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行動経済学とゲーム理論

著者は1970年代にBowlesなどと一緒に「ラディカル・エコノミックス」の構築をめざし、当時から認知科学で効用を内生的に説明するといった理論を提唱していた。結果的には学生運動の退潮とともに、彼らの議論は忘れられてしまったが、その志が今も持続しているのは立派なものだ。

本書も前半はゲーム理論の教科書だが、後半は行動経済学の実験結果をゲーム理論で説明する試みだ。たとえば制度や規範が複数均衡からどうやって選ばれるのかという問題は、従来のゲーム理論では難問だが、本書では規範を相関均衡として理解している。他方、財産権は通常、法的な問題と考えられているが、実は霊長類には財産権に似た行動がかなり広く見られる。これは行動経済学の保有効果(自分が持っているものの価値を高く評価する)を考えると、タカ=ハト・ゲームの均衡として解釈できる。

このようにゲーム理論によって行動経済学の「バイアス」を合理的に説明する理論は、BenabouやTiroleなどの主流派も試みており、ネタのつきたゲーム理論が生き延びる方向としては有望だろう。哲学的な議論だけでは、社会学のような「お話」になってしまうので、継続的にパズルを作り出すシステムが、パラダイム競争では重要だ。

しかし普通の人間の習慣的な行動を相関均衡やBayesian Nash均衡など複雑なアルゴリズムの計算結果として説明するのは、不自然といわざるをえない。この点では、アカロフ=シラーがSchankのスクリプト理論など認知科学の概念を参照している方向のほうが有望だと思う。スクリプト理論は人工知能としては挫折したが、最近はメタファー理論の先駆として再評価されている。

著者は無理して伝統的なゲーム理論で行動経済学を説明しようとしているが、たぶんこの種の現象を一番てっとり早く説明できるのは、彼が昔やったマルクスだろう。『資本論』が「資本家社会の富は、商品という要素の集積として認識される」という言葉で始まるのは、富が商品というメタファーに物象化(概念化)されることが資本主義の根本的メカニズムだという、きわめて重要な洞察を示している。マルクス経済学には何の価値もないが、マルクスの経済学には再評価の価値がある。
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