10月10日(土)〜12日(月・祝)に開催が予定されている「第35回カトリック正義と平和全国集会 2009さいたま大会」。一部の司教及び補佐司教のみが騒ぐのみでカトリック信徒からは無視され続けている。「宗教団体行事」と言えば、こちらが呆気にとられるほどの多くの信者方が集まるイメージがある。
では、なぜ、日本のカトリックにおいて、この全国集会への冷めた信徒の対応はいかなる理由によるものなのであろうか?
まず、第1に考えられるのが、司教及び補佐司教と信徒の志向性の齟齬である。
今回の「2009さいたま大会」は、補佐司教の顔を立てるためという、本当につまらない理由で谷司教が開催を決めたものである。多くの信徒にとって、日本カトリック司教協議会内部の勢力争いなどは興味のないことなのである。補佐司教の顔が潰れようが知ったことではない。
逆に、司教団でさえ、そのような顔を立てる、潰されたというようなことが話題となっていることを信徒は知りたくもなかった。もちろん、次の大司教、枢機卿を狙っている方々である。普段からの気配りも必要なのであろうが……。
第2には、取り上げるテーマである。「ひとりひとりがかけがえのない人間です」と大会テーマとしている。しかし、その分科会の内容を観ると、死刑囚であったり、不法滞在の外国人であったりと信徒にとって、全く身近な内容ではないのである。
せめて、「正義」や「平和」を掲げるのであれば、北朝鮮による核ミサイル開発、日本人拉致。チャイナ共産党によるチベット、ウイグル弾圧などを取り上げれば、少しは信徒の関心を呼びそうなものだ。
以上まとめてみると、この全国集会を開催するだけの必要性はどこにあるのであろうか?
もし、開催するにしても、21世紀日本のカトリック信徒の求めているものを司教及び補佐司教は分かっているのであろうか?