<現代維新講座>「戦いを理解する為に」
「ゲリラ戦」とは何かーその(1)
我が盟友である「主権回復を目指す会」の西村修平代表が良く口にする言葉があります。特に飲んだ席などでは必ずと言って良いほどにこの話が飛び出す。
「日本にはもう正規軍はいない。皆やられてしまったんだ。僅かに残された我々はゲリラなんだよ。まだ少数のゲリラが残って戦っているんだという事をネットで日本国民に知らせることが大切なんだ。」
このことの重要性は今後強まりこそすれ、弱まることはないと思います。よく我々「行動する保守運動」に関しての批判の中で、唐突過ぎるとか、考えずに行動のみを優先しているかのような批判もありますが、そもそもゲリラ戦とはそのようなものです。
ゲリラ戦の手法を政治運動に活用し、その最終的な目標である敵の殲滅と勝利に向けて邁進するためには、どのような心構えが大事なのか。又今後の展望はどうなのか?
そのようなことについて、暇な時間に書いて見たいと思います。尤も私は余りそのような勉強をしたことはありませんので、これはあくまでも学問上の知識などではなく、「行動する保守運動」を共に戦ってきた盟友の一人としての体験・経験上からの考えを述べるものです。
考えて見れば、第二次世界大戦後の世界には正規軍同士の戦いは殆どなくなって、正規軍VSゲリラという戦いこそが一般的なものとして見られてきたのではないでしょうか。
正規軍同士の戦いには、それなりの大義名分があって、それ故に国際的な条約などによって、それは認められてきたというか、それなりの理解を得てきた。
しかし、ゲリラ戦と言うとそこには何の大義もなく、犯罪的なものであるかのように断罪されてしまう。だが、ゲリラ戦を挑む側には崇高なる理念や道義が存在することも確かなのです。
政治上であれ宗教上であれ、戦う者には自らの正義があり、それがなければ命を捨てることなど、そう簡単には出来ないでしょう。これから論じるのは、外国のテロリストと呼ばれる人達のゲリラ戦ではありません。
我々日本国において、強大な力を持つ体制側を正規軍と見なした場合、そこに戦いを挑む我々は「ゲリラ」として位置づけられることを恐れてはならないという意味です。
民主党の反日政権が誕生すれば、それに抗すべき保守派すなわち保守正規軍は真っ先に壊滅させられます。その敗残兵を我々「行動する保守」(愛国ゲリラ部隊)が取り込めるかに勝敗はかかって来るでしょう。
また、正規軍と違ってゲリラには誰でもが、明日にでも参加できます。愛国の心情さえ持って、戦う勇気さえ保持していれば、誰でもが明日から愛国ゲリラに変身することが可能なのです。
保守派が一掃されようとする中で、いかに本物の保守派を結集することが出来るのか、将にそのことが試される時代に突入したと思います。
正規軍は動くには準備が大変なのです。資金もかかるでしょう。失敗したときのことも考えての行動ですから、そう簡単には動けないし、先ず継続しての戦いには弱いのです。
しかし、ゲリラ戦は違います、小規模でも敏速に動くことができ、継続することもたいして難しいことではありません。何故ならば参加者の多くが自前で全てを負担しての戦いだからです。
次々にゲリラへの志願兵が相次げば、運動を継続することも容易なのです。戦いとは大きなイベントをカネをかけて数回やって、それで終わっては何の意味もありません。
敵が権力を握れば大きな組織は潰され、そしてその力を削がれてしまいます。多くのゲリラ部隊の出現こそが今急務となりました。参加する団体の横の連絡がしっかりしていれば、そう簡単に潰されることはありません。
ゲリラとはそういうものです。正規軍が敗れる時こそ、ゲリラは数多く出現するのです。そのことはこれまでの世界史の中で実証されてきました。今の状況がそれを暗示していると思います。
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