2009年07月22日 (水)アジアを読む 「和平不安定化の危機・タジキスタン情勢」
(小林キャスター)
中央アジアのタジキスタン。
アフガニスタンと
長大な国境線で接するこの国は
90年代血みどろの内乱に襲われました。
和平が成立して10年あまり、
7月、和平を揺るがす事件が起きました。
かつて野党の武装勢力の指導者だった
ミルゾ・ジヨーエフ元非常事態相が
政府軍と反政府武装勢力の銃撃戦に巻き込まれ
銃殺されたのです。
さらにアメリカが進めるタリバン掃討作戦で
イスラム過激派の武装勢力が再び入り込むなど
タジキスタン情勢に暗雲が立ち込めています。
アフガニスタンからイスラム過激派が
不安定化の危機が迫るタジキスタンの現状と
アフガニスタンと中央アジアに与える影響について
考察します。
「和平不安定化の危機・タジキスタン情勢」
ここからは石川解説委員に聞きます。
(小林)
石川さん、先週はロシアのイングーシ共和国ですが、きょうはタジキスタンですね。
今月和平の立役者だったミルゾ・ジヨーエフ元非常事態相が殺害されたと言うことですが
ジヨーエフ元非常事態相とはどのような人物ですか?
(石川解説委員)
ジヨーエフ元非常事態相は、元武装勢力の指導者で、
タジキスタン和平の一方の立役者です。
私も取材したことがありますが、
政府軍と激闘を繰り広げた武装勢力のかつての指導者という強面の側面と
タジキスタン東部にしっかりとした支持基盤を持つ
カリスマ的な政治家という側面が印象的でした。
タジキスタンは90年代、連邦崩壊後、政権側とイスラムを掲げる野党勢力の間で
まさに血みどろの内戦が繰り広げられ、10万人以上が死亡したと言われています。
それが国際社会の仲介によって和解が成立したのが97年、
政府と野党が連立政権を樹立することで合意、
ジヨーエフ氏は野党側のもっとも有力な武装勢力の指導者として
自ら非常事態相に就任、ラフモン大統領とともに民族和解政権を支える
大きな柱となってきたわけです。
しかしラフモン大統領が次第に権力を集中し、
旧イスラム野党勢力が政権から排除される流れの中で
ジヨーエフ氏も2006年非常事態相を解任され、
故郷のタジキスタン東部、旧イスラム野党の牙城でもあった
タビルダリ地域に戻っていたわけです。
ただ政権を離れてもジヨーエフ氏の影響力は残り、
反ラフモン大統領の動きの中で常に
ジヨーエフ氏を反大統領の指導者にもり立てようという
動きがあったわけです。
(小林)
大変なことがあったのですね、そもそもタジキスタンとはどんな国なのですか?
(石川)
まずタジキスタンの位置をご覧ください。
中央アジアの山岳地帯にあり、首都はドゥシャンベ、ペルシャ系の言葉をしゃべる
タジク人が主要な民族です。
アフガニスタンと1300キロという長大な国境線で接しています。
このあたりはパミール高原、7000メートル級の山が並び
世界最大の氷河の一つと言われるフェドチェンコ氷河があります。
特に注目してほしいのは中国とも国境を接し、
パキスタンとの距離の近さです。
タリバンの拠点と言われる北西辺境州はこのあたりでタジキスタンのパミール高原はここ
アフガニスタンを含めて両国の近さ、さらに中国との近さを見ても
タジキスタンの重要性は分かります。
タジク人はアフタにスタンでパシュトゥン人に次ぐ主要な民族です。
北部同盟と言われた反タリバン勢力はタジキスタンを通じて
ロシアなどから支援を受けていました。
アフガニスタン、パキスタンの情勢がここには直ちに影響を及ぼします。
ジヨーエフ氏等旧野党勢力の牙城はタジキスタン東部の山岳地帯です。
アフガニスタン、パキスタンの情勢がここには直ちに影響を及ぼします。
かつてジヨーエフ氏の配下にあった武装勢力が再び反政府の活動を強め、
武装闘争を行う兆しを見せていました。
ジヨーエフ氏は今月初めその武装勢力と政府の仲裁を行っていたときに
武装勢力と政府側の銃撃戦に巻き込まれて
死亡したと言われています。
(小林)
殺害に意図的なものはあるのでしょうか?
(石川)
ただ状況はまだはっきりしていません。
一部にはジヨーエフ氏は反政府武装勢力に参加したため、
政府側に殺害されたとの説も流れています。
(小林)
ジヨーエフ氏の氏は今後どのような影響があるのでしょうか?
(石川)
もう一度、地図をご覧ください。
10年前の和解に応じなかった旧野党の武装勢力の一部は
アフガニスタンに移り、タリバンの配下に入ったと言われています。
その中でムラー・アブドゥラ指揮官が率いる武装勢力がもっとも強硬に
和解に反対していました。
アブドゥラ指揮官が最近、100人あまりの武装勢力を引き連れて
再びタジキスタンに戻り、武装闘争の準備を進めていたと言われています。
タリバンの配下にはこのほか
イスラムウズベク運動と言われる中央アジア出身の武装勢力がおり、
彼らも一時タジキスタンを根拠地としていましたが、
97年の和平成立とともにアフタにスタンを根拠地に移していました。
ムラー・アブドラ司令官の武装勢力は、
たとえば98年国連のタジキスタン監視団の政務官として
和解成立後の監視活動を行っていた日本の秋野教授ら国連の監視団が襲われ
殺害されるという事件が起きましたが、
この事件も彼らの勢力が行ったと言われています。
また10年前にはタジキスタンからキルギスを通って
ウズベキスタンに侵攻しようとした
イスラムウズベク運動の武装勢力に
日本人4人が拉致されるという事件も起きています。
殺害されたジヨーエフ氏はその時日本人を解放するために
様々な仲介の労を取り、そうした努力が
4人の無事解放につながりました。
(小林)
日本にとっても大きな責務を果たしていただけに残念ですね
(石川)
ジヨーエフ氏ら旧野党の指導者は、中央アジアのイスラム勢力とのつながりという面で日本にとっても貴重な人脈でした。
アフガニスタンが不安定化すれば
それは中央アジアに波及し、
また中央アジアが不安定化することは
アフガニスタンの安定を遅らせることにもなります。
その点でジヨーエフ氏の殺害、そしてアフガニスタンからの
武装勢力の浸透は非常に気になるニュースです。
(小林)
今、アフガニスタンではアメリカによるタリバン掃討作戦が行われていますが、
その中で中央アジアはどのような位置を占めているのでしょうか。
(石川)
アメリカのオバマ大統領のロシア訪問で米ロは、ロシアの領空、領土を使って
アメリカの軍事物資をアフガニスタンに輸送することで合意しました。
それには中央アジア諸国、カザフスタン、ウズベキスタン、そしてタジキスタン、キルギスの協力が不可欠です。
特にタジキスタンとウズベキスタンが重要で、逆にタリバンの側は、アメリカの軍事作戦の背後を突く意味でも中央アジアの不安定化を狙っていると言えます。
タリバンはタジキスタンなど中央アジア諸国にアメリカの軍事作戦に協力したら敵と見なすという脅しを通告しています。
(小林)
仲介役のジヨーエフ氏がいなくなった今、政府は反政府勢力に対して、どう対応しようとしているのでしょうか。
(石川)
今もタジキスタン東部では武装勢力の掃討作戦が続いています。
武装勢力が拡大しないうちに抑え込もうというわけです。
今、タジキスタンなどは資源にも恵まれておらず、これまではロシアなどに出稼ぎに出ることで生計を立ててきました。しかし世界不況の影響で、ロシア経済が落ち込む中でそうした出稼ぎで生計を立ててきた人々が故郷に戻らざるを得なくなっています。
不況の影響は一番、こうしたタジキスタンのような貧しい国に現れていると言えます。
こうした社会的な不満の受け皿として、過激な思想が浸透する恐れは増えています。
7月終わりにはタジキスタンにパキスタン、アフガニスタン、ロシアの首脳が集まり、
首脳会議が行われます。
そしてロシアはタジキスタン情勢を睨んでキルギスの西部、タジキスタンとの国境近くに新たな基地を設置する構えです。
タジキスタンが安定するかどうかと言うことは今後のアフガニスタン情勢にも大きな影響を与えるだけに周辺諸国も大きな関心を持って情勢を注視しています。
投稿者:石川 一洋 | 投稿時間:18:24