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庶民の「暮らしの質」が高かった世宗代

韓国学中央研究院のパク・ヒョンモ研究員が分析

コメの生産量は最大4倍増、餓死する庶民は減少

官婢にも100日の出産休暇、医女制度が全国に広がる

 朝鮮王朝第4代の国王・世宗が統治していた時代(1418-1450)は、当時はもちろん、後世においても高い評価を受けている。世宗が崩御したとき、史官は「徳があまりに高く名をつけることができず、時には“海東の堯舜”と呼ばれた」(聖徳巍巍人不能名時称海東堯舜)」(『世宗実録』巻127、32年2月壬辰条)と記した。その100年後、粟谷・李珥(イ・イ)=1536-1584=は、「(世宗が)国家を安定させ子孫が良い暮らしを送ることができるよう道を開き、わが国万年の大計の基礎を固めた」と高く評価した。堯舜時代とは、東洋で最高の政治を達成した理想的な時代のことを指す。しかし世宗の時代は、国王や士大夫など支配層のための「堯舜時代」ではなかったか。果たして庶民にとっても、「堯舜時代」だったのか。

 韓国学中央研究院のパク・ヒョンモ先任研究員は最近、『精神文化研究』夏号に掲載した論文「世宗は庶民の“暮らしの質”をいかに高めたか」で、「五福」を基準に世宗代の庶民の「暮らしの質」を分析した。「五福」とは儒教で語られる理想的な暮らしのことで、寿・富・康寧・攸好德・考終命を指す。これを今日の言葉で言い表すと、長生きすること、経済的余裕、身心両面での健康、社会奉仕(徳を積むこと)、安らかな最期に当たる。パク研究員は、5項目のうち推定が困難な社会奉仕(攸好德)を除いた4項目について、世宗代の庶民の「暮らしの質」を検討した。

 「寿」においては、老人に対する国家の待遇を通じ、当時の見方をうかがい知ることができる。世宗は「年を重ねた人を尊敬してこそ、孝悌の風俗が篤くなる」として、80歳以上の老人のために養老宴を開き、90歳以上の老人には官職を授けた。世宗は「養老する理由は、年を取ることは尊いと認めることであって、高い低いを推し量るものではない」として、高齢の賤民も養老宴に参加できるようにした。

 「富」は、農業生産力の水準から測定できる。高麗末から世宗代中期まで50万結だった韓国の田結数は、世宗14年(1432年)に平壌・咸鏡道を除いても118万6070結となり、2倍以上に増加した。また、土地1結当たり平均300斗だった生産量は、世宗26年には最高1200斗へと4倍に増えた。パク先任研究員は、「世宗代中期に至り、朝鮮は土地生産力の増大につながる耕作地の大幅な拡大によって、“食べて暮らす問題”では飛躍的な発展を遂げた」と語った。

 パク研究員は、そのほかに「康寧」の尺度として医女制度の全国的拡大、医学書の編さん、司法制度の改善などを高く評価した。また「考終命」を評価する事例の一つとして、奴婢の出産休暇制度を挙げた。世宗は、それまで官庁の女性奴婢(官婢)に7日間の出産休暇を与えていた制度を大幅に見直し、100日間の休暇を与え、官婢の夫(奴)にも1カ月間の産後休暇を与えるようにした。

 パク・ヒョンモ研究員は、「世宗代の人々は、各自が与えられた仕事をこなしつつ親に孝行し、兄弟・夫婦間の友愛を育む平凡な幸せを分かち合うことができた」と評価した。

李桓洙(イ・ハンス)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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