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【正論】平川祐弘 歴史の真実を見分ける「眼識」

2009/07/27 08:48更新

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 ≪孫子の教えで相手知る≫

 私は華人の学生は留学生や大陸だけでなくシンガポール台湾でも教えた。日本とシナといおうか我国と漢民族の関係も様々な視角から眺めると、日本の大新聞の社説で正解と目されているのとは違った歴史も見えてくる。私は共通1次試験の正解程度の歴史解釈は信用しない比較研究者だ。複数の言葉を習い、複眼で眺めようとしてきた。日本至上主義も取らないがさりとて研究対象国にのめりこむチャイナ・スクールのような中国一辺倒も取らない。孫子が教えるように相手を知り己を知ることが大切だ。

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記事本文の続き そう考える私は1985年、台湾へ出かけた。まだ貧しくて大学生協のチョコレートの不味(まず)さに驚いた。台北で日本語を教えていた大学は当時は僅(わず)か四つで台湾人創設の私立だった。蒋介石軍は日本が創(つく)った国立学校を掌握した。旧宗主国の影響を排除したい。国立には日本語系はない。実は私も表向きは東方語名義で教えた。共通1次の成績で学生は私大入学も割当てられる。教室へ出て初めて東方語が日本語と知った者もいた。

 ≪文明開化と植民地化≫

 しかし1988年李登輝が総統となるや雰囲気が一変した。それまで御法度(ごはっと)だった政治の話も自由となり映画『悲情城市』が公開された。1947年2月28日の大陸渡来の中国軍による台湾エリートの虐殺が取り上げられたのである。日本警察に取って代わった国民党支配を台湾人は「犬去って豚来たる」といった。国民党は台湾支配の最初の500日間に50年間の日本統治よりも多い台湾人を処刑した。そんなであってみれば台湾人が日本帝国支配の方がまだましと感じたとしても不思議はない。新聞も変わる。本省人の『自由時報』の投書欄が賑(にぎ)わう。逮捕の怖れがなくなれば人間次々と話し出す。日本の先人の努力が台湾でどのように評価されているか私にも聞えてくる。

 私は職業柄日本語教育の歴史に関心がある。日本が台湾で教え始めたのは日清戦争直後、台北士林近くの芝山巌に伊澤修二が学堂を開いた。治安が悪い。1896年教員六名全員が惨殺された。土匪の仕業だろうが、国民党政府は1958年その仕業を義民の義挙とし芝山巌事件碑を建てた。そればかりか六氏の墓を壊し学務官僚遭難碑を倒した。私が見に行った時はベンチの下にその伊藤博文筆の碑が転がっていた。植民地支配を悪と断罪する側に立てば当然の報いを受けたということになるのだろうか。だが土地の人の日本人教師に対する気持は違う。士林小学校の卒業生が遭難百年に際し倒された墓も碑もきちんと建て直してくれた。2000年私は芝山巌に登りその様変わりを目撃し、感動した。

 国民党独裁の頃でも戦前の日本を知る台湾人学者の間では河合栄治郎や矢内原忠雄の評判は良かった。矢内原『帝国主義下の台湾』は植民地支配弾劾の書物ではない。事実に密着した明晰(めいせき)な分析で、台湾人教授が大学でこの台湾論を教科書に授業していた。第二次大戦まで西洋では植民地化はキリスト教化・文明開化とほぼ同義と見られていた。日本も台湾植民地化を文明開化の事業として構想した。ただし宗教を広めて死後の命を救う代わりに衛生を広めて人の命を救おうとした。後藤新平のその植民地経営は今も台湾人に高く評価されている。大陸と異なり、台湾の地下鉄や新幹線のトイレが清潔なのも日本の遺産といえないこともない。ただ私は日本が衛生を重んじたのは、皆意識しないが、日本人の広義の宗教心の現れで、清らかさを尊ぶ神道の心が衛生を尊ぶ思想の背後にあるからだと考える。

 ≪西洋支配は肯定する偏り≫

 教育、生活、経済面で善政を布(し)いたとしても、植民地化は植民者という一級市民と被植民者という二級市民を生み出すがゆえに悪である。しかしそうと認めない国もある。チベット支配を続ける中国は王道楽土を建設中と言い張る。サッチャー英国首相は1988年「西洋人が世界の多くの土地を植民地化したのはすばらしい勇気と才覚の物語でした」と肯定した。コータッツィ元駐日大使も「白人の責務」という発想を支持した。世間には西洋の植民地支配は肯定するが日本のそれは非難する者がいる。偏した見方だ。ライシャワーは歴史教科書『東アジア-近代の変革』で台湾統治を否定的に記述した。そんな歴史教育を受けた世代の米国人は現地で「台湾人は日本が大好きだぜ」と驚く。

 問題は日本が台湾統治に成功したことだ。実はそれが朝鮮における失敗となった。化外(けがい)の地の台湾と違って、朝鮮は一つの文明の国である。その朝鮮全体を奪うことは朝鮮民族の誇りをも奪うことになったからである。歴史の真実はそんな相違を見分ける眼識(がんしき)にある。日本植民地支配は悪という「始めに結論ありき」のイデオロギー的史観に合うよう材料を恣意(しい)的に並べただけのNHKテレビ番組は安直な制作で史実を歪(ゆが)めた。受信料を払うに値しない。(ひらかわ すけひろ=比較文化史家、東京大学名誉教授)

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