レム
白く高く荘厳に──美しく聳え立つ、レムの塔。
まるで、この世界に存在する、ただ一つの正しいものであるかのように。
そのどこか傲岸な美を備える塔を見上げながら、ジェイド・カーティスは紅い瞳を眇めつつ、抑揚のない声で小さく呟く。その声音には、滅多にないことだが……憎しみに似た感情が、かすかにこもっていた。
「……もう一つ設置するべきですよね、エレベーター」
「うん、そうだな旦那……」
そうなのだが。
「大佐ぁ、空気よんでくださーい」
「第七音素が通常値の三十倍近い濃度です」
うん、それは空気じゃない、大気だ。読めるのはすごいが読まんでいい。
そのボケを、アニスはちょっと首を傾げただけでスルーした。高度なボケ殺しである。
「……あのぉー、三十倍って、多いんですかぁ? やっぱ」
「一万人分と考えると、ごく少ないでしょうね。ですがまぁ、瘴気中和で大方消費した上、あれから三日経ってますから。飛散速度からして正常値でしょう」
「正常値、ね……」
ガイが真顔をちょっと歪めたような、妙な苦笑を示す。ジェイドのあけすけな物言いに対する反応ではない。残念極まりないことだが、それには慣らされている。
ルークは現在、最低一週間の静養を要する。
異常はないと思いますがレムの塔を視察に行きましょう、というジェイドの言に頷き同行を申し出たのは、ガイとアニスの二人であった。ティアはルークから離れない、と俯いて断った。ごめんなさい、とも。ナタリアは、参りません、とだけ言った。どこか泣きそうな目をしていた。
……たぶん、キムラスカ・マルクト両国の王者もまた、もう少し幼ければこんな目を他者に覗かせるのかもしれない。あの場の空気を吸って体内に入れる権利が、今の自分にはない、とでも言いたげな。
この濃度が、彼らそのもの、だなんて。
「……とりたてて為政者を恨む、なんて複雑な考え方は、しそうにありませんでしたけどねぇ」
「ああ、単純明快だったな」
「捨てられた! って思ったら、死んでもいい、だもんね。……ほんと、誰かさんみたい」
同じことを考えているせいか、会話がごくナチュラルに繋がる。
……ああ、でも、本当は違うって、分かってる。
だって、死ぬってことを、理解してなかった。
「旦那以上に、理解してなかったもんなぁ」
「ここで私を引き合いに出した挙句クサすとは。いい度胸ですねぇガイ」
「姿は大人で、良識とか人情とか社会適応力とかが子ども、だったんだね。よちよち歩きの」
ジェイドがガイを睨んでいる隙に、アニスが軽く五十倍は酷いことを言ってのけた。
何らかの制裁の必要性を感じたジェイドであるが、続くアニスの言葉に思わず押し黙る。マリーを見送ったガイはともかく、アニスがここに来た複雑な心境に、気付かされたからだ。
「ルークよりも。……イオンさまよりも、子どもだったんだね……」
──瘴気を中和する方向を示したのは、イオンその人だ。
イオンもまた、為政者だった、だから?
……だが、レプリカで。
「イオンさま、イオンさまは……」
「……やりかねませんねぇ」
「俺もそう思うぜ、あの導師さまにはガッツがありすぎた」
これまた当たり前のように、アニスの思考を野郎二人が読む。
それでも言いづらそうなアニスの背をガイがぽん、と叩き、ジェイドが代わりにあっさりと言ってのけた。
「生きておられても……死んでおられたでしょう。ここで」
仮定法過去完了は主義に反しますが、と付け加える。
だいたいの責任とかかっとばして、ルーク僕が一緒です、くらいは言ってのけたであろう。アビス一の男前の地位は、いつだってあの可憐な導師さまのものである。シンクでなくとも劣等感が拭えないところだ。
「……そっか。じゃあ、よかった」
黒いツインテールをふるりと揺らして、アニスが微かに笑った。
その少し意外な言葉は、ジェイドにしか届かなかった。ガイはいつの間にか少し二人から離れて、レムの塔入り口に近づきつつ、高い高い塔を見上げている。
「アニース?」
「だって大佐ぁ、それって地雷ですよぉ。だって、ルークは生き残ったんだし!」
「多大なトラウマ付き、ですがねぇ」
「でしょ? なのにそのトラウマに、イオンさままで加わったらたいへーん! だから、ええっとぉ、ルークが、イオンさまに………なんの、くもりもなくって、よかった」
すこし、言葉が拙くなる。
ルークがイオンを思い出すとき、どんな表情をするかを知っている。
あの、誰よりも優しいひとが、ルークを今でも支えている。その想いは、もう決して曇らない。
イオンさま、と声に出さず口のかたちだけで呟いた少女が、泣き出すのかとジェイドは思った。あまりに自分にはどうしようもないイベント進行具合にガイを呼びつけようかとも真剣に思った。だが、甲斐性のないオッサンには少女の泣き顔なんて萌えイベントは荷が重すぎる、と賢いアニスは理解していた……。
……のかはともかく、彼女は次の瞬間、きっぱり・あっさり面を上げる。
どこか、清々しい表情で。
「……うん、ルークが」
──死よりも、生が強い。
そうでなくては、ここに立つこともできやしない。
「ほぅ……」
「よぉし大佐! 異常なしってことでいーよね! アニスちゃん、ルークのお見舞い行ったげないと〜♪」
「そうですね〜。私も、診察したりからかったり、ギリギリアウト!なまでの苛めをあたかも下層階級の嫁が気に食わない姑のごとく繰り広げたりして、一刻もはやく元気になってもらわねばなりません」
「よ! 医者の鑑ぃ!」
「はっはっはアニス。もっと言ってくれて構いませんよ?」
「きゃあ、厚顔無恥〜☆ 大佐ってばステキ! アニスちゃん惚れ直しますぅ!」
「さすがはアニス。絶妙なヨイショと叩き落し具合です。文句があるならマルクトにいらっしゃい!」
青い軍服の貴婦人は、いろんな意味でシュールすぎる。タルタロスに轢かれるようなところに飛び出しちゃう母親は問い質すべきだ。
そんなシュールなパロを繰り広げる35歳と13歳を、ガイは最大の苦笑でもってできるだけ遠くから見守っていた。ガイラルディアの分際でなかなかに賢い。
「……ったく、あの二人は……」
だがルーク、ごめん。たぶん俺にはどうもしてやれん。だって、100%好意だもんアレ。ありがた迷惑以外の何ものでもないけど、それでも悪いものじゃないもん。まぁ、じゃあ良いものか? と訊かれたら、ものすごく口ごもるけど。凄いダメなものであることはガチだけど。……それでも。
ルークがもう少し大きくなったとき、微笑ましく思い出せるもの、ではあるから。
ガイは苦笑を浮かべたまま、レムの塔を振り返る。
「姉上、か……」
違うことは分かっていても、そう呼ぶしかなかった。
彼女があのまま存在して……成長するということは、決して有り得なかったマリーの未来を、映すものでもあったはずなのだから。
「……恐ろしいな。しかし、夢のような……技術だ」
どこか冷たく、ガイは言い放った。
遠くに立つジェイドを、ふと見やる。なんかまだアホなことを言っていた。パンがなければブウサギを焼けばいいじゃない、とか何とか。アニスは喝采している。
「バカと天才は紙一重、って言うが……」
アホでまである必要はないのに。
あまりにあまりなことを独りごちながら、ガイはもう一度、レムの塔を振り仰ぐ。そして目線はそのままに、決して聞こえないように……過去の偉大な博士に対して暴言を吐いた。
たぶん、自分の知るカーティス大佐とは違っていたのだろうけれど。でも、まるっきり知らない人とも思えないから。というか、そんなはずないから。だから。
「……あんただけじゃない、バルフォア博士」
結果が分からないままに突っ走る。たぶん分かってても突っ走る。
生みの親の持つただ一つの強烈な人間らしさを十二分に受け継ぐなんて、タチが悪いにもほどがある。
「人間には扱いきれねぇよ、こんなの」
ため息とともに、二人に近づくべく、足を踏み出す。
結果は分からない。……分かってるような気もするけど、それでも。
「……突っ走るなら、俺も行くまでだ」
レムの塔は、やはり静粛で、やはり荘厳に聳えていて。
だが、瘴気が晴れた今──塔に降り注ぐ陽の光だけが、ただ活き活きと踊っていた。
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