「泣いている……、僕が……?」
スピノザの立ち聞きは防いだ。
それでもヴァンたちは嗅ぎつけて来た。
シェリダンには予め兵隊を配置し、被害を最小限に抑えた。
「そうか……僕は、なんという思い違いを…………」
……シンクは、地殻に沈んだ。
ディストはなんと、飛行譜石イベントもないのにジェイドを呼びつけてきた。感嘆モノだった。
そして、アリエッタ、リグレット、ラルゴ……彼らに、ジェイドは結局とどめを刺せなかった。三人はかつての記憶通り、雪山に消えていったのだ。
「僕も、シンクも、誰かの代わりは嫌だったんです……」
なぜか、導師イオンの言葉が、やたらと頭をよぎる。
先日聞いた声と、記憶の中の声が、織り交ざるようにして──。
象のパレード 3
明日は、もうアブソーブゲートに突入する。
現在ジェイドは、ケテルブルクの雪を踏みしめていた。
「…………どう、すれば……?」
答えは決まっている。いや、ついこの間まで、決まっていたはずなのに。
「リグレットとラルゴは殺し……ヴァンは一旦地殻に逃し……できるだけ人命における被害を除きつつ……世界が一つになった状況を見極めて……再び、ヴァンを倒す……」
だがすでに、最初の段階で失敗している。リグレットとラルゴは、おそらく今回も生きていることだろう。
「失敗、か……」
……いや、認めねばなるまい。自分に迷いがあったのだ。
ナタリアとアニスがバチカルに赴くと宣言し、発言通りに実行した後。それ以降の行程は多少の相違こそあれ、かつての「記憶通りに」進んでいた。
記憶通りに──スコア通り、に……?
「……なるほど、怖いですねぇ……」
この記憶をなぞれば、被験者の世界は救われる。一万の人命──ネフリーの言うところの、千の象命と引き換えに、世界は正常となる。ルークとアッシュも帰ってくる。
だが、道筋を違えたら?
──何もかも、台無しになるかもしれない。以前あった命まで、失われるかもしれない。
「けれど、私が動かなければ何も動かない、ですか」
逆に、ジェイドが軽く動いただけで、ナタリアが──そしてアニスが、たくましくも新たな道を進んでみせた。記憶を、スコアを生かす強かさを、仲間たちは確かに有しているのだ。
「その私が、迷っているとはねぇ……いやはや」
道筋を違えることで、より悪い結果になりはしないか?
「そうでは、ないですね。むしろ……」
もし「この記憶」がなかったら、自分は今の結論を最善策と思うだろうか?
「……絶対に、思うまい」
ヴァンを逃がす? 冗談じゃない。
明日、絶対に決着をつける。実際、そう固く決意してアブソーブゲートに臨んだのだ。……前回は。
「どこかで、一歩を踏み出さねばなりませんね」
でなければ、「この記憶」がここにある意味がない。
苛立ったように顔を上げたとき、ジェイドは目的地に──ケテルブルク知事邸に到着したことを知った。
トン、トン。
「ネフリー、入りますよ?」
「あらお兄さん、そろそろ来ると思っていたわ」
「ジェイド。妹さんには、大変お世話になっております」
「……イオン、様……? そうか、ここに滞在なさるんでしたね」
知事邸内部では、ネフリーとイオンがイブニング・ティータイムであった。まったくのどかな光景であった。道筋を変えるための第一歩をどう踏み出すべきか、とか、ものすごくシリアスに考えていた自分がアホみたく思えるほどである。
そこにネフリーが春の陽だまりのような、そしてイオンが花のほころびのような、優しく、あたたかい微笑みを向ける──。
「ああそうだお兄さん、ちょうどよかった。たった今イオン様に聞いていただいたところだったのよ、逆行についての一部始終を」
「大変興味深く拝聴いたしました」
「なにを軽やかに第一歩を踏み出してるんですか!?」
さっきまでの私の懊悩は一体……! ジェイドはたいそう戦慄した。無理もなかった。
「まあお兄さんったら。三十路過ぎてなにをいつまでもグダグダと。……申し訳ありませんわイオン様、年甲斐もない兄で」
「ご心配なく。いくら鈍い僕でも、その点(=ジェイドの年甲斐)に関してはうすうす察するものがありましたから。バスローブあたりで」
……っヤな組み合わせですね……!
ジェイドでなくとも、なんだか哀しい気持ちになるというものである。
自我に目覚め、自分の足で歩み始めた導師イオンは、本当に……こう、底光りしていた。はかない笑みをまとったまま、とってもシブく光っていた。たとえて言うならば、ビル建てようとして敷地を掘ったら出てきた不発弾のようなムードである。うっわ危なかった! みたいな。
その不発弾……もとい導師様は、少しだけ、首を傾げる。
「感謝します、ジェイド」
「……何をです?」
「あなたが僕を、助けてくれようとしたことを知りました。ティアの瘴気……確かに、僕なら受け取れます。最終的には、それしかないと思ってました」
「そう、ですか」
「そうですよ。それに……僕は惑星預言を、とても知りたかった。ルークに、あなたたちに、教えてあげたかった。被験者のイオンなら知っていたはずなのに……と、ずっと口惜しく思っていました。感謝します、お二人とも」
「………………ネフリー」
「なんですか? お兄さん」
「惑星預言までぶちまけたんですか?」
「ええ。それはもう余すところなく。一部始終って言ったでしょう?」
「なんとまあ思い切りのいい……」
「ジェイド」
導師イオンは、カモミールティーを持ったまま、淡く笑む。
たとえ現在、ベリー模様の愛らしいティーカップを握っていようと、彼に芽生えた自我はどこまでも鮮烈だった。プリティー・アイテムくらいではどうにも誤魔化せてなかった。……似合ってはいるが。
「ジェイド、預言の戦争を、どう思いますか」
「……別にどうも。詠まないでいてくれれば有難かった、とは思いますが」
「では、ヴァンの大陸破壊計画を、どう思いますか」
「やらないでくれれば有難いと思いますが」
「ですよね」
「……何がおっしゃりたいのです、イオン様」
素敵な速さで同意した導師様に、ジェイドは呆れた目線を向ける。
イオンは再び、少し首を傾げた。今度は逆方向に。
そして、どこか遠くを見るようにして……言葉を繋ぐ。
「いいえ。ただ、僕が戦争を起こしたいと思ったなら、まず預言など詠むまいな、と思っただけです。……普通回避するものじゃないですか、戦争なんて物騒なこと」
「……それを実行してしまうのが、スコアです。世界は確かに歪んでいますね」
「そうですね。……そして本来、戦争を……いえ、人類の危機を回避する手段は…………当然ながらヴァンの言う、レプリカ的新世界の創出なんて前衛的なことでもなければ……僕たちがそうしたように、戦場を降下させて強引に中断すること、でもない。本来それは……人々の、不断の努力であるべきです。特効薬でも、失敗しないシナリオでもなくして。……どんなに不安でも、本当はそうあるべきです……」
「…………」
「なのにスコアがある。それは性質上、不断の努力を妨げる。……先が見えるからです、ジェイド。だからこそ貴方は、インゴベルト陛下の説得より、大陸の降下を先んじた。無用な時間をかけないために」
「……間違って、おりましたか?」
「いいえ、ジェイド。あなたはあの時の最善を考え、決定したのでしょう。……ですが今は、あの時より事情が複雑だ。そうではありませんか? 次善の未来が、既に示されているのだから」
「次善……」
「それがスコアです。……あなたと妹さんの記憶です。未来の次善が現在の最善を妨げるのなら、スコアなどないほうがいい。現在の最善の後にこそ未来の最善がある、と……そう信じることができなくなるくらいなら、ないほうがいいんです……」
「……!」
「ジェイド、スコアを役立てて下さい。スコアが現実でなく……道具であるうちに、役立ててください」
──ヴァンを、地殻に逃がすな。
──ローレライを、ヴァンに渡すな。
──現在の最善を採ることを、恐れるな。
「……お言葉、確かに承りました」
そのまま身を翻すと、ジェイドは静かに出て行く。
残されたその場では、ネフリーが、イオンに深々と頭を下げた。
「ありがとう存じます、イオン様。兄の背を押していただいて」
「いいえ。僕も、とても勉強になりましたよ。──ユリアに関して」
「え? 始祖ユリアに、ですか?」
「ええ。非常に不本意なことですが……僕は今のジェイドに、ユリアの懊悩を見て取りました。非常に不本意ですが」
「なにも二回もおっしゃらなくても」
「申し訳ありません、つい。…………でも、役立てたいのですね、スコアを。……記憶を、生かしたいのですね。それを踏み台にして……先へ進んで欲しいのですね……」
「イオン様……?」
「………それこそが、ローレライ教の本来あるべき姿、だったのですね………」
ジェイドの姿は、もうとうに、吹雪の闇に消えていた。
ざっざっざっざっ。
ネクロマンサーは、勢いよく歩んでいた。ケテルブルクホテルに向けて。
実際、今日すべきことはもう、ぐっすり眠って明日に備えることしかないのだから、そのやる気は今のところ、すこぶる空回りしていた。
だが、そこに。
「……分かった、アッシュ。オレ、必ずヴァン師匠を止めてみせる」
「っ、止めるんじゃねぇ! 倒すんだよ!!」
鋭く叫びつつ、赤毛が二人揃って口論している。
「………………」
ざっざっざっざっ。
ジェイドはまだ無言であった。超・上の空であった。
……それはもう、よりによって二人の間を一顧だにせず通り抜けるほどに上の空であった。
「わ、ジェイド!?」
「何してやがる、ネクロマンサー!」
呼び止められたジェイドは、振り返らずに立ち止まる。
未だじっと考え込んだまま、ただ、やたらとイイ勢いで、口を開いて。
一言。
「……倒すんじゃない、息の根とめるんですよ!」
「「な……!」」
ルークとアッシュは二人揃って絶句したが、ジェイドはやっぱり上の空だった。なぜかそう言い放つと、よし! とガッツポーズを決めて、再び歩き出す。キャラ崩壊もいいとこだった。
そしてそのまま、長身の姿はホテル内に吸い込まれる。
「「…………なんだありゃ」」
その場に残ったのは、期せずしてハモった二人と、一旦破壊されて修復不可能になった緊張感。
仕方ないので彼らは、あ・じゃあな……、いや、そっちこそ……、みたいな微妙な空気で、決戦前夜を別れるハメになったのだった。
──さて、未来は、どう転ぶだろうか……?
ここにきてジェイドの話でした。+イオン様。4に続きます。
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