ここから本文エリア 09年新年連載 連峰の向こうへ
【1】滝田洋二郎さん×山田辰夫さん 52009年01月01日
-故郷や原点を意識することはありますか? 滝田 だんだん昔に近づいて来る。「おくりびと」は山形でありながら、僕が見た富山の風景を撮っている。俳優のキャラクターとかも。どこか精神的な奥深いところで富山に向いている。それはもう逃れられない。 山田 俳優の役作りも同じ。元は田舎にあるような気がします。「雪って、すてき」みたいな人がたまにいるんですけど、僕は黙りますね。引きます。雪がすてきなんて思ったことない。 -雪にはこだわりがありますか? 滝田 「おくりびと」のオープニングの雪は何回も撮りに行って、全然撮れなくて。あの日だけ風が吹いた。人生を暗示するシーンが撮れた。雪ってね、真っ白で目に入って痛い。みんな奇麗って言うけど。うんざりなんだよ雪なんて、おれたちにとって。吹雪とか別れのシーンは絶対に「痛い雪」でなければならない。僕は分かる。痛いんだよ、雪は。辛い奴にこそ、辛く当たる雪ってある。 -最近の作品では、中央と地方の対比が多く見えます。 滝田 それは変わってきた。もう東京で撮る気がしなくなって。題材とかキャラクターとか、興味をひかれなくなった。自分でも意外なぐらい。色あせるんだカラフルな街は。本物がないというか、心ひかれるものがない。 山田 どうしようもないDNAに刻まれているものがある。「眉山」をやったときに、富山で宣伝の話をした際、「徳島県で言う眉山について、山田さんにとって富山県でそういう場所は?」と言われて、「立山連峰」って即答した。監督の話を聞いていて、同じだなって。いやが応でも、そこにあるっていう。校庭から毎朝、天気の良い日は見えたし、それで「富山県民の歌」を歌わされるわけ。 2人 仰ぎ見る立山連峰、朝空に輝くところ〜♪ -アルプスを越えた先には、何がありましたか? 滝田 アルプスを越えた先には違うアルプスがあるんだよ。それを越えようとして生きていく。でも結果的には、また富山に戻る。映画をやっていれば、「違うアルプス」がある。演劇にも「違うアルプス」がある。それを越えながら、必ず立山連峰はまたそこに現れる。そこを越えようとする。次の立山は「世界」だと思うし、目指したい。 -「おくりびと」は米アカデミー賞へのノミネートの機会を得ました。 山田 僕は「オスカー監督」にしたい。 滝田 分かってないところがいいね。おれたちは。怖い物知らず。 山田 いまだに? 滝田 いまだに。ここまで来たら、行かなければと思う。その夢が見えるところまで来たのは、すごくうれしい。夢を見られることは、やっぱり幸せ。これは映画というものがすてきなものだから。目標を作ることが、後から来る奴の刺激にもなる。どんどん、アルプスを越えろ、ですよ。若者よ、アルプスを越えよ。外に出て初めて、中が分かる。海外に行って日本が分かるようなもんで。外へ出てこそ、富山の良さも分かる。 山田 本当にアルプスを越えろって。ありのままで、何物にも捕らわれないで。世間の物差しに。なきゃないで、いいじゃない、目標。やりたいことも。そのうち出てくるんだろ。 滝田 富山県人である前に、1人の人間だから。まず、それ。 ◇ たきた・ようじろう 76年に「獅子プロ」入社。86年に初の一般映画「コミック雑誌なんかいらない!」で注目され、「壬生義士伝」(03年)で日本アカデミー賞最優秀作品賞。納棺師を扱った「おくりびと」(08年)はモントリオール世界映画祭でグランプリに輝くなど国内外で高い評価を受ける。 やまだ・たつお 日大中退。75年から劇団「GAYA」創立に参加。80年にバイオレンス映画「狂い咲きサンダーロード」に初主演し、日本アカデミー賞新人賞などを受賞。テレビでも活躍し、「壬生義士伝」(03年)以降も「眉山」(07年)や「おくりびと」(08年)などで多彩な役柄を演じる。
マイタウン富山
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