すってーん。

 音にすればそんな感じであった。

 ジェイド・カーティスは驚くほど軽快に、それはもう軍服の襟をひるがえして、ケテルブルク知事邸の知事執務室入り口にてコケたのだった。

 

 

象のパレード・後日談 〜Special〜

ジェイドとネフリーとリグレット

 

 

「あらあらお兄さん。すっかりギャグ体質になって」

 と、呆れたように首を振るネフリー。

「さすがは眼鏡をとれば美形なんて古めかしい設定を持つネクロマンサー。コケ方にもどこか歴史的情緒を感じるな」

 と、リグレット。

 ジェイドは、もう……ほんっと……どうしようかと思った。おかしいだろこの執務室。なんだこの、メインキャスト(しかも敵)のウェルカム状態。リグレットって、うん……ガチで戦犯じゃん。それがここで茶を飲んでていいはずないじゃん。でも飲んでるんだよねーこれが。おかしいよこれ、私の高いIQもそう言ってるもん、おかしいって。

「まあお兄さん。IQの無駄使いはフォミクリーだけにして下さいな」

「やめなさいその切れ味の鋭い読心!!」

 ジェイドは己の言い返しをバネに、コケた体勢から起き上がる。

 そんな兄妹を見て、リグレットはやれやれ仕方ないな、といった顔で、まさかの仲裁に入ってきた。

「まあ落ち着けネクロマンサー、大人げない。知事にも悪気があったわけでなし。あったとしてもお前に反論する権利があるかどうかは別の問題だが」

「どうしても国際司法の場に出たいようですねリグレット……」

「やめて、お兄さん。国際裁判なんて始まったら、ほんとにマズいのはお兄さんじゃありませんか。本格的に司法議会が召集されれば……フォミクリーを創出した責任、問われぬほど民意は甘くないわよ。だから戦後のドサクサに紛れて何もかもうやむやにしてしまいましょう?」

「……もういいです、黙ってなさいネフリー」

 兄はため息をついた。何が苦手って、この妹の刃を秘めた身びいきほど苦手なものはない(かもしれない)。

 だが現在の問題はそこじゃない。ジェイドは深く息をつくと、現在の問題に向き直る。

「何用ですかリグレット。まさかネフリーに用、ということはないでしょう」

「ああ。いくつかお前に訊ねたいことがあってな」

 悠々と足を組んで座っていたリグレットは、そこでやっと立ち上がる。そして、茶をありがとう、とネフリーに対して小さく呟き、そのまま今度は腕を組んだ。

「まずネクロマンサー。アッシュはどうした」

「アッシュですか? あと数日で音素組み換えが終わりますが」

「……大爆発、か。あまり興味を持てん現象だ。正直、回避することにそこまで拘るとは意外だったな」

「おや、そうですか? 単体で超振動を使える個体が、二体から一体に減ってしまいます。これはなかなか問題なのでは?」

「そうかもしれんな」

 ジェイドの刺すような嫌味は、通じたのかどうかすら判然としない。

 ただ彼女は淡々と、次の質問に移るのみだ。

「では、ディストは」

「あの洟垂れなら、アホなことを考える暇もないほどこき使ってますよ」

「甘いことだな。仲良しか

「喧嘩なら真正面から売ってはどうですか?」

 この挑発も淡々とかわされる。

 だが次の質問に移ったとき──彼女の双眸に、ほんの少し強みが増した。

「……シェリダンの民は」

「おやおや。あなたがそれを訊きますか? 死傷者を七名出したテロの主謀格が」

「それが不思議だった。何度考えても不思議だ」

 リグレットは無表情のまま呟く。悔恨の情も憐憫の情も、彼女は全く示さなかった。本当に、ただ疑問だというふうに、ジェイドを振り仰ぐ。

「その七名のうち、死者はバチカルの兵士と白光騎士のみ、だろう。シェリダンの民に重傷を負わせた記憶はない。我々はお前たちを地殻に行かせたくなかった──だが、どうしてそれがお前たちに分かる?」

「当たり前でしょう。あなたたちの嫌がること、イコール世界の保守ですよ」

「では言い方をかえようか。あのとき、我々がバチカルに攻め入っていたら?」

「………………」

 ジェイドは口ごもった。そんなジェイドに、リグレットは尚も畳み掛ける。

「……ネクロマンサー、あれは全てお前の判断だった、と私は考える。お前は地殻の振動に干渉しようとした。お前はナタリア姫とレプリカルークに兵を要請させた。私たちは、前者に気付き後者に気付かなかった。……だが、今になって思う。現実は違った、だが……我々が後者に気付き前者に気付かない可能性のほうが、余程あり得た話ではなかったか? と」

 バチカルが軍事的に手薄になったことに気付き、ルークたちが地殻振動に手を加えようとしている意図には気付かない。

 その可能性は高かった。首都に攻め入られ、盾にとられる可能性。

 そして──リグレットは思う。ジェイド・カーティスがその可能性に気付かなかったはずはない、と。

「……………。………あなたたちの……ヴァンの、計画は」

 長い沈黙の後、ジェイドは口を開いた。紅い瞳は鋭く眇められている。

「人心の不安なくして、成り立ちません」

 ゆっくりと、思考を追うように。

「世界は、アクゼリュスを堕とした。……一万の命も、見限る。ホドもそうだ」

 ヴァンは、それをよく知っていた。

「首都を盾に? 世界中の命と引き換えの? バカバカしい……誰がそれを信じようと、ヴァンは信じませんよ。街ひとつ、領土ひとつを救うために、世界が世界そのものを犠牲にして動いてくれるなど、夢物語だ」

「……ネクロマンサー、それは、お前の意見ではない」

 ただ黙って、静かに聞いていたリグレットは、ぽつりと言う。

「総長の、意見だ……」

 だから我々は、お前たちを地殻に行かせたくなかった。

 

 ──だが、どうしてそれがお前に分かる。

 

 その場に、肌がピリピリするような沈黙が落ちる。

 しかしそこに、小さな、しかしよく通る声が割り入った。

「……お兄さんの意見ですよ、それは」

 ジェイドもリグレットも、思わず弾けるようにそちらを振り向く。

 ケテルブルク知事は、それでもかすかに微笑みながら……困ったように、少し首を傾げていた。

「ヴァン総長の意見は、ヴァン総長の頭からしか出ません。ましてや、お兄さんの頭なんて亜空間なスポットからなど、とんでもない。だから、ヴァン総長ならこう思っただろうな、という、お兄さんの意見に過ぎません」

 またこの妹はなんでこんな言い方しか──

 究極のツンデレだったらどうしよう、とジェイドは一瞬思った。だがまずそれはない。

「リグレットさん。お兄さんは、知ってることは知ってるだけ使って先に行ってしまう人です。後にはなんにも残りません、惨憺たる結果を除いて。……お兄さんの知識の出所なら、私、お話してあげられると思います。でも……どうやらあなた、それが知りたいわけじゃないんじゃないかしら。違います?」

 また逆行をサラっと話す気だったのか──

 ジェイドは呆れかえった。知事邸は暴露会場か何かだろうか。

 呆れかえった兄を置き去りに、妹は優しく言葉を続ける。優しく、しかし、哀しげに。

「……リグレットさん、ヴァン総長の意思は、お兄さんの中にはありませんよ。あなたの中にないのなら、おそらく、もうどこにもありません」

 もしこの記憶があなたに宿れば、あなたには読み取れるのかもしれないけれど。

 それでも、もうこの世界に残ってはいないもの、なのだ。だって、ぜんぶ使ってしまった。ヴァンの覚悟もルークの叫びもアッシュの死も、ぜんぶ使ったから今がある。

 ……しばしの沈黙の、のち。

「スコア、に」

 リグレットはゆっくりと、重い口を開いた。

「スコアの文面に、ユリアの意思は、なかったのだろうか……」

 返事を求めるでもなく、ただ、独り言のように。

「ならば、スコアを詠むことと、未来を読むことは、最初からこんなにも違ったのに」

 ユリアのスコアの中に、ユリアの意思はたった一つ。

 ──スコアを、残すこと。

「……あなたの言うとおりだ、知事。総長の意思は、もうどこにも、残されていない……」

 それでも最後まで探すことが、リグレットの意思だったのだ。

 

 

「……まぁ、ネクロマンサーの中に残ってるような汚染後のもの、総長の意思とは認めないわけだが」

「あなたほんとに何しに来たんですかリグレット。いい年して恥ずかしい二つ名持ちの分際で。魔弾て」

「………え、ネクロマンサー……」

「天光満つるところ……」

「あらあら落ち着いて。魔弾も死霊使いもたいがいですけど、私思うわ……鮮血のアッシュほどじゃないって。最初『先決』かと思いましたもの。何をそんなに我先に決める気かと」

「ああ。あれは教団内でもないな、と言われていた。そういえば」

「貧血のアッシュ、で充分ですよねー」

「あいつは高血圧だぞ。神託の盾の健康診断にひっかかるほどだ」

「それは初めて聞きました。師団長様は血気盛んなんですねぇ」

「そうね。今のところ鮮血の師団長様自身の血しか論じてないけど、いいのかしらね」

「いや、ぶっちゃけ鮮血のアッシュ様のアダ名、髪の色だろ? 黄色いインコを黄金のインコ、っていうようなもんだろ。別に金塊を見つけるのが得意なインコじゃないだろその場合も」

「ああ、そういやそうですね。しょせんは鮮血のアッシュ様でした」

「無事に音素組み換え終わるといいわね、鮮血のアッシュ様」

「私も鮮血のアッシュ様にはもう一度会っていくかな」

 この嫌〜な流れの中、アッシュが目覚めるまであと51時間。

 お目覚めになったのですか鮮血のアッシュ様! と口々に讃える大人たちを目の当たりに、再びアッシュが冷凍装置に閉じこもろうとした事実は、ルークの胸に軽いトラウマとしてしまわれることになるのだった。

 

 

 

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