日本裁判官ネットワークブログ
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1 家のアサガオが咲き出した。今年は比較的庭の手入れに熱心である。6月初旬にアサガオの苗を10本ばかり買ってきて,プランターに植えた。支柱を立てて網を結びつけた。その苗が私の背丈よりも高くなり,つい先日咲き出したのである。この花を見ると,「夏が来た」という実感が湧くような気がする。

2 昨年のアサガオのこぼれ種からも10本近くの苗が伸びたので,支柱を立ててやった。結構庭がアサガオで賑やかになっている。塀の外の通り沿いの細長い花壇にも,5本くらいニョロニョロと蔓が伸びており,通行人がふと立ち止まって,わが家のアサガオを眺めそうな風情である。この夏はできればわが家を「アサガオの家」にしたいと思っていたが,期待どおりになるかも知れない。

3 あれは長女が小学1年生のときであったと思うが,四国のある裁判所の支部に勤務していたころ,木造一戸建ての宿舎に住んでいた。その年の夏の子供の理科の宿題に自由研究というのがあった。そこで宿舎の東側の壁一面に,アサガオの苗を20本近く植えて,支柱を立て,そのアサガオの花の数を数えて表にしたことがあった。最初は数個の花が咲いていたが,最盛期には毎日200個以上の花が咲いて,数えるのが大変で大騒ぎした記憶である。アサガオの花はこんなにも沢山咲くものかと驚いたものである。小学1年生が数を数える練習をするには最適で,懐かしい記憶となっている。この自由研究は,子供1人に1度は使えるような気がする。そのころを懐かしんで,今年はアサガオの花の数を書きとめてみようかと思っている。

4 確か茶人千利休が,アサガオの花を一輪だけ生けて,豊臣秀吉を接待したという話があったように思うが,あれは何を意味したのだったか知らん。調べてみることにしよう。

5 「アサガオや おもひを遂げし ごとしぼむ」(日野 草城)
                                 (ムサシ)

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1 離婚事件などの夫婦の紛争では,夫が家事・育児に殆ど協力しないという内容が少なくない。共働きかどうかに関わりなく,家事・育児の大半は妻の仕事とされている家庭が殆どであろう。夫が家事を頑張っている家庭もあるし,最近では夫が育児休暇を取ることもあるが,稀有な例である。わが家は共働きであり,他の家庭と同様に,これまで家事は主として妻の仕事であった。私は比較的家事を頑張る方ではあるが,客観的には補助的な家事労働の手伝い人に過ぎなかった。

2 ところで私どもは仕事上の理由で5年間別居生活を送り,昨年4月に別居が解消した。その5年間は私が自炊生活を送ったため,私の家事の腕前は自称「免許皆伝」の域に達した。洗濯などは言うに及ばず,料理なども結構本を買い込んで研究したので,「玄人はだし」とまでは言えないが,男の料理として結構本格的ではないかと思っている。

3 ところで妻は昨年4月に地元の大学の教壇に立つようになり,昨年8月には弁護士登録をして,この1年多忙な日々を送ってきた。そしてこの4月からは仕事で超多忙状態になっており,毎日いつ帰宅するのか甚だ不規則である。私も結構忙しい身であるが,妻の多忙という事態を前にして家事の大半を私が分担しようかと思うに至り,ここ暫く様子をみていた。そしてついに緊急事態として,「当分の間家事は全て私がする」ことを密かに決意した。勿論このことは妻には話していない。

4 そこで私は毎朝6時に起床することにし,妻が起床する前に家事の全てを片付けることにした。起床後すぐに風呂に点火し,週日2日は洗濯機を回す。その騒音を防ぐために,洗濯機がある場所のドアを閉めて,妻の睡眠を妨げないようにする。そして週2日のゴミ収集日,月各1回の資源ごみと埋め立てごみの日にはごみを出し,午前6時30分には約30分の犬の散歩に出かける。帰宅後は庭に出て,毎日約10分間水撒きや草取りなどの庭の手入れをする。

5 その後風呂に入って汗を流し,ついでに洗濯物を干し,その後で台所に立つ。そして主として私の昼食と夕食の2食分の弁当を作る。弁当は野菜と果物中心で,蛋白質は魚肉と豆腐,納豆などと,健康上の高度な工夫がなされている。弁当を作りながら朝食を済ませる。午前7時半過ぎ家事が終了したころ妻が台所に顔を出す。

6 ところで家事の殆どを私がこなしているのであるから,妻は当然に私に足を向けては寝られない筈である。日々当然にまず感謝の言葉が発せられるべき筈だ。ところが発せられたのは感謝の言葉ではなく,あれこれの苦情であった。さすがに私もこれには驚いてしまった。
 食器は洗ってあるが,洗った食器が山になったままで片付けていない。私が料理すると,ガスレンジが汚れたままで放置され,汚くなる。洗濯した後,洗濯物を干さないままに忘れて放置してあることがある。犬と猫の毛を梳いてやらないので,あちこち家中に抜けた毛が落ちていて汚い。妻の帰りが遅いので,遅くまで起きてテレビを見ながら待っていると,「あら何しているの?」と来る。まるでだらしない生活態度を非難されているかの如くである。

7 何を言うのか。心配して起きて待っているのが分からないというのか。「あら何しているの?」ではなく,「心配かけてごめんなさい。」だろう。
 「なるほどケチをつけようと思えば如何ようにもつけられるものだなあ。」と感心してしまった。

8 私も人の子。感謝されるべきときに感謝の言葉もなく,文句が来ると当然に腹が立つ。妻の大変さは事務員もよく承知している。私はしばしば「今日も家事は僕が全てこなした。ウウウ!できた亭主!」などと言って,自分に対して感動しているという泣き真似をして事務員を笑わせているのである。ところが感謝の言葉がない。腹も立つ。

9 普通なら夫婦喧嘩になるところであろうか。しかし講談調に言えば,「そこでムサシは考えた!ベンベン!」ということになるが,きっと毎日の大変さにイライラしているのだろう。私に感謝はしているが,感謝の言葉を素直に口にする気持ちの余裕がないのであろう。それならばニコニコしながら感謝の言葉が出るまでジット待つことにしよう。「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす」。これは徳川家康の心境か。「鳴かせてみせよう」とはせず,怒りの表情も決して見せず,ジット笑顔で待つのである。

10 妻が文句を言えば,私の方に言い分があろうとも,私はすぐに謝ることにした。これを名付けて「奥義無抵抗土下座の術」という。これは良好な夫婦関係を維持するための高度な秘術である。「夫はいかなる場合にも,妻に優しくなければならない。」。この言葉は,家事事件の依頼者が男性の場合に私が常に言っている言葉である。

11 私のケースでは本気で妻に謝るわけではなく,単に妻から感謝の言葉が出るまでジット我慢して待つという作戦に過ぎない。より正確には,「奥義無抵抗土下座・舌ペロリの術」と言う。これはよほど修行を積んだ達人にしかできない高度な技である。
 今暫くは,自分に対して「お主できるな!」などと,マラソンの有森裕子さんのように,「自分で自分を褒めてあげる」という人生の達人の日々を過ごすことになりそうである。しかし間もなく大学は夏休みに入るし,妻にも余裕が生まれるだろう。待ちわびているその日もそう遠くない日にやって来そうな気配ではある。(ムサシ) 

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8 彼は麻雀に狂ったお陰で司法試験に合格できたと自慢している。こういう話を現在受験勉強をしている学生たちにすると有害無益以外の何物でもないだろう。実際彼は就職2年目に,ロクに勉強もせずに試験に合格してしまった。私もその年の最初の試験(短答式試験)は合格したが,論文試験で不合格となったものの,結構手応えはあったので,不合格なままに退職して試験勉強に専念する決意をするきっかけになったのであるが,彼は自分が余り勉強しなくても合格してしまったことが,私が退職という常識的に不可解な行動を選択した原因になったのではないかと,後日彼は私に謝罪したものである。

9 そしてその年の12月1日,冬のボーナス支給の基準日に二人で辞職願を出して,ボーナスを貰って辞職した。資料室で一緒に辞職願を書いた。彼は合格して前途洋々の辞職,私は不合格で無職という他人や親から見れば理解困難で気の狂ったような,全く明暗を分けた形の辞職であった。

10 その後私は,親に相談もせず勝手に退職したとして親から勘当され,その1年ないし2年後の未だ志を果たす前に,病気や交通事故で相次いで両親を亡くし,そのショックで勉強を頑張りきれないなど,予期せぬ不遇な青春の日々を過ごしたのであるが,その後婚約したり,婚約者と同時合格といういささかドラマ風な経過を経て,私も無事志を果たし,夫婦で裁判官になった。そして既にその協議会の前の段階で,様々な場面で彼とは裁判官としての再会を果たしていた。

11 その協議会の二次会の席上,私は長官に次のように言い付けたのである。「長官,○○君は,麻雀に狂ったお陰で試験に合格できたと自慢しているひどい奴なんですよ!」。この話にも,長官も同席していた裁判官も興味を示した。その理屈を彼はこう説明した。
 最近司法試験の制度は変わったので,旧司法試験ということになるが,当時は二次試験の論文試験が難関であった。論述式の問題が7科目につき各2題出題されて,1科目2時間で解答するのであるが,問題を見た彼の頭には書きたいことが泉の如く溢れ出して整理に手間取り,やっと1題目の問題に自信作の答案が書けた時には,既に1時間半以上が経過しているというのである。もう1題を30分足らずで書くので,1題目の答案がいかに優秀でも,2題併せると不合格になるという,主として時間配分の失敗で,これまで合格できなかったというのである。2題で3時間なら絶対に自信があったと彼は言った。

12 ところが就職して麻雀に狂って勉強をサボったお陰で(?),彼の頭は問題を見ても書きたいことが溢れなくなったというのである。そこでほどほどに筋を纏めて答案を書いたところ,時間も余り,書いた答案も見直しができた。そして定員約500人中,2桁の優秀な成績で合格したというのである。なるほど麻雀のお陰で合格できたと自慢するのも無理はないし,一応理屈はあっているということであろうか。しかしこれは一体頭がよいということなのか。一体こんな合格の仕方が許されてよいのだろうか。世の中には変な奴がいるものだなと感心した。しかし素直に納得しがたい話ではある。

13 この話を聞いて,長官も他の裁判官も一様に爆笑したが,納得しつつも釈然としない表情であった。彼は今,某地裁の所長として活躍している。司法試験は,その後内容も変化し,時間に関する事情も当時と同じではない。しかしこの話は,面白い話ではあるが,現在の新司法試験の受験生に話すのは有害無益ではないかと,いささか躊躇を覚えるのである。(ムサシ)



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1 あれは今から約15年も前のことである。私たちは夫婦裁判官として別々の裁判所に勤務していた。そのころその地方の高等裁判所で,裁判官による協議会が行われ,夫婦で参加した。有意義な協議会が行われ,懇親会の後スナックで二次会が行われることになった。時の高裁長官はとても気さくな方であったし,妻の司法研修所のクラス教官であったことなどから,長官も二次会に参加されたが,そのためもあってか,二次会の参加者は甚だ多く,大盛会となった。

2 その二次会の席には,裁判官になる前からの私の友人も参加していた。大学を卒業して行政職の国家公務員になった時の同期で,私よりも先に司法試験に合格して裁判官になっていた。その友人が,「長官,実は私とムサシ君は,同じパンツを穿いた仲なんですよ。」と言ったのである。長官はニコニコされながらも怪訝(けげん)な表情で,「同じ釜の飯を食った仲という話はよくあるが,同じパンツを穿いた仲とは一体どういうことかね?」と聞かれた。妻も近くで怪訝そうな顔をして聞いていた。

3 同期入省者は9人で,他にも在学中司法試験を目指していた者は何人かいたが,私と彼の2人だけが,なお司法試験を諦め切れずにいたのである。就職後3か月の新任研修があり,夕方5時になると解散となり,ほぼ毎日皆で麻雀をすることになった。麻雀は2卓で8人なので1人あぶれる。私も麻雀はできたのであるが,できないことにして麻雀はせず,帰宅してセッセと司法試験の勉強をしたのである。

4 彼は在学中は超真面目人間で,麻雀をしたことはなかったそうで,「世の中にこんなに面白い遊びがあるとは知らなかった。」などと言って,就職後は余り試験勉強もせず,周囲の心配を余所に,麻雀に狂っていたのである。私もある時「お前,本気で合格する気があるのか。」と彼を叱りつけたことがあったと彼は言う。しかし結果として彼は麻雀のお陰で試験に合格できたなどと自慢しているのであるから,世の中というのは結構不思議なものである。

5 私は3か月の新任研修終了後も,仕事が終われば急いで下宿に帰り,セッセと勉強をしていたが,彼は残業や麻雀などに明け暮れて,ロクに勉強はしていなかったようである。しかし私が頑張って勉強していることは気にはなっていたようで,時に私の下宿を偵察に来た。「おい,勉強を頑張っているか。たまには酒でも飲もう。」と言って,酒瓶をぶら下げて私の勉強を邪魔しに来るのである。私は「勉強の邪魔だから帰れ。」と言うのに,「まあまあそう固いことを言うな。」と言って,無理矢理酒を飲むことになり,挙げ句の果てに,「今日は泊めてくれ。」と言って勝手に泊まり,翌朝「下着を借りるぞ。」と言って勝手に私の粗末な下着入れの引き出しを開けて,洗濯してはあるものの,決して純白とは言えないパンツやシャツを取り出して,着て帰ったのである。こうして彼は,何回か私のパンツとシャツを「借りた」と称して着て帰り,決して返却することはなかった。返却されても処置に困っただろうが,どうやら彼はその後も洗濯して下着を使っていたのではないかと思われる。

6 ところが私のパンツやシャツには,全てマジックインクで黒く名前が書いてあった。私は在学中寮生活を送り,一本の物干し竿に複数の学生が洗濯物を干したので,名前を書いておかないと紛失する恐れがあり,パンツに名前を書くのはごく当たり前のことだったのである。ところが,やがて結婚した彼のパンツに,ムサシという名前が書かれたものが何枚も出てきたのである。新婚の奥さんは,彼と私の関係を只ならぬ仲と疑って,「一体どうゆうことなの?」と柳眉を逆立てて,彼に詰め寄ったというのである。

7 二次会のスナックの席で,彼は皆の前でこのような話をした後で,「ムサシ君!お前なー,パンツに名前など書くなよな。お前のお陰で妻に変な疑いをかけられて大変迷惑した。」と私に苦情を言ったのである。その場は大爆笑の渦となり,長官も笑い転げておられた。妻も大笑いをしていた。(ムサシ)
(本稿と次回稿は本人の査閲済みであることを付記しておきます。)



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(本稿は,「日本そばの話」(3)(平成20年6月26日)に続くものである。)
1 先日上京した際に,東京駅18番ホームの北端近くの立食そば店で掻揚げ天そばを食べた。私はこのところ2か月に1回程度上京する機会があるが,上京する際には何食かの食事の1食分として立食そばを食べることが多い。美味しいかというと,決してそう思うわけではない。なぜ食べたくなるのか,実は自分でも不思議に思っている。

2 私は高校の頃まで日本そばを食べた記憶がない。おそらく私の郷里では,当時日本そばを食べるという習慣はなかったのではないかと思う。高校のころ「諸君はいずれ東京に出ることもあるだろうが,ザルそばを食べるときには決してそばつゆをそばにかけてはならない。ザルそばの底はザーザー漏れるぞ。」とか,「そばは噛まずに飲み込んで胃までつながっているのがそば通の食べ方である。」とか,「えびの天ぷらは尻尾まで食べるのが通である。」などと,漢文の先生が面白おかしく生徒を笑わせて,爆笑の渦となった記憶である。

3 東京の大学に進学した後,さして日本そばを食べ歩いたという記憶はないが,私はいつのまにか日本そば好きになっていた。大学を卒業して公務員になったのに,突如気が狂ったかのごとく退職して無職となり,弁護士を目指して勉強を開始したが,当時親から勘当されて仕送りを受けることができず,自分でもどうやって食べていたのか不思議な時期が続いていた。弁護士事務所の事務員として働いた時期もあるが,両親を相次いで失った後は,医師である私の兄が,私の自殺を心配して経済的な援助を申し出てくれ,事務員の仕事もやめたのである。私が公務員を辞めてから試験に合格するまでの期間,私はしばしば駅の立食そば店で掻揚げ天そばを食べた。当時間借りしていた部屋から100メートルくらいのところに私鉄の駅の立食そば店があり,主としてそのそばと,炊飯器で炊いて自分で作った握り飯などで,細々と命を繋いでいたように思う。

4 東京の立食そばは濃い醤油味で,決して美味しいとは言えない。いつも食べ終えると,「まずいなー」と思って食べたことを後悔したものである。しかし不思議なことに,3日くらいするとまた食べたくなるのである。ある落語に,「酒のない 国へ行きたい 二日酔い また三日目に 帰りたくなる」というのがあるが,何だかこれに似て,「また三日目に 食したくなる」のである。

5 私は司法試験に合格して裁判官になり,全国を転々としたが,その住居となった町ごとに,美味しい日本そば屋を捜して通いつめたものである。今も郷里の日本そば屋を本で捜して,何十軒も食べ歩いて,ついに満足できる安くて美味しい店を見つけて,行きつけの店としている。また本で研究した結果,気に入った「そばつゆ」を自分で作ることができるようになったので,健康法として日本そばに含まれている抗酸化物質(ポリフェノール)であるルチンを摂取するために,週2回程度日本そばを食べることにしており,自分で茹でてザルそばを食べているが,大変満足している。おそらく遠からず,そば粉を買ってきて,自分でそばを打つことになるだろう。そのための本も5冊位買ってある。

6 東京の立食そばは決して満足できる美味しさではない。しかし上京するたびに食べたくなるのはなぜなのだろうと不思議に思うのである。きっと私が不遇な青春時代を送ったころ,「志を果たして いつの日にか帰らん 山は青きふるさと 水は清きふるさと」という望郷の思いを胸に,まずい東京の立食そばで命を繋いでいたころの青春の日々を懐かしく思い出すからではないかと思っている。
 「江戸そばは まずさもまずし 懐かしき」。これは,川柳「碁敵(ごかたき)は 憎さも憎し 懐かしき」をもじったものである。そのうち本で調べて本格的な東京の美味しい日本そば屋の食べ歩きをしてみようかと思っている。さすが本場の味というザルそばに出会うかも知れない。そのときはえびの天ぷらも注文して,尻尾まで食べてみることにしよう。(ムサシ)


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1 刑事事件の被害者が加害者に対して損害賠償を請求する場合の負担を軽くするために,損害賠償命令制度が平成20年12月から施行された。甚だ偶然のことではあるが,最近私が居住する県内で第1号の事件として私が担当したため,マスコミの取材を受けて,NHKの地元のテレビで放映されたり,地元の新聞にも掲載されるという事態となった。

2 刑事裁判で被告人に有罪判決が出た場合に,事件の内容を詳しく知っているその刑事事件の担当裁判官が審理を行い,短期間で損害賠償について命令を出すという制度である。刑事事件として被告人が起訴された後,審理の終結(結審。判決よりも前)までに裁判所に損害賠償命令を申し立てる必要がある。

3 裁判官は,公開の口頭弁論を開く場合もあるが,口頭弁論を開かないで,非公開で審尋(事情を聞く手続き)をする場合もある。特別な事情がなければ4回以内の審理期日に審理を終結することになっており,その後決定までの期間については規定はないが,およそ2週間前後と考えてよいようである。

4 損害賠償命令に対して当事者に不服がある場合には,決定書を受け取った時から2週間以内に異議を申し立てることができ,異議が認められると正式の民事訴訟を提起したものとみなされることになる。

5 私の場合には当番弁護士として,未成年者に対する強制わいせつ事件で逮捕後勾留された被疑者に面会(接見)し,その後父母に連絡を取ったことから,刑事事件の私選弁護人となった。父母ないし被疑者本人が刑事弁護人の弁護士費用を支払うということである。そして刑事事件の弁護人としての弁護活動を行い,刑事事件の判決が宣告された。

6 刑事事件の判決は幸い執行猶予付きで,被告人は判決後直ちに釈放されたが,それに引き続き,裁判所の別室で損害賠償命令の審尋手続きが行われた。申立人には代理人として弁護士がついていなかった。その日はなぜか被害者の父母である申立人らが出頭しなかったため,次回期日が決められた。次回までに損害賠償命令申立事件の相手方代理人として,私が答弁書と参考になる類似の命令などの資料を提出すると述べた。

7 次回期日が実質的な第1回期日となり,申立人らも出頭した。私は答弁書と若干の資料を提出した。答弁書の中で損害額の根拠や,被害者が事件前から精神的に不安定であったかどうか,その治療経過などについての報告を求めた。また裁判官は,申立人らに対して若干の質問をして,いくつかの宿題を出した。私もその日の手続きを踏まえて,準備書面を提出する旨述べた。

8 第2回期日には,またもや申立人らが欠席した。日を間違えたというのである。私は準備書面を提出した。

9 第3回期日には申立人らも出頭し,宿題に対する回答の書面などが提出され,裁判官が若干の質問などをして,手続きが終了した。決定は2週間以内には送付するということであった。

10 そして8日後に,裁判所から決定を取りに来るようにとの連絡を受けて,事務員が受け取ってきた。約500万円の請求に対して,120万円を支払えという内容であった。私は依頼を受けている加害者の父に電話して決定の内容を伝えるとともに,決定書の写しを送付すること,決定に異議を述べないことを求める意見を伝え,意見は一致した。双方ともに2週間以内に異議を述べず,決定は確定した。私が金銭支払いの手続きを行い,私が領収書の案を作成し,この金銭の支払いで,全て解決済みであることを確認する条項を入れて,被害者の父に電話で読み上げて,了解を取った。

11そして全て無事に手続きを終えた。被害者の父は,この制度のことを検察官から教えられたとのことであった。この制度のことが広く国民に知られることになると,被害者との直接の示談交渉が多少難しくなって,弁護人の腕を振るうには,やや困難を招来することになりそうではある。しかし被害者救済のためにとてもよい制度ができたと思う。大いに活用されるべきであろう。  (ムサシ)



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1 先日,大学のクラスメイトが急死したという連絡を受けた。彼は極めて健康そうな様子であったから,突然の訃報である。彼は社交ダンスを愛好しており,しばしば社交ダンスを楽しんでおり,その練習の帰途突然倒れたというのである。心筋梗塞ということであり,ショックを受けた。

2 おそらく本人には,日頃からそれなりの不安はあったものではあるだろう。健康というのは,日常生活において,いかに体に優しい生活を送っているかというトータルな結果である。タバコを吸ったり,大酒を飲んだりしながら,長生きしようというのは滑稽な話なのである。野菜やビタミンや繊維質や乳製品をいかに摂取しているのか。しっかり睡眠や休息を取り,適度な運動をしているのか,ストレスを溜めていないかということである。そのような努力をしていても,いろいろと起きるのが人生である。健康法というのは,目に見えないところで,健康の敵をボディブロ−しているということである。健康法というのも,かなり努力をしたとしても,せいぜい10年長く生きるかどうかという程度のことに過ぎない。
 そこで一句。「健康法 効果は定かに 見えねども 髪の黒さに 驚ろかれぬる」

3 今回から数回は減量作戦の新展開の話である。減量報告はまだできないが,その後も工夫は進化しており,間もなく公表の時が来そうである。この4月末に脳ドックの検査を受け,異状はないとの結果であった。その際病院は私に減量の説明をするとの話であったが,丁重にお断りをした。これまで減量の話は何度も聞いたが,全く効果がないからである。

4 この10年余り毎年お盆休みの頃,消化器関係で1泊の人間ドックを受けてきた。脳ドックは思いついた時に2年に1回程度受診してきて,今回3回目である。今後これらを定例化し,毎年8月に消化器の人間ドックを,その半年後の2月に脳ドックを年1回ずつ受診することに決めた。こうすれば血液検査などの各種の基礎的な検査が,時期的な重複を避けて半年ごとに行われることになるので,年齢からみても最も効率よい健康チェックが可能になる。これは名案である。この検査を受診しておれば,とりあえず検査後1年間は大丈夫だと一応保障された気分になるし,仮に見落としがあって手遅れになったとしても,なすべきことをなした上での結果になるので,諦めもつき安いというものである。

5 飲酒量はこの間かなり減らしたので,飲酒量の指標となる「ガンマGTP」の数値は今や正常値となっている。これも酒と戦って勝利したという格好いい話ではなく,「恥ずかしながら」格好悪く,しかし頭で勝利したということになろうか。その工夫として家には飲酒可能なアルコ−ルは一切置かないことにしたが,その作戦が成功しているに過ぎない。飲酒不可能なアルコ−ルとして料理用日本酒は置いてある。何度か妻に隠れてそれを飲んでみたが,さすがに飲む気にはなれなかった。もっとも料理用日本酒にも2種類あって,実は飲めるものもあることに気付いてはいるのだが,飲める方は家には置かないことにした。かなり前に料理用日本酒の中味を密かに美味しい日本酒に取り替えておいて,家族を騙していた時期もあるが,妻は騙せても自分は騙せないので,自ら恥じてやめた。妻がお気に入りで買い置きしている1000円のブランデ−を盗み飲んで,密かに時々同じビンを補充しておいて素知らぬ顔をするという作戦も止めることにした。妻はそれに気付いていたが,呆れたというよりも,私を憐れに思ったようで,咎めることはしなかった。そして私は,夫の健康のために妻用のブランデ−も置かないか,置く場合には,私が捜しても見つけられないように隠しておくように妻に頼んだのである。
(ムサシ)





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1 万歩計を買った。私の健康上の最大の課題である肥満解消作戦の一環として毎日1万歩歩こうと思ったのである。種々の試行錯誤を経て,この6月から満を持して本格的な減量作戦を開始した。栄養失調などの心配がないように,シッカリ食べながらということになる。このたび失敗するなら,もう二度と減量を口にすることはしないつもりである。
 ところが困ったことに,万歩計で測定した結果,既に毎日1万歩を歩いていることが判明したのである。犬との散歩で毎朝約3500歩(約35分,100メ−トルを6回走る)歩いており,事務所にこもったままの日は約8000歩,法廷などに外出する日は1万歩を超えていることが分かったのである。目標1万歩では減量にならない。目標を高めて1万5000歩に変更したが,なかなか大変である。

2 今から15年も前のことであるが,約10キロ痩せたことがある。そのときは家族と焼肉を食べに行ってもビールを飲まなかったから,かなり本気だったと思う。ただ家族に言わせると(自分では全く気がつかなかったが),私がいつもイライラして機嫌が悪かったそうで,「そんなに機嫌が悪くなるのなら,痩せなくてもいい。」と家族に顰蹙(ひんしゅく)を買っていたというのである。反省!

3 今回はニコニコ減量で行くことにしよう。減量のための作戦もほぼ完成しているが,わずかな隙が計画を失敗させるし,日頃の節制が宴会などの機会に反動となって,ビ−ルを飲みまくったりして,また別の顰蹙を買うという恐れもないわけではない。
 5月末に,わがトレ−ニング計画表に種々の工夫を加えて改良した。新たな決意表明である。成功のためには飲酒の喜びよりも,減量の喜びの方が遙かに大きくなる必要がある。毎朝精密体重計で体重を測定し記録しているが,その瞬間の喜びの大きさが勝負であろう。

4 私は健康法に関して多くの意見やアイディアがあり,それを多くの機会に発言してきた。最近私の小学校時代以降の各種の同窓会などによく出席するが,同年齢の友人たちを見て,「自分はこんなにも老人だったのか」と思い知らされてギョッとすることが多い。66歳の同級生が(年相応に)みんな(中には例外の人もいるが)年老いてしまったような印象である。若さを保つにはそれなりの方法があるが,かなり工夫と努力が必要である。しかし意識して努力すれば,確実に成果を挙げることは可能であると思う。しかしながら私の友人達は,私が年齢から見てかなり若いと認めつつも,「遺伝だろう」とか,「お前が異状なのだ」などと言って,不思議なことに私の健康法を多少なりとも参考にしようという気には余りならないようである。その原因は単に私が肥満体(約80キロ)であるというひとことに尽きるように思うのである。

5 確か刑事法の団藤重光元東大法学部教授(のち最高裁判事)だったと思うが,「私が1日勉強を怠ると,わが国の刑事法学の進歩が1日遅れる」と言われたと聞いたように思う。誰かの本で読んだ記憶であるが,定かではない。その自信はさすがというところであるが,勉強家として有名であった団藤先生は私の高校の先輩であり,長年年賀状の返事を頂いていたうえ,かつて私たちが新任判事補であったとき,最高裁判事としての新任判事補研鑽の講演の中で,「若い諸君が,未熟であることを恐れずに,合議事件の評議の際に,経験の深い裁判長に対して,毅然として自分の意見を主張するようでなければ,わが国の司法は発展しないだろう。大胆で優れた地裁の判決が最高裁の判決を発展させるのだ。わが国の司法の将来は,若い諸君の肩にかかっている。」と講演されて,感動したことがあった。

6 私も団藤教授の論理を借用して,「私の減量が1日遅れると,私の友人たちの老化が1日進行する」などと,いささか荒唐無稽な論理で,友人たちに老化防止にもっと関心を持ってもらうためにも,このたび減量に本気で取り組むのだという話である。団藤教授からは,「後輩とはいえ,余りにも話のレベルが違い過ぎるのではないか」と叱られそうである。もっとも例え私が減量に成功したとしても,私の友人たちは,私の研究と努力の成果を認めず,相変わらず「遺伝だろう」で済ましてしまうのではないかという気がする。(ムサシ)



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1 今年の春はわが家の庭に,水仙やチュ−リップ,ヒヤシンスその他沢山花が咲いて,念願の花屋敷になった。写真も沢山撮影したので,来年は事務所に飾ることができそうである。庭の花を切って,何度も事務所の花瓶に飾ったりした。何んだか嬉しくなり,来年に向けて更に一層庭作りの工夫をする気になっている。ところで今年は野菜の栽培も頑張っている。

2 私は最近みそ汁に凝っている。毎夜の帰宅後に熱心にみそ汁を作る。我ながらみそ汁の味には自信があるのである。今減量対策として低カロリ−のつまみを研究しているが,みそ汁をつまみ代わりに一杯飲むというのも,意外な名案であることを発見した。みそ汁を少し飲んで,残りを翌日の三食のおかずにする。みそ汁を飲み過ぎて病気になる心配はあるのだろうか。塩分過多による高血圧の心配がありそうであるが,その点は3か月ごとに行なっている血液検査などでチェックできるだろう。そのみそ汁の具にする野菜を少し自分で栽培しようという魂胆である。最近の私は「みそ汁研究家」なのである。

3 庭には犬がいて,あちこちにおしっこをする。いかに愛犬であるとはいえ,犬のおしっこがかかっているおそれのある野菜を食べる勇気はない。そこでプランタ−を活用することになる。
(1)まずネギであるが,買って来て食べた各種のネギの根を全てプランタ−に植えることにした。みそ汁にも使えるが,日本ソバやソ−メン,冷や奴などの薬味として活用できる。
(2)カイワレ大根のみそ汁もおいしい。一般にみそ汁にはできるだけ豆腐を併せ活用する。プランタ−の短い方の縦一列だけ,カイワレ大根の種を撒くと約2週間で収穫となる。毎週一列ずつ種を撒いてゆくと,毎週1回カイワレ大根のみそ汁を味わうことができることになる。名案というべきであろう。最近妻が私に無断で「窃取」して,野菜サラダに利用していることが判明した。
(3)その他に,ニラ,春菊,ミツバ,セリなどを栽培している。セリは買ってきた10束くらいの根を植えている。実験としてセリのプランタ−には毎日セッセと水遣りをしている。おそらくセリは水が好きだと思うからである。
(4)これはみそ汁にはならないが,今年も昨年と同じように,レタスとサニ−レタスを3本ずつプランタ−に栽培している。毎日2枚程度葉をもいで,自分で工夫した自作で自慢の酢みそで食べるのである。そのうち昨年のように紋黄蝶の幼虫が,これらの葉の上でタコ踊りをする日がやってくるに違いない。蝶の幼虫を退治してしまうか,レタスとサニ−レタスを蝶の幼虫の餌に提供するかは案外悩むところである。昨年は結局一部食べた残りが蝶の幼虫の餌になってしまったが,少し後悔した。今年は心を鬼にして幼虫を退治してしまおうか知らん。それとも6本の苗の内1本だけを餌に提供しようかな。いずれ近く悩む日が来るだろう。これも妻が勝手にもいで使っている。
(5)アスパラガスは以前からあるが,数が少ないので,今年は苗を沢山買ってきた。絹サヤと空豆とミョウガを植えた。またフキの根を買ってきて植えた。来年はふきのとうのテンプラを食べるのだ。私がシイタケの原木を買おうとして,夫婦でもめて中止したが,やはり来年は買うことにしようと思っている。

4 少し前にテレビでおいしいアサリのみそ汁の作り方を放送したので,ビデオに録画しレジュメに纏めて,そのとおり作ってみた。ダシの素とこんぶと料理用日本酒を使い,みそは薄味にするという本格的なものである。すごく美味しい。日本酒を使うとコハク酸が増えて味がよくなるということである。余りみそ汁を好まない妻も,これは美味しいと言った。わが事務所は月1回昼食会を行っており,行列ができるお気に入りの店に行くことがある。その店はアサリの潮汁が好評なのであるが,先日妻とその店に行き「どうだ!」と言った。私のアサリのみそ汁と食べ比べさせたのである。妻は私のみそ汁に軍配を挙げた。最近の工夫として2週間に1回アサリのみそ汁を作ることになり,弁当に持参することにした。「アサリのみそ汁屋」を始めると,行列ができそうな気がする。

5 健康のためにできるだけ豆腐とわかめのみそ汁を食べている。できるだけキノコを入れる。また冷蔵庫で腐りかけの野菜の処理方法としてもみそ汁(と野菜イタメ)が活躍している。

6 最近は,朝犬の散歩から帰ると,毎日のように軍手をはめビニ−ル袋と剪定ばさみを持って庭に出る。ほんの5分ほど,草取りや水撒きや,野菜の状況の観察などをし,時に剪定し,庭の花を切って事務所に持参する。庭の雑草も減り,チョコマカ主義が成果を挙げている。(ムサシ)


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18 一般にわが国民は,すぐに他人を信用し,欺されて後で後悔するというパタ−ンである。振り込め詐欺のような犯罪が易々と成功するのも不思議である。これ程ニュースになっているのに,被害者が後を絶たない。余りにも無防備であるという他ない。多少年老いた人の弱点を利用されており,やむを得ない面もあるのだろうが,どうも「自分のことは自分で守るのだ。」という自覚と,危険を嗅ぎ分ける鋭敏な嗅覚を磨く心構えが足りないようである。毎日のように新手の詐欺が次々にニュ−スとして報道されている。冷静に考えれば,あり得ないような儲け話に乗って,まんまと欺されて,老後の蓄えを失ってしまう。そううまい儲け話などある筈がない。うまい儲け話はまず疑ってかからねばならない。欺された後で弁護士に相談しても時既に遅しである。

19 「名前を借りるだけだから,迷惑をかけない。」と言われるとすぐその気になって,契約内容もロクに確認しないで署名押印する。金額欄が空欄のままで安易に連帯保証人として署名押印しておいて,「500万円という話だったではないか。5000万円の連帯保証などしたことはない。」などと言うのである。また白紙委任状に署名押印して,後で「そんな委任をした覚えはない。」などと言う。契約書など自分で署名押印すべきところを,他人に記載してもらうことも平気であり,後で誰の筆跡かが問題となったりする。物事は最初が肝心なのである。後で後悔して泣くのではなく,契約の最初にシッカリと身構えてチェックする必要がある。可能な限り用心深く,打てるだけの手は打っておく。「自分のことは自分で守るぞ。」と決意する。誰も自分を守ってはくれないと考える。それでも困ることが起きるのが人生である。そして困ったことになれば,自分勝手な判断で行動する前に,早めに法律実務の専門家に相談するのである。今の社会は「法化社会」としては甚だ頼りない状態にある。

20 国民の法的素養を高めることは,焦眉の急を要する事態である。私は高校の社会科の授業で法教育をもっと充実させるのがよいと思う。一人前の社会人となるためには一定程度の法的素養が不可欠である。「自分のことは自分で責任を持つべきこと」,「何事にもキッチリとした契約書を作成すべきこと」,「紛争は未然に防止すべきものであること」,「安易に人を信用してはならないこと」など,法化社会人としての法的な基礎を教えるのである。法律を教えても面白くなければ身につかない。できれば法律実務家が,様々な法的教訓を含んだ具体的ケ−スを持ち寄って,面白くてためになる社会科の副読本を作成してはどうだろうか。生徒が目を輝かせて,身を乗り出して聞くような,面白い法教育をするのである。そうすれば,もっと法的素養のある自覚的社会人が増えて,今の社会に溢れているウンザリするような低レベルの紛争が減り,もっと活力のある,もう少しハイレベルの法化社会が実現し,名実ともに誇るに足る高度な文明社会が実現するような気がするのである。完(ムサシ)
               

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13 よく言われる典型的な話ではあるが,「絶対に迷惑をかけないから連帯保証人になってほしい。」と頼まれて,その言葉を信用して連帯保証人になったという話は今でも少なくない。しかし余程資産が多い人でなければ,決して安易に連帯保証人などになってはならない。連帯保証人になってほしいと頼む人が,「迷惑を掛けることになるかも知れませんが」などとは決して言う筈がない。そんなことを言えば,連帯保証などしてくれる筈がないからである。連帯保証人になるということは,保証する金額によって異なることではあるが,主たる借り主と一蓮托生の運命になり,場合によっては「破産宣告を受けて財産を全て失うことも覚悟せよ」ということである。連帯保証をするためにはそれだけの覚悟がいるということである。

14 「絶対に迷惑をかけない」と言われればそのまま信用するというのは,余りにも脇が甘いのである。連帯保証をするに際して,「一体どの位の借金があるのか」,「どの位の資産があるのか」,「破産宣告を受けそうなのか」などと問い質したという話を聞いたことがない。そんなことも聞かないでおいて,相手の言うままに信用して連帯保証人になり,後で話が違うなどと大騒ぎするというのは,余りにも愚かなことなのである。 頼まれてキッパリ拒否できないのであれば,連帯保証人として署名押印する前に,弁護士に相談すべきである。時には非情に徹して,友人を失うことになったり,親族としての関係を絶つことになっても,自分や家族を守らねばならないこともある。署名押印した後で,何とかしてほしいと泣きつかれても無理なのである。

15 一般的に言えば,わが国は高学歴社会であり,高度な文明社会であると言われるが,その割りには,意外に「法化社会」としてのレベルは高いとは言えないようである。社会の各人が対等な立場で契約を締結するという「契約社会」としての自覚が甚だ低いし,「自分のことは自分で守る」という心構えも不足しており,甚だ脇が甘いのである。学校教育のある時期に,例えば高校の社会科などで熱心な法学教育を行い,国民の法的素養をもう少し高める必要があるということではあるまいか。

16 日本人の一般的傾向としては,物事の当初は甚だおおらかで善良な態度であるのに,いざ紛争になってみると,余りにも細かいことを言い出す人が多いと感じられる。将来の紛争を防止するためには最初が肝心なのである。法律関係を生じる当初から多少ドライに,契約の細部に亘り,シッカリ自分の希望も述べて話を詰めた契約書を作成しておくべきである。そうしておけばその後の多くの紛争は未然に防止できると思われる。契約書も作成されておらず,口約束となっている甚だあいまいな事案でも,いざ紛争となると実に細かいことで対立する。現実にはそういうあまりレベルの高くない事件が訴訟となって裁判所に数多く持ち込まれているのである。要するに多くの民事訴訟の内容的なレベルは余り高くないのである。

17 そうならないように,社会全体として各人がもう少し自覚を高めて,「法化社会の構成員」にふさわしく,キッチリと契約し,契約書を作成することが当然であるという社会に進化すべきであろう。そうすれば現在裁判所に持ち込まれている民事事件は大幅に減少するに違いない。
 「契約書は必ず作成しよう。」これが法化社会の第一歩である。 自分たちで契約書を作成するのが困難であれば,法律実務の専門家に頼めばよいことであり,余り費用がかかるわけでもない。(ムサシ)


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6 ウリの色は白を基調とし,少しだけ黒模様のマダラになっており,猫としてはかなり小柄である。なかなか器用で頭のよい猫のように感じられる。以前はよくネズミを捕まえて来た。子猫のころはよくカ−テンをよじ登って,カ−テンレ−ルの上を行ったり来たりして遊んでいた。時に騒動を起こしたこともある。借家の庭の松の木から二階建ての隣家の高い屋根に飛び移って,降りることが出来なくなり,ニャ−,ニャ−鳴いていたのである。確か私が,偶然借家にあった梯子を使って降ろしてやった記憶である。

7 ウリは次女にオモチャにされて,しょっちゅう悲鳴を上げていた。しばしば襟巻きにされたり,両手を持ってぶら下げて,バンザイをさせられ,ブラブラ揺らされていた。夜は次女の布団で寝ていたようである。

8 借家して半年が経過したころ,ウリが出産をした。驚いてすぐに避妊手術をした。 子猫は「小ウリ」と名付けられ,「コ−ちゃん」と呼ばれていた。小ウリは母猫以上に器用で,カ−テンをよじ登ることなどは朝飯前で,吊して干してある洗濯物に飛びついてブランコ遊びを得意としていた。それから半年が経過したころ,突然コ−ちゃんがいなくなった。車に撥ねられたのではないかと家族で心配して,皆で手分けして自転車で探し回ったが,結局見つからず,帰ってこなかった。

9 借家して1年後にマイホームを新築した。その後間もなく犬のムサシがわが家の住人になった。そのころには既にウリが子猫の域を過ぎていたため,ウリがムサシを警戒して,二匹は仲良しにはなれず,お互いに嫉妬しあうライバルになってしまった。同時期に小犬と小猫として飼うことになっておれば,仲良しになった可能性はあったと思うと少し残念な気がする。

10 私が週日は留守だったので,ムサシの散歩は妻がしていた。休日には家族全員でムサシを連れて散歩に行くことが多かった。そうするとウリが嫉妬して怒るのである。家族で散歩に出かける気配を察知すると,ウリは玄関の近くの塀の上に寝そべって,みんなを睨みつける。そして「ニャオオ−ン」と遠吠えをするのである。最初の頃は,遠吠えをしながら100メ−トルくらい散歩について来ていた。その後ついて来なくなったが,ウリの遠吠えはいつも遠くまで聞こえていた。

11  動物を飼うと必ずいつか別れの時が来る。動物の寿命は短いので,老衰のため死ぬこともあるし,交通事故やウサギが猫に襲われて死んだりという突然の別れもある。またいつのまにか行方不明になって,帰って来なかったりもする。動物を飼うと,子供がこのような悲しい思いをすることになるので,飼わないことにしているという人も少なくないようである。しかし私はそうは考えない。 確かに子供たちは悲しい思いをして何度か大泣きしたが,動物を愛する喜びや,その世話することの大変さ,愛する動物を失う悲しみを知ることは,人として生きることの深い喜びと悲しみを知ることになる。そしてこのような喜びや悲しみを知ることは決して無駄ではないと思うのである。 これは人生のとても貴重な経験であるし,豊かな感情を育てるうえでとても大きな意義がある。動物を愛(いと)しいと思う感情は,異性を愛しく恋しいと思う感情ととてもよく似ている。可愛がっていた動物の死によって受ける悲しみの感情は,子供たちを深く悲しませることにはなるが,しかしそのような経験を経て,子供たちが愛することの喜びと悲しみを深く理解することのできる人間に大きく成長することは間違いないと思うのである。(ムサシ)

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1 「ウリ」というのはわが家のメス猫の名である。まもなく14歳になる。わが家にはムサシというオス犬とウリがいる。子供たちが名づけた。

2 私たちは松江市に4年住んでいた。そして夫婦ともに神戸管内に転勤となり,妻は姫路支部に,私は社(やしろ)支部に赴任したが,長女の高校受験期だったため,姫路の高校と私の郷里の岡山の高校のどちらを受験するかしばし検討した。そして進学校である県立高校に入学可能性の高いと思われた岡山の高校を受験することになり,結局同市内の進学校である私立高校に入学した。
 そして岡山市内に一軒家を借家し,妻と子供2人はその借家に住み,妻は姫路支部まで新幹線通勤した。私は姫路の宿舎に単身赴任し,社支部まで片道30キロをマイカー通勤した。

3 借家して間もなくの平成7年5月ころ,借家の庭に生後3か月前後と思われる子猫が現れた。ある朝「ニャ−,ニャ−」と可愛いい声で鳴いていたそうである。首輪はなかったが,穏やかな顔付きで,人を警戒する様子もなく,野良猫ではなさそうであった。飼い主の転居に際して飼い猫が捨てられたのかなという雰囲気で,子供たちは「飼いたい」と言った。私は週日は留守であることもあって,すぐにはOKしなかった。子供たちは,毎日軒下に牛乳を入れた食器を置いてやったそうである。数日後大雨が降ったが,猫は軒下で粘っていた。子供たちはダンボール箱にタオルケットを敷いて,雨のかからない軒下に置いてやった。そして1週間が経過した。子供たちは意を決した顔付きで,「お父さん,猫を飼ってもいい?」と言った。さすがに私たちは拒否できなかった。猫と子供たちの粘り勝ちというところである。

4 その日から,猫の住み家の箱は廊下の片隅に移動した。子猫は嬉しそうに家の中を走り回っていたそうである。子供たちは「ウリ」と名付けた。その意味は分からない。聞いたようにも思うが,忘れたのかも知れない。
 ウリは今でこそ,わが家の主のような顔をしているが,飼い猫となった当初はとても神経を使っていたようである。わが家は4人家族で,私は週末帰省であったが,週日最初に帰宅するのは小学5年生の次女であった。玄関の戸が開く音が聞こえると,ウリは2階から階段をピュ−と飛ぶように降りてきて,玄関にちょこんと座って,「ニャ−,ニャ−」と鳴いて毎日出迎えたというのである。やっと安住の地を得たので,追い出されないように,気を遣っているのだろうと,家族で笑いあった。

5 この猫と,その1年後にわが家の住人となった犬と,それ以外にもリスやうさぎなど,考えてみると結構いろいろな動物たちが,子供たちの精神的な成長に大きく関わったということになる。悲しい別れもあって,子供たちは何度か大泣きをしたり,墓を作ったりした。(ムサシ)


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8 今度はほんの少しだけ専門的な話である。この話は私が弁護士として相談された案件ではないが,身近な所で起きたひどい話であり,よくありそうな内容である。
ある孝行息子が親孝行のために,生命保険会社の外交員の勧誘もあって,息子が保険契約者となって,父が死亡した場合には母が,母が死亡した場合には父が,それぞれ生命保険金を受け取ることができるように,二つの生命保険契約を締結した。その後母が病死し,ある程度多額の生命保険金が父に支払われたが,税務署は息子から父への贈与とみなされるとして,支払われた生命保険金の半額近くの贈与税が課税されたのである。これは実話である。まさか大手の生命保険会社がこのようなお粗末なミスをするのかという信じられないケ−スである。

9 ではどうすればよかったのか。実際の保険料は孝行息子が出すが,契約書では保険契約者は父及び母とし,それぞれ配偶者を生命保険金の受取人と指定しておけば,贈与税ではなく相続税の対象となり,相続税の基礎控除により非課税処理されたケ−スである。このケ−スで孝行息子に税金に関する判断などできる筈がない。当然に生命保険会社が贈与税が課税されないように,適切な対処をすべきであった。生命保険の外交員ないし保険会社が無知であったということで済む問題ではない。こんなことがあるから,大会社であろうと誰であろうと,余り人を信用してはならないというサンプルのような事例である。

10 このような愚かな生命保険契約を締結させた生命保険会社は,ひたすら会社には責任がないという態度に終始したそうである。この件では孝行息子が生命保険会社に乗り込んで苦情を言ったが,受け付けられず,そこで諦めて引き下がったままになった。しかしこんなことで納得できる筈がない。この件ではその状態で思考が停止したのは失敗であったと思われる。生命保険会社が責任を回避しようとした時点で,更に諦めずに弁護士に相談して,損害賠償訴訟を提起すれば,勝訴できたのではないかと思われる。

11 このケ−スのように多少高度な法的知識ないし判断を要する場合には,法的な素人が契約段階で有効な対策を取るのは困難であろう。おそらく誰でも生命保険会社を全面的に信頼して契約を締結するだろうから,まさかそのような悲惨な結果になると疑うのは無理だろう。しかし現実には信頼できていい筈の大手の会社などが関与した契約でも,結構ひどい内容の契約が締結されることもないではないから,何事も全面的に信用するのは危険であるということになる。全く困ったことである。では何かよい方法はないものだろうか。

12 自分のことは自分で守るべきことはこれまで書いてきたとおりであるが,とりあえず,何事も余り人を信用してしまうのではなく,自分の頭の中に,「大丈夫かな」とチェックするシステム(思考回路)を作り,必ずチェックしてみることを人生の基本とするのである。本件では保険外交員に「税金などで問題を生じることはないでしょうか。」と念を押してみるのもよい方法であったと思われるが,なかなかそこまで頭を回転させることはできないであろう。更に自分で勝手に「マイホ−ムロイヤ−」だと思っている弁護士がいる人の場合には,何か心配なことがある場合には一応ロイヤ−に相談してみてはどうであろうか。人生にそう何度もないような契約などの「大事」をなす場合には,法律実務家に相談してチェックしてもらうことにしておくことは無駄ではないように思われる。(ムサシ)


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4 今度は逆に失敗したケ−スである。依頼者の父の後妻の遺産の相続に関する紛争である。父の後妻が多額の遺産を残して死亡した。依頼者は本来ならば父の後妻と養子縁組をしておくべきであったが,なされていなかった。「依頼者に遺産を相続させる」という遺言書も作成されていなかった。父は既に死亡していた。後妻の遺産の多くの部分は,依頼者の事業にからんで形成されたものであり,実質的には依頼者が遺産の殆どを取得するのが公平であるという事案であった。相続人は後妻の兄弟たちのみである。

5 後妻の死後,後妻の兄弟たちは,遺産形成の経過を承知していて,本心はともかくとして,遺産に対する権利を主張するつもりはないと述べていた。ただ遺産の内容を説明してほしいと求めてきた。その言葉を信じた依頼者は,必ず返してもらうという約束で,後妻の預貯金の通帳を全て相続人に渡してしまったところ,相続人が態度を豹変させて権利を主張し,通帳の返還を拒否した。依頼者はその段階で初めて弁護士に相談した。そして依頼者が原告となって民事訴訟を提起して完全に敗訴した。訴訟中に和解の話もあったが,和解は成立せず,事件は終了した。依頼者には大きな不満が残った。

6 このケ−スは弁護士の活用に失敗した典型的なケ−スであろう。依頼者はまず第一段として後妻の生前に養子縁組に関して弁護士に相談すべきであった。それがダメだった場合に,第二段として後妻の遺言書作成に関して弁護士に相談すべきであった。更に第三段として,通帳を交付した後ではなく,交付する前に,交付してよいかを弁護士に相談すべきであった。交付すればその後どうなるかは一目瞭然というべきであって,まるで絵に描いたような展開である。通帳を交付してよいという弁護士は一人もいない。通帳を交付した瞬間に強者と弱者の立場が逆転したのである。通帳を交付する前であれば,依頼者の立場は強いので,そこそこの金額を支払うという依頼者に有利な内容で和解を成立させることが可能であったと思われる。依頼者は億単位の金銭を失った。

7 自分に不利益な具体的な行動は慎重になすべきである。もしも大丈夫かどうか不安があるのであれば,行動する前に,法律実務の専門家に相談するのがよいと思う。契約書に署名押印した後で相談したのでは,殆どの場合遅すぎるのである。「チョット検討させて下さい。」と言って,決して即答してはならない。自分の権利や利益は,まず自分でしっかり守らなければならないのが原則である。そして他人を余り信用してはならない。日本人は案外お人好しで欺されやすいと言われている。大変なことになって大騒ぎする前に,軽率な行為は決してしないことを肝に銘じておくべきである。そのちょっとした心がけが,一生を台無しにする危険から自分を守ることもある。できれば信頼できる弁護士を早く見つけて,「私のホ−ムロイヤ−」などと,勝手に思っておればよいのである。後で後悔するのでは遅いのであるが,依頼者を見ていると,どうやら後で後悔する人の方が圧倒的に多いように思われる。「ちょっと待てよ。弁護士に相談してからにしようかな。」というほんのちょっとした頭の回転で悲劇を防止できることが多いと思う。わが国が「法化社会」の名に恥じない国になるためには,国民の一人ひとりが,「自分のことは自分で守る」という一層の自覚が必要なように感じるのである。(ムサシ)


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