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菅直人の子「就職し結婚」、三木武夫の孫「有権者に」(2/2ページ)

2009年7月30日5時39分

写真:京都精華大学4年の菅源太郎さん。「卒論に向け、鉄道政策をめぐる原敬と後藤新平の言動を調べています」と話す=京都市左京区、伊藤菜々子撮影京都精華大学4年の菅源太郎さん。「卒論に向け、鉄道政策をめぐる原敬と後藤新平の言動を調べています」と話す=京都市左京区、伊藤菜々子撮影

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 2年かけて票が減ったことは、こたえた。「政治家の家族は、知名度もあり出馬へのハードルは低い。しかし、その後、親の名前に乗った甘さがどこかに出る」。自分を見つめ直すため、落選の半年後、大学へ入学した。

 大学が夏休みの8月、津村の頼みもあり、民主党岡山県連の手伝いをする。だが、当面政治家を目指すつもりはない。「きちんと就職し、仕事を通じて普通の人の政治参加が少しでも身近になるよう貢献したい」

    ■    ■

 故三木武夫元首相の旧宅は、吉野川に近い、徳島県阿波市のタバコ畑に面している。木の門は傾いていた。

 「議会の子」と呼ばれた武夫は戦前から連続19回当選。88年に死去し、妻睦子(91)らは普段東京で暮らす。

 旧宅の蔵で今年6月、武夫の孫の三木立(たつ)(40)が藍染(あいぞ)め作業の準備を始めた。「一度出馬することが、僕の宿命のようなものだった」。立はこう振り返った。

 三木家には武夫の後継者がいなかった。東京生まれの立が睦子の求めで養子縁組し、三木姓に。武夫の長女である母が、徳島からの出馬を求めた。「どの選挙区でも、どの政党でもいい」。立は「祖父の仲間がいても、自分の友人がいない土地で選挙に出る気になれない」と、小選挙区制で初の総選挙となった96年、自宅がある東京7区を選び、信条が近い民主党から立候補し、競り負けた。

 その2年後、母が参院選徳島選挙区から立候補し、1期務めた後、病に倒れて引退。三木家の世襲は途絶えた。

 徳島の伝統工芸、藍染めの作家になった立は、「自分に向いた生き方をしたい」と言う。毎回、投票所に足を運ぶ。「有権者、納税者として政治にかかわる」。今回もそうするつもりだ。(敬称略)

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