私達[ URAWABOYS SNAKE '98]は、30名前後('2001/4現在)のメンバ−で、駒場ではホ−ム側の10ゲ−ト下の中段でレッズをサポ−トしているチ−ムである。
現在に至るまでの経緯
文・カヴァーデール@UB蛇管理人・あゆ・BOYS蛇
■URAWAKOP結成
何かと新聞報道されてしまうレッズサポですが、95年以降はイベントには率先して参加しています(^_^;)→意味不明?
アウェイも可能な限り参戦しようという姿勢でサポートするものが多く、自分達はウルトラだと思っている。必ず試合会場には我々の断幕を出しているので、見かけた人も多いのでは?
ちなみに、WHITESNAKEはゴールの守り神と言う意味もあるので、ゴール裏に大断幕(カヴァーデール画作)を出している。
1995年、あゆさんと兄弟であるカヴァ−デール@管理人(兄)とBOYS蛇(弟)を中心に結成したチーム。その当時、浦和のゴール裏には、今では伝説になっているウルトラス集団「CRAZY CALLS」があり、私達は、常に彼らの傍をキープする事を努力し、共に戦っていた。
(リーダー吉沢康一さんの話しが聞こえる場所が目標だった。)
この「URAWAKOP」結成は今のチーム状態になるまでに欠かせないものであった。
きっかけは、改修された後の駒場のテントの並びで、あゆさんとBOYS蛇が出会ったことから始まる。それぞれが違った環境でそれまでは観戦していたが、妙に話が合ったらしい。
チーム名は、BOYS蛇が憧れているチーム、リヴァプールで熱烈なサポーターが集う応援スタンドの名前にあやかり、彼らの様にゴール裏(駒場東側スタンド)から何かを発信出来る様なチームになれたら・・・。そんな思いを込めて名付けられた。
チームの象徴を「白蛇」にした意味は、「家屋の軒下に白蛇が住み着く家には、富をもたらす。」という言い伝えから取った。スタジアムを家屋に例え、ピッチが家屋、ゴール裏が軒下だと意味付けている。
(後々、角田氏から浦和の伝記で、白蛇が村を救った話しがあると聞き、大変意義深いものとも、偶然ではあるが関連していたことになる。)
デザインは、カヴァ−デ−ル@管理人が尊敬しているロックボーカリスト、デヴィット・カヴァ−デ−ル率いる「WHITESNAKE」から拝借している。
■激動の1996
月日は流れ、1996年。
ある事情により、ゴール裏の絶対的な存在である「CRAZY CALLS」が突如解散してしまう。
このゴール裏の一大事にあって色々な事が起こったが、浦和のゴール裏は「CRAZY CALLS」のメンバーであった、相良氏や猪野氏、木内氏(太鼓、彼は既にゴール裏を卒業している)を中心に再び結束する。
周りを「福スターズ」などが盛り立て、福田正博選手(俺達のバンディエラ!)の得点王へと繋げた。我々は、まだ中心部へは到達出来ずにいたが、徐々にメンバーも増えて、足掛かりを作った時期であった。
しかし、ずいぶん前の話になるが、レッズがどん底の状態であった時に応援を巡ってゴール裏で議論になったことがあった。
その内容は、あまりにもひどい状況の中でも、応援を続けるか否かであった。
その時私たちはある賭をした。
”前半で0−3ならば、みな共に途中退場する”
”0−3までは、全力で応援をする”
”今後もみな行動を共にする”であった。
結果は、Vゴ−ル勝ちとなり、浦和コ−ルが永遠と続いたのを今でも覚えている。
■URAWABOYS始動
1997年、チームは、浦和を変えた監督、ホルガ−・オジェックからホルスト・ケッペルに変わり、堅守速攻形からショートパスを繋いで崩して行く形へと変化を試みたが失敗し、ケッペルは失脚する。
ゴール裏にも大きな変化があった。
相良氏、猪野氏、角田氏を中心に「URAWABOYS」が結成されるのだ。
ビジュアル,コール,サポート論など、1992年からの浦和のゴール裏が培ってきたもの土台(ベース)に、新しいスパイスを吹き込んだ彼らの存在は、ある意味衝撃であった。
その当時は我々「URAWAKOP」も総勢30名近くになり、新たなステップを刻む時期に来ていた。。。
1997年は、「URAWAKOP」を中心部でチームとしての存在を知って貰い(この頃から通称「蛇」と呼ばれる様になる。)、「URAWABOYS」の面々や「福スターズ」などと共に戦った。
■URAWABOYS SNAKEへ
1998年。レッズ至上最高順位の3位をゴール裏で経験し、駒場東側ゴール裏の中で、確かなポジションを確立する。
そして・・・
彼ら、BOYSの言葉に心奪われた。「蛇さん達も俺達はBOYSだと思ってる。」
そして、相良氏らに「俺達もBOYSを名乗る。でも、俺達は象徴を白蛇にしてるから、
URAWABOYS SNAKEを名乗る。」と。彼らは、心良く承諾してくれた。感謝している。
そして、シーズン終了後の天皇杯からは、奥行きの無いゴール真裏でのサポートの向上に限界を感じ、よりスペースと屋根のある今のコーナー付近へと移動する。
既に知り合いではあったが、本当にクサレ縁「ULTRA'X-LINE」、「U-UNITED」とは、ここから付き合いが始まる。
■新たなムーブメント、そして"Curva"へ
1999年、開幕戦で日本で初めてゲート旗を出す。かなりのインパクトがあったらしく、駒場ではあっという間に広まった。
このムーブメントで、現在のかけがえの無い戦友達と出会う。
「R-N」と「BOOTS BOYS」である。
丁度立ちあげ始めた当HPや某掲示板にて「ゲート旗推進委員会」なるスレッドを立ち上げ、それに反応してくれたのが彼らだった。
そして、メンバー間の交流で、「U.R.B.」、「B-ROCK CREW」と出会う。
残留と降格のぎりぎりの戦いであった、とても辛く悲しいシーズンを共に戦った彼らとは、生涯付き合いがあると思っている。
こうして、「URAWABOYS」が中心となり、「URAWABOYS SNAKE'98」も参加する集合体「URAWABOYS」の形が出来あがった。
NEW!
またこの年から本格的にHPを立ち上げる。(〜仮スタート98年)
'99.9.9とレッズのエースナンバーに拘って本格運営開始した。ウルトラサイトのエースになるようにと。
そしてここで、また日本で初めて"Curva EST"という言葉を使用し始める。イタリア語で、カーブを意味するこの"Curva"という単語は、東側(Est)コーナー付近でサポートする我々には最適な言葉であった。
面白いことに、これもあっという間に他のチームのサポにパクられて"Curva"は日本中に広まった。(初期の頃には、"CRUVA NORD"とスペル間違って、狂った(クルパァ〜)北(^_^;)と出してるサイトも現れる始末。。。しばらく大笑いさせてもらいました。)
実際には言葉は真似て使っても、それをプライドとして我々同様に実行できてる他チームウルトラは現在も皆無だが。
■CurvaEST
2000以降 加筆中・・・・
出来事
我がチームの信条は、とりあえず試合中は精一杯のサポートをして、勝ったらうまい酒を飲み、駄目だと思ったら少々荒っぽくてもトコトン抗議するとなっています。
印象に残っているのは、97年の宇宙科学館前と、97年の社長の説明会。99年のファイナル5にまつわること。2000年の新潟なんか思い出します。
そういえば国立でオジェックを胴上げしたっけ。
(他にも沢山ありますが、ほんとうに嫌な思い出ばかりなので思い出したくないですね。。。)
lastupdate 2001/5/21