インターネットが普及する以前の1994年に、米国のインターネット文化を取り上げた雑誌「WIRED(ワイアード)」日本版を創刊。また、タレントの眞鍋かをりなど著名人によるブログ出版のプロデュースをいち早く手がけた。日本のIT(情報通信)メディアの仕掛け人と言える存在が、インフォバーンCEO(最高経営責任者)の小林弘人氏だ。
4月には『新世紀メディア論 新聞・雑誌が死ぬ前に』(バジリコ)を上梓し、「誰でもメディア」時代の到来を看破した。そんな小林氏の目に、新ウェブサービス「Twitter(ツイッター)」の台頭はどのように映るのか。
NBO 小林さんが「Twitter(ツイッター)」を始めたのはいつ頃だったのですか。
小林 弘人(以下、小林) 日本で始まって間もない頃に登録しましたが、当時、どこが面白いのか分かりませんでしたね(笑)。使い方がよく分からなかったのに加えて、周囲のつぶやいている人たちが「これからお昼」「いま帰る」とかばかりで、愕然としました。このような知人の近況ばかりをずっと聞かされ続けるなら、自分はもうついていけないと(笑)。
結局、その時は放置したままでした。でも、私の周りでは私と同じように放置していたけれど、最近また復活してハマッたという人も少なくないようです。
米国で先進層以外を含めて盛り上がってきたのも、そんなに古い話ではないと思います。私はウェブ版「ニューヨーク・タイムズ」を読んでいますが、Twitterジャーナリズムといった話題を頻繁に目にするようになったのは、去年末から今年にかけてが最も多かった印象をもちます。つまり、先の米国大統領選以降、ユーザーの拡大と習熟により新しいモードに切り替わった転換点があるのではないかと。
3人の記者が“慣例”を破った
NBO サービスが始まって2年以上になるのに、最近までTwitterの可能性にみんなが気づかなかったのは不思議ですね。
小林 先日、Twitter創業者2人のインタビュー記事を読みましたが、本人たちも今のような使われ方をするとは思わなかったんですって。「Twitter=つぶやく」という名称からして、もっと緩やかでフレンドリーなコミュニケーションのイメージでしょう。それがジャーナリズムやマーケティングのシーンで使われるようになるとは意図していなかったようです。
私や私の周囲の知人たちもTwitterはブログを書くのが面倒な人には最適な表現ツールだと思っていたんですね。mixi(ミクシィ)日記の短縮版みたいな感じかな。でも、ある時からユーザー数が膨れ上がり、量による変化が訪れたのでしょうね。その意味ではインターネットそのものに似ています。コンテンツ=人だから、そのネットワークが広がった時、これまでになかった地平が拓けてくる。そこまでに時間を要したのでしょう、といっても、短い時間ですが。
Twitterの場合、複雑なやり方ではなく、もっともシンプルな形で「つながる欲望」を満たしつつ、しかもリアルタイムであることが大きいですよね。普段、ぐだぐだでも、有事には「微細な信号を瞬時に増幅させる」といったメディアパワーが発揮される点がおもしろい。
NBO 米国でTwitterが注目を集めたのは、選挙でバラク・オバマ米大統領が活用したからだという話ですね。
小林 オバマ選挙もそうですし、1月にニューヨーク市のハドソン川に飛行機が不時着した事故もTwitterでは盛り上がりました。
私が面白いと思ったのは、1月に起きたワシントン州の洪水。地方紙3社の記者がそれぞれ「どの地域が停電だ」といった情報をTwitterで書き込んでいました。「ワシントンの洪水(#waflood)」というハッシュタグ(キーワード)をつけて、みんなが検索しやすいようにしていました。同じ話題についてTwitterの場で書き込んでいるのが、別々の新聞社の記者なのです。
さらに、この3人の記者は、それぞれ他社の洪水に関する報道を自社のウェブサイトで読めるようにしたのです。画期的でしょ。新聞社って絶対に他社を引用しないし、リンクを張ることもしないから。
NBO 確かにそうですね。
小林 この時に初めて、新しいジャーナリズムの萌芽が芽生えたような気がしています。具体的には、4つのポイントです。「協調型ジャーナリズム」「リンクジャーナリズム」「オープンソース・ジャーナリズム」そして「プロセスジャーナリズム」。これらを統合すると、既存のジャーナリズムの全否定になってしまう(笑)。