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ハイビジョン ふるさと発

ハイビジョン ふるさと発

BShi  毎週土曜 午前8:00〜8:43
 
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番組内容

ハイビジョン ふるさと発 日本列島各地の風土や美しい風景の中に生きる人々の輝き、長い営みの中で引き継がれてきた伝統行事、或いは今日的な社会問題や発展する中で変貌するふるさとの姿。こうした、地域の今を紀行番組としてゆったり描いていくものからドキュメンタリー番組として鋭く迫っていくものまで、地域に根ざすNHKならではの番組です。いわば“日本列島の今の素顔”を描き出していきます。豊かで美しい自然、一所懸命に生きる人々の鼓動、感動的な祭り・・・。普段の暮らしの中で見逃している“素晴らしいふるさと”に出会うことができます!

これからの放送予定

ハイビジョンふるさと発  “大家族”で不況に挑む  〜愛知・日系人町工場物語〜  
 BShi   8月1日(土) 午前8:00〜8:43

外国人労働者が集まる愛知県高浜(たかはま)市。ここで30人という大家族で自動車部品工場と人材派遣会社を経営する日系一世がいる。沖縄生まれでアルゼンチン育ちの比嘉弘也さん58歳。比嘉さんは23歳までアルゼンチンで育って日本に戻ってきた。比嘉さんにとってアルゼンチンは日本と変わりない大切な故郷であり、皆兄弟だと言う。この10年間アルゼンチンやブラジルから外国人労働者を受入れ様々な仕事を斡旋してきた。大切にしてきたモットーは「会社は家族のように」。30人の親族に限らず、共に働く従業員のことを「家族」と考え、みんなを思いやる行動心だという。
今年、順風満帆だった比嘉さんを、不況の波が襲った。このままでは従業員の7割は解雇しなくてはならない。築いてきた「家族」の崩壊と、会社の行く末への不安。そうした現実と向き合いながら、比嘉さんは、あえて新製品の開発に力を注ぐなど、新たな雇用確保の道を模索している。解雇されても比嘉さんを信じて、高浜市を離れない日系人もいる。アルゼンチンらしい陽気さと粘り強さで不況に挑む比嘉さんを中心に、町工場で織り成される「家族」の日々を見つめる。


ハイビジョンふるさと発  心の歌がネットを翔(かけ)る  〜佐賀・歌人 筒井宏之の交流〜 (仮)  
 BShi   8月8日(土) 午前8:00〜8:43

佐賀のネットの世界で一人の歌人の歌が注目されている。15歳のころから「身体表現性障害」という難病で寝たきりになった筒井宏之さんである。筒井さんは、4年ほど前から、携帯電話で歌をつづり始めた。
 『葉桜を愛でゆく母がほんのりと 少女を生きるひとときがある』
 『冬ばつてん「浜辺の唄」ば吹くけんね ばあちやんいつもうたひよつたろ』  ・・・
家族や身近な暮らしを話し言葉で優しく暖かくうたった筒井さんの歌は口コミで伝わっていく。
歌を励みに社会復帰をめざす若者、生徒との関わり方を見直すきっかけになった教師など、筒井さんの世界は広く、人々の心を捉えていった。
 筒井さんは今年1月に亡くなった。歌は、地元紙でも紹介され年間最優秀賞も受賞した。今では、授業の教材になったり地元図書館で展示が行われ、歌の交流の輪は広がり続けている。
いま、人々は筒井さんの歌に何故惹かれ励まされるのか。筒井さんと彼らの心の交流を訪ねる。


ハイビジョンふるさと発  B29 空襲の傷、いまも  〜北九州・語り残す市民たち〜 (仮)   
 BShi   8月22日(土) 午前8:00〜8:43

昭和19年6月16日、中国の成都を飛び立ったアメリカの爆撃機B29など数十機が今の北九州市を空爆。日本本土をB29が初めて空襲した瞬間である。当時、小倉には日本有数の軍需工場群、小倉陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)があり、八幡には八幡製鉄所があった。昭和19年から20年8月8日までの空襲で死傷者は3千人を越え、一帯は焼け野原となった。
加藤昭さん(当時17才)は、空襲時に、小倉陸軍造兵廠で小銃の部品作りで夜勤をしていた。逃げ込んだ防空壕は爆風の衝撃で土がえぐられ、加藤さんは立ったまま生き埋めになった。死を覚悟したとき、奇跡的に救護班に助けられる。しかし、共に防空壕に逃げ込んだ友達は皆死んだ。その情景を忘れることはできない。加藤さんは遺族と連絡を取り合い、当時の悲惨な様子を絵で伝え残そうとしている。「未来の幸せのために人生をささげたい」と言う。
八幡で空襲を経験した杉野慧子さんは、数年前に大病を患うまで、戦争体験を人に語ることを避けてきた。忘れたい一心だった。しかし、死の境を経験して以来、戦争体験を人々に語り残そうと考えている。
65年を経た今、人々は何をどのように残そうとしているのか追う。


ハイビジョンふるさと発  いのちを見つめて欲しい  〜娘から受け継いだメッセージ〜 (仮)  
 BShi   9月5日(土) 午前8:00〜8:43

娘の死をきっかけに、勤めていた会社を辞め、「生きる意味」を人々に問う活動を行っている人が愛知県豊田市にいる。鈴木中人(なかと)さん(51歳)。鈴木さんは、14年前、娘を6歳で小児ガンによって亡くした。しばらく何も語ることができなかったが、小児ガンの子供を支援する会に誘われた事をきっかけに、苦しんでいるのは自分だけでないことを知り、必死に生きようとした娘の闘病の様子を語る「いのちの授業」を4年前に始めた。活動は口コミで広がり、地元の小中学校をはじめ、町内会、そして最近では企業からも依頼されるようになった。
「生きるために大切なものは何か、を考える力になりたい」と語る鈴木さん。講演は500回を超えた。
講演活動を続ける中で鈴木さんは、悩みを抱える子どもたちが年々増加していること、そして子どもたちの問題を解決するには親にも一緒に考えてもらう必要があると思い至り、親子で研修を受けられる「親子塾」を始めた。授業を通して、子供たちと家族は互いを思いやる関係に変わっていく。「いのちの授業」が「私たちに何を問いかけているのか?」を見つめる。


ハイビジョンふるさと発  “つよく生きて” それが母の願い  〜鳥取・18歳 里親からの巣立ち〜 (仮)  
 BShi   9月12日(土) 午前8:00〜8:43

今年の4月からシナリオライターを夢見て大阪の大学に通う、未来(みき)さん18歳。
脳性まひで主に右手と言語に障害がある未来さんは、2歳のころに育児放棄をした実の親元を離れ、鳥取県伯耆(ほうき)町(ちょう)の里親、菊池みどりさん夫婦に引き取られた。そして16年。
みどりさんは障害のある未来さんを実の子同然に育て、未来さんは本当の母のように甘え慕った。
しかし、里親制度は高校(満18歳)までが原則。卒業が近づくにつれ、未来さんには、シナリオライターへの夢に一歩近づく喜びとは裏腹に、やるせない重い日々が流れる。
これからも家族であり続けたいと養子縁組を願う未来さん。しかし、みどりさんは、里親を2年間延長する手続きを取ったものの、未来さんの願いをあえて突き放す。
そこには、「大人になっていつか一人で生きなくてはならなくなった時でも、人に頼らず人生に立ち向かえる強い心を養って欲しい」という、母としての願いがあった。
4月初め、離れ離れに暮らし始める日。二人は涙しながら静かに手をたたきあって別れる。
大学で未来さんを待っていたのは、授業やサークル(演劇部)活動についていけないという、思ってもみない苦しみの日々であった。しかし、大学に入った未来さんは、みどりさんに救いの手を求めようとしない。みどりさんは、その姿をじっと見守っている。 
子を慈しみ育てる思い、親を慕い試練と向き合う子の懸命さ。制度を超えた親子の半年間のドキュメント。


ハイビジョンふるさと発  響け 僕らのフォークソング  〜岐阜・伝説のコンサートから40年〜(仮)  
 BShi   9月19日(土) 午前8:00〜8:43

1969年、岐阜県中津川で開かれた「全日本フォークジャンボリー」。“フォークの神様”岡林信康や吉田拓郎がステージに立った伝説のコンサートである。コンサートは中津川の若者たちが仕掛け人だった。彼らは、「田舎からだって文化を発信できる」と、手弁当で竹林を切り開いて会場を作り、時代の寵児だったシンガーたちと膝突き合わせて議論しあいコンサートを成功させた。そこには自分たちの力で作りあげたという自負があった。しかし、3万人の若者が押し寄せるまでになった3回目で中断。そこにはスポンサーやプロダクションが入り込み、商業化することへの疑問と反発があった。
仕掛け人の一人、安保洋勝さん(72)は今、農業を続けながら都会の子供たちを対象に土と親しむイベントを開催し、自然の豊かさを伝えることに生きがいを感じている。酒屋の主人、山内總太郎さん(62)は蔵を開放して手作りコンサートを主催。古井実さん(67)は、中津川でフォークを歌い続けている。
彼らは、最近、定年を迎え『近望悲観』して生きる同世代の仲間や、無気力感に包まれた周囲の若者たちの姿を憂えている。伝説のコンサートから40年。理想に燃え、怖いもの知らずにまっすぐに生きた情熱の日々。あの『遠望楽観』の時代をもう一度中津川に蘇らそうと、3人は、ふたたび手作りコンサートを開こうとしている。反骨精神を失わず、老いてなお人生に情熱を傾け続ける3人の日々を追う。