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09年新年連載 連峰の向こうへ

【1】滝田洋二郎さん×山田辰夫さん 4

2009年01月01日

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映画「壬生義士伝」の撮影で監督の滝田さん(右)と、特殊メイクした役を演じる山田さん(中央)、佐藤浩市さん=02年、松竹京都映画撮影所(山田さん提供)

 -タイミングがあった?

 滝田 そう、現状に対するいら立ちみたいなもの。あとは電話しない「潔さ」っていいでしょ。僕も分かんなかった、役が。僕の映画はコメディーが多かったから。僕らはやっぱり富山で生まれ育っているから、遠慮がちな部分、富山県人独特の自己主張の不得手さがある。人を押しのけてもやらない。ありもしない周りの目を背負ってしまう。だからそのいら立ちが自分の葛藤(かっとう)になって帰ってくる。

 -仕事の上で県人気質を意識することはありますか?

 山田 僕はあまりない。ただ良く出たなと思う、富山県から滝田洋二郎みたいなのが。本当に押しが弱く、営業下手。怠けていることも努力していることも隠す。だから、この業界すごく少ないと思う、富山県人。

 滝田 おれ一つ思うことがある。富山にいると、みんなが立山見てる。小学校も中学校も窓から、なんかっつーと晴れた日に立山が見えた。富山県人、みんなあれ見てる。でね「あの先に何かある」っていう信仰。あの先に何かあるんだよ、安らぎか、何か。だからやっぱり「あの山を越えろ」なんだよ。あるいは、あそこに戻るぞ。よりどころなんだよ富山県人の。

 滝田 高校の記憶っていうと、ピーカンよりはどんよりした雪。傷ついたとき、とっても重いんだ。どんよりして重くて「ちくしょー」って。どんよりから抜け出したいってことは立山を目指しているわけだ。その先へ。東京というよりは、青い空。抜けたモノにひかれる。

 -お互いの評価は。

 滝田 本物の俳優だから、化ける。芝居がうまいとか下手とかはどうでも良くて、たたずまいがすべて。しゃべらなくても語れる。「おくりびと」の農家のオヤジ役は、(山田氏)本人が農業なんてやったことない。ないけど、おれも泣きました。それは、僕にはないものがあるから。あのシーンは良かったっていう人が多い。

 滝田 つまり男のすべて、だらしないところ、わがままなところ、弱さだよね。いきなり泣くしかないみたいなところ。芝居でやるとダメ。山崎努さんがそれを見抜いて「素晴らしい、こんな俳優いない」と言って、よく酒飲みに行った。あの人は俳優同士では絶対に行かないのに、「山田辰夫を呼んでくれ」って。分かる人と演技の話をしたかった。

 山田 (滝田氏は)責任をとってくれるところがある。「別に泣くって書いてあっても、泣かなくていい。何やったっていいんだよ役者は」ってね。それを本当にやらせてくれる現場があるかというと、今はない。

 滝田 でも、伝わらなければダメ。何をやってもいいけど、伝わらなければダメだから、俳優は難しい。

 山田 今は監督自身が色んな人に媚(こ)びて「撮らせていただきます」みたいな。「こんなご時世だから」っていうね。そういって、どんどんしょぼくなっていく。こういうご時世だからこそ、僕は本物が生き残ると思っている。自分を貫かなくてどうする。

 滝田 世の中に対する怒りの矛先が同じなんだろうな。僕らは本来、自由に好きなことをやって、責任を取らなければならない仕事。で、その自由さは個人にしか分からない。アーティストはみんなそうなんだけど、それをやり通そうとすればするほど、面倒くさくなる。自分に正直であればあるほど、周りが面倒くさがる訳だ。やればやるほど、周りから浮いてくる。今の世の中は、浮いている奴が悪いとなる。同じなんだよ、怒りも、人を見る目も。

対談5に続くhttp://mytown.asahi.com/toyama/news.php?k_id=17000310812310011

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