「あらお兄さん、私の結婚式以来ね」
「……! 私の生存を信じていたのは、もしや陛下くらいですか? ネフリー」
──兄妹は、一瞬でアイ・コンタクトを済ませたのだった。
象のパレード 1
アビス・バルフォア兄妹逆行モノ
トントン。
「ネフリー、入りますよ?」
「どうぞ」
夜半、ホテルを抜け出して不機嫌に現れた兄を、妹は朗らかに迎えた。
その待ち構えていた、といった様子に、ジェイドは思わず眉を寄せる。
「ネフリー、聞きたいことがあります」
「そうでしょうね」
「ルークに今回、プラスアルファで何を吹き込んだんですか? 悪魔、とかネビリム先生の死、とかだけでは、あんなにあの子は微っ妙〜!な顔をしませんよ」
「あらあらお兄さんったら。ここは逆行を確認しあうべき場面ではないかしら?」
「答えなさい」
ネフリーはため息をつく。兄がマジで怒っていることを悟ったからだ。ある意味。
「いやぁね。私はただ……前回ルーク君に私が与えた、お兄さんに関する負のイメージを少しは緩和できればと思って……お兄さんと豆腐の初恋エピソードを捏造したり、お兄さんが初めて経験した別れの悲しみは、鮭の産卵とその母体の死であった──といった内容を切々と語ってみただけです」
「私をどれだけ愉快なオッサンにするつもりですか! おかげでルークに、それはもう優しい目で『明日の晩飯は……マーボーカレーにしような? いや、オレが食べたいからさ……』と言われましたよ! まぁ好物でしたから普通に頷きましたけどね!」
「でもお兄さん。私が幼少時のお兄さんに関して覚えていて、かつイメージアップに繋がりそうなことなんて、正直好物くらいのものですもの。あとの記憶から引き出される幼少時のお兄さん像といったら、頭と顔だけはいいけど鼻持ちならない子──といったところだわ。そんなこと、言うわけにはいかないじゃない?」
「それでも悪魔は言ったんですよね今回も」
「それはだって……ねえ?」
「ねえじゃありませんよ、全く……」
ジェイドは脱力した。
なんで、どうして、よりによってこの妹だったのだろう。
だが、一人よりはマシだ。よほどマシだった。こんな、地味に料理引継ぎが為されているような事態。
「さて、ふざけてる場合じゃないわね、お兄さん」
「あ、ふざけてたんですか一応……素かと思いましたよ」
「……アクゼリュスは、堕ちたんですね」
ネフリーの表情が、こわばる。答えるジェイドも、神妙な顔つきになった。
「……はい。アクゼリュスが崩れるさまを、目の当たりにしたときですよ……私に、こんな記憶が降ってきたのは」
「それはよかったわ」
「よかった、ですか?」
「……ええ。私は、アクゼリュスが堕ちたと聞いたときに思い出しました……主にお兄さんのコスプレを。……でも、あの街の悲劇がなければ、世界は変わったかしら? ……変わるまい、とお兄さんが考えて、そしてあの街が堕ちるのを黙認したのだとしたら……また逆に、変わる、と考えて、あの街を助けることによって世界の危機感を削いだなら……どちらにしろ、私は納得できないわ。その考え方にも、お兄さんの負う負担にも。だからお兄さんのために、よかったと思います」
「……おやおや。ありがとうございます」
「どういたしまして」
兄妹は、久々に微笑いあった。その光景は本来、あと三年以上経たないと得られないものである。
妹は、静かに指を組みなおす。話すべきことは、山ほどあったから。
「では一つずついきましょう、お兄さん」
「あなたも物好きですね〜」
「いいえ。お兄さんに任せていたら、結構な確率でアサッテな結論を出しますもの。安全弁が必要だわ」
「ネフリー、あなたが安全だという主張には、私は反論がありますよ?」
「そんな水掛け論は置いておいて。まず? ……戦争かしら?」
「……その件に関しては、既に後手に回ってしまっています。アクゼリュスが堕ちた時点で、後手なのですよ。どうしたって先に、セントビナーを救わないといけない」
「ナタリア姫を、帰す時間は?」
「ありません。そしてもう、モースが向かっています。……それに、戦争は預言だ……」
「……イオン様だけでもキムラスカに……駄目ね、そんなこと、お兄さんならとっくに考えたわよね」
「ええ。イオン様がいなくては、セフィロトに行き着けない。私は……セントビナーを優先します。軽蔑しますか?」
「……お兄さん、私がお兄さんを軽蔑するとしたら、その年甲斐のない行動と服装くらいのものです。……セントビナー崩落で亡くなるのは、民間人ばかりですものね。戦争で死ぬ軍人と、秤にかけてはいけないけれど……」
「でも、私は秤にかけました」
「……私は、お兄さんを支持いたします」
「支持ですか。あなたもすっかり知事なのですねぇ」
「当たり前でしょう? ……お兄さん……ヴァン総長を、アブソーブゲートで仕留めることは?」
「できます。……が、私はそれをしたくない」
「レプリカたちと、ルーク君のために?」
「……レプリカたちはもう、少なく見積もっても何百かは造られています。レムの塔での一件なくして、世界が彼らを受け入れたでしょうか? 私にはそうは思えない。そしてエルドラントに行かなければルークとアッシュに──チーグルのスターのような事態が起こるでしょう。それだけは避けたい」
「でもお兄さん……一万の人命は、重いわ。そんなのヴァン総長の息の根を止めてから……お兄さんがレプリカ象を千体くらい造ればいいんじゃない? 千の象の命はルーク君に負ってもらうとして。数百くらいのレプリカ人間なら、世界だってなんとか受け容れられることでしょう」
「よく考えつきますねそんなこと。象に悪いとは思わないんですか」
「思うけれど」
「……もういいです。どちらにせよそれではエルドラントが出現しな………いえ、しますね」
「ええ。リグレットかラルゴかが──必ず志を継ぐでしょう」
「いや、すみません。だったら最初からヴァンを残すべきです」
「あら、なぜ?」
「……認めたくはありませんが、マルクトとキムラスカが一丸となったのは強大な敵が──ヴァンがいたからです。世界が預言から外れたのは、やはりヴァンがいたからなのですよ。リグレットやラルゴに、彼ほどの役割が果たせるものかどうか疑わしい。預言からの離脱が遅れれば……少なくともマルクトが滅びます」
「あら、怖い」
「もっと怖がってもいいところですよ?」
「……ではお兄さん、ほぼ、かつての道をたどるのね……」
「いいえ。少なくともリグレットとラルゴには、雪山で死んで貰います。シンクとアリエッタは……ひょっとすると、イオン様がいれば違うかもしれない。ですが、あの二人は翻らないでしょう。何をどうやっても」
「イオン様に関しては……」
「一ヶ月ある。なんとかしてみせますよ……ティアの瘴気を」
「代わりに象に吸わせるとか?」
「あなた象になにか恨みでもあるんですか。でもま、そんなところです。瘴気を受け取る装置は考えます。アニス、モース、イオン様……このあたりはたぶん、どうとでもなる」
「あらあらお兄さん。なんだか、今初めて天才っぽいわね」
「………よし(スルー)。こんなところですか。……一応感謝しますよ、ネフリー。だいぶ頭がはっきりしました」
「お兄さん、一つ忘れているわ」
「? 何です」
「サフィールを懐柔なさい。お兄さんにしかできません」
「嫌です」
「サフィールが脱獄しなければ、起こらなかった事態がいくつあると思っているんですか。お兄さん、この際お兄さんの心の平安と個人の幸福は、ドブにでも投げ捨ててちょうだい」
「あなたも結構酷いこと言ってますよね……ディストに……」
「あと一つ」
「今度はなんですか……」
もはや疲れ果てた顔をするジェイドに、ネフリーは困ったような顔で笑いかける。
心配しているような──未だ、迷っているような。
「今度も、生きて帰ってきて下さいね?」
「……私は私の計画を、完璧に遂行しますよネフリー。天才の兄が信じられませんか?」
「ええ爪の先ほども。……あと、これだけは忘れないで、お兄さん。私たちが握っているこの記憶は、本質的に預言と変わりがないのだわ。だから……」
「……溺れないように心せよ、ですか? 言われるまでもありません」
「そうじゃないわ。もし危なくなったり、不可能だと判断したならば……すぐさま手のひらを返してちょうだい。だって、お兄さんの計画ごとき、失敗してなんぼのものですもの。決して固執しないで。未来はどうとでも転びます。そうでしょう?」
「もうちょっと言い方があるとは思いますが……」
「お兄さんが本当にやるべきことは、お兄さんの義務を果たすことだけよ。過去の所業を魂の底から猛省することを除けば。それ以上は、背負わないでね?」
「なんでいちいち、痛恨の一撃を付加するのですか……?」
ジェイドはため息をつくと、今度こそ知事邸を後にした。
どう転ぶか分からない先行きと、この奇妙な道行きの連れを、心から不安に思いながら。
これもう、どう続ければいいんですか。
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