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09年新年連載 連峰の向こうへ

【1】滝田洋二郎さん×山田辰夫さん 3

2009年01月01日

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 -上京後、2人で連絡は取り合っていたのですか?

 滝田 たまに飲み屋で会った。飲み屋を紹介してもらったりして、助けてもらった。助監督なんで、撮影場所をおさえなければいけない。映画が映画なんで、なかなか貸してくれない。ホテルはラブホテル。だから知ってるんだ、おれ、ここ辰夫が泊まったホテルだって。

 山田 高校卒業してから何年か会っていない。高岡の駅に帰ると、うどんを食う。高校時代の思い出の朝食でしたから。これがうまい。酒飲んで朝一番で行くと、やっぱり朝まで飲んでる、ろくでもないのが同級生だったりして。「洋二郎と会うか」って尋ねた。そしたら「ピンク映画で助監督やっている」って。

 滝田 面白いウワサって伝わる。「酒屋のボン、変なことやっとるでー」みたいな。人の不幸は面白い。特に閉鎖的なところだと。おれは面白がって見てたけど。

 -その後、山田さんは衝撃的なデビューをしました。

 滝田 ボーンと、アカデミー。「狂い咲きサンダーロード」は面白かった。うれしかったし。生涯で邦画のベストスリーに入っている。作品が熱い。それに辰夫が俳優なんだもん。「お前、違うやんけ、この前まで」って思った。殻を破るってすごいこと。

 山田 あれ100%演技なんです。あんなに僕は凶暴でもないし、ああいう強い意思を持った男でもない。あれを演技と思ってもらえなくて。全然、仕事がなかった。賞とか総ナメにしたのに。

 滝田 俳優としてすごいんだよ。役者冥利(みょうり)じゃん。

 山田 引く手あまたと思うじゃない。でも全然、仕事が来ない。劇団のマネジャーが「山田は俳優です」と言っても、信じてもらえない。だから僕は嫌でした。「壬生義士伝」まで、ずーとそのイメージ。

 山田 いわゆるチンピラ。チンピラはチンピラで、すごく楽しかった。哀愁があるチンピラ。それがだんだん若頭とか組長になって。ヤクザ映画って、ちゃんと人が描けてればいいけど、全く描けていない映画が多かった。ちゃんと人を演じたいなあって。その間、ずっと彼の映画は見ていました。一番感動したのは矢沢永吉の演出を洋二郎がやってること。「洋二郎、どうやって矢沢永吉にダメ出ししているんだろう」と思った。

 -一緒に仕事をしたのは、「壬生義士伝」から?

 山田 「壬生義士伝」。あのとき、滝田洋二郎はもう巨匠だった。マネジャーにぺろっと「同級生だ」って言ったことがある。「ちょっと電話して入れてもらえば」なんて言うのもいた。だけど、そういうことはしたくない。どういう意識で彼が映画に取り組んでいるか分かっていたので、同級生だからって安易に「何か役ないか」という電話はしたくない。

 山田 ただあのとき、僕、初めて(滝田氏に)電話したんです。「営業なんだけど」って。そしたら「そろそろ一緒にやるか」って言ってくれた。それまで俳優として変わりたいと思っていたけど、なかなか分かってもらえない。形にしてくれる人がいない。

 山田 僕は原作を読んで、電車の中でボロボロ泣いた記憶がある。そのときから、やりたい役があった。本当に数日後に松竹本社から電話があり台本をもらった。それで「どの役やりたい」って言うから、「佐助」と答えると「じゃ、佐助は山田辰夫」って。周りがワシャワシャなりました。でも監督が「やりたい奴がやれば一番いい。おれ、決めた」って。プロデューサーとか、イメージじゃなかったんでしょうね。

 滝田 誰も考えつかないキャスティングを本人が言っているんだから、「佐助ときたか、よし」みたいな感じで。「意外性があって面白いな」って、引き付けられた。おれも色んなことを背負ってイライラして、「好きにやるわー」って、ちょうど良かった。

 滝田 (映画界も)サラリーマン化しちゃって、上司がどうとか、ポスターづらがどうとか、興行がどうとか。個性を失わせるような態勢になってきてる。「前例がない」とか、枠を決めたがる。枠の中にいれば安心なんだ。でも「そうはいかねえよ」と。枠なんて破るためにあるんだ。

対談4に続くhttp://mytown.asahi.com/toyama/news.php?k_id=17000310812310010

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