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韓国料理の国際化に挑む「すし王」(下)

ナム・チャンファさん、韓国調理師会中央会長に就任

 慶尚北道聞慶市出身のナム新会長は、11歳のときに父親を病気で亡くし、14歳のときから農家に雇われて農作業に従事した。18歳のときに上京し、日本料理店の雑用係として働き始めたのが、調理師になるきっかけとなった。「寝食を提供してくれるところが飲食店しかなかったため、腰掛けのつもりだった。21歳のときからすしを握り始めたが、一生調理師として働く考えはなかった。当時は給料も多くなく、人から馬鹿にされる仕事だったから」とナム新会長は振り返った。

 ハイアット・ホテルに勤務していた1982年、日本へ研修に行ったのが大きな転機となった。「日本では調理師は専門職。わたしもすしを握ってきたのだから、この仕事を天職にしようと思った」という。

 このときから独学で日本語を学び、寝る間を惜しんですしの研究に没頭した。85年には「全国日本料理競演大会」で金賞に輝き、97年には食文化の発展に貢献したとして、「誇らしい新韓国人賞」を受賞した。すしに関する専門書やエッセイ集など、これまでに5冊の本を出版し、また92年から最近まで、日本料理研究会の会長を務めた。

 「韓国料理の国際化」は、ナム新会長にとってはなじみが薄かった分野で、新たな課題となる。だが、「恐れを抱かないのか」という質問に対し、ナム新会長は首を横に振った。「わたしは食べ物に事欠く経験をしてきた。飢え死にしないために料理の世界へ飛び込んだわたしに、恐れを感じる料理などない。会長だからといって、メニューの考案をするだけではない。チリへ行って、わたしにも調理場に立つ機会が与えられればと思う。テンジャンチゲ(韓国式の味噌鍋)や豆もやしクッパは、わたしでもおいしく作れる(笑)」

クァク・アラム記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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