きょうのコラム「時鐘」 2009年8月1日

 病気見舞いは「現金」がいいという。もらう側が要求するものではないが、お金はじゃまにならない、何にでも使える

先日の「4回目も応札なし」の記事を読んでそんなことを思った。越前大仏で知られる勝山市で高さ75メートルの五重塔が売りに出されている。地元出身の実業家が22年前に建てたものだが、入場者が激減。市税滞納で差し押さえ物件となった

今回の最低売却価格は前回より3億円も安い28億円だが、買い手がつかない。かつての地域おこしの名所は今や大きなお荷物だ。「ふるさと納税」でしられる福井県内のこと。これが現金での寄付だったならと、何とも皮肉に思える

故郷に錦を飾るつもりか、巨大な施設を造る人がいる。が、形あるものはいつか厄介ものになる。勝山の事例を見るたび、ふるさとに貢献したいのなら現金で寄付をと言いたくなる

政治の世界も、お金が1番のようである。先の定額給付金や話題の子ども手当など、バラマキと言われながらも本音の世界で受け入れられるのと似てはいないか。即効性と体力増強、二つの効力を持つお金は薬と同じ。調合が実に難しい。