なかがみ姓氏(ネーミング)図鑑(20)
嘉手納町から沖縄市に抜ける県道74号沿いの左手、米軍嘉手納弾薬庫内にある旧集落の大工廻。「ダクジャク」「タクエ」「ジャクジャク」といろいろな呼び方があるが、正式な地名の読み方は「ダクジャク」で、なぜか姓としては「タクエ」とする家が多くある。
沖縄県姓氏家系大辞典によると沖縄市の大工廻姓の大半が宇久田の青那志(オーナジ)屋取の出身だという。宇久田は隣の大工廻と道路を隔て、農耕地は広く、水も豊富で農業に好条件がそろっていた。
この地域は琉球国の十四代尚敬王の時代に三司官(国務大臣)だった蔡温がこの一帯の治水工事を行い、一定の年限を決めて耕作地を交換し合う地割制度を用いず、土地を開墾すれば永久的に耕作を許した。各地の農民にとっていわば新天地だったに違いない。
前県議の大工廻朝栄さん(52)=沖縄市美里=は「中国を旅行した時に現地の人が、私の名字を“タークークェー”と発音していたのを聞いて、はっとした。それまでは由来が分からなかったが、これなら説明がつく」と中国語の読み方が由来ではないかと推測する。
朝栄さんの父、大工廻朝真さん(77)=同市美里=は、叔父に当たる旧越来村の第十二代村長(一九五〇—五四年)だった大工廻朝盛さんが村長選挙に立候補した時に「タクエとも読めるらしいので、読み方を変えたい」と相談されたという。「戦前、朝盛さんが台湾にいた時に、タクエとも読めると教わり、その呼び名を取り入れたようだ」。朝真さんと妻の千代さん(71)は“タクエ朝盛”と書かれた名刺を配って選挙活動を行い、当選後に親類たちも読み方を“タクエ”と変えた。
朝盛さんの二男の朝康さん(60)=同市中央=はもの覚えのついた時からタクエだったという。「お年寄りはみんなジャクジャクと呼んでいたから、その方が分かりやすかったのではないかな。ダクジャクでは、みんな分からないでしょうからね」と話す。
一方、ダクジャクにこだわる大工廻さんもいる。大工廻朝昇さん(70)=与那城町照間=は読みにくいという理由で、戦後間もなく森山と改姓したが、元のダクジャクに戻した。「兄と父がブラジルに渡ったので、その家族や子孫が分からなくなると困るからね」と話していた。
大工廻をタクエと読むようになった由来を話す大工廻朝真さん(左)と妻の千代さん=沖縄市美里
現在米軍嘉手納弾薬庫内にある大工廻には比謝川が流れ、木が生い茂っている=沖縄市大工廻