GEISAI ニュース
2009.06.30
GEISAI大学講師:宇野 常寛氏
本日は、GEISAI大学 第1シーズンの1「ちょっと難しい話」
7月24日(金)の講師、宇野 常寛氏にインタビューをさせて頂きました。
カイカイキキのオフィスへお越しいただいた宇野氏と、
GEISAIチアマン村上隆との、対談形式のインタビュー。
初顔合わせ、かつ、ほぼアドリブの質問に、
宇野氏の途切れることの無い鋭い意見のお話に、
GEISAI大学本番で、思う存分にその手腕を発揮している宇野氏の講義が、
実に楽しみな内容となりました。
<GEISAIの印象等をお教えください>
宇野:これ正直に答えた方が良いんですか?
村上:「良いです、良いです、正直に」
宇野:正直にですか(笑)、えー、そうですねぇ。
村上:「良いですよ、意地悪で、あっはっは、本音で(笑)」
宇野:そうですか? 後で、問題になったりしません?
村上:「どうぞどうぞ、意地悪な方が良いですよ。煽ってください、煽ってください。」
宇野:なら適度にリクエストにお答えするかたちで。まず前提としてですね、GEISAIというのはいわゆるその筋の人、つまり村上さんを意識して活動されているアーティストの人たちは意識せざるを得ない存在にはなっていて、そういった意味ではやっぱり続いていること自体に非常に意味があるイベントだと思います。
ただ、サブカルチャー批評の側から注文をつけるなら、こっちの世界を意識するならもっと徹底してくれたら面白いのになって思うんですね。たとえば本田透さんをパネリストに呼んだり、山本寛さんが審査員に入っているわけでしょう? こうした方々を入れることによって、ある種の外部性というものを確保しようとするのはもすごくよく分かるし、それは正解だと思うのですね。ただ、じゃあそこで本田さんが居る意味は何なのか?そこに山本さんが居る意味は何なのか?彼らの仕事を踏まえた上で、参加しているアーティストたちがコンセプチュアルなものを打ち出してくるような緊張関係が維持できているかというと非常に疑問ですね。端的にオタク系の表現というものががちゃんとアップデートされてますし、で、その上でやっぱり具体的なプレーヤーというのがどんどん変わってきている。そういった中でこのタイミングで、じゃあ、本田さんや山本さんが僕は決して悪い人選だったと思わないんですよ。悪い人選だったとは思わないんですけど、じゃあその当時当時、あの年に本田さんが果たした役割、あの年に山本さんが果たした役割というものはイベントに生きていたかというと、僕はそうはなっていなかったと思います。
なので、まあ非常に良いイベントだと思うんですけれど、あと何かもう、3歩くらい踏み込んでも良いんじゃないかと思っています。
村上:「ほー、具体的にどうすれば良いですかね?」
宇野:たとえばですね、審査員に山本さんがいるなら、アーティストはもっと山本さんという存在について考えてみるべきだと思うんですよ。山本さんというのはある種のパラダイムシフトを象徴する人なわけですよね。やっぱり彼自身は体質的には昔のオタクだと思うんですね、つまり、抑圧されているという自意識があって、ルサンチマンみたいなものもある、それが原動力になって濃密な表現を生んでいる人なんですよ。ところが、実際そうして山本さんが生み出したアニメーションというのは、むしろもう、文化トライブ的な抑圧とか、性的な抑圧から解放された、若い世代のぬるいオタクたち、いやオタク未満のアニメファンみたいな人たちにもになんか可愛い絵柄の女の子がダンスして楽しい、キャッキャみたいな感じで割とゆるく消費されているわけですよ。その一方で、スクールカースト的に満たされないから消去法でアニメオタクになるしかなかった連中というのは、ライトなファン層が流入してきたからといっていなくなったわけじゃない。だから最近の表現はルサンチマン系の旧世代を傷つけないように配慮しつつかつ、若い世代に多いライトなファン層にウザがられないものがヒットしがちです。『けいおん』なんかいい例ですね。で、山本さんというのは、非常にオタク第三世代と第四世代の違いと言ってもいいと思うんですけど、そういったモードの違いを象徴するクリエーターさんなんですね。山本さん自身、自分が結果的に切り開いた新しい表現とその受容に戸惑っているようなエッセイも書いていますし。で、折角山本さんを呼ぶんだったら、その辺の、GEISAIに出る人たちはコンセプチュアルに意識した方が良かったと思う。これって村上さんの文脈に沿えばもうオタク表現はもはや「リトルボーイ」的な図式ではその魅力を説明しきれなくなってきているってことなんですよ。そういったことに、どこまでクリエーターの人たちがそういったものに敏感に反応していたかと言うと、結構厳しかったんじゃないのかな、と思うんですね。これってせっかく「場」としての力があるのにもったいないと思います。
<日本の芸術分野における昨今の感想等お聞かせ下さい>
宇野:難しいですね。いやー、これって芸術分野ってアート業界という位置づけですか?
村上:「いやぁ、全然いいんです。これは文面で。これは「知らん」でもいいんです全然。(笑)」
宇野:芸術分野、、、まあ、芸術っていうのは何が芸術かっていう話ですよね。で、僕ははっきり言って、興味があるっていうのは、基本的に市場に流通して消費されていく文化なんですよ。作家が頭をひねって練りこんだものより、市場の要請に従っていった結果、無意識のうちにとんでもなくラディカルなものが出てきてしまった、あるいは時代や市場の要請が作家の想像力を刺激してすごいものが出てきたというもののほうが圧倒的に面白いと思っているわけです。だからサブカルチャー評論なんてやっているわけですからね。結局、強い表現というのは、やっぱり消費のダイナミズムの中からしか出て来ないというのが、もう二十年以上ずっと繰り返されてきたわけで、で、それを未だに無視している人たちが居る、無視しなければならない世界があるのは分かるけど、最初から存在しないかの様に振る舞うのは、さすがにもうNGなんじゃないかなと思うことが多いです。
<聴講者へのメッセージ、お願い致します>
宇野:『ゼロ年代の想像力』という僕の書いた本というのは割とオーソッドクスな社会反映論というのをあえて採用して、割とこう分かりやすく図式を示すということをやったんですよね。ただ、まあ今回、やっぱり折角こういう場なので、もうちょっとこうイメージ寄りというか、キャラクターっていうものの機能というものについて突っ込んで考えてみたいと思います。それが結果的に『ゼロ年代の想像力』に繋がっていく導入的な内容になれないいなと思っています。ちょっと今までと毛色の違う話を出来たらいいですね。
村上:「東さん以降、文芸評論で最高にショッキングだったのが宇野さんの『ゼロ年代の想像力』でした。読了後、よしながふみのコンテクスト等全く無かったので、またぞろ漫画本を揃えてだーっと読みまくりました。で、本当に宇野さんの分析と実際の作品との乖離と跳躍に舌を撒いて、ああ、これこそ評論だなぁ、と、嬉しくなったんです。で、今回、こうしてGEISAIを冠にしたゼミに出て頂く事で、アート界のぼんやりした面々にも目を覚まさせられそうだなぁ、と思いました。最近のアーティスト、作品がこそこそ売れれば良いと思ってる連中ばっかで、本質的な創造のコンテクストなんか、全然考えてないだろうと言う場所にボムって欲しいです。」
宇野:宜しくお願い致します。
Photo:Masao Sekigawa
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宇野常寛
1978年生まれ。批評家、編集者。企画ユニット「第二次惑星開発委員会」主宰。
文学、サブカルチャー、社会時評、コミュニケーション論など幅広く評論活動を行う。
批評誌〈PLANETS〉編集長。著書に『ゼロ年代の想像力』(早川書房)。
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<GEISAI大学 第1シーズンの1 開催内容>
■第1シーズンの1
開催日時:2009年 7月10日(金)東 浩紀先生
7月17日(金)森川 嘉一郎先生
7月24日(金)宇野 常寛先生
受講料:1回 3,000円 / 3回セット 7,500円
申し込み方法:下記のメールアドレス、
もしくは「チケットぴあ」からお申込み下さい。
チケットぴあ Pコード:986-505 3回セット 7,500円
Pコード:615-565 1回 3,000円
お申し込みメールアドレス:info@geisai.net
こちらのアドレスまで「GEISAI大学申込希望」と表記頂き、御送り下さい。
折り返し、お申し込みに関する詳細をお送り致します。
※ドメイン指定をされている方は、info@geisai.netを受信出来るようにお願い致します。
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