おたよりから

    お た よ り か ら 

2003年分はこちら   2002年12月まではこちら   2002年3月まではこちら    

 

★はじめまして。わたしの愛読書である、山本七平著「日本人とは何か」(PHP研究所)の論考をわかりやすくまとめてみました。この資料が何かの参考になればと思い、メールいたします。皆様のご感想等伺えたら幸いです。

   ハンドル名:アッシュ     zexis@jg8.so-net.ne.jp
◆日韓比較経済史

1.日韓の違いは、一般に考えられているように近代から始まっているのではなく、もっとさかのぼった中世以前から始まっている。15世紀の朝鮮で、ハングルを作った国王世宗の時代、中国で貨幣が流通しているのを知った世宗は、中国から貨幣を輸入して、「貨幣を使用しない者は処罰する」という法律まで作って、使用を強制しようとしたが、結局失敗している。その理由は農民と官僚が主体の社会で、物々交換が行われていたからである。(「世宗実録」より)

2.世宗の治世、1420年に来日した李朝のお役人が、見聞したことを漢文の日記に書き残している。それによると、当時の日本(室町時代)は社会のすみずみにまで貨幣が浸透していて、乞食でさえ米をほしがらず金をほしがる、というので驚いているのである。さらに、有料の宿屋があり、有料の渡し舟があり、有料の馬があって、日本では金さえ持っていれば旅ができるので驚いているのである。(「老松堂日本行録」より)

3.世宗の時代の李朝では、旅をするには米をかついで薪をかついで行くのが常識だったらしい。だがこれは当時の東アジアにおいて李朝が後進国だったからではない。ベトナムは18世紀まで貨幣が定着しなかったと言われており、李朝もあらゆる方法を用いて貨幣を流通させようと努力したからである。つまり日本のほうが異常だったと言える。

4.日本で為替の仕組みができたのは室町時代であり、これは現金を送るのが危険だったためである。証券を受け取った側が現金化する仕組みであった。(「詳説日本史研究」より)

5.19世紀末から20世紀にかけて、イギリス人女性が朝鮮半島を何度も旅して見聞録を書いているがそれによると、ソウルとその周辺で銅銭が流通しているのみであり、それさえも地方に行くと流通しておらず、物々交換が行われていたのである。(イザベラ・バード著「朝鮮紀行」講談社学術文庫より)

6.まとめ@-日韓は平安朝の頃までは同質の社会であったと推測できる。両者の違いが生じ始めたのは、武士が台頭した平安朝末期からであった。武士は軍人であり戦争をするのが仕事であったため、思想を信じても何の役にも立たず、「現場で役に立つものであれば何でもいい」という技術万能主義のような価値観の持ち主であった。

7.まとめA-また武士は土地の所有権にこだわる地方地主でもあった。土地はその条件がひとつひとつ異なるため、土地と土地を交換するのは不可能ではないが、貨幣のようなもので売買したほうが便利であった。12世紀の平家の時代、平清盛が周囲の反対を押し切って、中国から貨幣を輸入して流通させようとしたところ、大流行したという記録が残っている。
◆追加-11次朝鮮通信使節(17631764)の一員だった金仁謙の日本紀行文「日東壮遊歌」(東洋文庫)より抜粋

1.大阪を見ての驚き
「三神山の金闕銀台とは まことこの地のことであろう。人家が塀や軒をつらね、その賑わいの程は我が国の錘絽(ソウルの繁華街)の万倍も上である。北京を見たという訳官が一行に加わっているが、かの中原(中国の中心部)の壮麗さもこの地には及ばない。」

2.名古屋を見ての驚き
「山川広闊にして、人口の多さ、田地の肥沃、家々の贅沢なつくり、遠路随一といえる。中原にも見あたらないであろう。朝鮮の三京も大層立派であるが、この地に比べれば寂しい限りである。」

3.江戸を見ての驚き
「楼閣屋敷の贅沢な造り、人々の賑わい、男女の華やかさ、城郭の整然たる様子、橋や船にいたるまで大阪、西京(京都)より三倍は勝って見える。」

4.京都を見ての妄想
「惜しんで余りあることは、この豊かな金城湯池が倭人の所有するところとなり、帝だ皇だと称し、子々孫々に伝えられていることである。」

 

2004年9月28日まで到着分

★こかんほです

今年も李政美コンサートを開催します

今年は会場が変更されていますのでご留意下さい

大江能楽堂は自然光が入る会場ですので昼の時間に開催となります

御池の地下駐車場からも、地下鉄の御池あるいは市役所前からも

徒歩数分です

京阪三条と阪急河原町からは10分位だと思います

 

10月30日(土) 李政美コンサート at 大江能楽堂 【京都市中京区】
日  時10月30日(土) 1500開演(1430開場)
場  所大江能楽堂(京都市中京区押小路柳馬場橘町東入)
サポート矢野敏広(ギター、マンドリン)Seli(ベース)
料  金 前売り席(正面席) 3500円
当日席 4000円(中学生以下事前申し込みは無料)
主催/予約/問い合わせこかんほ(FAX 075-752-9274 / 携帯090-2389-8805(夜のみ /
e-mail kohshika@beige.plala.or.jp

 

★在沖米海兵隊普天間航空基地の即時撤去を要求する決議

多くの宜野湾市民・県民が予測し恐れていた大惨事が発生した。2004年8月13日(金曜日)午後2時15分頃、旧型欠陥機である米軍大型ヘリCH53型機が飛行中沖縄国際大学構内に墜落した。機体の破損部分が飛散した範囲は大学内の39箇所以上、市民が居住する周辺住宅街の広大な地域に及んだ。偶然にも大学生・市民には死傷者も無く、3人の搭乗兵士の負傷のみで終わった。復帰後32年間で米軍機事故70数件のうち墜落事故は41件目である。

今回の墜落事故は「児童・教職員・市民ら百余名を殺傷した悲惨極まりない石川市立宮森小学校・米嘉手納空軍ジェット機墜落事故」の凶悪な大惨事を想起させ、市民・県民が普通の日常生活の中で抱いている恐怖心・不安をトラウマ(精神的な外傷・後遺症として残る心理的なショックや体験)として益々増幅させ将来にわたって蓄積した。一歩間違えば大勢の市民を殺傷し多くの財産を失わせ心身に後遺症を与える米軍機墜落事件であり、市民にとっては凶悪な大惨事であった。それにもかかわらず、謝罪に来た在沖米軍高官は事故同型機を除き「飛行再開」を言明した。本来なら、米軍は「飛行及び基地運用の全面停止」をすべきである。日米両政府・在日在沖の米軍当局・普天間基地司令官を強く弾劾し、即時基地閉鎖・返還を要求する。

米軍は事故発生直後から墜落現場を武装兵によって完全封鎖し、大学当局・捜査当局の職務権限による立ち入り現場検証を拒否した。また現場保全をせず、墜落事故の物的証拠品を基地内に運び去った。この在沖米軍による証拠湮滅の傍若無人振りは、イラク占領米英軍や復帰前の沖縄占領米軍の軍事力による植民地的支配と同様である。この事が自公政府内閣・外務省・警察庁の了解の下行われた事は在日米軍副司令官の発言により明らかである。その上、小泉首相は沖縄県知事が求める要請面談に応じない。小泉首相流日米軍事同盟強化の実態は「安保・沖縄差別」であり、絶対に許されないものとして糾弾する。

なお、今回の事故への対処について、県民の立場に立たなければならない権限を持つ役職の地位にある知事を初めとする行政官達や県警・大学当局は、今回の墜落事故に関する日米間の了解事項をいつ知ったのか、また何故これ程までに弱腰で卑屈なまでの従属的な対応の仕方になったのか、説明責任を果たして頂きたい。このような態度については叱咤し責任を追及しなければならない。日米安保条約・地位協定と莫大な米軍基地維持補助金に金縛りにあい、知事・名護市長はじめ行政当局者は異口同音に「県内辺野古移設・既定方針通り」と表明するだけである。警察当局は、捜査を拒否されながら、米軍の封鎖を正当化し米軍護衛と学生・市民排除に回った。なんと卑屈で屈辱的な態度か。米軍と協力して職務執行に当たった現場警察官達の「屈折した良心」に「深甚なる同情」の念を抱く者である。米軍の行為に対して、毅然として「大学自治」を守り得ない大学当局にも同様のことを申し上げたい。警察及び大学当局は断固とした自尊心と矜持を持って職務を遂行して頂きたい。

米国大統領・日本国首相・外務大臣・防衛庁長官及び自民公明の政府与党、沖縄県知事・名護市長・宜野湾市長に対して、「米海兵隊普天間航空基地を即時返還させよ」と強く要求する。                       右決議する。                    

2004年8月18日  沖縄県高等学校障害児学校退職教職員会第8回理事会            会長 崎浜秀俊  事務局長 宜保幸男

 

2004年5月25日まで到着分

★日朝友好前進を決定付けた歴史的会談  第二回日朝首脳会談の成功

2004年5月22日  浅野健一

小泉純一郎日本国首相の朝鮮民主主義人民共和国への二度目の訪問で、両国がピョンヤン宣言の履行を改めて約束し、日朝国交正常化交渉が再開されることになった。国交正常化を望む両国の人民の努力によって、歴史的な成果があったと思う。

小泉首相は、訪朝前と首脳会談後の記者会見の両方で、両国の関係を、「敵対」関係から「友好」関係に、「対立」を「協力」に変えていきたいと決意表明した。日本側が、「制裁法」発動を中止し、在日朝鮮人を差別せず友好的に対応すると約束したのも画期的だ。首相は、国際機関を食料25万トンと医薬品1000万ドルを供与すると表明した。

これはピョンヤン宣言(02年9月17日)を破棄させようとした日本の極右政治家と主要メディアの敗北である。

拉致被害者の子どもたち5人が来日することもよかった。ジェンキンス氏は来日しないことになったが、北京で曽我ひとみさんと子どもたち2人と会って今後の対応を決めることも決まった。ジェンキンス氏が日本に入国することはあり得ないことは、最初から分かっていた。現実的な対応だと思う。

一日も早く国交を樹して、家族が自由に行き来できるようにしたい。

日本側が主張していた行方不明者の調査についても、両国が合同で調査することになった。

「家族会」幹部は総書記を呼び捨てにし、「救う会」幹部は総書記を日本の漢字読みで呼び捨てにして、今回の首脳会談の成果を認めなかった。

日本の主要企業メディアは、相も変わらず、「拉致」と「核」だけを取り上げて、日本の41年間にわたる強制占領、1945年以降の敵対的政策について全く論評していない。テレビ朝日の報道ぶりは産経新聞以下である。

 

今回、朝鮮の朝鮮中央通信や朝鮮中央放送など各メディアは22日午後4時(日本時間同)、一斉に日朝首脳会談について報じた。小泉首相の記者会見より前の報道で、極めて異例の速報だ。

共同通信とも古くから関係のある朝鮮中央通信は、金正日総書記が「両国が戦後半世紀以上も不正常な状態にあるのは百害あって一利なし」と指摘し、両国関係の正常化を強調したと報道。また、「今後日本は対共和国『制裁法』の発動を中止し、在日朝鮮人を差別せず、友好的に接することなどを確言した」と伝えた。

ソウル発の共同通信によると、日本や韓国、朝鮮など7カ国・地域の市民運動代表らが参加した「日本の過去清算を要求する国際連帯協議会」ソウル大会は22日、日本に対して日朝国交正常化交渉の中で過去に対する謝罪をし、人権侵害について調査、賠償するよう要求する声明を採択し、討議を終えた。声明は、国際司法裁判所などへ向けた活動の強化や国際的な署名運動、被害者の遺骨収集などの推進をうたった。05年の日本の歴史教科書改定への取り組み強化や、日本政府や企業などに対する各地の損害賠償訴訟支援なども強調した。

メディアは「拉致」問題だけでなく、日本が過去におかした罪をも直視すべきである。拉致被害者や行方不明の人たちの家族が、「拉致」を最優先させてほしいという気持ちはよく理解できるが、それも両国が友好関係を確立してこそ実現できると私は思う。

「北」と呼んで、朝鮮の体制崩壊を待ち望む気持ちも分かるが、朝鮮の政治社会体制の改革は朝鮮人民が担うしかない。国際社会が朝鮮の民主化がすすむよう協力すべきだ。韓国は朝鮮と協調関係を強めている。中国も含めた東アジア全体の共存の道を探りたい。

両国の国交を樹立することで、残る問題を解決し、平和で安定した東アジアを実現するための努力を続けたい。

 

★こかんほです
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27日から54日まで元山、沙里院、平壌の結核予防院を訪問する予定で訪朝しました
今回もなかなか大変な訪朝でした
予定していた元山には行けず平壌市内と沙里院を訪問して帰ってきました
結核予防院への支援は計150人分になりました
治療が終わった患者は全員が完治したと報告を受け喜んでいます育児院には医薬品を届けました
特に今回は要望の強かった小児用点滴セットを輸液と共に届けました粉ミルクの支援も2年間で2.5tになりました
現在は育児院と相談の上毎月少量づつ届けています
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29日(土)3時半から5時まで京都市左京区の法然院http://www.honen-in.jpで報告会をします前回同様意見交換をしたいと考えています
多くの方が参加されることを願います

一昨日平壌から戻りました日本では様々な団体が龍川の支援に立ち上がっているようですね。
平壌であったアメリカからの医療団は第一の課題として結核の撲滅をあげていましたこれまで共和国の医療支援に地道に取り組んできたアメリカや韓国と、関心が無かった日本の対応が違うのは致し方ありませんね。
ところで支援金を集めている団体はその支援金を被災患者の支援に如何生かすのでしょうか何処を見ても明記していません。
韓国政府や共和国政権にお金を渡せば済むとでも思っているのでしょうか医薬品に換え現地に届けなければ何の意味もありませんお金を送れば共和国に医薬品があるとでも思っているのでしょうか医療に関して唯一共和国とルートを持っている団体は総連の医学協会のはずです部外者の私が言うのもなんですが彼らに働きかけ日本から直接医薬品を送るべきです。
実際4月中に医療品支援を直接いち早くした唯一の団体ですから。そして今回の支援の取り組みが共和国の医療の現実を見つめ、恒久的な支援活動になることを心から願います

☆サロン吉田山から

私たちも竜川大事故被災者救援を呼びかけています。私たちの手元に集まった義捐金は、日朝国交促進国民協会(村山富市会長・和田春樹事務局長)へ寄託し、現地と相談のうえ、必要なものを贈っていくように予定しています。

 

★ヴィクトリア通信3  ピカソの「朝鮮の虐殺」によせて   立命館大学 徐 勝(ソ・スン)
ヴィクトリアの春は京都より早い。2月から咲き始めたあふれかえるほどの桜は、いまはもう大輪の八重桜だけを残して、紅桃色の杏の花ととってかわり、もう装いは新緑の初夏である。
 つれづれに、インターネットを覗いていると、果川(クァチョン)の韓国国立現代美術館で、今年の6月から9月まで、平和をテーマにした「平和国際術展」が準備されており、ピカソの「朝鮮の虐殺」をフランスから借り入れるという、小さな記事に出会った。
「朝鮮の虐殺」は1951年の作品で、ピカソが朝鮮戦争中、朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)の黄海道信川(シンチョン)郡で行われた集団虐殺にインスピレーションを得て描いた大作であり、ゲルニカとともにピカソの代表的反戦作品である。
この報せに接して隔世の感を禁じえない。この絵は韓国で反米的あるいは親北(朝鮮)・容共的なものであるとして、近頃まで禁止されてきた。1960年代の半ば、この絵が収録されている平凡社版の世界美術全集だったかが、輸入禁止になっていたことを思いだす。当時は、この図版を所持するだけで反共法違反で処罰されたものだ。それが、運搬費や保険料など5〜6000万円を投じて借り出そうというのだから、韓国社会の変化がよく分かる。

金属板で覆われたロボットのよう兵士が母親と子供、妊婦に銃を向けている構図は、マドリッド攻略時のナポレオン軍による虐殺を告発したゴヤの「530日」(1814年)から借用していることは知られている。無機的で機械的な殺戮に母親と子供、妊婦という人間の生命を対比させているが、彼女たちが犠牲者として描かれているのは、「信川虐殺」の最も悲劇的な事件である「400オモニ(母親)の墓」、「102子供の墓」の虐殺事件からインスピレーションをえたからだと思われる。すなわち、旧弾薬庫に100余名の母親から引き離された子供を閉じこめ、その下手の倉庫に400名の母親や娘たちを入れて、お互いを呼びあう阿鼻糾喚の中で火を放ち両者を焼き殺したという。ナチスの蛮行を凌ぐ惨劇である。

「信川虐殺」とは、19509月、マッカーサーの仁川(インチョン)上陸作戦後、国連の制止をふりきって疾風怒濤の勢いでピョンヤンに向かって殺到する米第24師団第17連隊の一部が、1017日から米軍が中国人民義勇軍の参戦で撤収を余儀なくされるまでの52日間に当時の信川郡の人口の4分の1、35,383名を虐殺したといわれている事件である。1953年、朝鮮戦争の停戦とともに、当時の金日成(キム・イルソン)首相が虐殺現場を保存し記念館を作る事を提案し、58年に開館してから延べ1400万人が参観し、北朝鮮の反米教育の現場となってきた。

「信川虐殺」は朝鮮戦争時期の100万になんなんとすると言われる民間人虐殺の一部を構成するものであるが、従来、アメリカ軍の犯行であると言われてきた通説に最近、異議がだされている。韓国の代表的作家、黄皙映(ファン・ソギョン)氏は一昨年出版した話題作『ソンニム(お客さん)』(岩波書店から翻訳出版予定)で、虐殺の下手人は米軍ではなく、むしろキリスト教を背景とする反共右翼テロ団である事を示唆した。当時の状況や韓国での証言採録の結果を勘案すると、黄氏の言が現実性を帯びてくる。ただし、当時、また今も、韓国軍の軍事指揮権を米軍が持っている事を考えるなら、米軍が虐殺の直間接的な責任を負わなければならない事は言うまでもない。

イラクのファルージャでは米軍によるイラクの老若男女に対する虐殺がくり広げられていると言う。韓国では、再び朝鮮半島で戦争や虐殺が行われないようにというメッセージを込めて平和美術展が開催されるが、虐殺事件は今も芸術家のイマジネーションをかき立てるモチーフとして存在し続けている。

 

★前略。転送です。普天間代替基地建設のための調査が19日から開始されようとしています。現地の人々と共に阻止行動しよう!全国で沖縄で世論を巻き起こそう!スクラム前進だ!

未来に対しての決断

16日(金)施設局は県に対して着手届けを提出しました。そして19日(月)から辺野古海域でボーリング調査を実施するとしています。
わたしたちは辺野古漁港での船の出入り口をカヌーで封鎖し、ボーリング調査を阻止します。
それは、この計画があまりにもその場しのぎで現状に合わない計画だからです。そして7年前、8年前計画を立てた官僚もそのことはわかっています。判っていて誰も責任を取りたくないからです。だから、ただ前へ前へ未来の展望もなく進めているのです。
琉球大学名誉教授の山里清氏は辺野古地先のサンゴ礁本体184ヘクタールを埋め立てるためのボーリング調査は、人間で言うと心臓を突き刺すようなもので、サンゴ礁も人間も死んでしまうとまでいっています。
その愚かな行為を自分さえよければいい、知らなかったと言うことで、清ら(ちゅら)海を埋め立てることは許さざる行為であり、先進国といわれている日本人は世界中から非難されるでしょう。
私たちは一日でも二日でも一週間でもボーリング調査を食い止める行動を続けます。どうかその間に、国内外にこの問題を伝え阻止する行動の輪を広げてください。そして一緒に日本で初めてのジュゴンの保護区をこの地に築きジュゴンの里を定着させましょう。

東恩納琢磨

★コカンホです

3月13日から18日まで訪朝して来ました17日に帰日予定でしたがANA機のトラブルで在日朝鮮人4名だけが取り残されるというアクシデント?があり

一日遅れました

今回も沙里院の育児院、結核予防院を訪問しました元山からは結核予防院の院長に平壌まで来てもらいました。

WFPの緊急アピールにもあるように子供たちの栄養状態が悪化しており食糧支援の問題も話し合ってきました

2002年の9.17以降、医療支援もなかなか進展しませんが粘り強く続けようと思っています

327土曜日4時半から京都市左京区の法然院で報告会を開きます

多くの方の参加を願います

★末本雛子様 江原 護様
 拝復。久しぶりに吉田山通信を拝受し、安心し、嬉しく思いました。日本を取り巻く環境は決して穏やかなものでは無いようですが、どうぞお元気で。我が家では、雪の重みに耐えかねて梅の木が根元近くで一部折れたのですが、先日暖かかった日に、生き残った枝からやっと一輪咲きました。
           雪の中 梅二輪目を じっと待つ    藻々

★末本 様
 久しぶりに吉田山通信をありがとうございました。 お元気になられたのだな、と嬉しいでした。
 このところ、頭の中は、もっぱら遺伝子組換え作物のことばかりでした。北海道や 滋賀県で遺伝子組換え農作物栽培禁止の条例を作ろうとしていまして、国で安全性が 確認されたものを禁止しようとするものです。遺伝子組換え農作物の是非はともか く、その可能性や安全性を調べるための研究まで規制することは問題ですし、その理 由は非科学的で、狂信的とも思える団体の煽動に動かされているように思えます。
 でも久しぶりに朝鮮学校への補助金問題などにも目がいきました。上の条例でもそうですが、一つがやりますと、全国に波及してしまうのが心配です。
 こちらは雪です。変わりやすい気候、どうぞお大事になさって下さい。吉田山通信、楽しみにしています。

★末本雛子  先生
 お忙しい先生にお手をわずらわして申しわけありませんでした。
 さっそく、国立市にメールを送りました。例によって少々弱腰の陳情ですが、まあ貧者の一灯というところでしょうか。
 それにしても、最近の日本の情勢は(世界も同様ですが)薄気味悪い感じがします。誰かが大声で強硬論を叫ぶと、みんな考えもなく同調する風潮が強くなってきましたね。一方、戦争は困るという素朴な世論は無視されて、どんどん国益の名の下に危険なところに近づいていっているようです。要するに、戦前の日本の状態に近くなってきたように思います。ぼくもだんだん長生きをするのが厭になってきました。
 がんばっておられる末本先生に、こんな弱気なことをお聞かせしてはもうしわけありませんが。どうか、くれぐれも健康に留意されて、息長いご活躍を期待しています。

★私は「武力行使をしない日本」に生きる国民の権利(平和的生存権)を侵害する自衛隊のイラク派兵に絶対反対を表明します。アメリカによる侵略戦争への加担に他ならず、日本国民は加害者になり、精神的苦痛以上の経済、国家資産の流出を伴い、未来負担は、国民に強化されると思いますので、自衛隊の派遣撤収を求めます。

 「戦いは、戦いをもってしかない」のですか。世界平和のために「日本の和を以って尊し」とする、今ではないでしょうか。人道支援方法は、別手段がありましょう哉。

 (イラク派兵反対)の呼びかけに賛同します。(N

★こんばんは、ピースムービーメント実行委員会の山崎です。サロン吉田山様にお便りいたします。
下記の上映会と講演会にぜひともご参加ください。またお友達などに下記の案内をお伝えくださればありがたいです。
広報・当日スタッフも募っております。
ご協力願える方は私までメールをお願いいたします。
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(転送歓迎!)
ピースムービーメントNO.10
【女性国際戦犯法廷ビデオ上映&講演会】
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7日(日)1330開場/1345開会(1630閉会)
ところ ひと・まち交流館 第1・2会議室(河原町五条下る正面 最寄駅:京阪五条or京阪七条)
   http://www.hitomachi-kyoto.jp/
上映ビデオ
 『「女性国際戦犯法廷」の記録(ダイジェスト版)』(21分)
 『ハーグ最終判決』(33分)
おはなし 大越愛子さん
  プロフィール:女性国際戦犯法廷への参加を中心として、「帝国のフェミニズム」を批判し、トランスナショナル・フェミニズムの実践に務める。とくに現在は「女性・戦争・人権」学会の韓日女性共同歴史教材編纂プロジェクトに取り組む。
近畿大学教員、専門は哲学・宗教学・女性学。
参加費 学生800円 一般1000
主 催 ピースムービーメント実行委員会
問合せ 菊地 natsuno@socio.kyoto-u.ac.jp
         п@075(701)6658
    山崎  ANC49871@nifty.com
         п@075(751)0704(夜9時半〜10時半)
女性国際戦犯法廷とは、サバイバー(被害者)証言をもとに、日本軍「慰安婦」制度の責任者を処罰し、不処罰の循環を断つために、2000年に開かれた民衆法廷です。
 日本軍「慰安婦」制度のサバイバーの声はいまだに十分に聞き届けられていません。
 今だからこそ、法廷の判決はわたしたちにとって何を意味し、わたしたちはどう関わりうるのか、ビデオとお話によって考えてもらう機会になればと思います。

★ 冷戦時代の国家暴力をさらけ出した韓国映画「実尾島」

立命館大学 徐 勝(ソ・スン)

1971823日、旧朝鮮総督府のあった慶福宮(キョンボックン)の東隣にある首都陸軍統合病院のCTルーム(集中治療室)にいた時だった。その4月、韓国陸軍保安司令部の西氷庫(ソビンゴ)対共捜査分室に拉致され拷問に耐えかね焼身を図った私は、応急の手当ての後、裁判の進行のために一時、ソウル拘置所に収監されたが、すぐまた、収縮する口の切開手術などのために病院に連れ戻されていたのだ。かなり広い集中治療室は、私を監視し他の患者から隔離するために屈強な保安司609部隊(対共特攻隊)員たちに占拠されていた。23日の昼ころ、突如として陰惨な非常警報サイレンが鳴り渡り、枕もとのラジオからは「武装共匪(コンビ:北朝鮮の共産ゲリラ)」のソウル進入と永登浦(ヨンドゥンポ)大方洞(テバンドン)における「我軍」との交戦を伝える緊急ニュースが流れ、病室の監視兵たちの表情は凍りついた。

まもなく衛生兵たちがバタバタと入ってきて、慌しくスクリーンを立て、私のベッドの横をさえぎった。部屋を区切り終える暇もなく周囲が騒がしくなり、エンブランス(救急車)から次々と重傷者がスクリーンの向こうに運び込まれ、うめき声が聞こえてきた。それから、連日のように国防部長官、参謀長以下、軍の最高幹部、中央情報部長、国務総理までが、尋問のためにスクリーンの向こうの、手負いの特殊部隊員たちを訪れた。そして私の隣にいた特殊部隊員たちは、10日間ほどの応急治療と尋問の後、軍監獄に移送された。事件の翌日、新聞は「武装共匪ではなく、国軍特殊犯の暴動」あるいは「実尾島(シルミド)事件」と訂正報道はしたが、20数年後、月刊誌で取り上げられるまでは、実行犯は軍犯罪者であるとし、韓国政府が育てたテロ部隊であることを明らかにせぬまま、この事件は封印されてきた。

間もなく、日本で封切られる、映画「実尾島」は封切2ヶ月足らずで1000万人の観客動員をし、韓国映画史上空前の大ヒット作となった。実尾島は、仁川国際空港のある永宗島(ヨンジョンド)から舟で10分ほどの小さな無人島である。この映画は、19681月の北朝鮮特殊部隊の「青瓦臺(チョンワデ)襲撃企図事件」に対する報復のための金日成(キム・イルソン)主席暗殺を目的として、19684月、実尾島に創設された空軍特殊部隊(テロ暗殺部隊)をテーマにしたものである。多額の褒賞や赦免などを餌に、殺人犯や軍犯罪者、極貧家庭出身の浮浪者など社会から棄て去られた31名を部隊員として強制徴集して、「殺人機械」に作り変えるために、超人的な訓練をほどこした。しかし、韓国政府は後に国際法や休戦協定違反の断罪をまぬかれんがために、入隊と同時に彼らの軍籍はもちろん戸籍も抹消し、彼らは「生きた死人」として、任務に成功しても失敗しても秘密の保持のために「消される」消耗品であった。

1970年、ニクソン大統領の密使、キッシンジャーの北京訪問に触発された東アジアにおける緊張緩和の中で、韓国政府の対北朝鮮政策が変り、ピョンヤン襲撃作戦は中止となり、部隊は秘密を守るために解散されないまま、飼い殺しになったしまった。そこで、消される運命を予感した隊員たちは、矛先を「青瓦臺」へと向け、まず監視者であり訓練教官である18人の機関要員を血祭りにあげ島を脱出して、ソウル市内に突入して鎮圧軍との銃撃戦のなかで壊滅した。

「実尾島」事件は冷戦・南北分断時代にあった国家テロリズムを象徴する忌まわしい事件であり、韓国現代史の恥部である。しかし、この映画のヒットを契機にさまざまな秘密が、ようやく明るみに出はじめた。北朝鮮指導者を殺害するテロ計画が立てられたこと、3年余の非人間的な地獄訓練の過程で7名が、事故死したり、脱走企図あるいは規律違反を理由に見せしめとしてなぶり殺しにされたりしたこと、31名の隊員が入隊と共に戸籍抹消され行方不明者として処理されてきたこと、事件の7ヵ月後に軍監獄で処刑された4名を含めて部隊員の死亡が家族・親戚などに知らされてこなかったことなどが、ボツボツと明らかになりつつある。

韓国では、テロ、殺人、破壊、拉致、撹乱、諜報などの目的で、冷戦下に韓国から朝鮮民主主義人民共和国に浸透させた1万人数千名の特殊部隊員の名誉回復・賠償の問題がこの4,5年間に注目を浴びてきた。多くは北朝鮮に送り込まれ、逮捕されたり死んだりしたが、万が一、韓国に生還しても韓国政府は責任を逃れるために、一切、知らぬふりをしてきた。また、北朝鮮で逮捕されて、送還された者に対しては、「洗脳」の疑いをかけ、投獄したりもした。ところが、今国会では、特殊部隊員の名誉回復・補償法が制定されようとしている。いまや、韓国においては、国家機密という聖域は破壊され、公権力の醜悪な犯罪が赤裸々に批判されつくそうとしている。

韓国国会法制司法委員会では、今年17日、過去事真相糾明三法が通過した。すなわち、朝鮮戦争を前後して、100万とも言われる民間人虐殺の被害者問題を扱う「韓国戦争前後民間人犠牲事件真相糾明犠牲者名誉回復などに関する法律」、日本にも大きな影響を与えると思われる「日帝強占下強制労働犠牲等に関する特別法」、それから、1世紀以上前の甲午農民戦争の農民軍の名誉回復に関する「東学農民革命軍の名誉回復などに関する特別法」である。これ以外にも、「光州事件名誉回復・補償法」や「済州43事件真相糾明・名誉回復特別法」などが、すでに立法され、今、国会に過去清算関係の数十件の法案や請願がなされており、韓国では、かつての国家暴力に対する批判・清算の花盛りである。これこそが、民主化のバロメーターであろう。

しかし残念ながら、日本は新しい未来に向けての出発点である「過去清算」に世界で最も後ろ向きな「非正常」国家だと言えよう。東アジア近隣諸国に対する過去清算は言うまでもなく、そもそも関東大震災、治安維持法、総動員法、レッド・パージなどで日本人自身、あるいは大日本帝国臣民とされていた者へ加えられた公権力の残酷な犯罪についても謝罪・清算をしたためしがない。それどころか、小泉総理は元旦早々から、軍事施設ともいえる靖国神社に駆けつける時代錯誤を演じた。「拉致」問題では、広島、長崎の原爆の悲劇以来、初めて「被害者」として自己主張をできる立場に立った日本人は、「失われた10年」の中で鬱積してきた、攻撃本能、破壊本能のはけ口を、今、地球上で最も孤立し困難な立場にあると思われている朝鮮民主主義人民共和国や在日朝鮮人に求め、希望のない自己破壊的な感情のはけ口にしている。ナチ登場の前夜、ワイマール共和国崩壊期の「苛立ち挫折した」ドイツの小市民を彷彿させる。日本人が自らの国の公権力の犯罪に対して「聖域」無しに明確に過去清算を求められる時、日本は「正常な国」となり、東アジアにおいて安定した平和の時代が訪れる展望が開けるであろう。日本版「実尾島」が空前の大入りを記録する日は来るのだろうか。(2004/2/17

 

★ 白髪を寒風立て派兵否

靖国に祀ってやるぜと初詣

 この状況を破れぬものか、と 歯ぎしりしていますが 身動きとれず・・・・・・。(K

★こんにちは
不審船事件で、メールを発信させて戴いてきた、本間と申します。
 東京・お台場に展示された工作船は、沈没したという船とは、【船が違う】ことを【確認】して以来、多くの方に【船が違うことの意味】を考えて戴くべく、メールで訴えて参りました。
 この度、今までに纏めた拙文を、ホームページとして、発信しました。この後も、指摘点を追加する予定ですが、目を通して戴けますようお願い申し上げます。
HP・アドレス http://www13.plala.or.jp/honma/
工作船事件が【お芝居】である視点から見ると、「アーミテージ・レポート」(2000年11月)を機に、急激に増した対日要求は、不法者から身を守る軍備・9条のカセを外す転機となった不審船というお芝居の、プロデゥス料の請求ではないのか………、米戦略に隷従するプロセスが、透視出来る気が致します。
HP・アドレスは、検索サイトに登録いたしましたが、採用されるかは不明です。
意を充分尽くせない拙文ながら、1点でも共鳴戴ける部分が御座いましたら、お近くの方に、このHPの存在を、ご紹介戴けますなら、幸甚です。
         敬具  本間正勝  

8次朝鮮医療支援準備会のお知らせ

日時2293時半

会場 京都市左京区法然院

テーマ 朝鮮医療支援のあり方と今後の展望

形態 事前の意見集約とテーマ毎の自由討論

京都高康浩고강호、李美於리미오です

日頃は朝鮮医療支援へのご理解有難うございます

2002年から二人で取り組んできた医療支援を広く大勢の力で継続していく為に、今後の医療支援のあり方を考える準備会を開きたいと思います

‘二人で取り組んできた’と思っていましたが、実は多くの方に物心両面で支えられてきました朝鮮国内で命懸けで協力してくれる方も忘れる事が出来ません突然現れた私達の提案に共鳴し献身的な医療活動を続けておられる医療関係者、24時間孤児の世話をしている育児院の関係者の期待に今後どの様に応えていくべきか、肯定的な意見、否定的な意見に関わらず多くの方の忌憚のない意見を伺って今後の指針にしたいと考えています

限られた時間の中ですが多くの方の意見を紹介したいと思いますまた、其々の現場での取り組みも紹介できればと思いますので、ご意見、あるいは要望のあられる方は一筆ご連絡いただければ幸です

連絡は

郵送  606-8306 京都市左京区吉田中阿達町50

Fax     075-752-9274

Mail    kohshika@beige.plala.or.jp  または iryou@e-sora.net

迄お願いします

次回は3月13日から17日まで、黄海北道の沙里院の育児院、結核予防院、

平安南道の平城の育児院、結核予防院を訪問する予定です

前回以降の活動としては、12月に元山の育児院に粉ミルクを送りました

また、元山、咸興、沙里院、平城の育児院に哺乳瓶、風邪薬、解熱鎮痛薬を送りました(1月末)

咸興、沙里院、平城の育児院には粉ミルクを送りました(26)

元山の肝炎予防院にも注射器セット、肝臓保護薬を送りました(26)

        고강호高康浩 리미오李美於

2月1日までのおたより

★おからだのことを少しも存じ上げませず、失礼致しました。いつも、お元気なご様子を拝見して、むしろ励まされることの多かった折々でありましたので、お案じ申し上げます。

 私などは戦後の成長期に飢餓のなかを過ごしましたので、此の上ない不調を重ねておりますが、病床にあっても送られます、時代に抗する旗は、頼もしい限りです。署名発送します。(A

★寒中お見舞い申し上げます。お便りいただき、12月に御入院 今はご養生とのことびっくりしました。どうかどうか御養生専一にと念じ上げます。みずほさんに署名お送り致しました。既に「百万人署名」で百五十人位送っていますが、みずほさんにはどうしてもがんばって欲しいので送って下さってうれしいでした。本当に不安と怒りの日々、なんとしても平和憲法じゅうりんに怒りの声を大きくしたいです(M

★末本様 いつも出席できず申し訳ありません。署名用紙(イラク派兵反対)2枚増刷りしました。なにかの署名の時は30人位ならすぐ出来ますので余分に入れて下さい。ご活躍に頭が下がります。(S

★あれよあれよという間に自衛隊派兵がきまり何も出来ない(しない)自分にいらいらしています。なくなられた婦民の先輩たちにあわす顔がないような気持ちになって・・・・。今は自衛隊の人たちに「殺すな!殺されるな!」と心の中で叫ぶばかりです。

署名どれだけ集まるかわかりませんがやってみます。(Y

★取りあえず署名をと思い一枚うまりましたので、ギリギリになってしまいましたが、福島みずほ事務所宛送ります。

木々の葉上で輝く日の光りに春の気配を感じる此の頃ですが人間界のほうはまだなかなかですね。(K

★       旧正月に思う       宜保幸男

皆さん、お元気ですか。 私たち6・70代以上の沖縄県民は、「祖国復帰運動」のなかで「核も基地も無い沖縄の実現・平和憲法下の祖国日本に帰る」「人権回復」「経済的格差是正」という目的の達成の為に、敗戦・占領直後の幼少年時の頃から種々体験してきました。しかし、私達の「祖国復帰の本意」は裏切られ、日米安保体制下で「憲法・教育基本法の改悪・米軍基地強化」「乱開発・環境破壊」が急速に進んでいます。そして「沖縄振興開発計画」による大型公共工事や大型リゾート開発も、人間や自然・文明と文化・その歴史を壊す暴力ではないかとしみじみと思い知らされる昨今です。今こそ、自然を守り平和と共生を築く実践をすることこそが最重要な共通の課題となっています。

私も、退職後は「生涯現役」「柔ら頑丈(ヤワラガンジュウ)」をモットーに、地域交際・読書・作文等・囲碁・インターネット・集団的体育ゲームを楽しんでいます。また、老壮青の男女が共に手を取り合って、社会的な生き甲斐を持って生き合えたらどんなに良いかと考え、「高退教運動=高教組OB職域組織」「環境運動」「平和運動」に参加しています。共に、健康長寿と「甘世・世果報」の願望を達成させたい。

同時に、太平洋戦争時代の軍国主義・帝国主義復活とアジア侵略の過ちを2度と繰り返さないために覚悟を打ち固めよう。                              

8月15日と12月8日

予感に慄く 倭は冷夏 沖縄は夏真盛り 蝉は今や静まる

敗戦の日 時代への断絶と違和感 トラウマとなり命に映る

戦争の世(いくさゆ)の前世紀を 彫刻されし心象 

 

 非武装平和と人権擁護 加害・被害の島からの脱却

 平和憲法の実現 祖国復帰の願い 踏み躙る者許すまじ

日米安保体制 米軍基地と海外派兵

 

戦後と戦前の回天か 再び戦争のあやまちを繰り返すまじ

琉球列島と日本・世界の平和・共生の道進む

わがウルマのウマンチュよ

 

私たちは非暴力・不退転の決意と行動をもって新基地建設を止めさせよう。あらゆる手段を駆使して戦うことを鮮明にしよう。

世界民衆加害の島・日本の沖縄」としてあり続けることを拒否する琉球弧共和抵抗運動全国民衆と連帯して断固として貫徹しなければならない。日米安保寄生・米軍基地誘致振興計画と自然破壊から、琉球列島を自警しよう

 

★同志社大学での川口外相の講演は17日でした。講演を聞きに来た人は学生らしき人が多くて,どのような内容でどのような質疑応答があったかなどは、把握できていません。講演を聞くと単位がもらえるらしくて大勢が来ていました。入場の時手荷物検査をされているようすが外からも見えました。外相がはいってくるのは会場の建物の正面だと聞かされたので、抗議するものは旗やプラカードを持って正面で待っていたのですが、実際は、裏からこっそり入って行きました、あっというまに戸を閉めてしまったので、抗議する間もないくらいの一瞬のことでした。
 同志社大学にはイラク派兵賛成の論調をマスコミの「朝ナマ」でやっている田村晃嗣という法学部の助教授がいます。今回の外相の講演の以前には別の教授で浅野健一(もし名前が間違ってたらごめん)という教授がイラク派兵を批判して講演をやったので、その巻き返しが今回17日の外相の講演になったのだと抗議している中の一人が私に教えてくれました。

★みなさんへ

インドネシアの人権・環境問題にも詳しい熊野勝之弁護士が同志社大学広報課に送った手紙を、熊野さんの了解を得て、みなさんへBCCで送信します。

熊野さんは1月12日に届いたメールで、以下のように書いています。

[同志社大学が、全く相反する二つの顔を大学の広告に使ったということは大変気になることです。また、イラクでの外交官2名の死に対して、「川口賞」を贈るといわれた外相の感覚は、戦争映画で戦死した兵士の遺体に得々と勲章を配ってまわる将軍の感覚を想起させます。講演会は、官と民を峻別された新島襄の精神に反すること夥しいという気がしてなりません。改憲のオピニオンリーダーをもって任ずる読売新聞と、田畑忍氏をはじめとする平和主義の同志社の法学部がどう整合するのか、論理的に説明すべきだと思います。「没論理は戦争の始まり」です。]

 私が10年前、同志社に来ることを決意したのは、同志社建学の精神、和田洋一氏、田畑忍氏、鶴見俊輔氏らのリベラリズムの伝統に敬意を抱いていたからです。

 以下が熊野さんが送った手紙です。

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同志社大学広報課
高田紀美様
 2003
1226日付朝日新聞「広告特集」同志社・関学ジョイントシンポイラク戦争--ブッシュ政権の論理と日本の選択同志社大学法学部助教授村田晃嗣さんの発言について意見
 私は1939年生まれ、1945年7月4日四国高松市で米軍による無差別攻撃を受け、1359人の死者の出た中、九死に一生を得たものです。1966年弁護士になり1982年から1999年まで、大阪府箕面市の忠魂碑再建、慰霊祭援助、箕面市戦没者遺族会への補助金給付を政教分離違反であるとする原告住民の弁護団の一員であったものです。裁判を通じて忠魂碑に祭られている298人の戦死の様が明らかになり、如何に政府は兵士を無責任に殺すものかと言うことを知りました。
 このたび自衛隊のイラク派遣の是非が問われている中、貴大学の村田晃嗣助教授が上記の広告欄で「日本が自衛隊を派遣するしか選択の余地はない」と発言しておられるのを見て大変驚きました。これは「自衛隊員に死んでもらうしか選択の余地がない。自衛隊がイラクの民衆を殺すしか選択の余地がない」と言っているに等しく、しかも「選択の余地がない」と言われる根拠があまりにも薄弱だからです。
 以下は意見の詳細です。
1 「日本が自衛隊を派遣するしか選択の余地はないと思います。」としてその論拠をあげていますが学問的でありません。学問的であるためには最小限論理的である必要がありますが、論理的でありません。
 「選択の余地がない」のは、法的にか、道義的にか、事実上か、明確に区別して論じなければなりません。更に、それぞれについて、国際的にか、国内的にかが、明確にされねばなりません。
 (1)国際法的には、米英軍の攻撃は国際法違反の違法な侵略行為です。破壊し、傷つけた結果を修復する義務は加害者にあり、加害者にはその能力がありますから、まず加害者たる米英軍に修復させるべきです。国際法的に日本が自衛隊を派遣するしか「選択の余地がない」という論拠はありません。
 (2)国内法的にも、交戦権を否定した憲法の下で、外国の領土で戦闘行為をすることを正当化することはできません。自衛隊を重武装で派遣することこそ「選択の余地がない」行為です。
 (3)総選挙の結果、国内法的に「選択の余地がない」というのが最大の論拠のようですが、憲法は「この国の最高法規であって、その条規に反する法律、国務に関するその他の行為は効力を有しない。日本国が締結した条約、確立された国際法規は誠実に遵守することを必要とする。」(98条)、「国務大臣は、この憲法を尊重、遵守する義務を有する」(99条)と定めています。総選挙の結果をもってしても「選択の余地がない」のは自衛隊の派遣であって、その逆ではありません。
 (4)国民が「選挙の結果を背負う義務」があると言えるのは、その前提として、イラク攻撃の違法性、自衛隊派遣の違憲性等々について有権者として判断に必要な情報を、政府、報道機関、学識経験者等が十分に提供する義務を果たした場合です。国民の知る権利が満たされることは民主主義の前提条件です。その逆の情報操作を前提に「背負う義務」を論ずるのは学問的とは言えません。
 (5)道義的にとは、日本がいち早く違法な米英軍の攻撃を支持したことの道義的責任としてであるなら、そのことを宣言し、道義的責任に相応しい方法によるべきです。その場合、「生命は、国政の上で最大の尊重を必要」としますから(憲法13条)、自衛隊員を含む国民の生命を危険にさらす方法は許されません。あくまでも非軍事的、かつ、ボランテイアによるべきです。
 (6)国際法上違法でも、また、国内法上違法でも、事実上「選択の余地がない」という状態であることの論拠が示されていません。例えば、米軍から派遣しなければ日本を敵とみなして攻撃するなどの脅迫がなされているなど。
2 結局、論拠は「日本が派遣を取りやめたら、アメリカだけでなく、世界の多くの国が失望し、国益にも大きな影響を与えることは目に見えています。」ということに尽きます。しかし、ここでも学問的であるために最小限必要な具体的事実の提示、ないし、事実の証明がありません。明白な事実に反しています。
 (1)「日本が派遣を取りやめたら、アメリカ」が失望すると言うより、ブッシュ政権・ネオコンが失望するだけで、心あるアメリカ人は失望どころか喜ぶでしょう。
 「世界の多くの国が失望」するというのは、明らかに事実に反します。せいぜい現在軍隊を派遣している国の現政権ということで英国をはじめそれらの国にも自国の派遣に強い反対があることはよく知られている事実です。
 (2)「国益にも大きな影響を与える」という場合の「国益」とは何か、また、派遣することによる「国益」上のマイナスの影響をも、多様な視点で、短期的、長期的に検討して示すのが学問的方法と思われます。
  国際法違反の侵略に、更に、軍事的方法で加担することにより、わが国が長年の努力によって中東諸国から得てきた信頼を失うことは重大な国益に反します。
  仮に自衛隊がイラクの人々を無差別攻撃する結果を生じた場合、わが国、わが国民に対する無差別攻撃を非難する論拠はなくなります。そのような場合、政府は「生命に対する権利を国政の上で最大に尊重」(憲法13条)する義務を果たせないことは明らかです。
 (3)もし、論者の言う「国益」が石油利権、復興工事利権、或いは、北朝鮮によるミサイル攻撃からの米軍による防御という意味なら、道義上はもとより、それにより失う「国益」との比較を忘れた議論というほかありません。イラク派遣に伴う人命の損失はもとより、経済的損失も莫大な国債を抱えるわが国を一層深刻な財政危機に陥れるでしょう。ミサイル防衛などは、巨費を投じても世界一の戦艦大和が役に立たないのみか、それあるがために3000人に及ぶ無益な死者とその遺族を生み出した愚を想起すべきです。
3 最後に、同志社の創立者新島襄と親交のあった内村鑑三の1903年、日露戦争開戦を前にして万朝報紙上に掲げた非戦論を引用し、「国益」論に対する批判の視点としてご参考に供します。 
 「戦争の利益はその害毒を償うに足りない。戦争の利益は強盗の利益である。これは盗みし者の一時の利益であって、彼と盗まれし者の永久の不利益である。盗みし者の道徳はこれがために堕落し、その結果として終に彼が剣を抜いて盗み得しものよりも数層倍のものを以て彼の罪悪を償わざるを得ざるに至る。もし世に大愚の極と称すべきものがあれば、それは剣を以て国運の進歩を計らんとすることである。」(全集11296頁)
 内村の非戦論は当時人気のないものであったが、その後のわが国の100年の歩みは、内村の非戦論が道義的にはもとより、社会科学的事実認識としても、さらには、内村は「戦略的」視点から論じたものでないことは明らかであるが「戦略的」にも、正しかったことを証明しているといえるのではないでしょうか。
 内村から100年を経た今日、また第2次世界大戦後50余年、人権に対する認識が著しく進んだ国際社会を前提に、キリスト教主義にたつ大学が、こうした視点に逆行する見解を大学の「広告」として受験生に提供することは如何なものでしょうか。むしろ、小泉政権の「広告」的印象で、「官」と「民」の区別を重視した新島襄の精神にも反すると思われます。

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皆さんもぜひ同志社大学に意見を送ってください。

 いつも長いメールですみません。

 それでは失礼します。

★いいお天気の続く新年です
サロン吉田山が、ことしさっそく、いろいろアップされて、うれしいです。
出雲のこともうんと、勉強材料豊富になってる。
日文研あたりの古墳は、建設工事で心配ですが。
末本先生のご体調、完璧に治してください。

    下記の貴HPを拝見致しました。http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/

古舘真という作家です。元ゼネコン社員としての知識を生かしたゼネコン批判、反原発、技術評論、市民活動、石原慎太郎批判、小林よしのり批判、ジェンダーなどに取り組んでおります。
特に石原慎太郎批判には力を入れており、私のHPと拙著の中で厳しく批判しております。
主として彼には民族主義的、差別的な面が強すぎ、日本の経済や技術をやたらと褒め称える点をたしなめる内容となっております。
何かの役に立つかもしれませんので、興味が御座いましたら読んでみて下さい。また拙著、「『NOと言える日本』への反論」(明窓出版)は中国語版もあり、中国で大評判になっております。
HPは毎日のように更新しており、更に充実させる所存ですのでご期待下さい。拙著は私の技術者としての視点から石原を批判した部分が多いのが特徴です。
なお、多くの掲示板に私の偽者がいますので注意下さい。
HPのアドレス(メニューの「社会科学」の所に石原慎太郎に関する記述があります)http://www.geocities.jp/fghi6789/
リンクを貼って頂けると幸いです。
「『NOと言える日本』への反論」(明窓出版)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4896340124/qid=1036136740/sr=1-2/ref=sr_1_2_2/250-4363046-6303433
反調−駁《日本可以説》(経済日報出版社)
http://www.frelax.com/cgi-local/getitem.cgi?db=book&ty=id&id=FD00045885
古舘真

2004年新年メッセージより

★あけまして

おめでとう

ございます。

☆  ☆  ☆

2004年が、平和で ともに生きられる社会を作る節目のスタートに

なるべく多くの人たちと力を合わせて、楽しく 元気にがんばっていきます。

希望を持って、前へ向かっていきましょう! 福島みずほ

★ 2004年の元旦の挨拶

 去年30数年ぶりに故国の土を踏むかどうか、その条件について本国政府との間に綱引きがありました。結局折り合いがつかず帰国をあきらめましたが、このことを報じた本国のマスコミが「日本で活躍中の統一運動家」という肩書を私につけてくれ、俺はそのような者であったのか、改めて認識を新たにしました.終生何とか会長とか、何とか議長とかの仰々しい肩書きなしに通してきた私にとってうれしいことであり、しかも今年傘寿を迎える私のやっていることを現在進行形で報じてくれ、満更でもない思いをしたのです.

 私の健康について多くの友人たちが気遣ってくれているのですが、最近の検査では肝臓も呼吸器も全く正常であり、生真面目に降圧剤を飲んでいるせいで、血圧も上下13080の範囲内です.顧みても私には老後というものがありませんでした。今も忙しい毎日であり、現役のまま或日ぽっくりと逝くことができれば、幸いこれに過ぎるものがあろうか、そのような心境で今年甲申の歳を迎えようとしております.

 住いお年をどうぞ.

    シアレヒム社 鄭 敬 謨

2004年が明けました。心身、お健やかに、意味ある一年でありますように、こころかちお祈り致します。

        200411

“この夜しきりに泪おちて偲ぶ

       雪中にひたひた射抜かれて死にたる彼“

               (宮 柊ニ『小紺珠』から)

13歳で始まった私の戦後において昨年は、全破壊の悪夢が蘇り不安が積もる1年でした。

 今年はどうなるのでしょう。辺見庸氏が、自他に向かって「思え!」と喝破する様に、性根を据えて退くことのない一日一日でありたいと思います.

20世紀は戦争の世紀といわれたが、21世紀に入っても、一段と平和な日々なったとは思えません。

地球上には3000万種以上あるといわれる種の1つとしてのホモ・サピエンスは一体何処へ行こうとしているのだろうか。

社会の動きが速くなり日に日に新しくなっていく現在についていけなくなりそうだと嘆いている自分が居ます。

★昨今の年金問題など大変ですが本年は春よりの天候不順でお米生産は不作でしたがピーマンや白菜・人参・大根など幸い順調で、野菜と共に生きていると言ったたこの項です

★自衛隊イラク派遣が現実的なものとなり、平和憲法は完全に疎みにじられ、日本の将来はどうなっていくのでしょうか。私達の生活を脅かす、不安な問題の山積する年明けとなりましたが、如何な新年をお迎えになられましたか。

なによりも平和を脅かす動きに対し、子や孫の将来の不安を拭えません。平和の語り部としての私達の役割が大切と思いを新たにしています。

★お元気に新年をお迎えでしょうか.今年我が家では自主独立路線の姉娘4人娘が大学等で県外に出そうですが、小4の**とは暫く将棋やキャッチボールを楽しめそう。*ボケ予防と学資稼ぎの為、身の上相談業に奔走。社会情勢も激変。米国追従、自然破壊、大学改悪、治安・月給・社会保証低下等が進行中。自主独立と身の上相談業には良き時代かも。ひとえに小泉首相と彼の人気の賜物でしょう.

 ところで、洗剤毒性をミカヅキモで試験すると、特に台所用除菌洗剤、ふけ防止用シャンプーには、農薬以上の猛毒のある事を再確認しました。昔ながらの石鹸が安心です。また、昨年は海藻文化の起源を韓国の釜山や慶洲及びそれら近郊の海岸、市場などに訪ね、日本と韓国・・朝鮮間の海藻文化交流の奥深さを感じました。

★昨年は「テロ」で明け暮れましたが本年は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する・・・。」(日本国憲法第九条)の基本を正確に理解し實行したいものです。

★いつのまにやら自衛隊がイラクに行くことになってしまいました。“いつのまにやら”というのばっかりですね。2年あまりで私も定年です。“年金”が気になって仕方ありません。もっとも私は勤務年数が少ないので雀の涙程の額しかもらえませんが。

★毎年新年に際し思います。今年こそ・・・と。けれど出来なかった事の多いこと。

9月には喜寿を迎えますが、たった一つ自分をほめてやりたいことは「節を曲げなかった」ことです。

 今後も「誠実」に生きたいと心得ております。末永くおつき合いください。

お呼びかけの“福島みずほ勝手連”へ是非入れて下さい。生涯社会党!!

★有事法制、イラク派兵、外国人排斥、対北強硬論や改憲論の高まり・・・・厳しい状況が続いています。

 しかし、四季はかわりなく巡り、必ず春は訪れます。

 私たちはこの確信をもって、今年も在日朝鮮人の人権擁護、真の共生社会の実現、そして朝鮮と日本の友好と平和の実現のために努力して所存です。

                               在日本朝鮮人人権協会

今年も宜しくお願いします。

★昨秋の選挙で“つよい日本をつくる”という菅代表のポスターをあちこちでみた。エッ・・・・?強くなる為には、それだけ弱い者をつくらなければなりません。

 世に貧困と自分たちの利益のために侵略と抑圧が続けられる限り、テロや暴動はなくなりません。飽食の国々で喰べ残こされる食物に、ネズミやカラスが群がる一方、世界中で餓死する人たちが数多くいます。世界一強い国、アメリカの独善的侵略戦争と、それに手を貸す自衛隊の派遣に、強く反対します。

“人はみな幸せを求めて生きる権利があります。夫々の生き方で”

てな事、言いながら、今日もグータラお酒飲んでます。日、一日と人恋しくなるこの頃です。

★子どもたちの笑顔のあふれる平和な年でありますように。

 わたしは1931年生まれなので、今の世の中の恐ろしさが身にしみてわかります。

末本さん、お体に気をつけてどうぞご活躍ください。

★五十代最後の年になりました。

何処へ流れてゆくのか、先の見えない人生ですが、やっぱり芝居しかないのかな。

社民党、気張って欲しい。あきらめず、くさらず、野党であり続けて欲しい。野党の力こそ社会を変えられる力なのですから。

    新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

何年も前ですが、京都で活動をしていたころ、夏の暑い時だったと思いますが、裁判所からの帰り道で、環境派の弁護士になってもよいかという考えが湧いてきました。その瞬間のことを私は今でも鮮明に覚えています。

 私には人は自由であらねばならないという考えがあって、何かになりたいと願うと共に、何かであると決まってしまうことはいやだと思うところがあります。私が京都で思った瞬間は、今から思えば、自分をさらに未来に向かってなげかけていく過程の始まりであったのだろうと思われます。その後に多くの人たちを交わり、多くの考えを発展させることができました。
 環境は人や自然も含めた身のまわりの関係の総体を示す言葉ですが、恋人や、家族、社会、自然など身の回りのものを愛することが環境を守るという強い動機付けになっているように思われます。何故、身の回りを愛するかというのは理屈の問題ではなく、人はそういう生物であるというのが最近の私の考えです。あるいは、そういう存在になりたいと思うということかも知れません。恋人を失い、家族を失い、自然を失うことで生じる抜きがたいつらい気持ちは人が愛することのできる生物であることの証明でもあります。
 世界は非常に悲しい状況にありますが、誰もが平和で豊かな世界に住み、個人が等しく尊重される社会を思う人々の連携も発展しています。今年は環境NGOとしての実力をさらに発展させ、世界の人々と連携して人が誰でも尊重される社会を目指して活動していきたいと思います。
弁護士  籠 橋 隆 明

  

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