もしもマルクト 2

 

 

「お兄さん、聞きたいことがあるのだけれど」

「ちょうどよかった。私もあなたに頼みたいことがあるんですよ、ネフリー」

「嫌です」

「……あなたは本当に昔から、賢い子ですよねぇ」

 綺麗に整頓された女帝の私室(もちろんブウサギは一匹もいない)に呼び出されたジェイドは、やーれやれ、と首を振った。

 しかし数秒でキリリとした顔に作り変えると、眼鏡を無駄にキラーンと光らせる。その眼鏡こそ、譜眼の効果が消え失せた今となっては無用の長物以外の何物でもなかった。が、彼は「眼鏡のオッサン」というステイタスを捨てることを潔しとしなかったのである。代わりに「伊達眼鏡」という汚名を負ったのだが、幸いにして気づいてない。

「ですが陛下、恐らく私の頼みとあなたの疑問は直結しています。ここは一つ、取引いたしませんか? あなたの疑問には包み隠すことなくお答えしましょう。ですから、まずは私の頼みを了承して下さい」

「……聞くだけ聞きます、お兄さん」

「なに、難しいことではありませんよネフリー。あのですね、両腕を鍛えて貰えませんか? 米俵二俵を軽々持てるくらいまで

「…………なぜです」

「いえ、成人男子一名を抱えて歩くとなると、それくらいの腕力は必要かな、と……」

「お兄さん、物凄く悲しいことに、今のお兄さんの言葉で確信しました。いいですか、私の大切な幼なじみを今すぐ監禁から解放なさい。お分かり?」

「えー、ネフリー、でも……」

「お分かりでないようなら言いますけど、これは勅命です」

「……」

「返答は? カーティス大佐」

 ジェイドは一秒ほどためらったのち、にこやか〜に頭を下げた。

「御意にございます」

 

 

「と、いうことで、あなたを解放します。サフィール

「キィィーー! なぜその経緯を私に話すのですジェイド! 故・意・の・勅命違反ですよそれはぁ!?」

恋★の勅命……フ、まさにその通りですとも。うまいこと言いますねぇ」

「言ってませんよッ! 頭わいたんですか!?」

「まぁそう言わずに。あなたの力が必要なんですよ」

「! え……わわわ、私の力? な、なんですかジェイド言ってごらんなさい!」

 チョロい。

「まずはですねサフィール。温室を一つ……いえ二つ欲しいんですが」

「お安い御用ですとも! 他にはありますか?」

 甘い。

「他に? そうですねぇ……米俵二俵持てますか?

「? カイザーディストなら余裕ですよ」

「ああ、それも悪くありませんね。耐水性にできるならば、ですが」

「ムキー! 私を誰だと思っているんです! できますよ!」

「じゃあお願いします」

 ……チョロあまだった。

「あ、あとですねサフィ〜ル? 植物の成長を急激に速める薬品とかできませんか。種子の状態から一週間程度で開花するような」

「だんだん要求が高度になってますよッ!!」

 

 

 だがディストは二日で薬品を作り上げた。

「……なのに温室はまだ、ですか……。本末転倒ですねぇ」

「アナタが最初に、キチンと説明しないのが悪いんでしょう! ジェイド、暇ならこの薬品に種子をひたして、どっかに撒いてきて下さい! 実験が必要です」

「ハイハイ。何の種でもいいんですか?」

「いきなり生えても、余り不審でないものがいいでしょう。雑草が望ましい」

「じゃあ……ガイラルディアですね」

「私の話を聞いてましたかジェイド!? それ天人菊ですからね!」

「私とて、馬鹿ではありませんよ」

 それは意見が分かれるところである。

 ともあれ、ジェイドはその種子をガルディオス伯爵邸の庭に投げ込んだ。ジェイドに言わせれば、そこはガイラルディア(花)が異常発生しても物議を醸すことのない、マルクト唯一の場所であった。

 

 

 ──そして、二週間後@グランコクマ謁見の間。

 ネフリーは、心の底から理解しかねる目で、兄と友人(?)たちを見下ろしていた。そもそも、実兄が「パーティーしたいんで謁見の間貸して下さい♪ あそこなら広さがあります」とビヤホール借りるくらいのノリで頼んできた際に、断らなかったネフリーもネフリーであった。

 ……だが、アクゼリュスから、セントビナーから、ケセドニアから、そしてエルドラントから、何度も何度も何度も危険な目にあってはその都度ここへと帰ってきてくれた兄の頼み事に、彼女が弱いのもまた事実であった。まぁ、凄まじい速度で断る場合もあるが(例:米俵二俵持てるまで鍛えてくれませんか?)。

 なんだか楽しそうだったので、邪魔になる自分は退室しようとする。だが兄は「あなたも参加するんですよ、ネフリー」と優しく微笑んで言ったものだ。……それは、正直に嬉しかった。この際、「むしろ陛下が主賓だろ」と兄の背後でボソリと呟いた、若きガルディオス伯の困りきった声は聞かなかったことにする。

 ……が、その感動も準備を見ているうちに台無しになった。

 まずジェイドが、四苦八苦して牡丹の花と取っ組み合っている。そしてネフリーから見れば気が狂ったかのような物体を作り上げ、背を向けて譜業を調整していたサフィールに声をかける。

「サフィール〜。当初の予定通り、37本ほど使って作ったのですが」

 サフィールはそれに、背を向けたまま答える。

「何を使い何を作ったのです? 情報を整理して話して下さいッ!」

「使ったのは牡丹の花。作ったのは花束です」

「へぇ……って、37本(ピオニーの年の数)!? 馬鹿ですかアナタ! あんなボテっとした花で、そんな本数の花束できるわけないでしょう! (すごい勢いで振り返って)わ! 気持ち悪っ! でかいマリみたいになってるじゃないですか!!」

「わっさわさですよ〜」

「ちょ、近づけないで下さい! ちくちくする、しかも花粉がぁあッ!」

「花粉症ですかサフィール。見たまんまですねぇ」

「なんですか見たまんまって! あああもうジェイド! そんなに本数にこだわるなら球体を作ってあげますから、そこに花を貼り付けなさい! その方がまだしも安定します」

「マジですかサフィール。ものは相談ですがその球体、内部を空洞にして、そこに垂れ幕や紙ふぶきを収納可能な構造にできますか?」

くす玉を作って欲しいなら最初からそう言えばいいでしょう!! ……ちょッ、だからそのマリを近づけないで下さいってば!」

 ジェイドの地味な嫌がらせに屈したサフィールが、くす玉を作りに謁見の間から出て行く。すると、運搬用の一輪車でもって、ありえない量のガイラルディア(花)を、どこからか運び込んでは撒き散らしていたガイが声を上げた。

「おーい旦那ー。この花足りないぜ? 温室の分はこれで全部だ」

「おやおや、なくなってしまいましたか。ですが大丈夫ですよガイ。……それっ」

 掛け声とともにネクロマンサーの両腕から、もももっと出てくるパンパンのゴミ袋×30。

 ネフリーは思わず、玉座から立ち上がってまで引いた。兄はどうやら自分の腕を、四次元ポケットか何かと勘違いしているきらいがある。アホじゃなかろか。

「ネフリー、あなたの言いたいことは分かります」

 いや、絶対に分かってない。

「ですが、この兄にも言い分というものがある」

 賭けてもいいが、しょうもない言い分であろう。

「ご存知の通り、これはコンタミネーション現象です。私の右腕に物質を音素レベルで取り込むことによって可能としている。……ですが、この場合は対象に問題があった」

 そこでジェイドはちらりとガイをみやった。離れたところでゴミ袋の結び目を解いており、こちらの会話を聞いている様子はない。

「ネフリー、この花はガイラルディアです。と、いうことは、私がこの花のみを右腕に取り込んでは、『私とガイラルディアでコンタミネーション☆』という気持ち悪い結果となってしまう。ですから私はここでゴミ袋というマストアイテムをはさみ、『私とゴミ袋に入ったガイラルディアでコンタミネーション』という事態にまで、ことを緩和したわけですよ」

 予想以上にしょうもなかった──

 ネフリーはうちひしがれた(精神的に)。

 ちょっと離れたところで、花の名を知らないガイが「そういや、この花うちにも咲いてるな!」とか陽気に言ってるのを聞いて、尚更うちひしがれた。わっさわっさ、というゴミ袋の音が哀しかった。

「……お兄さん、今腕から出したガイラルディア(花)だけれど、では、ガルディオス邸の?」

「いえいえ。種が大量に余ったので、シュレーの丘に撒いたものです。これがまた、えっらい繁茂しました。シュレーの丘は今や、ガイラルディアまみれですよ。ちなみに花言葉は、『重い愛情、重い友情、重い信頼、重い忠誠』ですね(大嘘)」

「……楽しそうね、お兄さん。だけど……」

 たいがいにしろ。

 そう女帝が言い放つより先に、ギィイ、と謁見の間の扉が開く。まず入ってきたのは……でかいマリ……の後ろでほとんど見えないディストと、そして、もう一人。

「あ、あの……お久しぶりです、陛下。それに大佐、ガイ。せっかくのお招きでしたが、アニスは多忙とのことで、私だけ参上いたしました」

「おやティア。よく来てくれました」

「はは、ナタリアもやっぱり、無理だったみたいだな」

「あの……陛下、これは一体……?」

 高いところに取り付けられる牡丹マリ(=くす玉)。

 ほとんど見えないが、敷かれた赤じゅうたん。

 溢れかえったガイラルディア。

 ティアが戸惑うのも無理はない、とは思うものの、ネフリーにだってこれが何なのか答えようもない。あえて言うならば兄の悪ふざけである。

「ごめんなさいね。私にも、何が何だか」

「い、いえ……」

 二人そろって胡乱な目をジェイドに向けると、当のジェイドはサフィールの持ってきた操作盤を見ながら、はしゃいでいる。

「なるほど、簡明な造りですね。さすがですサフィール。……ところで、今さら言うのもなんですが、花火があると尚よいと思うのですが」

「そう言うと思って、準備しておきましたよ」

「……天才ですねサフィール」

 ジェイドは地味にこのとき初めて、ディストの才能に感嘆した。

 踏まれても踏まれても立ち上がり、時に踏まれる前にも踏まれたと勘違いして立ち上がる。おきあがりこぼしを兼ねたマトリョーシカを見ているような気になってくる。こう……いくつもあるのに何度も復帰する、みたいな。

 それはともかく。

 ジェイドが操作盤の電源を入れ、そこらのボタンやレバーを数回動かすと、玉座のはるか向こうから、ガショーン、ガショーン、という鈍い音が聴こえてきた。振り仰ぐと王宮の大滝の上に、何やら大きな譜業ロボットが登場している。ちなみに、ピオニー内蔵(横抱きとか、なんかもう面倒になったから、詰めた)。

 ポカンとするネフリーとティア(とガイ)。

 ちなみに、彼らはケテルブルク知事がガンダムよろしく内蔵してあるなど、もちろん知らない。

 ジェイドはさも嬉しそうに、レバーを前に引き──

 ……──その手を、とめた。

 憐憫の情が湧いたわけではない。

 ただ、ジェイドですら驚くようなことが起こったのだ。

 たった、今、

 譜業ロボの、滝の、

 上に、ふわりと、降り立った、

 …………………………あの、赤毛の。

『ルーク!!!』

 その場の全員の胸に去来したのは、突き刺すような喜びと、そして「なにもこんなタイミングでなくとも」という、如何ともし難い想いであったという。

 

 

 

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