぎ」の裏話が聴けます。皆で、原作者と食事した時の雑談から。
花澤香菜「ざんげちゃん、カッコいいすよね、みたいなキャラの話するよね」
戸松遥「あたしね、何でナギが産まれたんですか、とか登場人物の誕生
秘話とか色々聞いたよ」
花澤香菜の表面的な会話と、戸松遥さんの核心を突く質問が、印象的
です。
花澤香菜「戸松、独り言多いよね」
戸松遥「多いよねー」
花澤香菜「オーディションで会った時に、何かトイレの前にタッタッタと来て
『あ、トイレここか!』って言ってる子がいて、それが戸松だった」
「ああー、戸松かって思った」
寝言の話といい、何か内なる物が外に出たがっているような感じです。
神社の話になって、戸松遥さんが夜の広い神社に一人で入った話。
戸松遥「一人だけで探検して、全然知らない神社に行ったことがある
んだけど」
花澤香菜「探検したんだ」
戸松遥「大きい神社が、いきなり出てきて、道を歩いていたら。夜9時
ぐらいにそこに入った」
花澤香菜「こえー!、すごいね、戸松」
戸松遥「そういう世界に入りたかったの」
「産巣日の時」で悩んでいた時期だと思われます。どんだけ、仕事に
打ち込むんだ。
「かんなぎらじお」第7回目 12月30日(火) 配信
パーソナリティー:戸松遥さん(ナギ役)、花澤香菜さん(ざんげちゃん役)
放送早い地域で「かんなぎ」が終了した話。最終話の裏話が、すごいこと
になってます。
戸松遥「あたしが、すごい役作りに没頭していて、周りに迷惑おかけした
のは覚えている」
花澤香菜「戸松が全然しゃべらないって」「あいつ、しゃべんなくなった
ぞみたいなね」「でも、まぁ集中してるんだろうなって思って」
戸松遥「一日中集中しないと、死んでしまうと思って」えっ??、意味が
分からない。
「朝からずっと没頭していて、山場のシーンを超えるまで、自分の殻の中
に入っていた」
花澤香菜「またさぁ、監督がさぁ、戸松にプレッシャーかけに来るじゃん、
いちいち」
戸松遥「あれねー!、もう毎週自分との戦いだったよ、私は!」
花澤香菜「追い込んでやるとか言ってさ(笑)」
・
・
戸松遥「あれも、愛情だからね、監督なりのね。すごく楽しかったですが」
ヤマカンは「産巣日の時」で味をしめたようです。無理難題を要求すれば
、戸松遥さんがそれに応える演技をするだろうことを、分かっていますね
。最終回のナギは、自分の存在意味を見失い極限にまで落ち込んだ状態
です。戸松遥さんは、その精神状態を取り込むことに集中していたよう
です。やはり「役柄になり切る」努力なのだと思います。
それにしても、戸松遥さんの言葉は何気にすごいなぁ。
「一日中集中したら、死んでしまう」の間違いではないのか。どういう発想
なんだろう。
ナギと戸松遥さん自身の切り替えの回数が多いのは、負担が多くなる、
からと考えると合点がいきます。だから、最初からずっとナギのままでいる
方が良いのだと。そのための集中なんだ。
そう考えると、これは「役柄になり切る」事の直接証拠そのものではない
のか!! 戸松遥、恐ろしい子!
最後の言葉が「大変だった」ではなく「すごく楽しかった」も、この人の
前向きな明るさを感じます。
ほんと、どこまで前向きなんだろう。スタッフに愛されるのも当然です。
ちょっと、補足。
前に、花澤香菜が「ざんげちゃん、もっと媚びて下さい」って指示された話
をしました。
COMIC REX 12月号に「かんなぎ」第3話のアフレコレポートがあります。
戸松遥さんに「そこのセリフ ナギっぽくないので もう一度」との指示が
ありました。
この二つを比べると、歴然しとています。前者はあくまで、セリフ回しで
あり役の本質に関するものではありません。
「ナギっぽくない」もちろん、セリフの言い方という表面的な物という
可能性はあります。
しかし、ヤマカンの戸松遥さんの演技への理解度を考えれば、これは
「ナギになり切っていない」事への注意と考えた方が、合理的だと思い
ます。ここまで、読んで頂いた方には、納得してもらえると思います。
○戸松遥さんの演技について考える。(補足)
私は、戸松遥さんの演技について考えてきましたが、初めに結論ありき、
ではありません。
最初から「役柄になり切る」演技をしていたと考えるのは、無理があると
思います。デビュー作品などは「役柄を演じる」のが精一杯だったと考えた
方が妥当でしょう。ほとんど、右も左もわからない新人です。
他に気を遣うことが、多くあるでしょうし。
ただ、言いたいのは「役柄になり切る」素質を、潜在的には持っていた
という事実なのです。
「役柄になり切る」と「役柄を演じる」は同時に一人の演技者での発現は、
あり得ませんが、混在は可能だと思っています。と言うか否定できる根拠
が見つかりません。つまり「役柄を演じる」うちに、演じている役によって
は「役柄になり切る」のも可能だと思いますし、そのような例もあるだろう
とは、予想できます。
あるいは、逆に「役柄になり切る」でスタートしても、途中から「役柄を
演じる」になるのもあるでしょう。
一人の声優さんの中で、キャラクターによって使い分けしている場合もある
かも知れません。要は「役柄になり切る」と「役柄を演じる」は混在可能で
あるが、、アニメの特徴を考えると、ほとんどは「役柄を演じる」方向に
行かざるを得ないという事なのです。
戸松遥さんの演技は、今まで述べてきたように「産巣日の時」「かんなぎ」
を経験して、完全に「役柄になり切る」タイプになったと思います。
それ以前の作品については、一次資料が不足していて、考察できません。
どこまで「役柄になり切る」タイプだったのか、興味はありますが、演技
の本質が「役柄になり切る」タイプなので、どこかでそれが見えていたの
は確実だと思います。
オーディションでは「役柄になり切る」努力をしたんでしょうね、全力で。
それが、プロの眼には「新鮮な何か」として魅力的だったんでしょうね。
ギャラも安いし。
○戸松遥さんの今後について考える。(余計なお世話)
戸松遥さんが「産巣日の時」「かんなぎ」で新たな段階に到達したのは、
長々述べた通りです。心配なのは今後です。
「かんなぎ」のような「役柄になり切る」経験の後では、普通のヒロイン
では、役に満足できなくなる可能性があります。
ブログでは「今年もお仕事の面では自分のペースで目の前にあるものを
一生懸命こなして頑張っていけたら良いなと思います」2009/1/1
と健気です。可愛いです。
学校もあるので、当面(大学卒業まで)は今の調子で、頑張れば評価
も順調に伸びるでしょう。問題は、その後だろうと予想します。
公式ブロフでは、役者志向が強いので、そっち方面でしょうか。
演劇は身体表現を伴うので、声優とは別の困難があると思います。
特に、スタニスラフスキー・システムで言うところの「リアルの獲得」
(まとめすぎ)です。
スタニスラフスキーは最近「俳優の仕事」未來社・全2巻が、ロシア語
からの完訳決定版として出版されました。帯に「俳優をめざすあなたへ」
とあります。現代の全て演劇の基礎となった本と言われています。
アメリカのアクターズスタジオで採用されていることでも有名です。
まあ、英訳は抜けや、誤訳が多いとも言われていますが。
而立書房からは「スタニスラフスキー入門」が出ました。
スタニスラフスキー研究の第一人者の翻訳です。先にこちらを読むと
全体像がつかみやすくなります。
岩波文庫からは「芸術におけるわが生涯」上中下が出ました。
何のブームかわかりませんが、これらの本は、役者を目指す人は読ん
でおくべきです。どう評価するかは別、としてもです。
戸松遥さんはそんなもの、楽々と超えちゃうかも知れませんが。
戸松遥さんの中の「ドラゴン」は、何時、本当の覚醒をするのでしょうか。
非常に楽しみです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
メールアドレス 「nhrnet」「@netlaputa」「.ne.jp」
「」を除いて、3個をつなげれば、いいと思うよ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
2009年01月05日
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遥様への熱い想いを感じながら目の前の敵と戦う。
Excerpt: ブログ書く時に必ず通るところに、 最近書かれた記事がずらずら出るわけですが、 [戸松遥論(極私的な試みあ...](※) とかいうブログ名を見たら入るしかありません(ぉ 最初の分析を全部読んでみまし
Weblog: 書きたいときに書く日記ブログ
Tracked: 2009.01.18 01:06
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遥様への熱い想いを感じながら目の前の敵と戦う。
Excerpt: ブログ書く時に必ず通るところに、 最近書かれた記事がずらずら出るわけですが、 [戸松遥論(極私的な試みあ...](※) とかいうブログ名を見たら入るしかありません(ぉ 最初の分析を全部読んでみまし
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Tracked: 2009.01.18 01:06
所謂「ゴリ押し」を否定し、全てオーディションで役を取ったとしていますが確かな証拠がおありでしょうか?結局、憶測ですよね。
確かに、彼女の所属するミュージックレインは所属4人です。ただの小規模事務所なら力殆どないのでしょう。しかし、ミュージックレインは大手音楽メーカーSMEの傘下で、SMEはアニプレックスという制作会社も有しています。この会社最大手です。制作会社はアニメ制作に必要な資金を提供し、企画人事まで関わります。何せ資本を持っていますからww別の制作でも協定は結んでいますし、監督以下アニメ製作は彼らの威光には殆ど逆らえません。たまに暴露するツワモノもいますが、 社会人経験をしていれば、小会社が大会社からリストラ同然の出向を受け入れる。もっといえば、公務員の天下りなんかも構造的に近いですね。彼らが純粋に有能で、省庁からの圧力が微塵もなければ、問題は無いでしょうww
勿論、私もこれを証明する書類などはありません。ただ、やはり、SMEアニプレックスと関連の高かった元ボイスハート所属の井上麻里奈、阿澄佳奈が以前のようなゴリ押しが急に無くなりましたよねww
こうやって、アニメにゴリ押しして、人気があるように見せかけて、CDやらグッズなんかで儲けるのだな。
いろいろ長々と書き連ねましたね、すいません
コメントありがとうございます。
まず「ゴリ押し」を言い出すならば、その論理的な根拠が
必要ですがそれが全くなく、それこそ嫉妬まじりの「憶測」
だと感じます。
私の考えも「憶測」と言われましたが「論理的な推論」と
言って下さい(笑)。
少なくとも「ゴリ押し」より筋が通っていると思いますが。
まぁ、百歩ゆずっても、これでは外部の人間達の意見の
相違にすぎません。
私が「ゴリ押し」否定論を書いたあと、それを裏付ける
事実が見つかったのでお知らせしておきます。
NHKの番組で、ベテラン声優の田中真弓さんが「アニメ
の配役は、全てオーディションで決まります」と断言
していました。
これだけでは「声優さんの知らない所で何かある」と
いう疑問もなくはない(笑)。
次にWeb「のら犬兄弟のギョーカイ時事放談」
(2009-02-12配信)。
製作プロデューサー2人と音響監督1人が、
オーディションの内幕を語っています。
ここでの話が興味深いものがあります。
「音響監督はやりたい放題ではない」
「貧乏で利権のない業界でおいしい話はない」
「キャストは全てオーディション」
「だめなものはだめという権利はある」
(圧力が全くないわけではない、のは認めましょう)
「結局役柄に合わなければダメ」
「事務所の力なんてない」
「おかしい話があればあっという間に(業界内に)広がる」
「レイン娘は何千人から選ばれている。上手いのは当然」
名前を出して語っている、業界人の証言は信用できません
か(笑)?。
「ゴリ押し」の人は、これへの反論を提示する義務と
責任があります。
SMEの子会社云々の話ですが。別会社にした以上、
独立採算なわけです。
レインの日常業務(声優のマネージメント)に常に介入して
いるとでも言うのでしょうか。
だったらSMEの1部門にしておいた方が話は簡単なハズです。
なぜそうしないのか、合理的な説明をしてください。
また、アニプレックスの話題ですが、一体アニプレックス
が何本のアニメを製作しているかご存知ですか?
ソニー系の声優が使われている割合は?
むしろ、ほとんどの作品では使われていません。
逆に「ゴリ押し」説はその理由(使われていない理由ね)を
説明する義務と責任があります。
かんなぎ1本ぐらいで鬼の首でも取ったつもりなのかな。
だから、知能程度が低・・・・以下略。
以上の流れからも、話の論理的整合性からして
「ゴリ押し」説は無理だと思いますが。
これらの事は、記事としても書くつもりでした。
いや、書きますけど(笑)。
これ以上の議論は不毛だと思いますが、ご希望ならば
メールでどうぞ。
非常に興味深い記事だったので、コメントさせていただきます。
初めに前提として言っておきますが、私は戸松遥が好きです。
声優のイベントに参加するとすれば、ほぼ戸松遥関連のものです。その立場からの批判をします。
他の方がコメントしている通り、戸松遥の出演作品が多いのは事務所の「ゴリ押し」とよく言われていますが、私も「ゴリ押し」”の様なもの”はあると思っています。
そもそも、ネット上で「ゴリ押し」がどの様な意図で使われているかが私にはよくわかりませんが、SONYグループによる業界内での圧力によって役を得ているという意味でしょうか。
さて、私があると思っている「ゴリ押し」”の様なもの”ですが、まず、ミュージックレインはSONYグループですから、それなりに大手の事務所の部類に属すると思います。
そして、声優さんがオーディションを受けるにあたって、そのオーディションに参加できるか否かは、そもそも作品から事務所に対して声がかかるか否かで決まります(例外もあるかもしれませんが)。
すると、大手の事務所ならば、必然的にオーディションの機会も多くなるといえます。そして、ミュージックレインは4人しか声優がいませんから、事務所内での競争率も低いのではないでしょうか。
つまり、オーディションへの参加の機会が多いのではないか、という主張です。
次に、事務所のマネージャー等、声優を売り込む人物の存在も重要であると考えられます。私の家族に声優がいまして、そこから聞いた話なのですが、ある小規模の事務所に元青二さんのマネージャーがいるらしく、
主役級とまではいかなくとも、名脇役くらいのポジションをうまく勝ち取っているということを聞きました(もっとも、主役級を多く演じる戸松遥に、この話がそのままあてはまるとは言えませんが)。
私は、上記2つの理由(事務所によるオーディションの獲得数、事務所の内部の人物による売り込み)から、戸松遥に「ゴリ押し」”の様なもの”が存在していると思っております。
もっとも、この様なことは戸松遥に限ったことではないし、そう珍しいものでもないと思っております。この「ゴリ押し」”の様なもの”に加えて、新人声優の割りに相応の演技力をもっているというコストパフォーマンスや、
プロデューサー、監督など、キャストを決める人物が単純に戸松遥が好みだった等、個人的なものも関わっているとは思います。
ただ疑問なのは、戸松遥がまだ新人枠のギャラで活動しているのか、ということです。新人枠を取ればギャラ設定は自由ですからね。
次に、記事を読ませていただいて、いくつか疑問があるので、その点について質問及び批判させていただきます。
まず、記事後半では、「役柄になり切ること」と「役柄を演じること」が中心論点になっていますが、まず、戸松遥論における「役柄になり切ること」と「役柄を演じること」の定義を明確にしていただきたいと思います。
というのも、「役を上手に演じることは、その役になり切ること/役柄になり切って役柄を演じる」という例文を考えても、何ら矛盾することはないと思うので、両者を対比させて論じること自体に疑問を持ちました。
>例えば、
>沢城みゆきさんを例に考えてみます。
>誰もが認める演技派で、少女から少年・青年・大人の女性・架空の
>小動物までやれない役はない、しかもその心理までも表現していると
>感じられます。しかし、それは逆に役柄を一歩引いた視点で、客観的に
>見ている感じなのです。役柄を理解した上で、1ミリほどずらせて、
>役柄を浮かび上がらせるという感覚です。普通では出来ない演技です。
この例は、「役柄を演じることが上手な声優さんの例」として沢城みゆきさんをあげているんですよね。
そしてこの中で、役柄を演じることは役柄から少し離れて演じることであるという意図が読み取れますが、
戸松遥論と銘打って、「見ている感じ」、「感覚」、「1ミリほどずらせて」など、極めて曖昧な表現は、あまりに稚拙ではないでしょうか?
その「感覚」を理屈で説明しなければ、説得的などとは到底言えないと思いますがいかがでしょう。
この点からも、「役柄になり切ること」と「役柄を演じること」の違いがわかりません。
>アニメのキャラはエキセントリックな者が多い。もちろん、架空世界の
>物語なのでメリハリを付けて、視聴者の印象に残らなければならない
>からです。一見、普通の人間に見えても感情の振幅・精神の振幅は、
>非常識なものがあります。
上記の前後の話をまとめると、通常、人間がアニメのキャラを自己に取り込もうとしても、アニメのキャラ特有の広い感情の振幅に対応する許容量が人間には無いことから、「役柄になり切る」ことは論理的に不可能である。
これに対して、戸松遥は、その感情の振幅が極めて広く、アニメのキャラの感情の振幅ですら自己に取り込むことができることから、戸松遥は「役柄になり切る」ことができる、というあてはめになると思います。
以上は、あなたが掲げた規範を戸松遥にあてはめた簡潔な結論ですが、この様な結論がこの記事には一切ありませんね。「論理的」だとか、「論理的整合性」なんて言葉を多様するにもかかわらず、
あてはめをした結論がないとはどういうことでしょう。
コメントにしては大変長くなりましたが、返信していただければ幸いです。
第一の点。
ミュージックレインは新人声優が4人だけですから声優
事務所としては弱小もいいとこです。
ここを大手と言ったら青二に失礼だと思いますよ。
4人は2006年4月に正式に所属していますが役名の
ついた出演は2007年になってからです。
そんなに、ソニーの力を言うなら、なぜ2006年から
バンバン出演していないのか。
また、ソニーの子会社のアニプレックスの全作品に出せば
誰も文句は言わないでしょうに。同じ会社だからと言い
張ってね。でも、それが無かったのは何故でしょうか。
役がオーディションで適材適所で選ばれているからとしか
説明ができません。
大体、若手女性声優が4人だと役柄もバッティングするし
役の範囲も限られるし、声優事務所としてあまり得な事は
ないと思います。
「オーディションへの参加の機会が多い」
これは、スタートラインに立てただけで、結果が保証され
たわけではありません。
「有能なマネージャー」
これも確かめようがありません。
不思議なのは2008年において学業に時間を取られる
年少組(寿さん、戸松さん)よりも年長組(高垣さん、豊崎
さん)の売り出しに努力するのが自然なのに結果は、戸松
さんが突出しました。これが「有能なマネージャー」の
仕事の成果なのでしょうか。
とにかく受けられるオーディションを全部受けたら、
コストパフォーマンス(特に演技力)の良さで、通常より
高い合格率だったと考えるのが自然です。
いずれにしても、上記の二つの項目は通常の企業努力に
過ぎません。「ゴリ押しの様なもの」にさえ該当しませ
ん。ギャラの件は知りようがありません。
ただ、最近は同じ作品にミューレの2人が出演している
ケースが目立つので2人セットで値引きしている可能性
は考えられます。「有能なマネージャー」の努力で(笑)。
もちろんオーディションに合格する実力があるのが前提
ですが。
「ゴリ押し」言う人はその具体的な方法を教えて下さい。
第二の点。
「役柄になり切ること」=アニメのキャラの感情の振幅
を取り込んで、キャラと精神的に一体になること。
「役柄を演じること」=アニメのキャラの感情の振幅を
100%は取り込めない(取り込まない)ためセリフを語る
自分を客観的に見ることが出来る。
という事でしょうか。
後半については、なさんが出した結論の通りです。
別に結論と銘打たなくても、文章の中で述べる事もあり
だと思います。現に、なさんは正しく読んでくれている
わけですからね。
「戸松遥論」については、基本的な部分の変更はありま
せんが、更に考察を進めて読みやすい形にしていきたい
と思っています。
尚、これ以上の議論についてはメールにてお願いします。
1回やり取りすれば、基本的な話は完了していると思う
からです。よろしくお願い致します。
>が何本のアニメを製作しているかご存知ですか?
>ソニー系の声優が使われている割合は?
>むしろ、ほとんどの作品では使われていません。
前にアンチスレで聞いたことありますけど、誰も答えられないんですよね
アンチ側では数字を出すと不都合があるあるのかはしりませんが、
是非時間がある時にでも戸松遥論さんの方で数字を出してくださると面白いことになると思います
未だにゴリ押し論が蔓延っていますからね
確かに面白そうではありますね。
ミュージックレインと旧ボイス&ハートの声優さんを
「ソニー系」と定義するわけですよね。
でも、作品数多すぎて死にそうですよ。
まぁ、私の中では「決着済みの項目」なので、あの人達の
ために苦労するのも、時間の無駄という気がしないでも
ありません。
現在、もっと大事な調査で苦労していますしね。
戸松さんが知っても、多分許してもらえる調査です(笑)。
主張しちゃって
とりあえずアニプレ作品での起用が少ないとしても
戸松さんほどの人気声優(笑)なら、当然オーディション
受けてるんですよね?それなのに使われないということは
アニプレのオーディション落とされまくってる声優ってこと
になると思うんだけど
それでいいのね?
それから、今後こいつがアニプレ作品へ多く出るように
なった場合、ゴリ押しが否定出来なくなるけど
それでいいのね?
あ、その時になってこいつの実力が認められたからとか
言っても駄目ですよ。少ないのを理由にゴリ押しじゃない
って言ってるのはそっちなんだから
あんたの言っている事が、支離滅裂なんですけど(笑)。
「ゴリ押し」の定義と行われている根拠を示して下さい。
これを説明してくれた人はいないのが残念です。
この説明がないと、本来議論は始まらないよね。
私は説明していますけどね(笑)。
>いいのかなぁ、ゴリ押し否定の論拠を出演の多い少な
>いで主張しちゃって
頭悪いなぁ。そんな事言ってないよ。読解力ゼロだな。
大体、君達が出演作品が多いから「ゴリ押し」言い出した
のが始まりでしょ。
じゃあ、アニプレックスの件は?と聞いても答えなし。
私は全てはオーディションの結果だと言っているのです。
>アニプレのオーディション落とされまくってる声優って
>ことになると思うんだけど
>それでいいのね?
別に、いいんじゃね(笑)。どこか不都合でも?
>それから、今後こいつがアニプレ作品へ多く出るように
>なった場合、ゴリ押しが否定出来なくなるけど
>それでいいのね?
意味不明です。私は出演作品はオーディションの結果だ
と言っているだけなんですよ。
だから、出演作品が多かろうと、少なかろうと関係なし。
>少ないのを理由にゴリ押しじゃない
>って言ってるのはそっちなんだから
ホント、頭悪いなぁ(笑)。
私は「ゴリ押し言うなら、アニプレックスの件はどう説明
してくれるのか」と聞いているだけですよ。
なぜ、その説明をしてくれないの(笑)。さっさとしろよ。
少ないのは、オーディションの機会がないか落ちている
に決まっているでしょうが。
とにかく「ゴリ押し」の定義と根拠を少しでも出しなよ。
「出演作品が多いから」は無しだよ(笑)。
それから、私は巨大掲示板に書き込みしてないから、
そこんとこ、よろしくね。