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09年新年連載 連峰の向こうへ

【1】滝田洋二郎さん×山田辰夫さん 2

2009年01月01日

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 -一緒に上京しました。

 山田 全部落ちて、それで一緒に東京に。高3の3月だと思う。監督の親類が上野駅まで迎えに来てくれて。その日は結局、一緒に僕が予約したホテルを探したんだけど、そんなホテルない。結局、新宿のラブホテルだった。

 滝田 まるでマンガだよね。

 -職業のルーツになることは富山時代にはなかったでのすか?

 滝田 全然ない。だって分からないから、何をすればいいか。

 山田 (劇団入りは)単純に寂しかったからだと思う。東京に行って初めてカルチャーショックを受けた。まず自分に訛(なま)りがあるとは思わなかった。共通語をしゃべっていると思ってたから。

 滝田 マンガだよなあ!

 山田 友達も出来ない。たまたま雑誌に研究生募集っていうので入っただけ。社交的じゃないことにも気がついたし、田舎で内弁慶だった。あとはもう、背中を押されてしょうがなしに……。

 滝田 何やっても中途半端さに気がつくんだよ。かえってその時に結論が出なくて良かったということはあると思う、人生振り返ると。半端だからこそ悪いところに行ききれないし、どこかで何かに出会うチャンスもある。だけどそれは可愛いもんだと見ることはすてきなことだと思う。それがあるから、今があるんじゃないのか?

 滝田 僕の場合は分かりやすく、国会議員の秘書がうちの近所で「働くところ、ねえかいや」みたいな話で。「面白そうだから映画会社に入れて」と言ったら、映画会社どころから、下請けの下請けの孫請けみたいなところに入れられて。独立プロダクションだから、ピンク映画もやれば警察の防犯映画もやる。要するに何でも。これもアバウトだよね。

 滝田 僕にはすごく水が合った。「映画をやりたい」という映画青年は入ってくる。でも途中で9割5分辞めました。4〜5年ぐらい助監督をやっていたけど、その間に誰もいなくなっちゃった。待遇が悪いとか、怒られてついてこられないとか、理想と違うとか。「なんだよ、みんな映画好きじゃないじゃん」みたいな。あのときに分かった。しんどい現場だったけど、僕は楽しかった。欠食児童みたいなのが集まって、映画になると燃える。遅かったけど、おれは、そのときから映画を好きになった。欠点だらけの奴ばっかりで反面教師ばかりだけど、一緒にボロボロで仕事しているから、すごくいとおしいんだな。

 山田 (劇団も)本当に同じ。底辺です。本当に何もなかったです。これで食っていこうとか、テレビに出たいとか、映画に出たいとか。「こいつらと一緒にモノを作っていく」っていう、それでもうズルズル。本当に貧乏。地方に行ったときは、ホテルもないので劇場にふとん持って。だんだん仲間がいとおしくなって。

 滝田 将来、監督になれる保証はないし、なれると思ってない。辰夫だってスターになれるとは思っていない。そこにしかいられない意気地なさもある。だから全然格好良くない。唯一のよりどころは映画が好きになってしまったこと。ビリビリ焼けるぐらい熱かった。それが救いだったし、あそこで我慢できたのは、結果的に財産になった。キャラクターづくりとか、ドラマづくりの上で。

 山田 滝田組ぐらいです、監督が「おれがキャスティングした俳優だから大事に扱え。グリーンに乗っけて、いいもん食わせろ」という。食うや食わずの、ひどい現場を体験してきたからこそね。

対談3に続くhttp://mytown.asahi.com/toyama/news.php?k_id=17000310812310009

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