記事が気に入っていただけたら
下のバナーをそれぞれクリックしてください一月ほど前に保守系の大物引退政治家が「しんぶん旗」紙面に登場して話題を呼んだ。 ⇒
<特別インタビュー>野中広務さん 憲法・戦争・平和/いま日本がおかしい【しんぶん赤旗】連載 政界地獄耳 赤旗が報じた「野中の声」【日刊スポーツ】<「しんぶん赤旗」の野中インタビュー>(窓・論説委員室から)共産党の「変身」【朝日新聞】今朝配られた2009年8月2日号の「しんぶん赤旗・日曜版」には元運輸、通産相(自民党)の佐藤信二氏が登場、インタビューを受けて「日本は非戦・非核を貫くべし」と思いの丈を熱っぽく語っている。
以下は紙面版から直接貼り付け。
========================================
日本は非戦・非核を貫くべきです/伯父・岸信介邸での空襲体験が原点(しんぶん赤旗・日曜版) 自民党の衆院議員8期、参院議員1期をつとめた佐藤信二氏(77)は、運輸相、通産相などを歴任し、70年代以降の日本の政治に深くかかわってきました。このほど、日曜版のインタビューに応じ、政治生活をふり返り、太平洋戦争の反省と総括をないがしろにする政界の動きに警告を発します。 田中倫夫記者
元運輸相、通産相佐藤 信二さん
自民党衆院議員8期、参院議員1期 佐藤氏の戦争体験の原点は東京空襲です。
「空襲というのは、遠くから見ているだけなら、焼夷(しょうい)弾が光の雨のようにザアーツと降ってくるし、まるで『花火大会』です。しかしその真下は、炎に焼かれて逃げ惑う『地獄』ですよ…」
1945年5月25日、新宿区の伯父の岸信介(元首相)邸に家族で身を寄せていたとき、佐藤氏(当時中学生)は米軍の空襲の直撃を受けました。あたり一面が燃えだし、家族全員で脱出します。
「家を出たとたん、岸伯父の秘書が『忘れ物をした』と取りに帰り、わずかに遅れました。これが運命の分かれ目でした。予定していた逃げ道に焼夷弾が落ち、やむなく別の細い道で逃げました。予定通り逃げたら焼け死んでいました」
明け方に家に帰ったら、家屋敷は大半が焼け落ち、逃げた家族と同じ数の焼死体が…。
「別の家から焼け出された人たちが逃げ込んできて、そこに焼夷弾が直撃したのでしょう。その焼け跡の焼死体の隣でも、私は平気でものを食べていました。感覚がまひしていた。のちに国会議員として、ある花火大会に出席したとき、同席の原田憲さん(衆院議員・当時)が『空襲と同じやないか!』と叫びました。私はいまでも『花火大会』は怖くて見ることができません。炎のなかを逃げ回った記憶がよみがえるからです」
佐藤氏は、当時、家族とともに、大阪に単身赴任していた父親の栄作氏(元首相)のもとに行きますが、大阪でも2度、空襲に遭いました。家族は各地にちりぢりとなって終戦を迎えたのです。
「無差別爆撃は、重慶(中国)でも、ドレスデン(ドイツ)でも、東京でも、戦時国際法で禁止されている市民の大量虐殺。ヒロシマ・ナガサキ、南京も同様です。これを二度と繰り返させないのが、私の戦後の出発点。日本は非戦と非核三原則を貫くべきなのです」
戦争の総括が先 佐藤氏は国会議員を引退後、「日本戦災遺族会」名誉会長として、戦災被害者の補償、要求実現のとりくみに尽力してきました。しかし、A級戦犯をまつった靖国神社には「戦争を反省せずに肯定することが続いていくことがいいのだろうか」と複稚な感情を持ちます。
「戦災遺族会から希望があったので、靖国神社に一般戦没者の合祀(ごうし)を申し出たら、『たたかって亡くなった方々とは違う』と断られたのです」
佐藤氏は、B級、C級戦犯として現地で処刑された旧日本兵の慰霊にもかかわりました。
「声高に『憲法改正』を叫ぶ前に、政治がやるべきことはもっと別にある」とのべ、「太平洋戦争の総括」を主張します。
「村山内閣でやっと『侵略と植民地支配』を認めたのに、その後、またあいまいになりつつある。戦争の総括はまだ終わっていません。もちろん、国民世論は憲法改正など要求していない。いまみたいに政治が信頼されていないなかでは、憲法改正などできるわけがない」
小さくなった器 佐藤氏は最近、「つくづく政治がいやになってきた」と言います。
「政治家の質の劣化がひどすぎる。テレビにばかり出ているタレントのような議員。戦争も知らないのに、勇ましいことばかりいう議員。細川内閣の『政治改革』も、小泉内閣の『構造改革』も、本質は小選挙区制導入と郵政の民営化でこの国をひどくしてきました。政治家は器が小さくなり、民意は国会に届きにくくなり、地方の小さな郵便局はどんどんつぶれ、商店街はシャッター通りと化しました」
佐藤氏は郵政民営化法案の投票に欠席し「議員として反対した法を推進するわけにはいかない」と、その年の総選挙で引退しました。
「今、マスコミは過去のことは棚上げにして、この選挙で『自民か民主か』ばかりを叫んでいます。マスコミや権力が『改革』を叫ぶほどうさんくさいものはありません。自民から民主に政権が移っても、金権、改憲、消費税増税は基本的にかわりがない。自民にも民主にも先の戦争を美化する勢力が存在しています」
佐藤氏は、どうすれば本当に政治がいい方向に変われるか、有権者が真剣に考えるときだといいます。
「率直にいって、共産党というと弾圧されたこともあり、印象はきびしくて暗かった。ところが、今テレビに出ている共産党の幹部は明るい。共産主義が怖いのじゃなくて、世界にとって怖いのはヒトラーや北朝鮮のような全体主義です。自民党も民主党も国民から不安に思われているなか、共産党の主張が注目されて、通りやすい状況ができつつあるのでは…」
さとう・しんじ=1932年生まれ。慶応大学卒。日本鋼管社員を経て、74年参院全国区初当選、79年衆院議員初当選(山口県第2区)。88年運輸相、96年通産相に就任。田中派、竹下派、小渕派に所属