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2006-04-30

SOLID

「兄弟の確執…一澤ブランドの危機」

とタイトルされた特集が報道されて、ひと月ちかくが過ぎた。
この四月四日、MBSによる。
まず全文を引用したい。
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丈夫そうでシンプル、ここでしか買えないという手作り感が、長年、顧客の心をとらえてきた京都のカバン店が、店を閉めてから1ヵ月が経とうとしています。

先代社長の残した遺言書が生んだ兄弟の確執。

一澤帆布で何が起きたのでしょうか?

京都・東山の一角。

素朴なデザインと丈夫さで人気のカバン店、一澤帆布は、この春、特に多くの客でにぎわいました。

<女性客>
「友人が珍しいネームが入っているのを持ってたから欲しいなと思っていた。(タグを指して)これが欲しくって!」

“東山知恩院前上ル”と書かれた独特のタグは、元々、修理を希望する客に、店の場所が分かるようにと張り付けられたものです。

その後、「ここに行かなければ買えない」というオンリーワン感覚をくすぐり、一躍、京都ブランドのシンボル的な存在となりました。

人気のトートバッグは、3,000円〜1万円くらい。

ショルダーバッグは2万円程度までと、このそこそこの価格帯が一澤ブランドの値ごろ感を支えています。

最近では、同志社小学校のランドセルにも指定され、不動の人気を築いてきましたが、今、その一澤帆布のカバンは、兄弟間の紛争で、突然、製造中止になりました。
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<三男・一澤信三郎さん>
「長男が、オヤジが死んで4ヵ月くらい経ってから『自分も内密に預かっている遺言書がある』と言い出して。それには、まったくありえん内容がいろいろ書いてあって」

<長男・一澤信太郎さん>
「父が死ぬ1年前くらいに『体力も弱くなったし、今のうちに書き直しておく』と言って、書き直したものを『オマエ持ってろ』と言われて、僕は預かっただけでして」

5年前に亡くなった先代が残した2つの遺言書。

これが長男・信太郎さんと三男・信三郎さんの間に、修復しがたい確執を生んでしまったのです。

最初の遺言書は和紙に毛筆で書かれたもので、店を大きくした社長の信三郎さんに、株式の大半を相続させるとありました。

25年前に勤めていた新聞社を辞め、町のカバン屋を京都ブランドにまで育てた信三郎さんに“家業を託す”そんな遺志が読み取れました。

銀行勤めで、家業には興味を示さなかったという長男には、預貯金の大半を譲ると書かれていました。

<三男・一澤信三郎さん>
「誰もが納得する内容やと思うんです。ところが長男が預かってたという遺言書っていうのは…」

長男・信太郎さんが「父から手渡された」という第2の遺言書。

こちらの方が日付が新しく、株式のほとんどを長男に譲るとありました。

長男を筆頭株主にして、3人いる兄弟で過半数にたっしない範囲で株を持ち合えと言う内容でした。

<長男・一澤信太郎さん>
「要は『一澤帆布はみんなで3人でやれ』と言うのだし、僕も未だにそれが正しいと思ってるわけ」

裁判で争われた末、メモ用紙にボールペンで書かれた「第2の遺言書が有効」だと判断されました。

<長男・一澤信太郎さん>
「僕は勝ったも負けたもないと思う。どっちが勝ったやなしにね、いいカバンを作って一澤帆布を皆さんに喜んでもらう方がいいやん。勝った負けたって。ただし、現実的には勝ってるよね」

<三男・一澤信三郎さん>
「私はオヤジが書いたもんやないと思いますね。(Q.誰が書いた?)私は長男が書いたと思います」
 ─────
そして工場を明け渡す日…

<三男・一澤信三郎さん>
「みんなと長年築いてきた、この東工場と北工場を明け渡さざるを得なくなって、裁判所の判断は、私は非常に不本意やし、無念やけれども、それには従わざるを得ない」

社長を解任され工場を明け渡し、信三郎さんは、家業から身を引く覚悟をしたといいます。

ただ70人の職人・社員全員が、それを許してはくれませんでした。

社長について行き、一澤帆布と決別する道を選んだのです。

<記者>
「皆さんご家族があったり、生活があるのに、一澤帆布を離れることに迷いはなかったんですか?」

<職人・北川信一さん>
「当然、当然あります。でもね、モノ作りをしていくのに、そのモノを愛してくれてない。そういう人についても、やっぱりいいものはできない。戦わずに流されてダメになるより、ちゃんと正直に、私たちが今までやってきたことを継続できるようにしていきたい」

「必ずここに帰ってこよう」そう誓って、信三郎さんと職人たちは別のブランドを立ち上げ、カバン作りの再開を目指すことにしました。

<三男・一澤信三郎さん>
「みんなええ社員と職人ばっかりや…」

そう涙ぐむ信三郎さん。

職人たちの誇りと意地のおかげで、京のカバン屋の大将は、好きな仕事を続けることができました。

同じ日、長男・信太郎さんは、明け渡された工場のカギを受け取りにきました。

そして、自分の城となった一澤帆布の店に足を踏み入れました。

100年続いた一澤帆布の店の灯が消えたのは、そんなことがあった3日後のことでした。
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<長男・一澤信太郎さん>
「ここ(一澤帆布の店舗の4階)で暮らそうかと思ってるんやけど」

兄・信太郎さんにとって、遺言書の真がんに始まったいくつかの裁判は、弟の理不尽な言いがかりに思え、それらを1つ1つ覆す「もぐら叩きのようなものだった」と言います。

<記者>
「こんなことになって父に顔向けできないという思いは?」

<長男・一澤信太郎さん>
「信三郎はあるでしょう。僕は『そのうち落ち着くし、もうちょっと待ってて』と報告した」

新社長は、『一澤帆布』の名前でカバン作りをしようと職人を集め始めていますが、まだ、再開のメドはたっていません。

<長男・一澤信太郎さん>
「職人さんが別ブランドでやるのをいいことかと思っているかというと、信三郎に言われて、みんなついて行ったけど、本当は一澤帆布の工場で元通り作ってもらって、ここ(一澤帆布店)で、お客さんに買って欲しいと、ほとんどが思っていると思う」

<三男・一澤信三郎さん>
「職人の方が『潔う、捨てるもん(名前)は捨てましょ、1から出発するんやから』と。私にしたら“一澤”というのは本名やし、アイデンティティですわなあ。だから『えー』と思いましたよ」

信三郎さんたちが立ち上げる新しいブランドの名前は、『信三郎帆布』と『信三郎布包(カバン)』に
決まりました。

少々困惑はありますが、職人たちとは新しい旗の下で再出発を誓い合いました。

色使いやガラ物など、一澤帆布時代には出来なかった若い人のアイデアを取り入れることができるのも、騒動のおかげかと思えるようになってきました。

<三男・一澤信三郎さん>
「あの時に仕事を断念してたらどうなったかと思うとね…。でも、みんなと一緒に仕事ができるというのは、こんな有難いというか、嬉しいしね。こんな男みょうりに尽きることはないと思ってますけどな」
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“東山知恩院前上ル”にミシンの音が戻って来ました。

『一澤帆布製』のカバンに憧れ、慣れ親しんだ多くの客は、『信三郎帆布』のカバンを同じように手にとって使ってくれるのか。

新店舗は6日オープンです。
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引用は以上である。

さて、「一澤帆布」の店鋪であるが、当方の実家から余りにも近い。
だがいまは滋賀県に住み、相当の時間も経っている。
ある程度は距離を置いて見ることが出来ようかとは思っている。

判決は判決として尊守されなければ、法律の存在意義がない。
また職人サイドの意向も十分に尊重されなければ、人権の存在意義がない。

この背反のうちに、そのただなかで、争われるべき裁判だったと考えている。
別の言い方をすれば、裁判は「遺言の真偽」に限り、その内部においてのみでしか、争われていない。

そうした点は念頭に置いて考えたいと思う。

ただ、

「信三郎さんたちが立ち上げる新しいブランドの名前は、『信三郎帆布』と『信三郎布包(カバン)』に決まりました」

と、ある。

当方は「外野」にすぎない。
その意味では、口出しは僭越だ。

しかし、四〇年近くのあいだ「ご近所」だった。
このさい一言、いわせてもらいたいことも、まったくないとは言いきれないのである。

「帆布」

という言葉が残されている。
ブランドへのこだわりであろう。

こだわるのなら、どこまでも、

「質」

にこだわっていただきたかった。

ブランド価値でいえば、すでに多くの消費者から、マニアックかつ広汎な支持を得ておられる。

一方で、訣別されたにもかかわらず、「帆布」の文字は残される。

(外野が何をいうとんねん)

と思われるかも知れない。
当然そう感じられよう。

だが、ブランド価値を活かし、質も保つ。
そんな方法が本当にまったく考えられなかったかどうか、とも思う。

たとえばファッション業界で、

「KENZO」

というのがある。

「けんぞう帆布」

とは云わない。
しかし知名度は世界的だ。

そこで思うのだ。

「信三郎」

ではいけなかったのか、と。

さらに新製品には、以前のブランド名にこだわるあまり、これまでは作ることが出来なかった新しいアイデアなども、様々に盛り込まれているようである。

いまや「京都発」というだけで、ブランド価値としては、文化的にグローバルな一角を占めていることははっきりしてきた。質さえ落とさない限り。

そうした意味では、京都の、

「信三郎」ないし「京都・信三郎」

や、

「SHINZABURO」

ではダメなのだろうか。

「エルメス」にパリ製の文字は不要である。
「アルマーニ」にイタリアなどと書かない。
「バーバリー」にブリティッシュなどと不粋だろう。

そんなふうに考えたりもしている。

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