「訊ねてらっしゃるのが私個人の意見なら、お兄さん」
わざわざ、ただ一つの問いをしに訪れた兄に、妹は静かな自信をもって答えた。
「それは大丈夫だと、思います。ですから……」
なさるべきことのうち、なさりたいことを、なさって下さい──
象のパレード ６
預言会議は一週間に及んだ。
会議では、参加した各国・各機関上層部の面々に、惑星預言の結末が明らかにされた。……今は亡き、ヴァンの証言（ジェイド捏造）をその根拠として。その上で、預言の処置が論じられたのである。
惑星預言は世界の破滅をこそ詠んだものであり、繁栄はその前段階に過ぎない。
そして、レプリカの存在は預言を覆す可能性があり──それはこの場合、救いである。
強硬な反対意見、奇抜な案、保全の対策……種々様々に飛び交ったが、会議はやはり、世界の安全と存続の可能性を選択する。多少なりとも健全な思考の持ち主ならば当然であろう。
破滅の惑星預言を確認する術は、ない。とはいえ、ヴァンがその命をもかけた理由を、当該預言の件を除いては誰も他に、満足に説明することができない。それに皆……大詠師モースでさえ、思ったのだ。「もしも破滅の預言が真実だったら？」と。
真実ならば──取り返しがつかないではないか。
「……しかし陛下、もし破滅の預言がなかったら……世界はレプリカの虐殺を選択したかもしれませんねぇ」
「ヤなこと言うんじゃねぇよ」
「おや、思いませんか？」
「……思う」
そんときは、マルクトも道連れだったろうがな……、とピオニーは小さく呟く。
ジェイドはダアトの廊下を一歩遅れて歩みながら、ですよね〜、と返した。
「……だがジェイド、問題はむしろ、明日の公示だろう」
「ですよね〜」
「ちゃんと返答しろ。勅命だ」
「やれやれ。貴方一代で低下させすぎですよ？ マルクト皇帝の勅命の価値を」
「でも、ちゃんと効くじゃねーか、なら別に構わん、低下くらい。で？」
「公示、ですか。難しいでしょうねぇ……」
破滅の預言を世界に公表する訳にはいかない、という点において、決議は完全なる一致をみた。
戦争は終了したばかり、そして和平にもまだ不安が残る現在の世情である。この上、世界破滅の預言なんて広まったら……あっという間に世界中がパニックとなるだろう。
「破滅の預言無しで、預言廃絶なんてできっこなかった。なのにそれ無しで、すべての民を納得させろってか」
「世界が再び、人民にも目に見える形で存続の危機に見舞われたら……また違うかもしれませんがね」
瘴気の大発生とか、と、ジェイドは聞こえないように口の中で呟く。
「……だから、ヤなこと言うんじゃねぇって」
「ハイハイ。問題は明日の、『預言における権利と意義の喪失の公示』でしたね」
実際に明日、人民の前で公示するのは導師イオンである。
だが帰国後、キムラスカ、マルクト両首脳にも、各国民への公示義務が課せられる。
「……名目としては、レプリカが既に存在している以上もはや預言が効力を持たないから、ってとこでしょうねぇ。レプリカ殺害は、人道に背きますし？」
「レプリカへの迫害が高まること、請け合いだな……頭痛ぇ」
「ま・頑張ってカリスマで乗り切って下さーい」
「いや、どんな美容師でも無理だろこれ……」
カリスマ＝美容師だと思っているらしいピオニーの痛々しさはともかく、ジェイドは肩をすくめた。これは本当に、自分の役立てる分野ではない。
「ですが成功していただかねば……世界は再び、危機に陥るかもしれません」
「ああ……お前が会議で言ってた、ヴァン配下生存の可能性、か。ヴァンの志を継ぎ、全ての被験者ごと預言を駆逐する。ったく、なんつーテロだよ」
「はい。だから……預言廃絶の成功は必須なのですよ。リグレット、ラルゴ、そしてアリエッタ……彼らが納得するか、しないか。この差は非常に大きい。とにもかくにも、形にだけはしなくてはなりません」
「分かってる。……あ、ところでジェイド。お前が俺に書かせたアレは、役立ちそうか？」
「アレ？ ……ああ、アレなら鼻紙の役にも立ちません。捨てました」
「おまっ……！ 人が睡眠不足の中死にそうになりながら、草稿を作ってやったっつーのに！？」
「大げさな。……だって、マジで無益だったのですよ」
アレ、とは、今回の公示用の草稿である。
民の信頼を得、民に内容を遵守して貰うためには……公示する者のアピール力は看過できない要素だ。公示するのはイオンだが、念のためジェイドは、その道のプロともいえるピオニーに草稿の作成を依頼してみた。
しかし。
「あのですね陛下、一応目を通させていただきましたが……アレは、貴方が公示する場合でないと効力を発揮しない、貴方専用の草稿以外の何物でもありませんよ。イオン様にマントを翻せったって無理な話です。……というか、貴方いつも演出とか考えて演説してたんですね……この見栄っぱりが」
「……全力を尽くしたんだが」
「あーハイハイ。陛下がいつも全力だということは分かりました。……やれやれ、仕方ない。ここは一つ、ネフリーの案の方を採用しますかね……」
「ネフリー？ お前、ネフリーにまで草稿頼んだのか？」
「違いますよ。ただ、あの子が言ってたんです。……イオン様は大丈夫だ、と」
「……へえ」
「明日……黙って、見守りましょうか……」
導師には今、ただでさえ執拗な輩が口出ししてきている。
この上混乱させ、疲弊させることは得策ではないだろう、とジェイドは結論したのだった。
「では次に、スコアに関する公示が下される！ 尚、ここで公示される内容は、キムラスカ、マルクト両国ならびにローレライ教団、加えてケセドニア市の承認を既に得たものであり……全世界の総意である！」
「ああ、僕の出番ですね」
「イオン様ぁ……」
「……行ってきますよ、アニス」
丸めた書面を手にした少年の背を、総勢は黙って見送った。
暗殺の可能性が最も高い、そんな場面である。だが導師イオンは、極めて落ち着いていた。ただ静かに微笑むと、自ら譜業拡声装置の位置をかすかに調整し、書面を台にカサリと置く。
ジェイドはマルクトの貴賓席に護衛として立ったまま、無表情で民衆を見下ろしていた。
（導師様……）
（そうだ、導師様なら……）
嘘だ、と言ってくれる。
我々から預言を、奪わずにいてくれる。
……そのような民衆の期待が、感情が一気に負のものへと変換したとき、イオンは持ちこたえられるのだろうか？ ジェイドには分からなかった。
ただ、一同は黙って待つ。導師イオンの言うべき言葉、「預言は本会議をもって、全ての権利と意義を喪失したことを公示いたします」という、その言葉を。
──だが。
イオンは書面に一瞥のみをくれると、両手を組み、目を閉じる。
そして再び双眸が開かれた時、その奥底に宿る強さは、ジェイドですら戦慄させたのである。
「……ND2019……」
思いもよらなかった言葉が、導師の唇から紡がれる。ND2019は今年、そしてこれは……
スコアだ。
とめるべきだと頭では思っても、なぜか、誰一人として動くことができなかった。
「ND2019、この年を以て、世界は全ての預言を放棄するだろう……」
やりやがった──。
各国・各都市の代表者は、皆一様にそう思った。
なんてこった恐ろしい。なかなかできることじゃねーよ、つかするなよ。
以上のような周囲の動揺をカスほどにも感じていない様子で、導師は組んだ手を下ろし、再び……花のように微笑む。
触れれば散りそうな、はかなげな、笑みで。
「……このスコアでもってローレライ教団は、預言に関する全ての役割を終了いたします。そして導師イオンの名において……預言は本会議をもって、全ての権利と意義を喪失したことを、ここに正式に公示します。………スコアを奉じる者、その者はすべからく……この、最後のスコアをも奉じて下さい……」
……………………。
「なんという……」
「えらいこっちゃ……」
「さ、さすがは導師イオン……」
貴賓席に様々な驚嘆が飛び交う中、ジェイドはふと、隣の主君を見下ろす。ピオニーは椅子に肘をついて、呆気にとられたまま口を開くところだった。
「…………かっけー……」
「……かっこいいですね〜……」
スコアは元々、預言士が詠んだものであってさえ絶対である。
それがまさかの、導師のスコアだ。スコア復活を目論むなら、当然この「最後のスコア」も付随してくる。スコアをあくまで守りたいなら……これぞ本末転倒、そのスコアをこそ放棄しなければならないのである。
そしてイオンは、誰にも何も言わないままに、「最後のスコア」を演じてみせた。それはつまり、今回の世界を相手どったハッタリに関する全責任を導師イオンが負う、という宣言でもある。
「だがジェイド……この『最後のスコア』だけは偽物だ、と考える者も出てくるんじゃないか？」
「実際偽物ですしね」
「や、そうだけどよ」
「……大丈夫です、陛下。このスコアが偽物だと証明するためには、全スコアの公表が必要になる。このスコアがどこにも『書かれてない』ことを述べる必要があるからです。加えて、全スコアの公表は少なくとも、何十年の後になることでしょう」
「破滅が詠まれた年が過ぎてから、か……」
……何十年の後、世界は知ることになる。
導師イオンによる「最後のスコア」が全くの嘘っぱちであるということと……その意味を。
このときの導師の発言が「最後のスコア」でなく、「最初の意志」と呼び替えられるようになるのは、まだまだ更に、先のことだ──
「確かに、全然大丈夫でしたね……」
導師イオンはどこか活き活きと、しかも次々と言葉の爆弾を投下していた。
正直、ダアトにおける政教分離の実施が予定されているなんて、こっちも初耳である。
「神託の盾とローレライ教団に分離、ときたか……考えたな。だが、それだとローレライ教団は脆弱になり過ぎないか？」
「それが狙いでしょう。神託の盾は、国際調停の組織になる。一方、ローレライ教はその体制において、遺跡の管理と学術・文化の振興を志しつつ……今度こそ、ただの宗教となるのですよ」
そして導師イオンは、ほとんどの権力を剥がれた教団に、聖職の長として残ることを選択した。
レプリカ保護の本拠地となるダアトにおいて、文学や考古の学者が多数輩出される日も……さらに、レプリカから高名な学者が現れる日も、決して遠くはないのだろうか……今はまだ、分からないが。
「……で、ジェイド？ お前はどうするよ」
「そうですね……」
──なさるべきことのうち、なさりたいことを、なさって下さい。
我が妹ながら、至言だ。イオン様も好き勝手やってることだし。
「……ピオニー、サフィールを借りますよ」
「おお好きにしろ。元々俺は使ってない」
「感謝します」
「なんだ、すぐ行くのか？」
「ええ。護衛はフリングス少将と代わります。……あの男は、もっと働かせなくては。ツッコミだけで給料とれると思ったら大間違いです」
「……泣くぞアスランが。まぁいい。サフィールにも感謝してやれよ〜」
「御免蒙ります」
一刀両断にして廊下に出ると、その突き当りでうっかり出会っているフリングスとセシルを見てしまい、ジェイドは深く脱力する。
「放っておいても出会うんじゃないですか……」
そして、そのまま黙って立ち去った（護衛は）。
一方、演説を終えたイオンは、「ねぇアニス、あなた、神託の盾の長を目指しませんか？」と、ちょっと一緒に世界獲らないか、なノリで打診して周囲を改めて戦慄させ、これまた新たな伝説を創出していたという。
……ともあれ、導師イオンが示したように。
まことにスコアとは、使いようだった──のかもしれない。
預言会議は、私なりの逆行ＥＤ�，任后�次の７で、たぶん完結。
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