2009年7月30日5時39分
民主党の菅直人代表代行(62)の長男、源太郎(36)が暮らす京都市のアパートに5月26日深夜、突然の来客があった。岡山2区の民主前職、津村啓介(37)だった。
源太郎は過去2回の総選挙で岡山1区から立候補し、落選。今は京都精華大学4年生として、日本思想史を学ぶ。1区の落選者と2区の当選者が6畳一間で語り合った。
「また一緒にやらないか」。津村は3度目の挑戦を持ちかけた。だが、源太郎は「来春には東京で就職して結婚する」と答え、出版・調査会社の名を挙げた。
津村は「(父の)直人さんへの複雑な感情を吹っ切ったようだった」と振り返る。以前は、父をいつも強く意識しているように感じていた。
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中学で不登校になった源太郎は大検に合格後、「子どもの権利条約」の批准を求めるNGO活動に取り組んだ。政治家にと見込んだのは、直人の元秘書で、岡山市議の羽場頼三郎(60)だった。
「息子としては一議席でも増やさにゃ」と、候補者のなり手がなかった岡山1区への出馬を口説いた。
岡山市北部が菅家の本籍地。先祖代々の墓がある。羽場は「『菅』の名前が欲しかった」と打ち明ける。
出馬を決めたのは、公示約4カ月前の03年6月。不安はあったが、羽場らの誘いに乗る決心をした。父からは「そうか、がんばれ」とだけ言われた。
相手は自民党の3世議員、逢沢一郎(55)。途中から「父、菅直人」を連呼したが、約4万票差で負けた。
2度目の挑戦に向けて活動を続け、父から「ポスター張りはメリハリをつけろ」など、指南も受けるようになった。しかし、郵政民営化をめぐる「小泉劇場」の逆風もあり、05年の得票は、前回を2千票以上も下回った。