タバサでお風呂。


 ぴかぴかに磨き上げた釜を見詰め、満足そうに頷く。
 洗濯とこれぐらいしか最近やることがない為、その腕はめきめきと上達していた。
 問題はこの技術の役に立つ機会が極度に少ないことだろう。
 平民の間には風呂に入るという文化が浸透していないし、貴族はこんな釜風呂ではなく専用の大浴場を各家々に持っている。
 大釜を風呂代わりに使っているのはドイツ広しといえど俺ぐらいのもの……らしい。
 日本には結構たくさんあるけどね、五右衛門風呂。
 外国の人はお風呂じゃなくてシャワーで済ますイメージがあったけど、やっぱりその通りだったというわけだ。
 ボロ布で釜の内側を磨いていた時、あることを思い出した。
 そう言えば、タバサに五右衛門風呂を体験してあげる約束をしていたんだっけ。
 いや、約束はしていない―――というか口にも出していないが、日本のことを知りたいと言っていたのは事実だ。
 五右衛門風呂=日本を象徴する文化、という思考は自分でもおかしいと思う。
 只、この国(ドイツ)と日本は俺の想像していた以上に繋がりが薄いらしい。
 日本メーカーの家電はまったく見掛けないし―――そもそも家電自体お目に掛かった記憶がない。
 機械らしい機械と言えば……靴に仕込む浮遊ユニットくらいだろうか?
 古い町並みを再現するのは結構だけど、少し徹底しすぎだと思います。
 コンセント一つないわ、超科学をわざわざ杖に仕込んでいるわ、例を挙げればキリがない。
 時計もないので体内時計を頼りに時間の経過を確認する。
 この状態で日本に戻れば、時間に正確な男として地元のテレビに出演出来るかもしれない。
「十四時と……いったところか」
 誤差はせいぜい数分だろう。
 薪拾いに水汲み、そして俺の大敵である火起こし。
 この全てをこなすには最低でも五時間は掛かる。
 今から準備すれば、何とか就寝時間までには間に合うだろう。
 ルイズは驥足正しい生活を心掛けているらしく、十時前に寝てしまう。
 タバサが彼女と同じ生活スタイルを送っているとは限らないが、まだ十二歳(ぐらい)だろうし早めに寝てしまう……と仮定しておく。
 よし、そうと決まれば早速行動開始だ。
 薪拾いは兎も角、火起こしに三時間はかかるだろうし。

 ―――それから四時間後。
 パチパチと音を立てる釜戸を眺めながら、俺はタバサがやって来るのを待っていた。
 予定よりも一時間早く準備を完了することが出来たのは、別に俺が進歩したわけじゃない。
 二時間ほど四苦八苦していたら、偶然通りかかったキュルケが苦笑しながら火を起こしてくれたのである。
 シエスタに続いてキュルケにまで情けないところを見せる羽目になるとは。
 恐らく……いや絶対に、しょうもない男だと思われたに違いない。
 とりあえず、キュルケに伝言を頼んでおいたので、あとはタバサの気持ち次第だ。
 風呂沸かしたあとになって気付いたけど、女の子を風呂に誘うって色々とアレだよな。
 間抜けというか何というか、妙に助平っぽいというか。
 無論、一緒に入ろうなんてふざけた考えは持っていないし、単純に彼女に喜んでもらいたい一心でやっている行為なんだが。
 空には二つの月が浮いている。
 ドイツは日本と比べて空気が澄んでいるので、夜は星がよく見える。
 風呂自体は質素だが、それでも一応は露天風呂だ。
 日本贔屓なら心躍るシチュエーションだろう。
 そして、今回は特別に緑茶も用意した。
 これは、この前のお礼と言ってシエスタが持って来てくれたものだ。
 何でも東方(ロバ・アル・カリイエ)から入荷したという噂の葉っぱをお湯に浸したら緑茶になったらしい。
 東方=日本という認識であっている……のか?
 一応、俺の出身もそこだと言えば周りの人達には通じるらしいので、少なくともアジア=東方で間違いはないようだ。
 火の勢いを調節しつつ、釜戸の側に置いてある青銅製の椅子に腰かけて少女を待つ。
 この椅子はギーシュが作ってくれたものである。
 背もたれの部分に薔薇の細工が施してあって、深く腰かけると地味に痛い。
 この嫌がらせは実にあの男らしいと思う。
 只、椅子自体はありがたいのでこうして使っているわけだ。
 深く腰かけるとダメージを受けるので、自然と背筋は真っ直ぐ伸びることになる。
 そうやって待っていると、不意に草の踏み締められる音が耳に届いた。
 そちらに視線を向ける。
 月と星に照らされて、二人の少女が立っていた―――え、二人?
 俺はタバサを招待したつもりだったが、気付いたらタバサだけでなくキュルケもやって来ていた。
 何を言っているか―――以下略。
「キュルケも……か?」
「あらん、ダーリン。タバサだけ誘うなんて水臭いじゃない? というわけで、わたしも勝手にお呼ばれしちゃったわ」
 制服姿のキュルケが片目を閉じてウインクを投げかける。
 メンバーが増えるのは別にいいけど、彼女は果たしてこれから何をするか分かっているんだろうか?
 五右衛門風呂というものがいったいどんなものか、間違いなく知らないだろうから不安だ。
「いい?」
 タバサはだいたいの事情を察しているらしく、いつもの杖に加えて小脇に水色のパジャマを抱えていた。
 但し、バスタオルは案の定持っていないようだ。
 シエスタに頼んで事前に用意しておいたのが正解だったな。
「構わないが……少し狭いぞ」
 元々は料理用だったとはいえ、魔法学院の生徒及び職員用の料理を作る際に使用されていた大釜だ。その内容量はドラム缶数本分に匹敵する。
 二人で入っても問題はないだろうが、大風呂に慣れている彼女達からすればちときついかもしれない。
「狭いってなんのことかしら? そもそも、ゴエモンブロってなんなの?」
「……風呂だ」
「風呂って……お風呂? そんなものどこにあるの?」
 きょろきょろと視線を彷徨わせるキュルケ。
 その顔には、彼女には珍しく困惑の色が塗りたくられている。
 やはり、知らなかったか……。
「目の前に……あるだろう?」
 俺の言葉に、キュルケが顔を引き攣らせた。
 インパクトはあるわなぁ、確かに。
 処刑に使われたものを風呂にしようなんて考え、欧米の人には理解出来ないに違いない。
 まあ、五右衛門が入るよりもずっと先に、庶民がこれを風呂として普通に使っていたとは思うけど。
「目の前って……も、もしかしてこの大釜のこと!?」
「ああ。これが……“五右衛門風呂”だ」
「悪いんだけど……帰ってもいいかしら?」
 五右衛門風呂を眉を顰めながら見詰め、キュルケは肩を竦めてそう言った。
「ああ」
 貴族の人にはやっぱり辛いか。
 俺だっていきなり紐のぶら下がったトイレに案内され、この紐で尻を拭いてくださいと言われたら戸惑うだろうし。
 風呂には俺が浸かればいいだけだし、断られる可能性の方が高いと思っていたからそこまでショックは大きくない。
 椅子から立ち上がり、彼女達用に用意した垂れ幕を片付け始める。
 俺が入る時はこんな邪魔なものは要らない。
 だいたい、俺の貧弱な体を見て喜ぶ馬鹿はここには居ないと思う。というか居ないでくれ。
 枝に引っ掛けた垂れ幕を外そうとしていると、くいくいと服の裾を引っ張られた。
「どうか……したか?」
「これも“ニホン”のもの?」
 五右衛門風呂を右手で指差し、左腕で俺の服を掴んでいるタバサ。
 彼女の言葉を肯定するように頷くと、タバサは少し俯いて黙り込んでしまった。
 もしや……日本に絶望したとか?
 ご、誤解しないで! 日本人は娯楽として五右衛門風呂を楽しんでいるだけであって、このお風呂が日本の標準じゃないから! 普通の風呂もちゃんとあるから!
 胸中で叫ぶものの、当然ながらその声は届かない。
 どうにかして日本の無実を晴らそうとしていると、蚊の鳴くような声でタバサは言った。
「入ってみる」
「タ、タバサ!? 貴女、本気なの!?」
 外で肌を晒す行為は恥。
 ルイズはそう断言していたが、キュルケも似たような観念を持っていたらしい。
 普段は妖艶なイメージを振り撒いている女性が、実は初心だというのは結構いいと思います。
「無理しなくても……いい」
 そっと様子を窺えば、杖を握るその手が白くなっていた。
 明らかに力の入れ過ぎである。
 少なくとも、五右衛門風呂はそんなに悲壮な覚悟を決めて入るもんじゃない。
「興味ある」
「……そうか」
 タバサの意思はかなり硬いらしかった。
 俺が何を言っても無駄だろう。そう判断し、外しかけていた垂れ幕を元に戻す。
「俺が見張っているから……安心していい。湯加減はちょうど良くなっている……筈だ。調整したい時は……言ってくれ」
 俺には珍しい長い台詞を披露したあと、垂れ幕から身を遠ざける。
 露天風呂は日本の文化。お風呂は命の洗濯。
 その素晴らしさの一端が彼女に伝わってくれればいいと思う。
 垂れ幕の奥に入って行ったタバサを見送り、次いで視線をキュルケに向ける。
「……どうした?」
「仕方ないわね、わたしも覚悟を決めるとしましょうか。だから、しっかりと守ってちょうだいねナイトさん」
 一つ頷き、苦笑してキュルケがタバサの後を追う。
 い、いや、だからそんな覚悟決めて行くような場所じゃないから。
 風呂に入れられる犬や猫も彼女達のような心境だったりするのだろうか?
 垂れ幕はシエスタの時と同じ、光を通さない黒い布を採用している。
 よって、彼女達の生着替えを拝むことは出来ない。
 残念だと思う反面、心のどこかで安心している俺は相当にヘタレだと思った。
 とりあえず、タバサ達があがったあとに振舞うお茶の準備をしておこうか。
 あ、これで俺の出番は終わりみたいですよ。
 邪なことを期待していたそこの貴方、残念だったな!


「…………」
 肩まで湯に浸かり、大きく息を吐いてから空を見上げる。
 湯気で僅かに曇った視界に映る景色は、不思議な魅力を宿していた。
 かけていた眼鏡を外して曇りを拭き取り、掛け直す。
 いつも持ち歩いている長い杖は、側の塀に立て掛けてある。
 普段通り風呂の中に持ち込もうとしたところ、これ以上狭くなっては敵わないとキュルケに諌められたからだ。
 最初は杖を手放すことを渋っていたタバサだったが、ダンケが見張っているから大丈夫だと言われてようやく納得したのだった。
「奥が深い」
 納得するように頷くタバサ。
 “ゴエモンブロ”という特殊な浴槽は、質素な見た目に反して中々考えられた造りをしているようだ。
 直接熱せられる釜底には木の板が敷かれて火傷しないようになっており、側面にも薄い木の板が張り付いている。
 これは入浴者が火傷をするのを防ぐと同時に、熱を逃がし難くする役割も兼ねているのだろう。
 仮に賊が襲って来た場合は、この木の板を使って防御するに違いない。
 ダンケはこの風呂を“ニホン”のものだと言っていた。
 恐らくは彼が各地を転戦している時、即席の湯浴み場としてこれを使用していたのだろう。
 だからこそ、戦闘にも転用出来る無駄のない造りをしているのだ。
 至るところに廃材を利用しているのは、破棄した時に足取りを掴ませない為か。
「見た目ほど悪くない。むしろ良好」
 気持ち良さそうにタバサは目を細める。
 その表情は日向ぼっこを楽しむ子猫と通じるものがあった。
 魔法学院にも当然、風呂は備えられている。
 こんな粗末な造りの風呂ではなく、床一面が土のスクウェアメイジの手による大理石で敷き詰められた最高級の大浴場だ。
 天井には始祖ブリミルを模したステンドグラスが飾られ、純金製の獅子が湯を注ぐ役割を担い、湯船には常に何らかの花弁が散りばめられている。
 そのような浴場を常日頃から目にしている彼女達にとって、今浸かっている湯船が汚く映るのは当然と言えた。
 ―――だが。
「今まで知らなかった―――いえ、気付かなかったというべきかしらね。こんなに夜空が綺麗だなんて」
 タバサと同じように夜空を見上げていたキュルケがぽつりと漏らした。
 少し視線を持ち上げるだけで、満点の星空が出迎えてくれる。
 いつもは当たり前だったこの景色が、少し視点を変えるだけでまったく別の世界に変化するのだ。
 自分達の頭上にこれほど素晴らしい世界が広がっていることに、多くの者は死ぬまで気付くことはないのだろう。
「たまには、こういうのも悪くないかもね……」
 スタイルの良い彼女にはこの風呂はいささか窮屈なようだが、それでも彼女なりにこの風呂を楽しんでいるようだ。
 その言葉に同意の言葉を返し、次いで「むぅ」と唸る。
 こっそりとキュルケの胸に視線を落とし、タバサはほんの少しだけ眉を顰めた。
 自分のと見比べ、湯船の中で溜め息を吐く。
 今まで気にしていなかったが、やはり自分は同年代の少女と比べて成長が遅いような気がする。
 ルイズが時折、キュルケの胸を見て溜め息を吐く姿を目にしては首を傾げていたが、今はその気持ちが少しだけ理解出来た。
 キュルケのように突出したものを持ちたいとは思わないが、それでも人並みには……。
 そこまで思考が至ったタバサは、その考えを振り払うように頭を振った。
 どうにも最近、時間があれば余計なことに思考を省いてしまう自分が居る。
 前はこんなこと、まるでなかったというのに。
「わたしはこっちの方が好き」
 何かを誤魔化すようにそう告げ、湯気で白くなった眼鏡をタオルで磨く。
 魔法学院の煌びやかな装飾の施された浴室は、タバサの好みから大きく外れていた。
 どちらかと言えば、実用性を突き詰めたこちらの風呂の方が彼女の好みに近い。
 湯船が大釜というのはいくら何でも簡素すぎるとは思うが、宝石箱を引っくり返したかのようなこの星空を見られるのならそれも悪くない気がした。
 彼は―――ダンケは知っていたんだろう。
 この世には人の手では決して生み出すことの出来ない、本当に美しいものが存在するということを。
 復讐という闇に取り付かれ、一時はこの世の全てを憎いとさえ思っていた自分に、このような形で世界の本質を教えてくれたのかもしれない。
「そうねぇ、これでもう少し広かったら言うことなしだったんだけど」
 キュルケが長い足を窮屈そうに折り曲げ、悩ましげに溜め息を吐く。
 このぐらいの大きさでちょうどいい―――むしろ、少し広いくらいに感じていたタバサは胸中で愕然としていた。
 目の前の少女がタバサの葛藤を知れば、きっと目を丸くして驚いたことだろう。
 何事にも淡白だった彼女が、他人と自分を比較して落ち込む姿など想像も出来ないに違いない。
「ねぇ、タバサ」
「なに?」
 不意に、キュルケが真剣な口調で声を掛けてきた。
 自然とタバサも表情を引き締める。
 湯気で曇った眼鏡を取り、側に置いてあるタオルで拭く。
 綺麗になったそれを掛け直したところで、キュルケは苦笑して言った。
「さっきから言おうと思っていたんだけど、いい加減に眼鏡外したらどうなの?」
「それは出来ない」
 にべもなく首を振るタバサに、キュルケが首を傾げる。
「あら、どうして?」
 理由が思い付かないのか、微熱の少女は素直に尋ねた。
 それに対し、タバサはそのうす―――慎ましい胸を少しだけ誇らしげに張るとこう言い切った。
「チャームポイントだから」
「そ、そう……変わったわね、貴女」
「……ジョーク」
若干引き攣った笑みのキュルケにそう指摘され、タバサは恥ずかしそうに頬を染めるのだった。

☆ 混浴、ダメ絶対!

☆ タバサ……っぽいなにか。






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